18:楽しい休暇の過ごし方 - 4/6

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「へぇ…ん?その日って俺たちが丁度イタリアに行く日じゃないか?」
 なぁ哲、と修矢は手元の航空券をもう一度見直して日付を確かめる。哲もそれをひょいと覗き込んで、そうですね、と付け加えた。
 ゴールデンウィーク開始日。ヴィルヘルムが持っていた航空券にも同じ日付が書いてある。その上、時間、便まで全て一緒である。なんという奇遇。
 ぴん、と修矢は指を立てた。
「なぁ、だったら一緒に行かないか?俺達英語もイタリア語も不慣れでさ…」
「Ja, JA!Natürlich!(いいよいいよ!勿論!)俺たち、イタリアにちょっと用事があって、それで行く予定だったんだ。まさかこんなトコで修矢たちに、えーと…オン?そうそう、恩、恩返しができるなんて思ってもみなかった!」
 笑うヴィルヘルムに修矢は苦笑して、恩返しならば姉にだろう、と思った。
 だが、その時哲が坊ちゃん、と口を挟んだ。珍しく神妙な口調に修矢は首をかしげる。
「なんだ、哲」
「…自分は片言ではありますが、それなりに英語もできますし…」
 渋った哲に修矢は何言ってんだ、と首を横に振る。
「お前の英語なんて小学生にも劣るぞ。誰に伝わるんだ、あんなの」
「そんなにひどいの?榊の英語って」
 からからと笑いながらヴィルヘルムは尋ねる。それに修矢はそりゃもう!と大げさに手を振って伝える(あながち大げさというわけでもないが)ふぅん、とヴィルヘルムは哲をちらりと見た。「その」哲の視線を受ける。
「俺もイタリア語は話せないけど何言ってるかは分かるし、通訳はできるよ。それにヴォルはイタリア語聞けて話せて、ついでに書けるから問題ないかな。でも日本語ができないから通訳は俺の仕事ね」
 だから心配しないで、とヴィルヘルムは固い表情の哲に告げる。修矢も何張り合ってんだ、と笑って哲の肩を叩いた。哲は渋々と言った様子で首を縦に振る。
 その時、ぐぅ、と腹の虫が空気を振るわせた。周囲の視線が音のもとに、じっとヴィルヘルムに集まる。ヴィルヘルムはへらっと笑う。
「あ、ゴメンゴメン。実はさ、観光に夢中でお昼ご飯食べてなくてさ。それに財布はヴォルが握ってたし」
「大変だったなぁ…ちょっと待て、哲、お前どこ行くつもりだ」
 襖に手をかけた哲に修矢は背中を向けたまま告げる。哲は台所ですが、と何でもないことのように返す。それに修矢は駄目だ!と一喝する。
「日本の恥をさらす気か!」
「ど、どういう意味ですか!」
「…いいか、俺は考えた。俺が切って、哲が調理して、俺が味付けをする」
「坊ちゃんに切っていただければ後は自分で済ませますが…」
「論外!」
 ぞっと身を震わせて修矢は怒鳴る。だが哲はちらりと一度ハウプトマン兄弟に視線を向けて、何故かこの時ばかりはあっさりと引いた。分かりました、と。あまりにもあっさりと引いたのでそれを多少疑問には思いつつ、修矢は思い出したように振り返って二人に告げる。
「俺たちも昼飯まだだから、一緒に食べようぜ。リクエストとかあるか?」
 それにヴィルヘルムはないよ!と笑顔で答えた。修矢はそうかと笑って、哲と共にその部屋を出た。
 二人っきりになった部屋の中で、少しだけ、空気が変わる。その原因はどこか穏やかだった二人の顔に、僅かばかりの暗がりが見えたからであろう。弟は兄に問う。
「Wil, fahren wir mit ihnen nach Italien? Echt?(ヴィル、本当に彼らとイタリアに行くのか?)」
「Ja, natürlich. Haben wir ein Problem? Nein, nicht.(当然さ。何か問題でもあるのか?ないな)」
「…Herr 榊」
 その名前を出して、ヴィルヘルムはヴォルフガングに視線を向けた。きつい、視線。それを受けてヴィルヘルムは口元を笑わせた。
「Vielleicht…ja.(多分、気付いてるだろうな)」
「Hat er den gleichen Beruf?(同業者?)」
「Das ist gehüpft wie gesprungen. Er erkortiert nur von 修矢. Und wir machen nur unsere Arbeit(どっちでもいいさ。彼はただ修矢を護るだけだ。そして俺たちはただ俺たちの仕事をこなすだけ)」
