18:楽しい休暇の過ごし方 - 6/6

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 きりきりと糸を引っ張る音。ぱっと手を離せば、それはかしゃんと酷く小さな音をたてて腕輪の中におさまった。余分を一切持たせていない腕輪は手首にしっかりとフィットして、ぶれることがない。その上に手袋をはめる。そしてヴィルヘルムはあまり綺麗にたためていない浴衣を、きっちりと畳んだ布団の隣に添えた。ヴォルフガングは四角に畳んだ浴衣を同様に、綺麗にたためていない浴衣の上に乗せた。
 障子の外はもうすでに朝日が昇っている。
「Guten Morgen, Wil.(おはよう、ヴィル)」
「Morgen, Wol.(おはよう、ヴォル)」
 兄弟は挨拶をかわして、ヴィルヘルムは大きく伸びをする。うきうきとそして、頬を緩ませる。
「Wie denkst was heute Frühstück ist?(今日の朝食何だと思う?)」
「Ich weiß es nicht aber wir können es essen.(知らない、でも俺たちが食べられるものだろう)」
「Ich freue mich darauf!(何か楽しみだな!)」
 朝から興奮冷めやらぬヴィルヘルムにヴォルフガングは小さく溜息をつく。これではどちらが弟か兄だか分かったものではない。決してそれを厭うているわけではないのだが。
 丁度その時、ハウプトマン氏、と二人を呼ぶ声が聞こえたのでヴィルヘルムが返事をする。返事の後、襖はからりと開けられ、そこに顔一文字が深く刻まれた男が正座をしていた。
「Morgen、榊!」
「おはようございます」
 にこやかな挨拶に哲はきっちりとした言葉を返して、朝食の準備ができました、と告げる。その一言にヴィルヘルムはきらきらと目を輝かせ、納豆はある?と笑顔で尋ねる。哲ははい、と答えた。
「俺、納豆大好きなんだよね。Japanisches traditionelles Essen!(伝統的日本食)」
「出発は朝食後になります。荷物はまとめておいてください」
「…Ja.」
 では、と哲はそっけなく襖を閉めた。それにヴィルヘルムはむぅ、と口を歪める。
「んーん、随分警戒されちゃってるなぁ」
 まぁいいか、とヴィルヘルムはヴォルフガングを誘い、荷物のチェックをしてから食卓に向った。ようやく起きてきた二人に修矢は遅い、と口を曲げて迎え入れる。
 食卓に並ぶのは炊き立てのご飯と味噌汁。修矢の指にいくつもの絆創膏があるのは気のせいではない。
「修矢、それ、どうしたの?」
 ヴィルヘルムは流石にそれに気付いて、指差す。それに哲は少しばかり責めるような目つきで修矢を見た。そしてとげとげしい口調で続ける。
「できもされないことをなさるからそういうことになるのです、坊ちゃん」
「…五月蠅い!でもお前の料理よりかは絶対ましだ」
 ちょっと焦げてるけど、と修矢はこんがり、よりは随分焦げ目のついた魚に目をやる。だが味はまともだという自負はあった。まぁ座れよ、と修矢は二人に告げる。
 四人分のいただきますがひびいて、それぞれ箸と茶碗と取って小さな戦争が始まる。しかしながら、料理自体は好評なようでひょいひょいと皿から消えていく。ただ哲は少し物足りなさそうな顔をしていたが(見ないことにする)
「坊ちゃん…少しあ
「これで丁度いいんだよ、次からは俺が作るからな」
「しかし、料理のごとにそのように怪我をされては…」
「俺もちゃんと習ってんの!これでも上達してんだぞ…日々の訓練が大事なんだよ!」
 山本父に習っている、というのはここだけの話である。学校が終わって、仕事に入る前に少しだけ時間が空いているのでその時間を活用して頼み込んだ。そうでなければ自分の胃が持たない。
 昨日から今日にかけてが、ほぼ初めての台所となったが、これならどうにかなりそうである。
 イタリアに行ったら姉に報告しよう、と修矢は頷いた。間違いなく褒めてくれるであろう、その喜びに思わず頬をほころばす。幸せそうな顔になった修矢に哲は首を傾げる。
「…どこか、悪くされましたか?」
「うるさい」
 はっと我にかえって、修矢はどこか気恥かしそうに自分が作った(かなり焦げのある)魚を箸でつついた。それこそ初めは加熱などしたりしたら消し炭になっていたのだから、随分な上達ぶりである。
 こちん、と時計の針が動いた。
「修矢、この味噌汁美味しいな!あ、でも東眞の味にはまだまだだけどな?」
「姉貴の味にはそりゃ程遠いけどそれなりだろ?食べれないってことはないからな」
 ふふん、と鼻を高くした修矢にヴィルヘルムは尤もだ!と机を叩いた。と、隣で空になった茶碗を眺めているヴォルフガング。すい、とヴィルヘルムに通訳を頼む。
「Noch eins bitte.」
「おかわり、もらってもいいかって」
「ん、いいよ。櫃がそこにあるからそっからよそってくれ」
 修矢に言われたことをヴィルヘルムはヴォルフガングに通訳する。Danke、と一言言ってからヴォルフガングは櫃からいそいそとご飯をよそいだ。

