15:沈黙の掟 - 5/6

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 ルッスーリアはようやく、スクアーロが来たであろう東眞が連れ込まれたであろうXANXUSがいるであろう場所に辿り着いた。
 スクアーロ、と叫ぼうとしたが、古びた廃ビルから銀色が現れて上げかけた声を止める。そして空気に混じって香ってくる嗅ぎ慣れた臭気に気付いた。スクアーロが担ぎあげているものにも。スクアーロは何も言わない。ただ、銀色のカーテンで全てを閉ざしている。しかしルッスーリアの隣まで来て、ようやっとその重たい口を開いた。
「ボスは間に合ったぞぉ」
「…」
 痛みと失血でとうとう気を失った男をスクアーロは担ぎ直した。ルッスーリアはスクアーロの言葉の意味を考える。ならば何故XANXUSと東眞が出てこないのか、と。不吉な考えが脳裏をよぎった。ルッスーリアの瞳が動いたのに気付いて、スクアーロは視線を逸らす。それが答えだった。
「…そんな」
「俺たちが口をはさめる問題じゃねぇ」
 そうだけど、とルッスーリアはスクアーロの言葉にためらいを持ちながら同意する。実際にどうしようもないのだ。XANXUSの行動に口を出す権利は二人は持っていない。スクアーロは息を長く吐いて首を軽く振った。
「あの部屋に連れて行く。それとこいつがどこの誰なのか、割りださねぇとなぁ」
 すべきことはそれに限られている。
 もう空は夜にどっぷりと浸っていた。そらの月だけがやけに明るい。そうね、とルッスーリアは言うものの視線はいまだ廃ビルに行っている。
「どうしようも――――――――ねぇんだ。行くぞぉ」
 そう言ってスクアーロとルッスーリアは、廃ビルからまだ喧しい街へと男をかついだまま向かった。双方言葉をそれ以上発することはしなかった。

 

 ふぅん、とマーモンは表示された写真を眺めながら、言葉をこぼす。その隣ではベルフェゴールがクッキーをつまんで口に放り込んでいた。
「何見てんの」
「顔写真さ。どこのファミリーの人間か調べろってさ」
「ボスの命令?」
「いや、スクアーロの単独らしいけど…まぁ金にもなるし、いいかな」
 そう言ってマーモンは電話番号をポチポチと押す。
 コーザ・ノストラは警察のように顔写真をそろえたりはしない。誰がどこのファミリーに所属しているかなどは面識がない限り分からないし、名簿も作らない。だから自分たちにとって相手が自分と同じかどうかは、相手の動作などで判別するしかない。
全く厄介な事だ、とマーモンは思った。
「誰に電話かけんの?」
「彼だよ、シルヴィオさ。彼の情報は信頼できるからね」
「あいつ?俺あいつ嫌いなんだよねー」
 頬を膨らましたベルフェゴールにマーモンは確かに二人の相性は悪いだろうと思いつつ、相手が電話に出るのを待つ。暫くすると、ぷつと音が途切れた。
『どちら様』
「やぁ、シルヴィオ」
『お、マーモンか。元気にしてんのか』
「御蔭様でね」
 御蔭様、と言うほどの接点はないがマーモンはそう告げておく。それで、と電話向こうの声は問い返してきた。電話をかけてきた理由を問うている。
『お前らが任せる仕事ったらもっぱら情報だけだが…こっちとしては有り難い』
「フン、死体くらい自分で始末できるさ」
『白い散弾銃か』
「どうだろうね」
 くすぐるように発された言葉をさりげない言葉ではぐらかす。それ以上シルヴィオも追及することはせず、早速用件を尋ねる。
『で、欲しい情報は何だ?』
「今から送る顔写真の男についての情報が欲しいんだけど」
 そう言って、マーモンは開かれたパソコンのエンターを押す。するとパソコン画面にメールがひょこひょこと動いて、そして送信完了の文字が浮かぶ。少しすると、シルヴィオがああ、と答えた。そして、ぱらぱらと紙をめくる音がする。
「金はスクアーロの口座から引き落としてよろしく」
『はっはっは、あいつも災難だなぁ。ま、大した情報でもなし、そう高額せびるつもりもないな』
 からからと電話向こうから笑い声が響く。マーモンは黙ってその声を聞く。
何故この男がここまで情報を持っているのか、それはいまだに分からない。誰かが情報を売っているに違いないのだろうが。だが、自分たちにそれは考えられるのだろうかとも思う。彼が基本的に取り扱っているのは警察機関などの情報だ。誰がどう行動するか、誰が牙をむこうとしているか。そういった情報を受け持つ。だが彼が持つ情報はそれだけではなく、幅広い。だからこそ情報屋として役に立つのだが。
 まぁそんなことを言っても始まらない。マーモンはシルヴィオの答えを待った。
『書類で送るか、それとも口頭でいいか』
書類だと金額が上乗せになる。だがどうせすぐに焼き捨てるであろうし、マーモンは口頭で、と答えた。
『一回しか言わねえからよく聞けよ』
 ふ、と息を吐く音が聞こえた。そして、シルヴィオは手元の情報を読み上げる。
『男の名前はデュリオ・チェガーニ。三日前にジロッティファミリーで儀式を済ませた。デュリオを推薦したのは同じくジロッティファミリーのウリッセ・カルヴィーノ。連絡手段は欲しいか?』
「…そうだね…いや、ジロッティのボスに連絡を取ればいいだけだ。ジロッティはボンゴレ傘下のファミリーだろう?」
『ああ、規模は大きすぎもなく小さすぎもない。この男がファミリーに入るまでの情報は?』
「いらないよ」
『分かった。なら情報はこれでしまいだ。なにしろ三日前に入ったばかりの奴だからな。仕事もまだ回されてない。ところでどうしてこの男の情報が欲しかったんだ』
 情報と情報を交換する、いつもの言葉にマーモンは口を閉ざした。黙ったマーモンにシルヴィオはくっと嗤う。
『まあいいさ。情報分の金は引き落としておく。欲しい情報があるときはいつでも連絡を』
 そう括って電話はぷつんと切れた。マーモンは小さな携帯をしまい、そして耳につけられている小型のイヤホンのダイヤルをくるりと回した。すると喧騒を伴った音が耳に飛び込んできた。
「スクアーロ」
『マーモンかぁ。早ぇなぁ、もう分かったのかぁ?』
「そっちはどうなんだい」
 マーモンの問いかけにスクアーロはやることはやった、と返した。移動しているのか、喧しい騒ぎ声がふっと途切れた。おそらく店の外に出たのであろう。そしてマーモンは平坦な口調で、先程得た情報をスクアーロに渡した。
『ジロッティ…かぁ…連絡任せてもいいかぁ』
「僕が?してもいいけど、別料金だよ」
『…やっぱ俺がやるぞぉ』
 がめついやつだぜ、とスクアーロは言ってから通信を切った。
 マーモンはすとんと腰を落とす。傍でクッキーを食べていたベルフェゴールはその手を止めて、目の前のカップに口をつける。冷たい牛乳。
「あったかいのねーの?」
「残念だけど東眞もルッスーリアもいないよ」
「ちぇ」
 つまんねーの、と言ってベルフェゴールは冷たい牛乳を飲んだ。半分ほど飲んで、カップを机の上に置く。こつんと音がした。
「マーモン」
「なんだい、ベル」
 机にだれたベルフェゴールにマーモンは答える。ベルフェゴールはその長い前髪の下で瞳を動かす。瞼がそっとかかった。
「東眞いつ帰ってくんの」
「帰って来ても前と同じじゃないかもね」
「…ふーん。またお菓子作ってくれるかな」
 クッキーを指先で潰したベルフェゴールにマーモンは視線を向けて、そして答えた。分からないよ、と。

