15:沈黙の掟 - 3/6

3

 銃口から螺旋を描きながら飛び出た弾丸は、皮膚焼き頭蓋を砕き内部の脳漿を喰いちぎりながら反対側の頭蓋を砕いて壁に当たる。東眞の顔には真っ赤でまだ生ぬるい、酸素との結合でどんどんと色を悪くしている血液が降ってくる。その中には砕かれた頭蓋と脳味噌も混じっていた。統率を失ったデュリオの体はゆるやかに東眞の体の上から落ち、埃のたまった床に転げ落ちる。そして数回痙攣してそのまま体は流れ落ちる血のままに冷たくなっていく。

そのはずだった。

 代わりに東眞の耳が捉えたのは、かちんと引き金を引く音だけだった。ぞっとそれに体の芯から一気に冷却されていく。
 押しあてた銃口から銃弾は飛びださない。薬莢も硝煙の臭いも、何も出てこない。
「まさか…本当に引き金を引くとは思わなかった」
 冷静な声が聞こえて、固く銃を握りしめているその手にそっと手が添えられて、それは耳横に押し付けられた。握っている銃はそしてやんわりと外されて、役目を終えたように床に落とされた。
 デュリオは優しく東眞に教える。
「銃弾は悪いけど全部取り除いていた。本気で撃つとは思ってなかった」
 絶望だ。これならば殴りつけていた方が良かった。米神を全力で銃尻でたたけば昏倒まではいかずとも、相手を自分の上から退かすことくらいはできたはずだ。持っていた時に、引き抜いていた時にどうして気付かなかったと東眞は己を悔いる。
 そんな葛藤をしている東眞をよそにデュリオはにこりと微笑む。その頬笑みはまるで愛しい人に向けられるそれのようだ。
「だけど、ますます気にいったよ。俺の妻にはそれくらいが相応しい」
 距離がつまり、鎖骨に唇の感触が乗せられる。ぞっと全身が強張り、鳥肌が立つ。声を上げても、それは口内に突っ込まれた布に全て吸収される。足をばたつかせるが、デュリオの体は足の間に入っているためにどうしようもない。一時は解放されていた片手も今は指の間に指を重ねて、しっかりと古びたベッドに縫いつけてある。
「――――――ん、んん!ん、ぐ――――――…ん?」
 それでも抵抗を試みて東眞はふとある事実に気付く。指先がまるで鉛でもつけているかのように重たい。動かせないことはないが、あまりにも重い。集中しなければ指一本まともに動かせない。
「少量の筋弛緩剤を君が気絶している時に打っておいた。効き目がないから不安だったけど、よかった」
 喉下で囁かれる言葉に、恐怖が溢れて来る。あれほど暴れさせていた足も今では地蔵のようだ。力なく放り投げ出された足の指先だけがぴくりとシーツをひっかく。
 恐怖で彩られたその顔をデュリオは見て、にっと笑う。まるで子供のように。
「そんな顔するな、大事に扱うから。優しくするよ」
 そんな言葉が聞きたいわけではない。聞きたいのはただ一言、解放するのそれだけだ。
 貞操を奪われる、とそんな経験は以前にも一度あった。あったが、あの時と今では全く状況が違う。あの時は覚悟ができていた。最終的にはそうならなかったわけだが、それでも心の整理がついていた。悪く言えば諦めていた。
 だが今は違う。
 好きな人がいる。捧げたいと思う人がいる。愛している人がいる。傍にいたい人がいる。声を聞きたい人がいる。大切な人がいる。手を取りたい人が―――――――――いる。
 喉が震えた。何もできない無力な自分が厭わしいと感じる。肌に触れるそのもう一つの温度に吐き気がするほどの嫌悪を感じる。優しい言葉が全て耳に流しこまれる熱湯のように、毒に感じる。心が壊れそうなほどに痛い。
 シャツにナイフが添えられ、びっという音とともに二つに裂ける。逃げようと身を捩るも、体は僅かに斜めに浮いただけですぐにシーツに戻ってしまった。上下する腹部に指先が乗り、東眞はぎゅっと目を瞑る。臍のあたりを吐息がかすめる。皮膚にぬめりとしたおぞましい感覚。顔の筋肉が恐怖で強張る。ふ、と口内の布に悲鳴の代わりの息が押しあてられる。指先は腹からゆっくりと下腹部にのび、ベルトをはずす音が静寂の中で大きく響く。緩んだベルトにボタンが外され、ずるり、と嫌な、音がした。外気が肌に触れる。
 嫌だ、という叫び声も何故か喉は発してくれなかった。ただただ恐怖に支配された喉は震えるだけだった。

