14:亀裂 - 4/5

4

 昨晩は結局あれ以上何も起こらなった。ゴキブリはスクアーロがいかにもと言った風に面倒くさそうに外に放り投げて事なきを得た。
 しかし晩御飯の時にXANXUSは姿を現さなかった。少し気落ちしたが、スクアーロはにやにやと笑って、恥ずかしいんだぁと東眞に告げた。それが励ましなのかどうなのかはよく分からなかったが、その言葉に少し救われた。
 朝やけが空を白く染め上げていく。さてと東眞は時計を見つめて時差を考える。そして、携帯電話の通話ボタンを押した。

 

 空を見上げながら修矢は深く息を吐き出す。細く長く、どこまでも。そして、膝の上に置かれている弁当に頭を押える。自分の世話役の趣味は分かっていたが、いくらなんでも酷い。切実に何故姉をイタリアに行かせてしまったのだろうかと、今までとは別の観点で絶望する。箸を取り落としそうになったが、どうにか残り物を口に入れていく。
「なぁ、桧」
 そうやって声をかけてきた同学年の青年に修矢はちらりと視線をやる。その手の中には焼きそばパン。ぐ、と恨めしそうな視線をどうにか押える。しかしそれに敏感に気付いたのか、武は笑ってほしいならやるよと突き出す。
「…いいのか」
「いーって。な、ツナ!」
 何故かそこで隣の小柄な少年に同意を求める。綱吉はそれに何で俺!?といった表情を浮かべたが、こくりと頷いた。少し笑っている。
「有難う、もらう」
 差し出されたパンを修矢は素直に受取って口に含む。嗚呼美味しい、と心底思った。鼻をすんとすすった修矢に武は一体何事かと首をかしげる。
「どーしたんだ?何かまずかったか?」
「いや…実は」
 何かを説明しようとしたが、修矢はずいと自分の弁当を三人に差し出した。そして、食べてくれと告げる。三人は顔を見合わせてから指先でそれぞれ少しずつつまんで口に含んだ。けれども全く何も変化はない。いたって普通の味だ。そう、少し。
「少し…甘い…かな」
「甘いっすね、十代目」
「これが」
 修矢はぐっと拳を握りしめた。親の仇を殺さんばかりのその視線は弁当に向けられている。
「この甘さが一か月だ…――――――――――…っ」
 それは辛い、と綱吉は口元を引き攣らせる。確かに美味しいのだが、この甘さを一月も続けられていれば辛いものがある。
 絶望に打ちひしがれている修矢に綱吉は言葉をかける。
「でも、今お姉さんはイタリア…でしょ?」
 XANXUSと、という言葉は省く。未だに綱吉はその事実が信じられない。寝耳に水というか、瓢箪から駒、ともかく奇想天外だ。
 綱吉の言葉に修矢はぴくりと動きを止めてぎりぃっと歯を噛みしめた、が、すぐにそれは解かれる。
「ああ。だから今は哲が代わりに作ってる」
「え…あの、お兄さん?」
 哲の顔を思い出して綱吉は目元をひくと動かした。斜めに走ったところで台所が似合いそうな人ではない。修矢はそんな綱吉の調子に気付かずああ、と答えた。
「割烹着はどうにか脱がせたが…この味だけは…どうにもならない。あいつは甘党なんだ…っ」
 そりゃ大変だな、と武は他人事のように(実際他人事ではあるが)修矢の背中をたたく。隼人も食に関しての辛さは悲惨な実体験を繰り返しているので、頷いてやった。しかし割烹着という一言に綱吉は想像が狂いそうになる。おかしいだろう。
 修矢は一瞬廃人のような色をその眼に浮かべて項垂れる。
「このままじゃそのうち、弁当にプリンまでつく…っ」
 プリン?と聞き捨てならない一言に三人は体をこわばらせるが、修矢にその光景は目に入っていない。