 

 かちかち、と自室で東眞はマウスをクリックしながら、パソコンの設定をしていく。やはりバックアップを取っていないのは残念だったが諦めるしかない。今日撮った写真をパソコンに取り込み終えて、東眞はぱたんとパソコンを閉じた。
 それと同時に部屋の扉が開く。この部屋に無言で入ってくる人間は一人しかないない。
「XANXUSさん」
 どうされたんですか、と東眞は笑ってそちらに顔を向ける。XANXUSは普段通りにごつごつと床を踏み鳴らして、こちらに近づいて来る。影が重なる頃に、ようやく口を開く。が、何かを言う前に電話が鳴った。東眞は一言断ってからそれを確認して、ぱっと表情を明るくする。
「はい、もしもし」
『あ、姉貴!?あのな、今空港なんだ。その、今からそっちに行くから、だから、その、な!』
「空港?迎えに行くから場所教えて。後到着日時」
『えーと、』
 哲いつだっけ、と修矢の確認する声を聞きながら、東眞はメモ用紙を引出しから引っ張り出す。そしてボールペンをクリックして芯を出して、紙の上に添えた。修矢がおそらくは航空券を持って読み上げるその日時を記載する。
「分かった。迎えに行くから、大人しくしててね」
『大人しくって…別に暴れたりしないって。そういや、そんなに驚いてないみたいだけど…』
 何で、と尋ねた修矢に東眞は田辺さんから、と答えておいた。それに修矢は田辺さん今そっちいるんだ、と返す。そして、そんな嫌そうな顔するなよ哲、と小さく声が響く。
『びっくりサプライズにしたかったんだけどな…ま、いっか。あ、それとさ、ヴィ
「あ」
 XANXUSの手が東眞の耳から携帯を奪い取って、電源を押す。当然通話は切れる。また修矢が怒ってるだろうな、と東眞は思いながら、XANXUSから返された携帯を受け取る。
「長ぇ、いつまで話してんだ」
 長いとは言ってもものの五分も話していない。
 そんなに長くは話してないんですけどね、と苦笑する東眞の腕を大きな腕が掴んで立たせる。そしてそのままベッドにまで引き連れられて、やわらかな感触を背に与えられる。上から落ちるは大きな影。この姿勢と状況から導き出される結果は当然一つしかない。
 東眞は慌てて首を横に振った。
「だ、駄目ですよ!修矢迎えに行かなくちゃ…っん!」
「るせぇ」
 噛みつくように唇を奪われる。他の男の名前を口にすることは許さないと言わんばかりに。
 言葉を発そうとして開かれていた口内に厚い舌が上から潜り込む。それは歯列を舐め上げ、口内を思う存分犯す。吐息までもを食らい尽くすかのような口付けを繰り返し、次第に押しつけた体から力が抜けていった。
 XANXUSはに、と笑ってようやく口付けを止める。は、と東眞は大きく息を吸った。
「迎えになんざ、他の奴等に行かせりゃいい」
「―――っはふ、わ、私の弟ですよ?」
 駄目です、と東眞は必死にXANXUSの腕の中から逃れようと努力する。水の泡、という言葉がこれほどぴったりな状況もないが。XAXNXUSは鼻で笑ってから東眞を床に縫いとめる。というよりも押しつける。大柄な体でのしかかれば身動き一つとれないことは承知。首筋に鼻をうずめてやわらかな匂いを嗅ぎながら、舌でデザートでも食すかのごとく肌を舐め上げる。敷いた体が小さく緊張した。ちゅ、と音をたてて肌を吸えば、赤い華が残る。これを見た時の東眞の義弟の顔を想像すると、笑えてくる。
 ふん、と小さく鼻を鳴らす。
「XA、NXUSさん…っ」
 懇願するような響きは無視をして時計を見れば、先程言われていた時間からはまだまだある。XANXUSはポケットを探って携帯を取り出し、そのまま耳に当てて応答を待つ。暫くもすれば鼓膜も裂けそうな喧しい声が響いた。その喧しさに一つ舌打ちをする。
『なんのようだぁ!!』
「おいカス。有り難く思え、てめぇ如きカスにカスにはぴったりのカスらしいカスでもこなせる仕事をやる」
 合計五回のカスを文中に含んでXANXUSは先程東眞がメモを取った日時と場所を口早に告げる。そして、迎えに行け、と手短に命令を下した。
『誰を迎えに行くんだぁ?』
 尤もな質問に、XANXUSはどカスが、と六回目のカスを付け加えて電話を切った。そしてその携帯をベッドの、それは少し跳ねて床の上に落ちることになる。
 二つの赤い瞳でXANXUSは腕の中の女の瞳を捉える。
「これで文句はねぇだろうが」
「私が行かないと修矢が…、ぁ、っつ」
「――――――――――うるせぇよ」
 至極楽しげな「うるせぇよ」に東眞はとうとう白旗を上げた。修矢が来るころに足腰が立てなくなるという事態だけは避けたいものだ、とちょっと涙目になりつつ、東眞はXANXUSに手を伸ばした。