 

 ばん!とスクアーロは許可もなくその扉を押しあける。
「う゛お゛ぉおい!!!!一大事だ、」
 ぁ、と続けようとしたが部屋はもぬけの殻だった。ルッスーリアとレヴィがそれに続いて追いついて、中を覗くが、やはり誰もいない。スクアーロは銀糸に手を突っ込んでがしがしと乱した。
 そこにどうしたんだい、と静かな声がかかる。三人の視線が一気にそちらに向かう。それは窓枠に座っているマーモンだった。
「お゛ぉい、ボスはどこだぁ!」
「ボス?ボスなら今丁度出て行ったところだよ」
「…っちぃ!」
 スクアーロは盛大に舌打ちして、顔を歪める。この事態は非常にまずい。何が不味いといえば、それはもう自分たちがXANXUSと東眞について危惧していたことだ。だが、それが別の男との話になってしまっている。
 東眞が連れ去られた理由は賠償結婚だろう、と見当をつける。というかそれくらいしか理由が思い浮かばない。他の人間からすれば東眞はどこから見ても一般人だ。しかも東眞と自分たちの関連性の情報は流れていない。それをマフィアが襲う理由となれば、残すところはたった一つしかないのだ。彼らはごろつきとは違う。技術も洗練され、東眞が一夕一朝で身につけたような銃など歯が立たない。それに相手だって馬鹿ではない。気絶させた後、銃をそのまま携帯させておく失態は犯さないだろう。そうなれば東眞が取れる反撃方法など皆無だ。
「まずいわよぉ、スクアーロ」
「分かってる!!!おいマーモン、ボスはどこ行ったんだぁ!」
 がなりたてたスクアーロにマーモンは一瞬金をせびろうとしたが、やめて素直に答えた。しかしその答えは予想外のものだった。
「東眞を探しに行ったよ」
 僕に居場所を聞いて来てね、と続けてマーモンはひらりと鼻をかんだ紙をちらつかせる。スクアーロはそれをとろうとしたが、さっとマーモンは浮かんでそれをかわす。
「――――…っ金なら後でいくらでも振り込んでやる!とっとと見せろぉ!」
「いいよ」
 その言葉にマーモンは紙をスクアーロに渡した。スクアーロはそれを見るや否や駆けだす。全身が反射神経でできているかのような動きについて行ける者はいない。
 銀をたなびかせながらスクアーロは一心不乱に駆ける。別に東眞に特別に思い入れがあるわけではない。それにXANXUSがこのイタリアマフィアに負ける姿など思い浮かばない。そういった意味での心配はしていない。けれども、とスクアーロは思う。
 もしXANXUSが到着するのが遅かったら、もし全てが終わってしまった後だったら。
 想像するのも恐ろしい。ぞっと身が震えた。スクアーロですら分かる。XANXUSが東眞を必要としていることが。今まで全てを焼き払ってきた男が初めて他人を必要としたということくらい。だからこそ最低の結果が想像できる。XANXUSという男をよく知っている自分はその答えを出せた。
 そうなれば、XANXUSはおそらく。
 だが、それから先は考えるのをやめてしまいたかった。自分はこれでも東眞が来てからの柔らかな面を形成しつつあるXANXUSを、あの二人を好ましく思っているのだから。
「間に合えぇ…っ!」
 空気に混じった声はすぐに切り裂かれて消えた。

 

 ものすごい速さで風を泳いだスクアーロの後を、ルッスーリアも慌てて追いかける。レヴィも後を追おうとしたが、いかんせん足が遅いのでついていけそうにない。その背中にマーモンは声をかけた。
「一体何があったのさ」
「む、」
 そしてレヴィはある程度かいつまんで事の次第をマーモンに説明した。それにマーモンは成程ね、と返してペタンと腰をおろした。
「順序が変わるのかな、やっぱり」
「なんのだ」
「まぁ色々さ。結果は一緒だけど、過程が変われば二人の関係も変わるかもね」
「…」
 僕としては、とマーモンは続けた。
「美味しいケーキが食べられなくなりそうなのが残念だよ」
 ひょいと窓枠から降りて去っていくマーモンを眺めながら、レヴィは二人が行ってしまった方向を見やる。けれども地図はもう手元にありはしないし、走っても分からない。
 レヴィはどうすればいいか分からずにその場に立ちつくした。