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「布団、一つ足りなくないですか?」
 東眞は襖を開いた先の布団の数を数えて不思議そうに尋ねた。ルッスーリアは風呂上がりの化粧水と乳液を顔に塗り込みながら(違和感がないのが恐ろしい)、笑顔でそれに答えた。
「ボスは別の部屋で寝るのよ。私たちと一緒じゃ嫌なんですって」
 いつものことよ、と続けて化粧水の蓋をパチリと閉じる。そして鏡を眺めて、眉毛を整えていた。しかしその隣ではスクアーロとベルフェゴールが枕を投げ合っている。
 三つ、川の字に引かれた布団、一体誰が真ん中に寝るのだろうかと東眞は不思議に思う。そうこう考えていると、ベルフェゴールが東眞の腕をぐいと引いて注意を引く。
「?」
「東眞ここで寝ねーの?」
「布団は三つしかねぇぞぉ!俺は狭いのは嫌だからなぁ」
 スクアーロは枕を二つ持ってそれを下にとうとう放り投げた。東眞は苦笑して、自分の部屋で寝ることを告げる。
「さっきの部屋かぁ」
「はい」
「なら王子もその部屋で寝ていーい?」
「そうですね」
「却下」
 笑顔でそう答えた東眞に心底つまらなそうな声が部屋にはいる。ふと後ろを振り返れば修矢が腕を組んで立っていた。その二つの座った視線はベルフェゴールにしっかり据えられていた。それにベルフェゴールはちぇーっと舌打ちして布団の上に座り込む。
「俺の目が黒いうちは姉貴に手ぇ出させないからな」
「オレそう言う意味で言ったんじゃねーし。ちょっと想像力逞しすぎじゃねーの」
「…うるせー。ともかく、駄目なもんは駄目だ!どんな間違いがあるか分かったもんじゃない!」
ししと笑ったベルフェゴールに修矢は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに腕を払って立ち直り叱りつける。しかしと東眞はふと三人の姿を見て思う。
「皆さん着こなしてますね」
「王子だからとーぜん」
「オレに不可能はねぇ!」
「…二人には私が着せなおしたのよ」
 あまりにもひどかったから、と化粧道具をポシェットにしまってルッスーリアはにっこりと笑う。それに東眞は成程と頷いたが、それにベルフェゴールとスクアーロは不服そうに口を尖らせていた。
 そこにぱちぱちと手をたたく音が響いた。四人の目がそちらに向く。
「そら、消灯の時間だ。寝ろ寝ろ、明日は早いんだろ」
「そーね!睡眠不足は乙女の敵ですものね!」
「きめー」
「気持ち悪ぃこと言ってんじゃねぇ!」
 スクアーロはど真ん中、ベルフェゴールは左端、ルッスーリアは右端の布団に入り込んだ。素直に従っているあたり、可愛らしいところもあるなぁと東眞は思いながら小さく笑う。修矢は三人が布団に入ったのを確認して、それから電気を落とした。すると声が上がる。
「真っ暗は嫌よー!」
「だから気色の悪ぃ声あげるんじゃねぇええ!!」
「スクアーロ、うるせー。王子寝れないじゃん」
「「…」」
 大人しくないと東眞と修矢は顔を見合せて、電気を豆電球にしてそしてその部屋を出る。
 修矢は廊下にでてぶるりと肩を震わせて東眞の方を見やり、寒くないかと尋ねる。
東眞は大丈夫と返して、おやすみと手を振った。
「うん、おやすみ」
 ふわっと笑い、修矢は東眞に背を向けた。東眞はその背が消えるまで見送って、そして自分の部屋に戻る。かたと襖を開けて、東眞は目の前の光景に言葉を失くす。
 誰かが自分の布団の中にいる。人一人分のふくらみに東眞は足音を極力殺してゆっくりと近づいた。そして、ちらと寝ている人物を確認してほっと胸をなでおろす。
「…驚いた…」
 瞼を閉じているXANXUSに視線を落して東眞はふぅと息を吐く。しかしこれでは自分の寝るところがない。先程彼が寝る予定だった部屋を聞いておくべきだったと東眞は少々後悔した。これから部屋を探すにしても、廊下は寒い。さてどうしようと東眞は腰を落とした。
「寝ろ」
「…起きてたんですか」
「寒ぃんだよ」
 そう言うが否やXANXUSは東眞の腕を掴み、布団の中に引きずり込んでその体を抱えた。東眞は慌てて離れようとしたが、力の強さに負けて結局大人しくする羽目になる。
 不安に思ってすいと視線を上に向ければ、もうXANXUSの目は閉じてしまっていた。何かを期待はしていなかったが、本当によく寝る人だと改めて感心する。もそりと動いてみたが、抱きすくめられただけでというよりもこれは完全に湯たんぽである、逃げられないと観念する。人が入っていた布団は冷たいものよりも温かく、ゆったりとした眠気を誘う。
 本当にいろいろな事があり過ぎた一日に終止符が打たれる。眠たい、とそう思って東眞は結局目を閉じた。

 