「Ja, das ist unsere gute Tat.(尤もだ)」
 ヴィルヘルムは右手を左手の手首に伸ばし、手袋の下に隠れているリングに指先を添えた。引っ張れば、鈍い光沢のある非常に細い線がするすると伸びた。
「Italien…(イタリアか…)」
 ぽつ、と言った言葉に、Ah,とヴィルヘルムは声を上げる。
「Kennst du Gerücht über Bongola? (そういや、ボンゴレについての噂知ってるか?)」
「Nein, was ist das?(知らない、何だ)」
「Der Sohn von Timoteo hat die Braut!(九代目の息子に婚約者ができたって話さ)」
「Sein Sohn…….XANXUS?Echt?!ER HAT?(息子?XANXUS?彼に?!)」
 目を大きくさせた弟に兄はにやにやと笑って、Ja、と肯定した。それにヴォルフガングは、顎に手を添えてその、九代目の息子の顔を思い出す。
 幾度か遭遇したことのある顔ぶれを脳内の記憶の倉庫から引きずり出しながら。顔は良かったが、雰囲気と言い何といい、正直な話彼が婚約者と並んでいる姿は想像できない。
 考え込んでいるヴォルフガングにヴィルヘルムはヴォル、と声をかける。ヴォルフガングはそれに顔を上げる。ヴィルヘルムはすでに手首のリングに長い線をしまっていた。
「Ah-, wo ist 東眞? Ich möchte sie sehen.(東眞に会いたいんだけど)」
「…Ich weiß es nicht, entschuldigung.(悪いけど、知らない)」
 そう言えば、と思いだしながら二人は気の良い日本人女性の顔を思い浮かべて、首を傾けた。

 

 東眞はぱちぱちとパソコンをクリックして、メールをチェックする。けれども残念なことに修矢からのメールは来ていない。
 シルヴィオからの情報は信頼性抜群なので、修矢たちが来ると聞いてから東眞は毎日のようにチェックしているが、来ない。珍しく外れた情報なのだろうか、と疑問に思いながら東眞は首を傾げる。ここ最近メールが来ないのも珍しいな、と思いつつ東眞は自分からメールをカチカチと打つ。携帯も便利だが、長文を打つ際はパソコンの方が格段に楽である。
 と、そんなことを思いながら、東眞は手早い仕草で画面上に次々と日本語をつくっていく。尤も、
「―――――…XANXUSさん、くすぐったいです」
 背中にしっかりと抱きついて、首筋に顔をうずめている男が多少重くはあるが。流石にこの状況が続くと辛いものがある。ちら、と東眞は前のソファに座っているスクアーロたちに助けを求める視線を送ってみるが、とんでもない速さで逸らされた。なんということだ。普段は助け船を出してくれるルッスーリアは今日は「仕事」でいないそうだ。レヴィは青筋を立てつつ、鬱陶しい貧乏ゆすりを繰り返していた。ベルフェゴールがうるせー、とナイフと投げている。
「…あ?」
「その、私別に逃げたりしませんから、いい加減に放していただいてもいいですか?」
「ざけんな」
 そんな言葉で一蹴される。ほとほと困り果てながら、東眞はキーボードを打つ手を止めダブルクリックしようとして、ぶっと画面が一瞬暗くなったのに気付いた。故障か、と焦ったが、そうではなかった。
「…XANXUSさん」
 その手にはコンセントに繋がるコードが持たれて、その上焼き千切られていた。新しいものを買わねばなるまい、と東眞は溜息をつく。幸い充電していたところもあって、省エネモードに切り替えてから(画面はお蔭で少しくらいが)メールを送信した。否、送信しようとした。だが、ばんと破壊音がして目の前の画面が吹き飛ぶ。吹き飛ぶ、というよりも完全ショートを起こしたという方が正しい。画面はあっという間に真っ暗になって、そして復活する兆しはない。
 さしもの東眞もそれには目を見張り、手を止めた。
「んなもん、いじくってんじゃねぇ」
「…」
 言葉もない。
 スクアーロはコーヒーを飲みつつ、その光景を眺め、気の毒になぁと、ちょっと東眞を哀れに思った。体を「あの」XANXUSの前で他の男に触れさせたことが原因だろうが、流石と言うべきかなんと言うべきか。大したことをしない癖に、独占欲だけは一人前である。
