17:本当のところは - 2/7

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 ふんふんと上機嫌でミルクを温めているルッスーリアの隣で、スクアーロは毛布や靴下、それに氷嚢などをそろえていた。そして安堵したようにルッスーリアに話しかける。
「しっかしよぉ、東眞にゃ驚きだぜぇ。まさかこんなに早くあいつにやられたことから立ち直るとはなぁ」
 うんと頷いてスクアーロは氷嚢に行李を突っ込んだ。それにルッスーリアはきょとんとして、鍋を回していた手を止めた。
「何言ってるの?スクアーロ」
「?だから東眞はボスに無理矢理ヤられたことから立ち直るのが早かったなぁって言う話だぁ。やっぱり分かってるとは言え、精神的につらかったんだろうぜぇ」
「…」
 と、ルッスーリアは吹き出す。
 何故笑われているのかスクアーロには分からず、氷嚢の口を閉めてから首をかしげた。そして何がおかしい!と怒鳴る。ルッスーリアはひぃひぃと笑いながら、ようやく鍋を回していたのを再開させた。
「んもう、見当違いなこと言わないで頂戴!思わず笑っちゃったわ」
「…見当違い?」
 怪訝そうに眉をひそめたスクアーロにルッスーリアは頷いた。
「そうよ。東眞は別にそれに対して悩んでたわけじゃないんだもの」
「…違うのかぁ?だがそれくらいしか理由がねぇぞぉ。あのカスが東眞を襲ってそれでボスが怒って無理矢理、だろぉ?」
「経緯としてはあってるけど、その覚悟は東眞にあったと思うわよ」
「どういう意味だぁ?」
 さっぱりわけが分からずスクアーロはもう尋ねることしかしない。ルッスーリアはミルクに蜂蜜をたらしながらそれに答える。
「イタリアに来た時点で東眞はボスを受け入れたわ。それこそ全てをね」
「それくらい知ってるぞぉ。それがどう繋がるんだぁ?」
 わからねぇ、と言ったスクアーロにルッスーリアはお鈍ちゃんねぇと唇を尖らせた。そして説明をまた始める。
「だからボスの行為だって受け入れたってことよ。勿論嫌だったとは思うわよ。ただ、その嫌だったのが、」
 そこでスクアーロが口を挟む。
「だからボスが無理矢理…」
「話を途中で遮らないで頂戴!もう!」
 怒ったルッスーリアにスクアーロは謝る。ルッスーリアはマグカップにホットミルクを流しながら、口を開ける。
「嫌だったのは、ボスの行為じゃなくて――――――――分かってくれなかったことよ」
「…分からねぇぞぉ」
「これだから男って生き物は困っちゃうわぁ。乙女の繊細な心を分かってくれないんだから」
 てめぇも男だ、というのは伏せてスクアーロは悪かったなぁ!と怒鳴る。ルッスーリアは別に責めてないわよ、と笑いながらカップをトレーにのせて、さらに水分補給のためのスポーツドリンクとグラスを置いた。
「だからね、東眞はボスに分かって欲しかったのよ。ことに及んでも構わないから、それでも分かって欲しかったんでしょうねぇ」
「だから何を分かって欲しかったんだぁ。大体犯されてもいいってわけねぇぞぉ」
「…話してると疲れるわね…」
 あまりの理解の遅さにルッスーリアは思わず溜息をついた。それにスクアーロは切れかけたが、どうにか堪えて、続きを促す。ルッスーリアは一度言葉を切ってから、そして話を少しだけ路線からずらした。
「和姦と強姦の違いって、分かるかしら?」
 そんな質問にスクアーロは内心憤慨しながら(あまり隠せていないが)当然だぁ、と答えた。タオルで氷嚢を包んで、机に置きながら回答する。
「双方合意が和姦で無理矢理ヤるのが強姦だろぉ?」
「それくらいは分かってるねの…」
「なっ!てめぇ俺を何だと思ってんだぁ!!」
「んもう、下半身の生き物って言うのはこれだから困っちゃうのよ」
「…」
 あんまりな言われようにスクアーロは言葉もない。ぱくぱくと口を開閉させているスクアーロにルッスーリアは話を続けた。
「だから、東眞は強姦されたことが辛かったわけじゃないのよ。それくらいは想定範囲内だったと思うわよ」
 あくまでもひょっとしたら、の範囲でしょうけど、と続ける。その言葉に反対にスクアーロの方が驚く。ぱちぱちと瞬きを繰り返すスクアーロにルッスーリアはコロコロと笑った。
「東眞だって伊達にボスの傍にいるわけじゃないでしょ?ボスの性格くらい分かってるわよ」
「…け、結局それがどうなるんだぁ?」
 ルッスーリアはトレーを持ち上げて、歩きだしながらそれに答えていく。その後をスクアーロは荷物を持って慌てて追いかけた。
「ボスって何だかんだ言って、東眞のことちゃんと考えてたじゃない?命令したりそういうのだってみんなそうでしょ」
 その言葉にスクアーロは思い出しながら、そう言えばそうだな、とそんなことを思う。
 確かにXANXUSは我儘で傲慢ではあるが、東眞のことはきちんとしていた。彼女という女を知ってからは女遊びはぱったりとやんだし、こちらからすれば結構無茶ぶりな命令も、他ならぬ愛情表現の一つだろう。何とも言えぬほど不器用ではあったが。
「ボス―――――――今回は、それをしなかったんじゃないかしら」
「あ゛ぁ?」
 トーンの落ちた声にスクアーロは首をかしげる。ルッスーリアは大した返答もしないまま、話を続けた。
「ボスの場合は、ああいうのは気遣いって言わないんでしょうけど、スクアーロにはそれ以外の言葉は通じないと思うから気遣いってことにしとくわ」
