17:本当のところは - 7/7

7

 開いた扉の先はシンプルな作りだが、やはりどこか高級感が漂っている。そして、XANXUSはやはり東眞が逃げ出さないように、その手を掴んだまま中に引き入れた。
 いらっしゃいませ、XANXUS様、との言葉がかかる。自分の服だけがどうしても不釣り合いな(やはり不釣り合いなのだ)感じが確実にあるが、東眞は逃げることは許されないし、黙ってXANXUSに手を握られているしかない。数歩歩いて、そこでXANXUSがもう一度東眞に声をかけた。
「おい」
「あ、はい」
「見ろ」
 そう言って少し腕をひかれた、その前にあったのはショーウィンドウガラス。そしてその中には、プラチナやゴールド、シルバーもあったが、指にはめる装飾品。所謂指輪。
 東眞は驚いてXANXUSを見上げた。XANXUSはガラスに視線をやったまま、それに答える。
「…前のは、燃やしちまったからな」
 その言葉だけはどこかバツが悪そうに聞こえた。赤い瞳がするりと白眼の中を移動して、東眞を見つめる。
「どれがいい」
「あ、いえ、私、全くそういうことは…分からなくて」
 ようやく絞り出した言葉がこれである。少しばかり東眞は情けなくなった。ふと東眞はそこで気付いた。あの一件以来、XANXUSはよく東眞に意見を求める。東眞に関する最終的な決断を、求める。その時々の感情を聞く。思わず、くすくすと東眞は笑った。XANXUSはそれに眉間にしわを寄せて、何がおかしい、と口に出す。
「――――いいえ。XANXUSさんは、どれがいいんですか?」
 あなたは、と意見を求められてXANXUSはガラスの中に目を戻した。暫しの無言。そんなXANXUSに東眞は声をかける。
「気にしないでください、そんなに。気にかけてくださっているだけで、十分ですから」
「…分からねぇ女だ」
 ふん、と一つ鼻を鳴らしてXANXUSはガラスの中の指輪を眺めていく。店員はXANXUSが言葉を発するのを黙って待っている。数分、短いであろうがひどく長く感じられる時間の後、XANXUSは一つの指輪を指差した。
それに店員はかしこまりました、と答える。
「あわせられますか?」
「いい」
 指輪の大きさだけ告げると、XANXUSはそれを手短に断った。
「私の指の太さ御存じなんですか」
「触ってりゃ分かる」
 ある意味凄い、と思いつつ東眞は苦笑した。そんな会話をしたのち、店員は小さな小箱を二人に見せる。リングが、仲良く並んで二つ。シンプルなデザインは以前押しつけられたものと大差はない。指輪自体に僅かに彫りが入っている程度の差だ。
「こちらでよろしいでしょうか」
「ああ」
 名前はどうされますか、とうとうの質問をXANXUSはいらねぇの一言で黙らせて、指輪の入った小箱の入った紙袋を受け取る。そして、東眞に何を言うこともさせず、また腕を引っ張って店から出た。背中からは、有難う御座いました、との言葉が追ってきていた。

 