 

 投げられた腕。ぐったりとした体からXANXUSは少し距離を取った。
 大きな影で隠れているその顔に生気はない。いくつも流された涙の跡と、赤くなった目元。
 下を拭いてジッパーを上げる。  閉じられた瞳は開かない。気を失っていた。呼びかけても今はきっと答えられないであろうことは知っている。切られた服は見るからにもうどうしようもない。XANXUSは隊服を脱ぎ、それで東眞の体を覆った。ぷつ、と前でボタンを閉める。
 以前、と思う。こうやって隊服を渡してやった記憶が蘇った。あの時は確か酷く戸惑った表情で、すみませんと言われたことを思い出す。あの後一体どんな会話をしただろうかと、血の気が失せた白い頬に優しく触れる。指先で少しひっかくようにすれば、くにと皮膚がほんの少しだけ沈んだ。
 隊服で隠れきっていない部分に覗く足や首には紅い華が咲いている。どちらかと言えば、噛み傷、裂傷に近い。そうやって客観的になって初めて随分と手酷くしたことに気付く。指で眦を拭うと、涙でカサカサになっていた。
 行為の最中に吐かれた言葉は全て拒絶の言葉だった。いやだいやだと、繰り返していた。
 だが、止まらなかった。
 持ち上げた足も、シャツを掴む指先も震えていた。あれは恐怖による震えだろうかと思う。部屋に入った時動きがほぼ見られなかった上に、机の端に置かれていた注射から考えて筋弛緩剤でも打たれたのだろう。だから震えていたのか。
 けれども他の男に手を出されるのは我慢ならなかった。始めからこうしていればよかったのだと、繋がってそう感じた。
 無理矢理、だったように思う。ちっとも濡れていなくて、押しこんだ。悲鳴を聞いたような記憶がある。血が潤滑油代わりになった。結局最後までそんな調子だった。気持ちよさや感情は関係無かった。そうしたかったからした、それだけだった。他の誰のものにもしたりはしない。気を失った後もそのまま腰を動かしていた、と思う。中で出した。
 XANXUSは着せた隊服のポケットに手を入れて、小箱を取り出す。こんな形で渡すことになるとは思っていなかったが、結果は一緒だ。箱を開けて中の指輪を人差し指と親指で掴んだ。そして東眞の細い手首を取って持ち上げた。腕に一切力は入っておらず、肘辺りで関節が曲がり、沈む。手の平の下に自分の手を添えて薬指を選んで、そこに指輪をゆっくりとはめた。見立て通りサイズはぴったりで、綺麗に指に収まった。そして自分の手にももう片方のリングをつける。
 指輪が増えた。だが他の指輪とは違って装飾はなく、見た目ひどく質素なものである。しかしそれで良かった。豪奢なものは東眞に似合わないとXANXUSは思った。それにそちらの方が喜ばれそうな気がしていた。むやみに飾り立てるよりも素朴な優しさの方がずっと綺麗に美しく映える。この指輪を見たら笑顔を見せてくれるだろうか、とXANXUSはそんなことを思った。そして、気絶して普段よりも重たくなっている体を優しく持ち上げた。