22:Vivissimi augri di buon matrimonio - 3/4

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 足を白の布が覆っている。裾からでたヒールがある程度高い靴がそこからひょっこりと顔を出している。もちろんそれも立ってしまえば、裾が隠してしまうのだが。
 ルッスーリアに説得されて今日はコンタクトにしてあるので、妙に視界がクリアで少しちかちかとしている。丁寧な化粧も済ませて、ベールの下の表情を小さく笑わせる。その時、こつこつと扉を叩く音がした。
「はい」
 返事をすると、かち、と扉があっさりと開けられる。ベール越しに見えるその少年が誰なのか、東眞は誰よりよく知っている。
「修矢」
 目を細めて笑うと、赤い石のついたイヤリングがちりと揺れた。修矢は東眞を見て、一瞬言葉を止めたが、綺麗だ、と短く告げた。東眞はそれにありがとうと答える。
 椅子から立ち上がれば、靴が裾の中に隠れる。そして東眞は修矢が手を差し出していることに気付いた。少し開けられた肘のところに、ゆっくりと手を伸ばす。修矢は東眞の動きを待って、ゆっくりとその手を組む。
「――――――ホントに、結婚しちゃうんだな」
 うん、と東眞はその言葉に足を進める。いつもよりも、相手の歩幅がせまい。それは少しでも自分だけの姉との時間を噛みしめているかのようだった。隣に並ぶ修矢の肩が自分の肩よりも高いことに気付く。
「大きくなったね」
「――――――――――…っ、うん。ありが、とう」
 姉貴、と修矢は袖で涙を拭ってからこじんまりとした小さな教会に足を踏み入れた。その中では、見届け人としてティモッテオが司祭の隣に、そしてその隣には大柄の男性が一人、立ってた。東眞はその男のことの傍にこれから一生居続け、そして愛し続ける。ベール越しの赤い瞳はいつもよりも随分美しかった。
 修矢はXANXUSたちの隣まで東眞の傍に付き添う。一瞬、修矢はXANXUSから視線を逸らしかけたが、すぐにそれを戻して、しっかりとXANXUSを見る。そしてXANXUSに東眞を確かに預け、そして、姉から―――――――――その手を離した。
 XANXUSは薄い幕一枚の中の東眞の目を見る。東眞もベール越しにその赤い視線をまっすぐに見つめる。司祭が着席を促して、東眞とXANXUS、それからティモッテオと修矢はそれぞれ柔らかな椅子に腰掛ける。司祭が何かをイタリア語で話し始める。少し早めであるので、東眞の耳はそれが聞き取れない。そして、老齢の男はXANXUSに向かって同じ言語で話しかけた。
「(XNAXUS、貴方は東眞を妻としますか)」
 自分の名前とXANXUSの名前をその耳でしっかりと聞き取り、ベールの下で東眞は小さく唇を引き締める。司祭の言葉に、XANXUSは静かに、Si(はい)と、しかしながらはっきりと返事をした。
「(順境にあっても逆境にあっても病気の時も健康の時も夫として生涯愛と忠実を尽くすことを誓いますか)」
「――――――Si.」
 そして司祭は東眞の方に目を向ける。穏やかな瞳にほっとしながら、東眞は司祭の声を聞いた。
「東眞、貴女はXANXUSを夫としますか」
「はい」
「順境にあっても逆境にあっても病気の時も健康の時も妻として生涯愛と忠実を尽くすことを誓いますか」
「…はい」
 たった一言の肯定の言葉にすぅと体が熱くなった。するとXANXUSが此方を向いていることに気付く。東眞も表だけは平静を装ってそちらを向いた。ゆっくりとその両手が近づいて来て、ベールの端を持ち上げる。一枚隔てていた視界がそれでクリアになって行く。薄れた赤が、はっきりとした色を見せてこちらを見ていた。そして、彼は笑っていた。触れるだけのキスが唇に添えられる。心臓が破裂してしまうかもしれない、と東眞は今更ながらにそう思った。
 ベールが再び下ろされて、視界は一つ暗くなる。  司祭が二人の間に指輪を差し出し、XANXUSはそれを受け取り、イタリア語で何かを言うと東眞の指にそっとはめた。東眞はXANXUSの言葉を真似することもできずに、ただ誓います、と小さく日本語でこぼしてからその大きな手にパイロープ・ガーネットの指輪を添えた。紙片が差し出されて東眞とXANXUSはそれに署名をし、そして修矢とティモッテオ、司祭も名を書く。