 そんなに誰かに奪われたりするのを嫌がるくらいなら、普段からもっと優しさを心掛ければいいのに、とスクアーロはそんな絶海の孤島から泳いで帰るようなことを思った。ああやって何でもかんでも遮断して、不機嫌な面しか見せないから駄目なんだ、と頷いた。
 それを見られたのか、考えを読み取られたのか、次の瞬間スクアーロの頭にはぷすぷすと焦げたパソコンが直撃した。東眞のあ、という声がどこか遠くで響く。
 しかしスクアーロも伊達にそんなXANXUSの行為に頭を鍛えられていないわけではない。すぐさま立ち上がって、ぎんっとパソコンを投げつけた男を毎回懲りずもせずに怒鳴りつける。
「う゛お゛お゛おぉい!!何しやが……る、ぅ…」
 スクアーロの言葉は尻すぼみに終わる。普段ならば鼓膜が裂けそうなほどの響なのに、どうしたことか、とXANXUSも不思議に思ってか、怪訝そうに眉根を寄せた。
 その問題の銀色をした瞳はXANXUSの腕の中に注がれている。
「?」
「―――――――――――…」
 ちくっ腕に走った痛みにXANXUSは反射的に腕の力を緩める。それを見てか、東眞はがたん、と椅子から立ち上がった。おい、といつものように問いかけようとして、XANXUSはスクアーロ同様言葉を喉で止めた。その先にあったのは、絶対零度の頬笑み。後ろに般若像が垣間見えたのは気のせいかもしれない。
 燻ぶるような怒りを笑顔の下に隠して、東眞は口を言葉を発するというその行為のために動かす。
「――――――――手紙を、書いてきます」
 言葉だけは普通なのに、口調が非常に単調なものだから、ある一種の恐ろしささえ感じられる。それに気付けばいいものの、気付かないから問題になる。XANXUSは眉間の皺を増やして、東眞を睨みつけた。
「ここにいろ」
「お断りします」
「ここでしろ」
「嫌です。手紙まで燃やされそうです」
 スクアーロは少しだけ及び腰になりながら、女の怒り方は恐ろしい、と思った。そしてXANXUSはもう少し配慮と言うべきものを学ぶべきだとも思った(それが出来ないからこういう事態に陥るわけで)
 東眞はXANXUSがその腕を掴む前に、さっとその手が伸びる範囲から身を引く。捕まえるにはXANXUSが椅子から立ち上がらねばならない。ひく、と米神の筋肉が動いた。怒っている。
 失礼します、と東眞はやはり素敵な笑顔で告げた後にXANXUSに背を向けた。
 ああ、とスクアーロはそしてこれから自分に訪れる災禍を想像する。想像せずとも、容易いのだが。ひょん、と目の前を飛んだ分厚い凶器のような本を紙一重で避けて、スクアーロは頭を庇う。すでに他の連中は身を隠すなりなんなりして、この八当たりから逃れたようである。畜生!と毒づきながらスクアーロもXANXUSの攻撃を必死になってかわす。かわさなければ、熱烈なキッスを絨毯としそうな勢いだ。
「だ、大体てめぇ、が悪ぃんだろうがぁ!東眞に謝ってこい!!」
「ざけんな!俺に非はねぇ!!」
 パソコン一台破壊しておいてそれはない。しかし、本人は全くもって悪気がないので始末が悪い。
 炎まで飛んできて、スクアーロは背を逸らしてそれを避ける。
「パソコン壊されりゃ誰だって怒るに決まってんだろぉ!!」
「あ?俺の前で使ってんのが悪ぃに決まってんだろうが!!」
 そんな馬鹿な話はない。大体東眞だって普段は自室か、もしくは先程まで自分たちが座っていたところでパソコンを使っている。XANXUSの腕の中で使わざるを得なかったのは、XANXUSが東眞を離さなかったからである。
 この俺様ジャイアンが!とスクアーロは某テレビアニメを思い出しながら、攻撃をさらに避ける。だが、次に持ち上がったものを見て、流石にぎょっとする。床につくべき四本足がこちらに向いている。
「ちょ、てめぇ…おい!ボス!それはま、
 てぇ、という声は重たい椅子に吸い込まれて消えた。後頭部が絨毯と華麗なキッスをしてスクアーロ陥落。
 XANXUSはあらゆるものを投げ終えて気が済んだのかどうなのか、しかしやはり不機嫌なまま、長いソファにどっかりと座って、横になった。椅子に潰されているスクアーロの足は、ぴくりとも動かない。
「…フン」
 そう鼻を鳴らして、XANXUSは目を閉じた。