17:本当のところは - 4/7

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 ふ、と目を開ける。白い天井は普段見る景色と違っていたが、体のだるさは随分となくなっていた。
「…」
 下半身に健康な男ならば十分に考えられる生理的現象が起きている。ぐしゃりと髪に手を突っ込んで乱す。トイレにでも行ってとっとと始末しようと思って体を起こしかける。が、一つのとっかかりに動きを止めた。視線をそちらに向ければ黒い髪が白いシーツの中に散っていた。腹部に抱きしめるように腕が乗っており、それが僅かな重みを与えている。シャツにはもう片方の手が頼りなく引っかかっている状態だ。
 この状態を自分から放棄するのは惜しい、とXANXUSは少し動きを止めた。だが朝立ちしたこの状態のまま放置するのもあれである。治まるのを待つか。
 そう思って体を少し離してベッドに落そうとしたが、するりとその細い体が寄って来て、暖を求めるように体が合わさる。
「…おい」
 密着すれば必然的に下半身が当たるわけで。多少の気まずさもあり、ごほ、と小さく咳をしたが東眞は起きない。細くて柔らかな太腿に間違いなく当たっている。くそ、とXANXUSは小さく顔をしかめて、口を曲げた。今更な関係ではあるが、躊躇われるものも当然あるわけなので、困る。気持ち良さそうに(それも自分の腕の中で、自分によりかかって)寝ている東眞を起こすのは躊躇われる。というか勿体無い。ここ最近の問題もあって、張詰めていた関係であったし、こんな顔を見るのは久し振りなのである。
 ふ、と汗で湿っている服に息が当たる。ぎょっとしてわずかに体を強張らせれば、小さな声が聞こえた。寝言など今まで一度も聞いたことがなかったので、耳を澄ませる。一体、どんな夢を見ているのか。自分の腕の中で。
 小さな声を拾う。
「――――――――――――ん、ぅ…」
 ふ、と鼻から吐息がこぼれ落ちた。下半身に熱が集まって、さらに固くなる。
 なんて声だしやがる、とXANXUSは舌打ちをした。そして他の奴等の前では絶対寝るなと後で言っておくことを決める。そろそろ起こさないと、色々な意味で、危ない。非常に惜しいのだがXANXUSは仕方なく東眞の肩を軽く揺らして声をかけた。
「おい、起きろ」
「――――――――――――――…」
 揺すられ声をかけられて、東眞はゆっくりと瞼を押し上げる。とろん、と溶けそうな瞳。う、と吐き捨ててXANXUSはそれから軽く目を逸らす。しかし鼓膜を刺激した声の甘さにぎょっとした。
「XAN……XUS…さん?」
「――――――――」
 朝ですか、と数回目をこすって東眞は意識を持ち上げる。そもそも朝は弱い方ではないので、目さえ覚ませば大抵すぐに意識ははっきりする。腕をついて体を持ち上げ、東眞はおはようございます、と微笑んだ。微笑もうとした。
「」
「…」
 持ち上げた体はすぐさまシーツに押し付けられて、大きな体が東眞を見下ろしていた。つまりは押し倒されている。赤い瞳がこらえるような色をとうとう取り払った。喉仏が上下に動いて、唇から声が落とされる。
「どうにかし
「う゛お゛お゛お゛ぉぉおい!!いつまで寝てやがる!!!」
 生きてるかぁ!とスクアーロが扉をバタンと喧しく音をたてて、入ってきた。XANXUSは東眞を押し倒したまま固まる。そしてスクアーロもその光景を目にして、あ、と声を零した。
 嫌な沈黙が落ちる。
 スクアーロは恐る恐る、動きを止めているXANXUSに声をかける。
「お、お邪魔だったかぁ…?」
 その一言に赤い瞳がとんでもない速度でスクアーロを睨みつけた。曰く、目だけで殺されると思ったのはあれが初めてだぁ、と後にスクアーロは語る。殺意あふれ返る空気を纏いながら、XANXUSはち、と一つ舌打ちをして東眞の上から退く。そしてベッドから下りようとしたが、ふとそこで動きを止める。
「ど、どうしたぁ…ボス」
 東眞に背を向けた状態でXANXUSは下半身に目を向ける。背中に突き刺さっている視線が痛い。そこに黒い隊服が目に入る。昨日スクアーロが東眞に貸したものである。XANXUSはそれを掴みとるとなれた仕草でそれをまとって立ち上がる。長めの隊服は腿上半分辺りまで隠していた。それにスクアーロが首をかしげる。
「う゛お゛ぉい…ボス、それは俺のた
「うっせぇ、文句あんのか」
 ぎんっと凄まじい勢いで凄まれ睨まれて、スクアーロは首を横に振った。しかしふ、と気付いてああ、と笑う。
「なんだぁ、ボス。勃ばぶ!」
「…あぁ?何か言ったか…?」
 顔面に拳の直撃をくらい、膝をついたスクアーロをXANXUSはとんでもない形相で見下ろす。鼻血を押さえつつ、スクアーロはそれでも何しやがる、と反論した。そして立ち上がり、口を開ける(無論鼻を押えた手はそのままで)
「男の朝の生理現象指摘されたからってばかすか殴るんじゃねぇ!!」
「るせぇ!かっ消…、
 されてぇか、と言いかけてXANXUSはそこでふと東眞がいることを思い出す。スクアーロもXANXUSが無言になった原因を悟り、表情を強張らせる。だが東眞の答えは予想とは違うものだった。多少、困ったような感じはあったが。
「気にされないでください。えーと、そのほら、私修矢と哲さんと一緒に生活してましたから」
 恥ずかしそうな顔をして朝下着を手洗いしている修矢の背中を東眞は覚えている。流石にそれに声をかけるのはやめたが。
 そして動きを止めているXANXUSに声をかける。
「トイレ行かれなくていいんですか?」
「「…」」
 男を(別の意味で)知る女はある意味怖い、とスクアーロは思った。そして背後でトイレの扉が閉まる音を聞きながら、少しだけ、ほんの少しだけXANXUSを気の毒に思った。

