20:飲めども呑まれるな - 2/6

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 くったりとソファで横になっている東眞の上にはXANXUSの隊服がかけられている。しかしほんのりと桃色になった肌の瞳は閉じられたままで、胸のあたりは呼吸を繰り返すためにゆっくりと規則的に上下している。こんな酒とも呼べない酒で酔ったのか、と思いつつXANXUSは酒を煽る。机の上の料理はもう粗方片付いてしまっていた。
 ようやく立ち直った三名もめいめい皿の上の料理を口に放り込んでいっている。そんな中、ルッスーリアがふと尋ねた。
「東眞はお酒駄目なの?」
 それに修矢がパスタをずるりとすすりこんで嚥下してからまぁ、と答えた。
「三杯目までは大丈夫なんだけど、四杯目でアウト。酔ったら―――…せ、説教し出す…」
「脱ぎ出すとかキス魔よかましじゃねぇのかぁ。まぁ、それはそれで有り難ぇもんがあぶ!!」
 XANXUSからのグラスを受けてスクアーロの頭は横に吹っ飛んだ。彼の発言に関する学習能力が欠落しているのはもう仕方のないことだと皆が皆で諦めていた。スクアーロと言えば、めげずにXANXUSに何しやがる、と律儀に抗議に行っている。
 修矢は思い出したくもない、と言った様子の青い顔をしてジュースが入ったグラスを握っていた。
「いや…冗談じゃなくて、まじで怖いんだよ…姉貴のあれは…」
「ぶっ倒れるまで説教されたこともありましね…」
 ふふ、と哲まで遠い目をしてしまっている。心なしか、その顔は青い。確かに、とルッスーリアはそれに頷く。言葉の暴力(?)ほど恐ろしいものはない。
 あの時にもし東眞がXANXUSに対して恐ろしいことを言っていればどうなったか、考えたくもないが(幸い食事のことで済んだ)
「それで起きたら全然覚えてないんだよな…姉貴」
「あら、もう全然?」
「そ。それにさ、飲んだ後は遅かれ早かれぶっ倒れるから誰に何されるか分かんないだろ?だから飲むなって言ってんのに…」
 ちら、と修矢はソファで穏やかな寝息をたてている東眞に目を向けて小さく溜息をついた。
 普段であれば逆の行為なので、それが少しばかり異様に感じられる。くすくすとルッスーリアが笑えば、修矢は笑いごとじゃない、と口を尖らせた。
「姉貴がもし外で悪い奴にでもひっかけられたらどうすんだよ。姉貴結構お人好しだから言っとかないと三杯四杯飲むんだからな。しかも記憶ないから酔いつぶれたことも覚えてないし」
「それは…危ないわねぇ…」
 頬に手を添えて、ルッスーリアは苦笑を浮かべる。
 確かに普段は東眞はあまり飲まない方である。それ故に分からなかったわけだが。おそらく祝い事になると構わない、という意識が働くのだろう。
 ちらりとXANXUSに視線を向けたが、そちらはスクアーロがが鳴りたてている最中だった。皿でとうとう沈められたが。ぱらぱらと割れた陶器が床に落ちて、男一人の体も絨毯に沈んだ。余程強く叩いたに違いない。ごん、と鈍い音をさせてXANXUSはスクアーロの頭部を蹴り飛ばした。そしてまた何事もなかったかのように椅子に深く腰掛ける。
 それを眺めて修矢は視線をまた逸らした。本来なら、と小さく続ける。
「あの男に一番しっかりして欲しいとこだけどな」
「ボスは頼りがいあるわよ!そんなに心配しなくてもいいんじゃない?」
「送り狼って言葉知ってるか?」
「…」
 必死な形相で言われて、ルッスーリアは困ったような笑顔を顔にとどめる。成程、XANXUSならばもうそっくりそのままそれを形容詞として使えそうな感じは―――――確かにする。
 返しに詰まったルッスーリアに修矢はそういうことだ、と締めくくった。だがそこで哲が言葉を挟む。
「ですが二人は恋人同士ですし、まぁ…もう婚約者でしょう。そこまで気にされる必要はないと思いますが」
「…俺がヤなの」
「あらあら、可愛いのねぇ」
 むすっとした修矢にルッスーリアはくすくすと声をこぼすように笑って、体をきゅっと絞った。そのルッスーリアの言葉に修矢は顔をかっと赤くさせて、子供じゃないと呟きまだ残っている料理を取りに向かった。
「すみません」
 先程の修矢の言葉に哲がルッスーリアに変わりに謝罪した。それにルッスーリアは気にしなくていいのよぉ、とひらひらと手を振って答える。あの世代の子供はあれくらい跳ねっ返るくらいで可愛げがあるというものである。
 一つ息を吐いて哲は料理の皿に手を伸ばしている修矢をそこから眺める。
「まだ少し、寂しいようで」