 一連の儀式がそうやって、気付けば終わっていた。ほう、と肩の力を抜いた時に上から声がかかる。
「来い」
「あ、はい」
 XANXUSは東眞に肘を差し出す。ほぼ初めてと言っていいそれに、わずかのためらいを見せながら東眞は手を伸ばす。だが、先にXANXUSが痺れを切らし、その手を引っ張ると肘をしっかりと持たせた。くすくすとその行為にティモッテオの笑い声がなる。
 かつん、と靴の音が鳴り、東眞はXANXUSの隣を歩いていた。そして東眞は扉のところで足を止かけた。ぎょっとする程の参列者に足がすくみかける。
 見知った顔が何人がある。修矢、哲、ハウプトマン兄弟、それからシルヴィオにティモッテオ、修矢の学友の姿も見えた。だがそれ以上に突き刺さる、というよりも自分を見定めるような視線がいくつもいくつも肌に突き刺さる。喜んでくれる人だけではないのだ、と東眞は今更ながらにその事実を再確認した。ベールの下の顔に僅かに緊張が走る。
 人に見られるのはなれているつもりだったが、ここまで痛いほどの殺気ではない、多すぎる敵意を感じたのは初めてだった。
 ごく、と喉が鳴る。僅かに足がすくんだ東眞の体がふいと持ちあがる。
「え」
「かまわねぇ」
 見せつけとけ、とXANXUSは東眞を持ち上げて、口元を小さく笑わせていた。その状態で階段をカツコツと下りて行く。ライスシャワーを鬱陶しそうにしながらXANXUSは人で作られた道の先に歩いて行く。
 だが東眞に肩を叩かれてふとその足を止める。何だ、とちらりと上を見上げれば、東眞は先程の不安が消えた表情で穏やかに笑っていた。そして手に持っていたブーケをひらりと揺らす。
「――――――――それ!」
 ひょい、と持ち上げられていることで、さらに高くなった位置からブーケが青い、良く晴れた空に向かって投げられた。わぁ、と声が上がって、それはゆっくりと弧を描きながら落ちていく。そしてそれは、あっさりとルッスーリアの腕の中におさまった。
「あら」
「う゛お゛ぉ゛おい…やる人間間違ってるぜぇ」
「んもう、そんなこと言わないでチョーダイ!私にぴったりじゃないの!ちょっと、レヴィもいい加減におよしなさいって。折角の東眞とボスの御祝いの席なんだから笑顔でいなくちゃ駄目じゃない!」
「ボス…っボスぅううううううう!!」
 ハンカチをぐしゃぐしゃに濡らして泣きくれるレヴィの表情は正直な話見ていられない。ベルフェゴールはそんな三人をよそにライスシャワーを楽しげに投げては遊んでいる。マーモンはその肩のあたりで面倒くさそうに同じ行動をしていた。御蔭でスクアーロとルッスーリアがそんなレヴィの相手をすることとなる。
 だが、そこで同じような声が聞こえてきたのを二人は耳にした。しかも聞いた声である。
「姉貴…ぃ、ぅ――――――…」
「坊ちゃん。さっきまではご立派にやっておられましたのに、どうしてそんな突然泣き出されるんですか」
「うるさい!俺にだって思うところがあるんだよ!!」
 こちらもこちらで顔をぐずぐずにして何枚目になるのか分からないハンカチを使っていた。そしてその横でもぐすっと二人に比べればずいぶんと控え目だが、ハンカチを目尻に添えている人物が―――言わずもがな、ボンゴレ九代目がいた。
 東眞とXANXUSはもう庭に用意されたスプマンテ等を楽しむために足を運んでしまっているし、自分たちもそろそろそちらに行って、パーティーを楽しみたいところである。だが、新郎新婦の両親戚がこの調子では行くにも行けない。他の連中はもうちらほらと向かっているのだが。少し先の庭では非常に楽しげな声が響いて来ている。
「修矢くん、かな」
「…あ、はい」
 ぐす、と修矢は鼻をすすってからティモッテオの方を向いた。老人は目尻に涙をいっぱいに溜めて、それから有難う、と告げた。
「私と君はこれから親戚なわけだが、宜しく頼むよ」
「…こちらこそ、宜しくお願いします」
 差し出された手に修矢は一度自分の手を拭いてからその手を握った。その時、さらに声がかかる。
「よー!桧!いたいた!!」
「山本…と、沢田に獄寺…そっちのでっかいのはしらねーが…何でお前ら…も、」