「…う゛お゛ぉぉい」
「ボスは気を遣わなかったんでしょうね。目の前の状況に手一杯で」
 東眞のことになると一杯一杯ですものねぇ、とルッスーリアは頬に手を添える。全くもって的を射た表現である。
「婚約指輪を買ってプレゼントしようとしたその日にこれでしょ?それに東眞はそれなりの理由があったにせよ一度待ってもらっているわ。東眞の気持ちはきちんと固まっていたでしょうし、ボスもきちんとそのことは分かってたんでしょうけど…」
 そこから先はスクアーロでも分かった。
「…目の前の状況に待たされたってことだけが意識に上ったってことかぁ」
「でしょうね、ボスったら結構繊細だし」
 繊細、というのが正しいのかどうなのか、流石のスクアーロも言葉に詰まる。ルッスーリアはそんな悩み出したスクアーロを放って言葉を紡ぐ。
「そもそも私たちって、女に関しては待つってことをしないでしょ?だから東眞のことに関しては異例中の異例よ。だから余計に混乱したんじゃないかしら。あんな目に、
 そこから先の言葉はスクアーロが繋いだ。
「――――――――あったのは待ったせいだ、…かぁ」
「ええ。だからボスは行動に出たし、『今までの方法』で東眞を手に入れようとしたんじゃないかって思うわ」
 細かな心理まで考えているあたり話が非常につながりやすい。が、まだスクアーロの大本の質問に答えてはいなかった。それに気付いたのか、ルッスーリアはそれでね、と続ける。
「話は戻るけど、東眞はその時にボスに優しさを求めたのよね。少なくとも、行為は求めてなかったでしょう。これは女の子としては至極当然の心理だとは思うわよ?流石のスクアーロにでも分かるでしょ」
「馬鹿にするなぁ」
 そしてルッスーリアは答えを述べた。
「だから東眞は、『ボスによる強姦』じゃなくて『与えられなかった優しさ』がショックだったんじゃないかしら」
「…は?」
「んもー、本当に物分かりが悪いわね!だ、か、ら、もしボスが行為に及ぶ前に東眞を優しく抱きしめたり、つまりは傷ついた女性に与える行動を起こしたら、東眞も泣けたのよ!」
「…」
 怒涛のスクアーロにはどうにも理解しがたい情報量に頭が混乱する。ルッスーリアはやはり理解度が二割にも達していないであろうスクアーロに今度はかみ砕いて説明した。
「東眞が一番頼りにしてる人って誰だと思う?」
「あ…?そりゃボスじゃねぇのか?」
「そうね。ジャッポーネにいる家族じゃないわ。私の目から見ても彼らは東眞を頼る側ね」
 うん、とスクアーロは頷いた。そこまでの理解はされたのでルッスーリアは次へとステップを進める。
「でもその肝心のボスが、一番頼りたい時に頼らせなかったら東眞はどうしたらいいの?」
「…あぁ、そういうことかぁ」
 ようやくスクアーロはそれに納得した。ルッスーリアはこつこつと自分の靴音を鳴らしながら、二人がいるであろう部屋へと歩く。
「私はね、結局中継地点でしかないのよ。ちょっとした付け焼刃にしかならないわ。東眞が本当に頼りたいのはボスだし、他の誰でもないんだから」
 そう言ってルッスーリアは泣いた東眞を思い出す。
 彼女は泣いて本音をさらけ出したものの、それでも最後の最後はルッスーリアに頼りはしなかった。決して、ルッスーリアにその「優しさ」を求めはしなかった。あれ以上放置すればもう彼女はパンクするであろうから、ルッスーリアはその捌け口を提供しただけであるどうしたらいいか分からない、とは言ってもどうしたらいいか、というのは問わなかった。それを知っているのは東眞本人だし、なによりその解決策のカギを握るのはXANXUS自身である。ルッスーリアではない。
 小さく溜息をついてルッスーリアは目を細めた。
「だからボスの行為は『和姦』じゃなくて『強姦』になったのよ」
 とん、と最後に締めくくられた言葉にスクアーロはようやく全てを納得する。少し遅かったが。スクアーロが気にしていた強姦はもつれた糸の結果でしかなかったわけである。それをようやく理解して、スクアーロはふぅと息をついた。
「女ってのは難しいぜぇ…」
「女心は複雑なのよ。気を付けないとひょんなことで傷つけちゃうかもしれないんだから。スクアーロはそんなのだから彼女ができないのよっ」
「余計なお
 世話だぁ、と叫ぼうとしたスクアーロにルッスーリアはすっと人差し指をたてる。そして、ついついと少し開いた扉の隙間を笑って指差した。スクアーロはす、とそちらを覗きこむ。

 

 すん、と鼻を鳴らして東眞はXANXUSの胸に額を押しつけた。耳に心地よく鳴る、二つの母音が傷に優しくしみ込む。後頭部に添えられた大きな手がくしゃりと髪を撫でた。
 この手が、欲しかった。一方的な優しさではなく、理解のある優しさが。今までずっと与えてきてくれていた、このささやかなぬくもりが。
 口元が不思議と歪んで、小さな笑みを作る。そして両手でゆっくりと体を起こして、凭れかかっていたのをやめて微笑む。XANXUSの手はまだ東眞の頬に添えられている。その手を包むようにして離して、東眞はそっとベッドの下に戻した。
 XANXUSは口を開く。言葉を紡ぐ。東眞はそれを聞き、目を細める。そして東眞は口を開いて言葉を発した。
「―――――――好きです」
「…愛してるぐらい言ってみろ」
 げほ、と咳こんだXANXUSに東眞は小さく笑って、そうですね、と答えた。