「分かりやすいのねぇ、本当に。見ててすぐに分かっちゃうわ」
「今までが今まででしたから、分からなくもないんですけれども」
 苦笑した哲はデザートのプリンに手を伸ばした。そして小さく肩をすくめて、しかし、と呟く。
「もうお嬢様の背中を追ってもらうのはやめてもらいませんと…困りますね。自分も、お嬢様も。坊ちゃんにもよくない」
「背中を追いかけるくらいはいいんじゃなーい?」
 そう言ったルッスーリアに哲はゆっくりと首を横に振った。いいえ、と続ける。
「もう、先を見てくれなくては困ります。究極の二択を迫られた時に取るのがお嬢様ではいけないのです」
 呟いた瞳があまりにも真剣な色を持っていたが、手にしているプリンの所為で色々台無しだった。だがそれを大して気にする様子もなく、ルッスーリアは、そうなのと尋ねた。はい、と哲は首を縦に振った。
「難しいこと言うのねぇ」
「やってもらわねば、困ります」
 その厳しい表情にルッスーリアは少しばかり、ぞくりと体の内を震わせた。戦闘本能が、疼く。まぁ、と哲は静かにそのまま続ける。
「何も急にとはいいませんが…これでも随分とましになりましたしね…一時期に比べれば」
 本当にべったりの時期はあった。それと比較すれば、現在の状況はこれ以上ないほどに好転している。東眞がいなくても一人でしようとしている傾向もみられているし、少しずつ、少しずつでいいから前へと進んでもらいたい。彼女のことに心を裂くだけのことがあってもいいから、それでも局面では冷静な判断ができるほどの成長が欲しい。
 欲張り過ぎだろうか、と哲は少しばかり苦笑した。そんな哲に修矢は軽く手を振って、名前を呼ぶ。
「お前もまだ食べるだろ?」
「はい、頂きます。失礼します」
 軽く頭を下げてから哲は修矢のもとに向かった。それを眺めているルッスーリアの肩にちょこりとマーモンが乗った。
「押えてるね」
「…ちょっとぞくっとしちゃったわぁ…だってあんなにイイ顔するんだもの」
 戦いたいという欲望がひっそりとだが頭をもたげた。最近は少しばかりゆるい任務ばかりだったので、発散しきれていないのだろう。
 根本的なところで違う彼らと自分たち。
 飛び散る血肉に喜びを感じることはないが、戦いは楽しいと思う。強い相手がいれば、スクアーロでなくとも相手と勝負してみたい、とそんな風に感じてしまう。高みを求めるが故に。戦闘は自分たちにとって必要不可欠なものなのである。それがなくなれば自分たちは死んだ人間だ。日常に支障をきたすほどの戦闘狂なのかもしれない。どっぷりと脳髄まで染まってしまって、その色はもう抜けることはない。
「でも彼女がこんな酒癖とは思わなかったよ。酒を飲んでも変わらないタイプだと思ってたんだけどね」
「あ、それは私もよ。ちょっとほっぺが赤くなるくらいで、それ以外は変わらないと思ってたんだけど」
「彼女が倒れなければもう少しでこの部屋から問答無用で叩き出されるとこだった…」
 あのまま東眞が意識を飛ばさなければ、間違いなくXANXUSは、自分たちの上司はことに及んだに違いない。そういった点は気にしない寛容というか大雑把というか、そんな点が見受けられる。ただ、見せるのは嫌らしいが。
「お別れ会がとんだ締め出しパーティーに変わるとこだったわね」
「全くだよ。でも彼らの滞在期間が短くて良かった」
「あら、どうして?」
 もっといてくれてもよかったのに、とルッスーリアは疑問に思いつつ、マーモンに尋ね返す。それにマーモンは、ベルがね、と答えた。そう言われて、ルッスーリアはベルフェゴールの方に視線を移した。
 ベルフェゴールは東眞が寝ているソファに腰かけて、ぱくぱくとケーキを食べている。大してこれと言った変化は見られない。
「不機嫌なんだよ」
「ベルってそんなに東眞にべったりだったかしら?」
「気に喰わないんじゃないかな。彼女にボス以外の男が傍にいるの」
 マーモンの言葉にあらあら、とルッスーリアは笑う。
「まるで二人の子供みたいじゃないの。大きさ的にはマーモンの方がぴったりなのにね」
「生憎だけど僕は外見よりもずっと大人びてるからね」
 ちゅぅ、とマーモンはストローからジュースを吸って、膝に乗せていた皿からベルフェゴール同様ケーキをつまむ。ベルフェゴールはソファに腰かけたまま動かない。
 机の皿の料理も後少しである。時計の針ももう随分と動いた。ルッスーリアはグラスを机の上に置いて、そしてその両手を腰に添えた。
「そろそろお開きかしらねぇ」
 いつも後片付けを手伝ってくれる東眞が眠っているので、今日は大変そうだわ、とそうぼやいた。