17:本当のところは - 5/7

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 扉を出て階段を駆け上がった先にぶつかった銀色に東眞はまっさかさまに落ちかける。だが、長い手が伸び東眞の腕をしっかりと掴んでそれを防いだ。ほ、と一息ついて東眞は礼を述べる。
「有難う御座います、スクアーロ」
 だがスクアーロからの返事はない。東眞はもう一度、スクアーロ?と名前を呼んだ。それにスクアーロははっとして、その手をようやく放す。そして、その手を握ったり放したりして、眉間に二三本皺を寄せる。そんなスクアーロを怪訝そうに見上げて、東眞は首を小さくかしげた。
「持ってった料理、食べたのかぁ?」
 がりがりじゃねぇか、とスクアーロはもう一度東眞の二の腕を掴んで、その細さに眉を寄せる。それに東眞はまぁ、と返した。思い返せば、数日まともにものは食べていなかったことになる。そんな適当な答えにスクアーロは深く溜息をついた。
「もう一度ルッスーリアにでも言ってなんか作ってもらえぇ」
 そう言って、それからスクアーロは一拍置いた。そして、ぽすんと東眞の頭の上にその手を乗せる。人のぬくもりのない固い手が、髪の下の肌に伝わった。それがぐしゃっと動いて髪を混ぜる。
「頑張ったなぁ」
 スクアーロはにかっと笑って、行くぞぉ、と東眞に背を向けた。そんなさりげない気遣いに東眞は目を一度瞬かせてから、有難う御座いますと再度言ってその背中を追いかけた。
 少し早足になり過ぎていたことに気付いて、スクアーロは少し速度を落とす。そして何気ない会話を交わしながら廊下を歩く。東眞はそんな日常が何よりも嬉しかった。ぎ、と重い扉がスクアーロの両手で開かれれば、その先にはぱっと表情を明るくしたベルフェゴールがいた。そのまま東眞にドスンと飛びつく。少しばかり背の高いベルフェゴールはくるくると回りながら、東眞に笑いかける。
「なぁなぁ、王子お腹すいた!東眞、何か作って!」
 はしゃぐベルフェゴールをスクアーロが諌めて喧嘩がまた勃発する。東眞は苦笑しながら、その光景を眺める。
 少しだけ眩暈がしてふらつきかけたが、その背中をどんと大きな手が支えた。振り返って少し見上げれば、巨体がどんと仁王立ちをしていた。ツンツン頭はそっぽを向いている。
「体調が優れんなら、とっとと座れ!」
 ふん!と鼻息を荒くして口を曲げているレヴィに東眞はやはり笑って、礼を告げた。そうすると、レヴィはいつも通りに、貴様に礼を言われる筋合いはない、と突っぱねた。 そこにマーモンがひらりとソファの上に腰かける。
「で、ボスの容体はどうなんだい?」
「熱自体は薬で下がってますけど、一日二日は大人しくしていた方がいいと思いますよ」
 医者にもう一度診て貰った方がいいかも知れませんね、と付け加える。マーモンはそれに、そうかいと告げた。
「君はもういいのかい」
 さりげない優しさにはい、と東眞は微笑む。けれどもマーモンは辛辣に言葉を投げ渡す。
「大丈夫って顔色はしてないけどね。君が倒れると迷惑を被るのは僕らなんだから」
 体調管理はしっかりね、と続けたマーモンに東眞はもう一度はいと繰り返した。丁度そこに高い声が響く。東眞はルッスーリア!と声を弾ませて、そちらを見た。鮮やかな髪を揺らして、ルッスーリアはあらあら、と東眞に近づく。
「んもう!大人しくしてなきゃだめじゃないの。東眞だって本調子じゃないんだから」
「タオルとかを取り替えようと思って」
 そう言った東眞にルッスーリアは頬を膨らませて、スクアーロ!と声を上げる。それにベルフェゴールと喧嘩をしていたスクアーロは何だぁ!と応戦する手を休めることなく答える。
「どうして東眞に持って来させてるの!スクアーロが持ってきなさいっ。女の子に、こんな重いもの持たせて!」
 そう言うが否や、ルッスーリアはひょいと東眞が抱えていた盥をその手から持ち上げる。ベルフェゴールはだっせぇ!とスクアーロを揶揄して、スクアーロはまたそれに怒ってベルフェゴールを追いかける。東眞はかまいませんよ、とルッスーリアに一言返して手を伸ばすが、ルッスーリアはそれを返さない。
「これは私が片付けておくから、東眞は早くボスの所に帰ってあげて?」
「えー、王子東眞の料理食いてーし」
「ベルも我儘言わないの」
 それに、とルッスーリアは何故か感じる嫌な予感を禁じ得ないまま、口を開こうとした。が、それはルッスーリアが言葉を発する前に現実となる。
 ばがん!と激しい音がして扉が両側に押し広げられた。勿論、こんなことをしでかす人間が一体誰であるのか、想像する必要もない位に簡単に分かる。突き刺さるような不機嫌の塊から低い声が発された。
「遅ぇ」
「XANXUSさん、寝ていていなくては…」
 薬で抑えているだけなんですよ、と東眞は慌ててルッスーリアの隣を過ぎてXANXUSのもとに駆け寄る。XANXUSは近づいた東眞の腕を強い力で掴んで、見下ろす。どこか不機嫌そうな色が隠し切れていない。
 どことなく緊迫した空気に誰もが言葉を失ったが、次の瞬間その空気が一瞬で解かれて、一斉に一つの名前を呼ぶ。
「ボス!」
 東眞は倒れかけたXANXUSの体を支えたが、やはり力足らずで膝から砕け落ちる。それをルッスーリアが慌てて支えて、XANXUSの体はスクアーロが持った。二つの赤色が不機嫌そうな視線で東眞を睨みつけている。
「早く治しましょうね」
 XANXUSさん、と言った東眞にXANXUSはスクアーロを突き飛ばして、ふらつく足取りで背中を向けて歩き出す。そして、追いかけてこない東眞を振り返った。
「何してやがる」
「あ、はい」
 とっとと来い、と告げたXANXUSを東眞は皆の顔を一度見て頭を下げてから、その背中を追った。そしてまたふらつきかけたその体を支える。去っていく二人の姿を眺めながら、スクアーロはぼつ、と呟いた。
「なんだぁ…あいつ寂しくてわざわざここまで追ってきたのかぁ…?」
「ボスったら可愛いわね…んもぅ」
 呆れた調子のスクアーロの声とは反対に、ルッスーリアは頬に手を添えてぽっと頬を赤らめさせている。レヴィと言えば硬直しているし、ベルフェゴールはぷぅと頬を膨らませている始末である。そこでふとスクアーロは思い出して、ルッスーリアに声をかける。
「東眞になんか持ってってやってくれるかぁ」
 食いもん、と続けたそれにルッスーリアは、気がきくじゃない?と笑ってOKのサインをした。そして、スクアーロは非常に我儘で独占欲の塊の自分の上司のインフルエンザを早く治してやるために、医者に連絡を取った。