 

 修矢は切られた電話を耳にあてた状態で固まっていた。
「…ぼ、坊ちゃん?」
 何となく予測は付いているが、哲はおそるおそる聞いてみた。が、それが引き金となったのか、修矢は手に持っていた携帯をぽとんと床に取り落とす。ざわざわと一人だけ纏う空気が殺気に変わって行っている。幸いなことに、刀や身を守るための銃は別口で輸送しているので、今現在手元にはない。
 ヴィルヘルムはそんな修矢の肩にぽん、と手を乗せた。
「そっか、東眞イタリアにいるんだ!修矢は東眞に会うためにイタリアに行くんだな!」
「…ぉ…」
「え?」
 ぎんっと修矢はとんでもない目つきの鋭さであらぬ方向を鬼のような形相で睨みつける。口から零れ堕ちる声はまるで地獄の底から響いてくるかのようである。
「―――――――――――ぁの、野郎ぉぉ…っ!!!」
 そこから先はプラズマでも何かでもわけのわからないものが発生しているのか、理解不可能な言語になる。
 ヴィルヘルムはちら、と哲を向いて、どうしたの?と尋ねる。その問いに、哲は返答するのを渋ったが、口を開く。
「…イタリアに、お嬢様は婚約者の方と」
「え、東眞婚約したの!?Echt?!お祝いしなくちゃな!」
「―――――――――するんじゃねぇ…」
 ぎぎっとぎこちない動きで修矢の首が回転する。目が光っているようにみえるのは気のせいということにしておく。そして、修矢は哲の手から自分の航空券をもぎ取ってゲートに走る。
「坊ちゃん!焦っても飛行機は出発しませんよ!」
「うるさい!姉貴をこれ以上あんな男と二人っきりにさすか!!!」
 二人を追いかけるべく、ヴィルヘルムとヴォルフガングは駆けだす。そして追いかけつつも会話を始める。
「Sie verlobt sich mit einem!(東眞婚約したんだってさ!)」
「Echt? Wie ist ihr Freund?(本当?どんな男なんだろうな)」
「weiß nicht, aber vielleicht er ist der gute Mann!(知らないけど、きっとすごくいい男だろうさ!)」
「…Ich hoffe es.(だといいな)」
 そして二人はパスポートを見せてゲートを通った。