 仲良く、とまではいかなくても普通に接するようになって綱吉は修矢という人間に少し好感を持っている。彼の持論は納得できはしないが、こうやって接していると修矢の人となりに触れて彼は肩書さえ外せば普通の少年だということに気付く。そう、それはまるで自分とおなじ。彼がいつか彼以外の他の人を友達だと呼べる日がくればいいのに、と綱吉はそう思った。
その時、携帯のマナーモードのバイブレーションの音が響いた。きちんとマナーにしているあたり何とも言えない。
 修矢はポケットに手を突っ込んで震えている携帯を手に取って開ける。そして、発信相手の名前を見て目を輝かせた。
「姉貴!」
 打って変った笑顔に綱吉たちは苦笑いを漏らす。ここまで変わられるともう感心するしかない。
『元気にしてる?勉強は?学校はさぼってない?』
 補修中なんだって?という言葉に修矢はぎくりと体を強張らす。そして、うんまぁと言葉を濁した。
『勉強は学生の本分。しっかりね』
「はぁい…」
 ちゃっかりと釘を刺されて修矢はしょげる。電話向こうの声はくすくすと笑いながら、楽しげに続けた。
『今日は修矢に伝えたいことがあって電話したんだけど、時間大丈夫?』
「…うん」
 どこか嫌な予感がしながら修矢は頷いた。少し喉が渇いたので、水筒から入れた茶を一口口に含む。そして東眞の続きを待った。
『XANXUSさんに婚約を申し込まれたんだけど、それを連絡しようと思って』
 その一言に思考が完全停止する。力の抜けて開いた顎から口に含んだ茶がこぼれた。
「…え?」
『受けようと思ってるの、この話。でも修矢に一言も言わないのは駄目でしょう?』
 まるで何事もないかのように、さも当然のように話し続ける東眞に修矢の口から先程の単語が落ちる。
「こん…や、く…?」
 その信じられない一言に綱吉たちは食べていたものをぶっと吹き出した。えええぇええええ!!と驚愕の声が屋上に響く。
「XXXXXXXANXUSが?!あのXANXUSが?!」
「同姓同名の別人間じゃないっすよね!?十代目!」
「めでてーんじゃねーの?」
 唯一武だけが平和な答えを返す。けれども何故か彼だけが浮いている。普通ならば逆であるのだが。修矢はそんな周囲の状況など構っていられない。
『そう』
「…い、いやだ!」
 半ば反射的に修矢は拒絶の言葉を発した。
 いくらなんでも急すぎる。イタリアに行ってたった一月なのだ。それにあの二人が会ってからなんて半年も経っていない。目の前の三人からXANXUSという男の人となりを聞いてみたが、本当に最低なところしか分からなかった。自分勝手で傲慢で人を人とも思わない非情さ。それにはっきりとは教えてもらえなかったが、どうやらあの男はマフィア関連の男らしいのだ。そんな男に姉を任せるとなると、かなりの不安が付きまとう。
「あ、姉貴そいつがどういう男か知ってるのか?」
 それが何を意味するのか東眞はすぐに察して、まぁと続けた。二人の情報には僅かのずれがあるものの、それは二人の会話を妨げるほどではない。
『でも、それがXANXUSさんに何か関係がある?』
「関係ある!姉貴に何かあったら…俺…っ!」
 修矢の脳裏に赤色の悪夢が蘇る。俺、と言葉を詰まらせた修矢に東眞は一拍置いてから優しく告げた。
『大丈夫』
「…何が」
『大丈夫だから』
 何が大丈夫と言うのだろうか。修矢からすればそれは全く大丈夫ではない。
 確かにXANXUSという男は修矢よりも次元の違う強さを持っている。暴力的なまでの。それでいて東眞を、認めたくはないが、大切にしている(らしい)。だからと言ってそれを全面的に信用しているわけでもない。というかしていない。
 修矢からすればXANXUSは姉をさらった男に他ならない(取敢えず認めはしたものの)それだというのに、断りもなく婚約宣言など認められるわけがない(東眞が今連絡しているのはすっかり忘れている)
