22:Vivissimi augri di buon matrimonio - 2/4

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 いつものお昼ごはんを食べるために、屋上への扉へ手をかけた。手をかけているのだが、どうしてもそれを押し開くことが出来ない。開いたら何かものすごく嫌なものがありそうな気がする。
 綱吉はノブを握ったまま、口元を小さく引きつらせて固まっていた。
「十代目、どうしたんっスか?」
 開くじゃないですか、と隼人は綱吉の手の上からくるりとノブを軽く回して押し開く。武も後ろからひょいと顔を出して、いい天気だなーと笑った。笑って、そして固まった。
 ああやっぱり、と綱吉は想像通りの光景に目を細めた。
 まるで苔でも生えているかのような顔をして屋上のフェンスに凭れかかって、少し焦げ付いた弁当を口に運んでいる少年が一人。酷く沈んだ表情で、食べているものはそう不味そうにも見えないのに、食べているその顔があまりにも残念なので不味そうに見えてくる。
「…おーい、桧ー…?」
 珍しく武も空気を読んで死にかけているようにすら見える修矢に恐る恐る声をかけた。綱吉はどことなくその理由が分かっていた。もちろん、それは綱吉自身も届いていたのだ。多分隼人や武のもとにも届くのではないのだろうか、とそう思う。
「…なんだよ…」
 持ち上がった瞳はひどく無気力で、その後に深く深く溜息をついた。返事があったことに武はにかっと笑って、元気じゃねーか!とちっとも元気そうに見えない修矢にそう告げた。
「なんだよ、悩みがあるんだったら言えよ。みずくせーな。俺達友達だろ!」
 きらっと素敵な笑みを浮かべて武は親指をがっつりと立てた。しかし、肩に手を乗せられている修矢の表情は全く動かずに、もそもそと弁当を機械的な動作で口に運んでいる。
 綱吉は恐る恐ると言った様子で、もっともそれを口にしてもいいのかどうか非常に迷ったが、しかし声に出した。
「その…山本。桧君のお姉さん…が、け、結婚する…らしいよ…」
「へー誰と?」
「そんなのあのXANXUSとじ…」
 じゃ、と言いかけた隼人の口を綱吉は慌てて塞ぐ。しかしながらもうその名前はもう出ているし、時すでに遅しとはよく言ったものである。獄寺君知ってたんだ、とこそっと尋ねれば、九代目から招待状が来ました、と隼人は返した。自分の所に来たものもリボーン曰く、九代目からだそうだ。確かに考えてみれば、あのXANXUSが自分たちに結婚式の招待状など送るわけもない。御丁寧に航空券まで入っているあたりが九代目らしいといえばそうなのだが、と綱吉は笑顔の素敵な老人を思い出した。
 しかし、その思考も、目の前にあふれ始めたどす黒い殺気とも呼べる空気に現実に引き戻された。がつがつと箸が折れそうな勢いで弁当に突き刺す様子は正直な話、B級ホラー映画よりも怖く思えてくる。
 その隣で全く気にせずにかにかとイイ笑顔を浮かべている山本を心から尊敬したい。
「あーそうだったな!お前のねーちゃんXANXUSと付き合ってたんだっけか」
 山本ー!!とその爆弾発言に綱吉はぶっ倒れそうになった。倒れられたら一体どんなに楽なことか。しかし、そんな綱吉の心情など武が知る由もなく、あっはっは、と笑いながらさらに地雷を容赦なく踏んでいく。
「そっかー結婚すんのか、めでたいのな!子供ができるのもそう遠くない未来かもな!」
 お願いだからやめて!と綱吉は顔をこれ以上ないほどに青ざめさせた。とうとう修矢が持っていた箸がばっきりと折れた。そして、その瞳がゆらぁり、と効果音が付きそうな感じで動かされる。それがこちらに向いた。ターゲットロック、ON。
「…てめぇ、ドンボンゴレならどうにかしろよ…阻止しろ阻止…」
「ちが、ち、ちがうって俺まだマフィアじゃないし!」
「まだってことはいつかなるんだろうが…生ぬるいこと言ってねーで俺の姉貴をあの猛獣から連れ戻して来い…」
 どっちが猛獣だよ、と綱吉はフェンスに凭れかかって殺気をあふれさせている、あの朗らかな姉からは想像できないほど殺伐とした弟を見た。凶暴性は多少劣るかもしれないが、どっちもどっちである。涙目になりながら、綱吉は無理、と首を横に振った。
 それにはぁ、と修矢は深いため息をついた。気の所為か目尻に涙が浮かんでいる気もする。そんなにショックだったのだろうか。まぁ自分たちも十分にショックを受けているが。
 あの、XANXUSなのだ。あの。今だに想像が出来ない。付き合っているという事実だけで空から槍が降ってきそうだと思ったのに、矢継ぎ早に結婚だと。
 彼女の弟のショックはこれ以上ないほどに大きいに違いない、と綱吉はひとり頷いた。
「イタリアは婚約してから結婚までの期間が長いって聞いてたんだぜ…?」
 ぐす、と鼻をすする音がして修矢は殺気を消して唇をぎゅ、と噛んだ。浮かんだり沈んだりといろいろ忙しい彼である。綱吉は頑張ってフォローを試みた。
「や、やっぱり人にもよるしさ…仕方ないんじゃないかな?」
「…仕方ないで済むなら警察はいらねぇ」
 そこまで!?と答えに詰まって綱吉は愕然とした。彼のシスコンはもはや筋金入りである。苦労してるんだろうな、と綱吉は人の好い笑顔を浮かべた彼の姉を思い出した。XANXUSといい目の前の少年といい、厄介な人間に集まられる人間と言うのはいるものである。それを少しばかり自分と重ねてしまって、綱吉はがっくりと肩を落とした。
 そして間違いなく親切心で修矢に手紙を送った九代目を、本当に少し、少しだが恨みに思った。