 

 東眞はスクアーロから朝食を貰い、それを食べ終える。XANXUSはその隣で病人食を適当に食べて、スポーツドリンクを飲んでいた。
「体の調子はどうですか」
 熱は下がりましたかね、と東眞はその額にこつりと自身の額を当てる。その行動にXANXUSの目が大きくなったが、東眞は気付かない。そんな東眞は風邪をひいた修矢のことをのんびりと思いだしていた。よく熱を計ってとせがまれたのは今でも鮮明に覚えている。小さく笑って、東眞は離れた。
「まだ少しあるみたいですね。熱が下がったのは薬の効果が大きいと思いますから、今日はゆっくり休んでください」
 そう言って東眞はベッド脇の机に置かれている盥に手を伸ばす。温かな湯が張られたそれにタオルを浸して、きゅっと絞った。そしてXANXUSの方に向いた。
「体を拭きますから、上を脱いでいただけますか。着替えはさっきスクアーロが持ってきてくれましたから、それを着て下さい」
「…」
 珍しくXANXUSは何も言わずに、ぷちぷちとボタンをはずし上を脱ぐ。その体に刻み込まれた傷の多さに東眞は特に何かを言うことはしない。ただ、黙ってその傷の上に温かなタオルを乗せて体を拭いていく。
 何も聞かないのは聞きたくないからではなく、彼女にとっては聞く必要のないことであると思っている、とXANXUSは思っている。言いたくないわけではないが、取りたてて言う必要のあることでもない。大体言っても仕方ない。
 だが、口からこぼれたのは別の言葉だった。
「――――――聞かねぇのか」
 その言葉に東眞の手が止まる。しかしそれはまた、のんびりとした様子で動かされる。少し手が離れて、ぱしゃりと湯が跳ねる音がしてからまた、肌に布が当たった。背中を拭く手は優しい。
「聞かれたいなら、聞きますよ」
 でも、と東眞は朗らかな声で続ける。
「その話が何であれ、私はかまいません。聞いても聞かなくても一緒なら、XANXUSさんが話したい時に話してくれればいいです。私が聞かなくてはいけないのは、あなたが本当に私に伝えたいと思っている話だけで十分ですから」
 終わりましたよ、とタオルを湯に落して東眞は言う。だが、次の瞬間ぎょっと慌てる。
「な、何をされて…!」
「あ?拭くんじゃねぇのか」
「そこから下はご自分で拭って下さい!」
「…」
 ズボンに手をかけたXANXUSに東眞は顔を真っ赤にして口を開く。それにXANXUSは一つ鼻を鳴らして、差し出されたタオルを受け取る。今更恥ずかしがっても、と思いつつ(先程の自分の行動はしっかり忘れて)XANXUSは東眞が背中を向けてから下を脱ぐ。半身を適当に拭うと、スクアーロが持ってきた着替えに手を伸ばしかけ、ふと東眞の背中に目を向けた。
 細くて今にも折れそうなのに、ただ守りたいとは決して思わせない背中。例えばそう、こんな風に。
 XNAXUSはそのまま手をのばして、東眞を腕の中に引きずり込んだ。抱きしめたまま、どすりとベッドに腰掛ける。当然東眞は引きずられる様にして、同様に腰をベッドに下ろすことになる。体勢が崩れたので、その長い太腿に手を乗せた。怪訝そうに一瞬瞳が動いたが、すぐにそれは耳まで赤くなって体が強張る。いくら慣れているとはいえども、裸の、しかも全裸の男に抱きつかれた経験はない。
 東眞は慌てて、その剥き出しの足から手を離す。XANXUSはその驚きを無視して、腕の力を少しだけ強めてその首筋に唇を落とした。小さな脈動が唇に触れる。白い皮膚の下を通っている血管がとくとくと動いていた。しかし、それはすぐに別の感触に変わる。枕の。
「…っ大人しくしていてください!」
「…」
 情緒のかけらもないが、仕方ないとXANXUSはその手を離す。東眞は振り返らずに(振り返れば当然そこには全裸の男が一人いるわけで)盥と布を持ちあげる。
「か、片付けてきます。それとシーツの替えも持ってきますから」
 それまでに着替えておいてください、と東眞は背中を向けたままそう告げて、部屋を出て行ってしまう。
 残されたXANXUSは息を一つ吐いて、さっぱりとした体に新しい寝間着をかぶる。それからグラスに残ったスポーツドリンクを最後まで飲み干した。