18:楽しい休暇の過ごし方 - 2/6

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 シルヴィオはにやっと笑って東眞の腕から大量の本を奪い取って持つ。東眞は慌ててそれにってを伸ばしたが、シルヴィオもひょいとそれをよけてしまって、取らせてくれない。
「田辺さん、それは私の本ですから…」
「いーっていーって。可愛い嬢ちゃんが本持って歩いてたら持ってあげるのが常識なわけだ。ま、ここは俺の顔を立てて歩いてくれよ」
 な、と笑われれば東眞は首を縦に振るしかない。礼を述べてから東眞は頭を下げた。それにシルヴィオは堅苦しーな、と苦笑する。そして頭を下げた東眞を上から下までじっくりと眺めて、口角を歪める。
「ま、素敵なボディラインになったこって」
「…はぁ」
 そうでしょうか?と尋ねた東眞にシルヴィオは本を片手にその顎を指先ですくった。背は高いので、くい、と視線を器用に持ち上げられる形になる。深い瞳が東眞の瞳を覗きこんでいた。
「本がなけりゃ嬢ちゃんを抱いてさらっちまいたいくれーだか
 らな、と言いかけてシルヴィオはその場から一足飛びで離れた。淡い色の髪を銃弾が食い千切った。はらり、と東眞の前に一二本の髪が舞散る。白い重厚な壁に弾丸が食い込んだ。皹が音を立ててはいる。そして、喧しい声が空気を震わせた。
「う゛お゛ぉ゛お゛おい!!てめぇなんでここに居やがる!!」
 シルヴィオぉ!!と叫びながらスクアーロはがつがつと床を踏み鳴らして、銃弾を間一髪で避けたシルヴィオに詰め寄っていく。そして、その少し後ろからは銃をホルダーに戻したXANXUSがゆっくりと、しかし不機嫌そうな顔をして歩いて来ていた。
 XANXUSさん、と東眞がその名前を呼ぶ前にXANXUSは東眞の所にたどりついて、肩を引きよせ、隊服の中に隠すようにする。
「てめぇ…、覚悟はできてんだろうな…」
 低い怒りを孕んだ声にシルヴィオはおっと、と両手を降参の形に上げて、にっと笑う。
「まーまー御曹司、そんなに怒ってくれんなよ。俺は仕事で来たんだぜ?」
 しかしXANXUSは銃を下ろさない。銃口はしっかりとシルヴィオの眉間に向いている。これで引き金を引けばズドンで命が散ってしまう。シルヴィオは溜息をついて、首を軽く横に振った。
「…シチリア男は嫉妬深くて困るぜ。大体知己の間柄だってのに、そこまで意固地になるこたねーだろうが」
「知己?」
 その言葉に初めてXANXUSは怪訝そうに眉根を寄せた。目の前の軽薄そうな男が東眞と知り合いだと言うことが解せない様子である。
 東眞も慌てて、XANXUSの銃に触れる。
「田辺さんは哲さんの兄弟子に当たる方なんです。その関係でよく家にも来られて」
「そーそ。嬢ちゃんと俺は裸の付き合いってわけよ…っと」
 遠慮なく引き金が引かれて、シルヴィオはすこし体をずらし、その銃撃から逃げる。そして、ひらりとスクアーロの後ろに隠れた。ぎょっとするのはスクアーロである。勿論XANXUSの銃はまっすぐにシルヴィオを狙って、否、スクアーロを狙っている。
「ま、待て待てぇ!!俺を撃つんじゃねぇ!!」
「るせぇ」
「おー、怖えーの。スクアーロ、良い楯になれよ?」
「ふ、ふざけんなぁ!!う゛お゛ぉ゛おい!!」
 どんどんと銃声が響いて、スクアーロの髪を吹き飛ばす。東眞もこれは不味いと思ったのか、XANXUSに声をかける。
「本当に、何もないんです。ただの友人ですよ、XANXUSさん」
「…不用意に体触らせてんじゃねぇ。てめぇは血の一滴に至るまで俺のもんだ」
 銃を構えたまま唸るようにして発される声に、東眞はわかりました、と返した。そこでようやくXANXUSは銃を収める。そしてシルヴィオもスクアーロの背中からひょいと姿を現した(スクアーロは青い顔色をしたままだ)シルヴィオは目の前の二人をまじまじと見る。顎に指先を添えて、かり、と髭をかいた。
「ふぅん」
 もらした声にスクアーロが反応をする。それに気付いたのか、ああいやな、とシルヴィオは返す。
「聞いちゃいたが、あの御曹司がここまでとはなぁー…少し意外に思っただけだ」
「聞いた?」
「ん、ああ、哲坊だ」
 小生意気な口をきく弟分の顔を思い出しながらシルヴィオはその名前を口にする。その名前にスクアーロはああ、と頷く。その脳裏には顔に深い傷の入った融通の利かなさそうな男。
 まぁ、とシルヴィオはにやにやと笑って東眞に声をかけた。
「随分とイイ体になったみてーだが、いや、若いってのはいいもんだな」
「た、田辺さん!」
 首筋まで真っ赤にして東眞はぱくぱくと口を開閉させる。言葉が出てこない。ふるふると震えて、拳を握りしめている。スクアーロはXANXUSの額に青筋が浮かんだのを見逃さなかった。下手を被る前に退散するか、と思ったが少しばかり遅かった。シルヴィオの何気ない(というよりも間違いなく意図的な)一言にぶつっと何かが切れる音がした。
「やっぱ、尻の弾力が違うな。嬢ちゃん、腰は大丈夫なのか?」
「な…った、たな、」
 にや、と笑ったシルヴィオの横を光球がかすめた。それにシルヴィオは笑みを深めて、言い過ぎたかと肩を竦める。流石にこれ以上神経を逆なでするのはよろしくない。
「――――――――――――かっ消す」
「そんな怒んなよ。カッカしてる男は女に逃げられるぜ?」
「そんなに灰にされてぇか、このカスが」
「御曹司の場合は灰も残さずが信条じゃねーのか?おっと、そうだ本題だ」
 そう言ってシルヴィオは内ポケットからUSBをXANXUSに投げ渡す。灯していた憤怒の炎を消し去ってXANXUSはそれを受け取る。シルヴィオは投げ渡したそれについて言葉を発する。
「この間頼まれていたヤツだ。結構苦労したんだぜ?」
「てめぇの仕事はそれだろうが」
「おーおー冷てぇ言葉。嬢ちゃんに回す愛情の十分の一でもいいからそれをこっちに向けて欲しいもんだね」
「ほざけ、カスが」
 そして、XANXUS自身もポケットから同様のディスクをシルヴィオに放る。それを空中でキャッチして、シルヴィオはありがとさん、と口元を笑わせた。それが終わるとシルヴィオは東眞に向かって、そうそう、と告げた。
「ひょっとしたら坊主と哲坊がこっちに遊びに来るかもしれねーぜ?」
「え、それ、」
 本当ですか、と明るい色を浮かべた東眞にシルヴィオはおーよ、と肯定した。
「日本では五月にゴールデンウィークって大型連休があるじゃねーか。爺さんも重てぇ腰動かしたみてーだからあいつらもおそらくこっちに来れると思う。ま、久々の再会を楽しめよ」
 じゃぁな、とシルヴィオはそれだけ言ってその場を後にした。その背中に東眞は慌てて声をかける。
「あの!」
「ん?」
 シルヴィオは足を止めて振り返った。
 大柄の男の隣に立つ、女性。大地が描いた絵図の唯一の誤算であり、歪み。
 東眞は目を細めて、また来てください、と告げた。その一言に隣の男が非常に嫌そうな顔をしている。そんな微笑ましい光景に少しばかり笑いながら、シルヴィオは、機会があればな、と答えておいた。