 

「ボス!」
「…何だ」
 素敵な笑顔をその頬に浮かべたルッスーリアを前にして、XAXNUSは酷く面倒くさそうな目をそちらに向けた。一方、ルッスーリアの両手は東眞の肩に添えられており、うきうきとした様子でボス、と再度言葉を繰り返した。一体何だとXANXUSはめんどくさく思いながら、わずかに眉間に皺を寄せた。
「ウエディングドレス、私に選ばせてくれないかしら!」
「…あぁ?」
「んもう、ボス。ウエディングドレスよ。東眞の!別にボスが着るならそれもコーディ
「消されてぇか」
 てめぇ、と眼力を強めたXANXUSにルッスーリアは冗談よう、とひらひと手を振って、東眞をぐいと前に出した。
 こうすればXANXUSが手を出せないことはルッスーリアは誰よりもよくよく知っている。案の定XANXUSは睨んでいた目を逸らして、勝手にしろ、と吐き捨てるように言葉を投げた。
「Grazie、ボス!さ、東眞行きましょ!!」
「あ、あの」
 どこに?と尋ねた東眞の手を引きながらルッスーリアは足取り軽く廊下を歩く。ぐいぐい、とではなく東眞の歩調に合わせているあたりが流石はルッスーリアと言ったところであろう。ルッスーリアはばん!と少し大きめの扉を押し開く。東眞はその中にあった光景に目を見開いた。
 驚くほどに様々な種類のドレスがずらっと並べられている。基本は白なのだが、時々他の色も混じっている。
 これ以上ないほどうきうきとした様子でルッスーリアは東眞の背に回って、軽く押して東眞を部屋の中に押し込んだ。
「さ、どんどん合わせていきましょ!!」
「これ全部合わせるんですか!?」
 見ただけでも重厚なそれを全部着るだけの気力があるのかどうか、東眞には当然のごとく全く自信がなかった。それにルッスーリアは小指をたてて、そうねぇ、と少し考えるそぶりを見せて、
「全部着ましょうか!」
 と、とんでもない一言を返した。
 この調子のルッスーリアを止めるのは東眞には不可能なので頷くしかない。それに自分で選ぶよりはルッスーリアはプロ級とも呼べる服のセンスであるし、任せた方がいいに違いない。今日は大人しく着せ替え人形になろう、と東眞はまずは一番初めのウエディングドレスを受け取った。

 