 しかし。
「卑怯だ、姉貴」
 拗ねたような口調に電話向こうの声がくすくすと笑う。そんな嬉しそうに言われれば、自分は祝福の言葉を送らざるを得ない。ぐ、と修矢は唇を噛む。
『有難う』
「……おめでとう。あ、ま、まだ手は出されてないんだよな?!できちゃった婚とかじゃないよな!」
『…修矢、どこでそういうことを覚えてくるの?』
 焦る修矢に東眞は冷たい凍えた声で返事をする。しかし、すぐに声を和らげる。
『結婚はまだ先の話だと…思う。婚約としか聞いてないから』
「…ふぅん」
 むっすりとしながら修矢は口先を尖らせて返事をする。
「で、結婚申し込まれたら結婚するの」
『え、いや、そこまで考えてないというか…うん、考えてないな。でもどうだろう』
 穏やかな声に修矢はもうその先の答えが分かってしまったので、分かったと短く告げてその先を聞くのを止した。これ以上聞き続けていても何故か悲しくなるだけだ。息をついて、修矢はすっと顔をあげた。瞳を細め、はにかんで東眞に告げる。
「――――――――幸せに、してもらってくれよ?」
 心からの言葉に電話から、うん、と恥ずかしそうに東眞は答えた。その時からんと予鈴が鳴り響く。
「姉貴、俺そろそろ行かなきゃ」
『うん、頑張って。哲さんにもよろしく』
「俺から伝えとくよ。あ、そうだ」
 修矢はそこで初めてその顔を空いた手で押えて、まるで地獄でも見て来たかのような声で震え出す。
「…姉貴、俺、もう老い先長くないかもしれない…」
『な、何があったの』
 尋常でないその声音に東眞は慌てる。修矢はふふ、とまだ半分ほど残っている弁当の中身を見ながら、項垂れた。
「――――――俺はきっと砂糖に殺される」
『…ああ』
 成程、と頷いて、東眞は苦笑をこぼす。それに笑いごとじゃない!と修矢は悲鳴を上げた。
「姉貴が出てってから俺は悪夢のような何か間違った姉貴像を植え付けられつつあるんだぞ!」
『たとえば?』
「姉は割烹着を着るものだとか!弟は寂しい時にあの極厚のまな板のかったい胸に飛び込むとか!何が嬉しくてスーツに割烹着なんだよ!俺にそんな趣味はない!」
 その様子を思い浮かべているのか、電話向こうから答えはない。修矢は頭を抱えてぼそぼそと言葉をこぼす。
「ノイローゼになりそうだ…夢にまでてくるよ…」
『じゃぁ、哲さんには調味料の分量をきちんと書いたメールを送っておくから。…でもスーツに割烹着はどうしようもないかな…。フリルでふわふわのエプロンよりかはましだったんじゃない?』
 そりゃそうだけど、と修矢は眉間に皺を寄せる。こればかりは頼んでもどうしようもないらしい。しかし料理がましになるならばまだいいかもしれない。
『じゃぁ』
 別れの言葉に修矢は、待って、と言おうとしたがすぐに口を閉ざした。そしてうん、と答える。
 電話が切れた。そして携帯をポケットに戻して、修矢は時間の止まっている三人に声をかける。
「授業始まるぞ」
「え、そ、それだけ!?」
 綱吉の慌てップリに修矢は頭をかいて息を吐く。恥ずかしげに視線を逸らす。
「まあ、そりゃ俺だって認めたくはないけど…いつまでも姉貴にひっついてるわけにもいかないだろ」
 その言葉に三人は思わず息をもらす。そして、武がばしんと修矢の背を叩いた。あまりにも強くたたくものだから、げほりと修矢は息を吐き出す。
「おい」
「修矢も成長したのな!」
「…ふん」
 ぱしんと武の手をはたいて修矢は大股で屋上から降りて行った。取り残された三人は修矢の言葉に驚きつつ、先ほどの情報に顔を見合せて空を見上げた。
 まるでそれから槍か雪か―――――――それともゴーラモスカでも落ちてくるだろうかと言わんばかりに。