 

 祖父はいつの間にか帰ってしまったようで、修矢の前には羊羹をフォークで食す男が一人座っているだけだった。名前はヴォルフガング・ハウプトマン。ドイツ人である。完全に腐れ縁、と言っても過言ではない。
 東眞がこのヴォルフガングの兄、日本観光に来て道に迷った上に空腹で倒れたヴィルヘルム・ハウプトマンを助けたことからの知り合いである。それから一週間この家に滞在後、目の前の男、弟、ヴォルフガングが迎えに来たというわけだ。弟の方は以前はドイツ語と英語しか話せず、多少の日本語しか理解できない模様だったが、今では単語の羅列ではあるもののどうにか日本語もはなせるようで、こちらが話している内容は全て理解しているようである。
 修矢は羊羹をきっちりと食べ終わったヴォルフガングに茶を差し出した。それをヴォルフガングは礼を言ってから受け取る。
「Danke sehr.(どうもありがとう)」
「いや…ところで、ヴィルが…また迷ったのか?」
「Er ist nach Japan gekommen…(彼は日本に行って…) 兄、日本、来る。迷う。僕、修矢、知る。修矢、兄、知る。思う。兄、修矢、同じ、知る。兄、vielleicht(多分)、来る」
 単語を並べていくと、おそらくヴィルヘルムは日本に来た後あの天才的な迷子の才能でヴォルフガングとはぐれた。で、探しても見つからなかったので、二人が知る唯一の場所、つまりはこの家に足を運んだということだろう。全く世話の焼ける男である。
「あんたも大変だよなぁ…」
 修矢の言葉にヴォルフガングは首を横に振る。大したことではない、とばかりに。
「慣れる」
 そんな言葉もある意味辛い。うわ、と修矢は思いつつも頬を引き攣らせる。ヴォルフガングは渡された茶を飲み干して、机の上に置く。
「兄、いない、僕、帰る、できない」
「…帰れない?何でまた」
「…航空券…」
 ああ成程、と修矢は納得する。確かに航空券がなければ帰国は不可能だろう。眉間に二つも三つも皺を寄せている苦労性の彼に修矢は心底同情した。しかもその状態になれるなど、悲しくなる。何かこう慰めの言葉を探そうとしていると、インターホンがけたたましくなった。おそらくそれを鳴らしている人物は、というのは修矢の頭に一つの名前が浮かんでいる。
 からりと玄関を開ける音がして(たぶん哲が開けた)そしてどたどたと騒がしい音が客間に近づいて来る。哲が待って下さい!と追いかけている様子である。しかし哲の制止も空しく、ぱしーん!とこきみ良い音がなって襖が開かれた。
 キラキラと明るい青空の瞳をして、ヴォルフガングと同じ綺麗な金色の髪がひらりと揺れた。弟と違って長く伸ばして後ろで少しだけ束ねている。そんな彼はぱっと素敵な笑顔を浮かべて、跳ねるような声を発した。
「Hi!修矢!!Wol, wo bist du gekommen? Ich suche dich in der Stadt.(ヴォル、何処行ってたんだよ?町じゅう探したんだからな!)」
「Das ist mein Word!(それはこっちの台詞だ!)」
「修矢、ヴォルが迷惑かけたなー」
「…ヴィル、自分の行動振り返ってからの言葉か、それ」
 破天荒な青年に修矢は深く深く溜息をついた。
 ひょっとしなくても、もしヴォルフガングの日本語が達者であれば、色々語り合えることがあるのではないだろうか、と修矢はそんな風に思った。