「う゛お゛ぉ゛お゛おい!ボス!」
 次はてめぇか、とXANXUSはスクアーロが入ってきた途端容赦なく苛立ちを込めて手元の本を投げつけた。それは綺麗にスクアーロの額に吸い込まれた。ごっと鈍い音がしてスクアーロがのけぞる。
「何しやがる!」
 倒れなかったことに一つ舌打ちをしてXANXUSは頬杖をついた。投げつけられた辞書をスクアーロは拾ってXANXUSの机に戻して、その隣に数十枚の紙の束を机に置いた。見るからに名簿なそれにXANXUSは頭痛を感じた。
「披露宴の出席者だぁ。招待状は九代目が出したらしいぞぉ」
「知ってんだよ、カス」
「…まぁ、ともかくそれが送られてきた名簿―――――…って、言ってる傍から燃やすんじゃねぇ!!」
「うっせぇ。ご機嫌取りの奴の顔なんざいちいち見てれらるか」
 御機嫌とりねぇ、とスクアーロは少しばかり納得する。
 少なくとも九代目が呼んだ人間はXANXUSにゆかりのある人間だけではないだろう。ボンゴレファミリーに関係する人間が呼ばれているに違いない。そして会場に集まるのはそういう人間だ。
 心配してんのかぁとXANXUSにスクアーロは尋ねた。
「サンドラみてぇな女がいねぇとも限らねぇ」
「…知るか」
 こいつの妻になるというのはそういうことなのだ。
 女子供はファミリーとはほぼ関係無い位置でいられるとはいえども、抗争などに巻き込まれる可能性は皆無ではない。それにあわよくば自分の娘を愛人にと考える人間もいることだろう。それを見せられる相手は決して嬉しくはないだろう。東眞がそう思えば、の話だが。
 もう一つの心配事と言えば、東眞は言うほど美人と言うわけではない。外見的に東眞に勝る同盟ファミリーの娘など星の数ほどいる。しかも彼女たちは一概にプライドが高い傾向にある。その中に放り込むわけだ。普段はかかわらないといえども、この二人の結婚を喜ぶ人間だけが結婚式に呼ばれているわけではないということだ。
 東眞に言い寄る男はいないにしても(いたとしたら間違いなく明日の朝日は拝めまい)XANXUSに言い寄る女は星の数ほどいるのだ。間違いなく彼女たちは東眞と自分自身を比べてほくそ笑むであろうし、愛人にでもなりにしたらそれこそ。
「あいつだけだ」
 と、スクアーロの思考はその言葉で途切れた。あいつだけだ、とのXANXUSの言葉に目を見開く。
「カスがくだらねぇこと一々考えてんじゃねぇ。カスはカスらしく言われたことやってりゃいいんだ。カスが」
「…う゛お゛ぉ゛おおい…カスカス言い過ぎだぁ」
「カスにでも改名してろ。このどカス」
「…」
 あんまりだ、とスクアーロは溜息をついて、もう一つの用事を思い出してそれをXANXUSに告げる。
「シャルカーンの野郎はこれねぇみてえだぜぇ」
 同僚の名前を告げてスクアーロは頷いた。
 特殊医療班に所属する男―――所属とは言っても一名しかいないが、シャルカーン・チャノは現在上海である。ちょっと立て込んでマシテ、と電話が先日あった。どうやらXANXUSには電話が繋がらなかったらしい(いつものことだ)忙しい時は心底忙しくて世界中あちこちに行っている彼だが、暇なときはこれ以上ないほど暇で本部でゆったりと過ごしている。
 不幸なことに(?)今回はその忙しい時期に二人の結婚式が重なっただけである。
 東洋医学に深いシャルカーンだが、実質任務として任されがちなのは暗示や催眠によるものが多かったりする。もうかれこれ二年近くも顔を見ていないのだな、と思い出しつつスクアーロはそれだけだぁ、といって部屋を出ようとしたが、ふと立ち止まった。そしてにやにやと笑いながら、XANXUSに声をかけた。
「ルッスーリアが東眞のドレス選んでたみてぇだが、なんなら俺がてめぇのタキシード選んでやろうが!!ふ、」
「カスが」
 XANXUSが容赦なく投げた紙を押さえるための重しが米神にめり込んだ。意識が遠くなるのを感じでスクアーロはそのまま背中からぶっ倒れた。