 と言いかけて、修矢はああと納得する。そういやそうだったなと括って、もう一度鼻をすすった。綱吉はVARIAの面々と九代目の存在に体を硬直させながら、御久し振りです、と精一杯の挨拶をした。
「久し振りだね、綱吉くん。元気にしていたかな」
「は、はい!」
「九代目!」
 ああ君も、とティモッテオは隼人に目を向けて細める。
 スクアーロたちはどうにか涙の止まったレヴィを確認してから、これ以上ここにいるのも馬鹿らしいと彼らに背を向けた。だが、その背中に声がかかってスクアーロたちは足を止めることとなる。
「よ」
「…跳ね馬…」
 てめぇも呼ばれてたのかぁ、とスクアーロはこれでもかと言うほどに嫌そうな顔をした。そして何も見なかったことにして、また歩きはじめようとしたが、まぁ待てよ、と親しげに肩を組まれる。綱吉たちはディーノさん!と嬉しげに声を弾ませているし、全くXANXUSでも来てくれないものか、とスクアーロは切実にそう思った。そうすればこの喧しすぎる彼らから距離を取ることができるのに、と。
 その願いが届いたのかどうなのか、やわらかな声がかかる。
「修矢、来ないの?」
「あ、姉貴」
 庭の方から抜け出して、というよりもXANXUSが他のファミリーの人間に捕まったらしく、それでこちらまで来た様子だった。今ならとんでもなく恐ろしい顔をした新郎が拝めることだろう、とスクアーロたちはひっそり頷いた。
「哲さんも、ティモッテオさんもそんな所に居ないでいらしてください」
「いや、すまないね」
 感極まっていた、とティモッテオは優しく微笑んで頷く。そして東眞は綱吉たちにも目を向けて、少し目を見開く。
「…あ、えーと、その、俺」
「十代目はボンゴレ十代目だからこちらにいらしているんだ!」
「ご、ごごご獄寺君!」
 隼人の言葉にスクアーロたちの視線が一斉に動く。さしもの隼人も何かまずいことを言ったのかと体を強張らせたが、わずかに走った緊迫感はいまだ解かれていない。
 東眞はそんな彼らに小さく笑った。
「知ってますよ、ちゃんと」
「そ、そうなのかぁ…?いや、ボスから聞いたのかぁ」
「いいえ、知っているだけです。私はXANXUSさんを愛していますし、彼がどのような立場であれ、それにふさわしい人になる覚悟はあります」
 レヴィさん、と東眞は話をレヴィに振った。それにレヴィは当然だ!と先程の涙はどこへやら、フンと胸を張っている。そういうわけですと、話を切って東眞はにこやかに微笑む。そして、ディーノにも頭を下げる。
「御久し振りです。そのせつではお世話になりました」
「…あー、やっぱ怒ってる?…ま、でも俺としては君が凄くいい人だってことが分かって、何だか嬉しいかな。改めて初めまして」
 差し出された手に握手をしようとしたが、その手は割り入ってきた手によって弾かれた。分かってたけどなとディーノは手をひらひらとさせながら一歩下がる。
「…キャッバローネの跳ね馬だ」
「えぇと、ディーノさんですよね」
「カスの名前なんざ逐一覚えちゃいねぇ」
 酷い言いようだが、仕方ないとディーノは苦笑して、おめでとうとXANXUSに祝いの言葉を渡す。が、XANXUSはディーノをきつく睨みつけて、鼻を小さく鳴らした。
 一方綱吉は、ああ、と小さく項垂れていた。しかし、と東眞とXANXUSを中心にできている輪に何とも言えない気持ちになる。あれが、今あの中心にいるのがXANXUSだというのが未だに信じられない。が、彼が、幸せという名前の何かを学んだのであれば、それはとても喜ばしいことである。
 こんなことを考えるのもアレだが、十代目として、沢田綱吉はその光景を微笑ましく思った。
「十代目?」
「どうしたんだ、ツナ?」
 二人の自分を気にかけてくれた声に綱吉は顔をあげて、ううん、と首を横に振った。そして、にこっと明るく笑う。
「―――――――幸せって、いいよね」
 皆が幸せであればいい、と綱吉は心の底からそう思った。そう言った綱吉に隼人と武は一度顔を見合せて、そーだよなと、そーっすよねと同意を示した。
 そして三人は美味しそうな食べ物が並んでいるそこをランボが食い散らかしているのを見つけて、慌てて駆けて行った。