 五人がそろった部屋で、それぞれ好きかってな言葉が飛びかう。
「なーなー、ボスと東眞どこ行ったんだよ」
 珍しくレヴィは大人しく椅子に座っている。しかしがたがたと貧乏ゆすりは止まっていないし、額にはくっきりと青筋が浮かんでいる。その上、唇は噛みしめすぎているせいか血が溢れているし、さらに目は白目をむいている次第である。
「んもう、レヴィが頑張ってるのにベルちゃんが音を上げてどうするの」
「オカマ知ってんの」
「知ってるけどね?今日は二人っきりにさせてあげなさいよ」
「は?」
 怪訝そうに眉根を寄せたベルフェゴールの頭をスクアーロが小突く。
「そうだぜぇ。餓鬼んちょにゃわかんねぇ、大人の事情ってのがあるんだぁ」
「バカに言われたくねーし」
「んだとぉ!!」
 そうやってまた懲りずに喧嘩を始めた二人をよそに、ルッスーリアとマーモンは話を始める。勿論レヴィは頭から湯気が立ち上って、それどころではない。
「これで一段落ってとこかしら」
「周囲を見事に巻き込んでせわしなかったね」
「ホントに、冷や汗ものだったわよぉ」
 全くだね、とマーモンはクッキーをひょいとつまんで口に含み、咀嚼する。ルッスーリアは紅茶を傾けながら、微笑む。
 外にはもう月が出ていた。
「げー、じゃぁ今日もオカマの手料理かよ」
「んま!私の愛の料理にケチつけるきなの!」
「東眞の料理食いたーい」
 ベルフェゴールの言葉にルッスーリアはハンカチを噛みながら、きぃぃ、と叫ぶ。ひどいわ!と今度はルッスーリアがベルフェゴールを追いかけはじめた。そして、輪から逃れたスクアーロが先程まで、ルッスーリアが座っていた席に落ち着く。勿論話し相手はマーモンである。
「まぁあれだぁ」
「…」
 突拍子もなく話しかけたスクアーロの頬にはいくつかの傷がある。それはベルフェゴールにつけられたもので、大して気にもしていないようではあるが。スクアーロはふふん、と鼻を鳴らしてにっと歯を見せて笑った。
「俺様の弛みない努力があったおかげだなぁ!」
 自信満々でそう笑うスクアーロにマーモンは、それをボスの前で言ってくると良いよ、と適切なアドバイスを施した。当然のことそれをXANXUSの前で言えばどうなるか、答えは自明ではあったが。

 

 バルコニーに置かれた机の上には蝋燭と、それからシャンパンの入った細いグラス。泡がぷつぷつと内側を這って、そしてパチンと消えていく。
 普段のジーンズではなくて、それなりにきちんとした格好で座っているのだが、どうにも座り心地が悪い。XANXUSは平気な顔をして、椅子に腰かけてグラスを傾けている。それに東眞も慌ててグラスをとって、一口二口と飲んでいく。
 座り心地が悪い、というのはおそらく正しくない。ただ緊張しているだけである。通常であれば、むしろ心地の良い沈黙も、今ばかりは会話をしたいところだ。机の上に乗るのはグラスばかり。否、それだけではない。
 小箱。
 XANXUSがようやく沈黙を破って口を開いた。
「手を出せ」
 緊張を隠せないまま、東眞はゆるゆると手を机の上に出してXANXUSに差し出した。長い手袋を嵌めているその手からXANXUSはゆっくりと指を這わすようにして、手袋を抜きとっていく。その感触に東眞は思わず身を引きかける。が、腕はしっかりと掴まれているので椅子が少しばかり音を立てただけであった。黒い手袋が外されて、白い肌が露わになる。少しだけ、その肌が色づいていた。
 手の平の下に、XANXUSの手が添えられる。いつの間にやら開けられた小箱の上に並ぶリング。XANXUSの指がそれをとって、ゆっくりと、一瞬の時間が永遠に間で感じられるほどの速度で東眞の指に近づける。指先に環状の金属が触れた。その冷たさにごくりと喉が鳴る。
 戸惑いを未だ隠せていない東眞にXANXUSは何も言わない。ただ、指輪を指に通していく。その指輪が、指の根元で、止まる。XANXUSの手がようやく離れて、その手は自分の指にもう片方のリングを通した。
「そいつを、」
 東眞が何かを言う前にXANXUSの口が動く。
「決して―――――――離すな。それはてめぇが俺のものだという証だ」
 いいか、と動いた唇に東眞は、その装飾の少ない指輪に目を落して指先で触れる。そして、泣きそうになりながら微笑んだ。
「――――――、はい」
「結婚指輪は、また、買う」
 そいつは婚約指輪だ、とぶっきらぼうに告げてXANXUSはグラスの中のシャンパンを飲みほした。東眞はこれで構わないのだがと思ったが、何かしらの理由もあるのだろうし、それに返事はしなかった。そして手元のシャンパンを飲みほした。
 ひゅ、と風が吹いて肩を出しているドレスが少し寒く感じた。それにXANXUSは立ち上がって、上着を東眞の肩にかけた。
「有難う御座います」
 微笑んだ東眞からXANXUSは視線を逸らして、バルコニーの手すりに体を預ける。東眞も立ち上がって、その隣に並ぶ。町の光の届かないここは星が本当によく見える。綺麗ですね、と呟いた東眞にXANXUSは視線を戻した。
 目に入った横顔は酒の効果かそれともその他の何かかでほんのりと桃色をしている。貸した上着からのぞく白がやけに艶めかしい。ごく、と生唾を飲む。指にはめるは同じデザインのリング。視線が持ち上がって、細められる。珍しく口紅を引いている唇はふわりと優しく、そして美味しそうである。まるで吸い寄せられるようにして、その唇に己の唇をかぶせた。
 普段であれば少し胸を押したりして抵抗の色を見せるのだが、今日はそれがない。それどころか唇を開いて、拙いながらも自分に応えようとしている。
 くそ。
 色々と我慢をしてきたが(してきてはいないかもしれない)もういい、とその細い体に手をまわした。強く強く抱きしめて、しかし壊れないように。長い、吐息も何もかも全てを奪うかのように口付けを交わす。
 そのまま、長いドレスの上に手を乗せて、少しずつ手繰り寄せていく。柔らかな足に指先が触れた。流石にそれには驚いたのか、腕の中の体が逃れようともがいた。が、逃がさない。ここまで来てお預けはやってられない。バルコニーの柵と二つの腕で逃がさないように檻を作る。腰にしっかりと手をまわし、もう片方の手で逃げ腰な足を味わう。唇は陶器のような肌の上を滑る。
 否定の声は今は聞きたくない。目でそれを告げれば、東眞の開きかけた口は戸惑ったように閉じられる。
「…XA
 NXUSさん、と柔らかな声が答えを告げる。否、告げようとした。階下から窓ガラスがぶち破られた破壊音がその声を消すまでは。
 東眞の視線がXANXUSから離されてそちらを向いた。見れば、ベルフェゴールが金色の星のような髪をひらひらとさせて、飛び出してきた。そして、その次には金と対照的な綺麗な銀色の髪が飛び出す。付属したのは空気を震わせるほどの大声だったが。次に爆音。
「あたんねーし!」
「くぉ…っこの待ちやがれぇえ!!」
 ぶん、とすさまじい勢いで刀が振られ、そしてベルフェゴールの手からはナイフが放たれる。ナイフを撃ち落とす剣の音。しかし、そこでベルフェゴールは東眞とXANXUSの存在に気付いた。
「あー!ボスと東眞じゃん!!」
「!な゛、なにぃ!!?」
 ぎょっとしてスクアーロは動きを止めた。ベルフェゴールはそんなことつゆ知らずと言った様子でひらひらと手を振っている。東眞もそれに手を振り返した。
「なー何してんの?」
「え!ぁ、そ、それは…、その」
 流石の東眞もそれには口ごもる。まさか一歩手前でした、何て言葉は口が裂けても言えない。スクアーロも始めは気まずそうだったものの、二人の様子を眺めて、にやぁ、と笑う。そしていつもの+αの一言。
「……邪魔したかぁ…?悪かったなぁ、こっちは気にせず続けろぉ!」
 続けられたらそれは本当の鋼の心の持ち主である。そしてXANXUSは。

「――――――――――――――この…っカス共が!!」

 きゅぉ、と視界の端にともった明るい色。そして次の瞬間には凄まじい破壊音が響いた。