 だん、と大きな音が廊下にする。東眞はその音を聞き止めてふっと眼を覚ました。
「…」
 体に巻きついている腕を感じて、そう言えばと思いだす。いつのまにか寝返りを打ったのか、背中をXANXUSを預けるような形になっていた。首筋にかかる吐息がどうにもくすぐったい。しかし先程の音はと思ってふっと廊下の方に視線を向ける。襖が開いていた。
 そこにはあらあらと楽しげに見ながら、ベルフェゴールの目を隠しているルッスーリア、その隣で顔を赤面させているスクアーロ、それに顔を血が通っていないかと思わせるほど真っ白にさせて放心している修矢がいた。
「え、えぇと、そのこ、これは何でもないんだよ」
 一番ショック度合いの激しい修矢に東眞は慌てて声をかける。しかし、ルッスーリアは火に油を注ぐかのような発言をしみじみとした様子でする。
「東眞もとうとう大人の階段を昇ったのねぇ…」
「いえ、ち、違います!違いますよ、ルッスーリア!間違いなく修矢が勘違いをしますからやめてくださぁ、ひっ」
 首筋に人の歯を感じて東眞は素っ頓狂な声を上げる。これは噛みつかれている。腰のあたりでしっかり手を回されており、逃げることもできずに耳まで真っ赤になる。東眞は慌ててXANXUSさん!と腰に回されている手をたたくが、反応はない。
 XANXUSとは付き合いが長そうな(というよりも関係が深そうな)スクアーロに東眞は視線で助けを求めるが、スクアーロはぎこちない動きで視線を逸らしてしまった。東眞はがり、と首筋を噛む感覚に体を小さくふるわせて、腕に爪を軽く立てる。

「………す」

 沈黙を小さな声が破る。
 全員の(XANXUSを除いてだが)視線がその声の発生源に向いた。
「殺す――――――刀ぁ持ってこい。そいつの腕斬り落してやらぁ…」
 物騒な発言をし、据わったどころではない瞳にスクアーロは慌てて修矢を床にうつぶせで押しつける。
「てめぇが殺されるぞぉ!やめとけぇ!!」
 XANXUSの寝起きの悪さは一品なことはスクアーロが誰よりもよく知っている。あの頭に受けた暴行の数々。忘れようにも忘れられるものではない。
「くっそ、放しやがれ!この若白髪がぁ!!!」
 口調まで変り、鬼のような形相で暴れる修矢にスクアーロはもとより、さしもの東眞も冷や汗をかく。ともかくこの現状況をどうにかしなければならない。
 東眞はXANXUSの名前を呼び、その腕から逃げようとするものの、そうすればそうするほど腕はきつくしまる。
「フライトの時間に間に合うかしらねぇ」
 などとルッスーリアは全く別のことを気にし始めた。頼みの綱のスクアーロとえいば、修矢に手いっぱいであるし、ベルフェゴールはいまだルッスーリアに目を押えられている。
 ここは自分でこの状況を打破するしかない。ぎゅぅとまるで幼子が母に抱きつくかのようにされているが、心を鬼にして振りほどかねばならない。(そうでなくては部屋は半壊だろう)どうにかしてそれは避けたいところである。もう一度東眞はXANXUSさん、と呼ぶ。と、今度は反応があった。
「――――――ぅる、せぇ…」
「XA、XANXUSさん!もう置きないと飛行機に間に合いませんよ?」
 不機嫌極まりない声であるが、ここで起こさないとどうにもならない。東眞は必死になってXANXUSに声をかける。ちらと修矢の方を見れば、鬼の形相を通り越して悪鬼羅刹のように見える。彼の強さから考えれば、修矢に負けるなどということもないだろうが。が、部屋を破壊されるのは困る。
「……んん…」
 もぞりと背後でようやくXANXUSが動く。腰に回されていた腕が僅かに緩んだ。くぁ、と後ろであくびの音が聞こえる。片方の腕が外されて口に持って行かれたが、しかしもう片方はいまだしっかりと巻きついたままだ。
 その時、ごいんとすさまじい音がした。はっとしてそちらに目を向ければフライパンをもった哲と、とうとう床に突っ伏した修矢がいた。何とも言えない光景に東眞、他一同絶句する。
 哲は全くと何事もなかったかのようにスクアーロに一言謝罪した。
「申し訳ありません。坊ちゃんはどうもお嬢様のこととなると周りが見えなくなる方でして」
「あ、あの哲さん?」
 不安そうに尋ねた東眞に哲はああと笑顔で返した。
「ご安心ください。手加減の程はよく分かっております。これでも自分は坊ちゃんの教育係ですので」
 見たこともないほどの爽やかな笑顔に東眞ははい、とそれしか返事が出来ない。
「いえ。一番ひどい時に比べればこのようなものなど可愛いものです」
「ひどい時?」
「はい。もうそれはお嬢様に近寄る男は全て皆殺しにしてやるといったような」
 大変でした、と付け加えて哲はよいしょっと掛け声をかけて修矢を持ち上げる。では車を外に回しておきますと一礼し、何事もなかったかのようにその場を後にした。
 はっと東眞はスクアーロの手が空いたことに気付いて助けを求める。
「て、手伝ってください」
「まかせとけぇ!う゛お゛ぉおい!起きろぉ!!」
 そう言ってスクアーロは容赦なく布団を剥いだ。一体どこの漫画だと、突っ込みを入れかけたがそれどころではない。ひやっと空気が肌に触れて東眞は僅かに身を縮こませた。スクアーロは半眼になっているXANXUSにもう一度声をかけようと口を開いたが、そこに枕が飛ぶ。
「…うるせぇよ」
 柔らかい枕を今回は顔前でどうにか受け止めてスクアーロはほっと溜息を吐く。ようやく目が覚めたのか、XANXUSは東眞から手を離した。
「くそ…寒ぃ…」
「まるで冬眠前後の熊のようですね…」
 東眞は布団から立ち上がって頭を押えているXANXUSを見下ろしてそう発言する。XANXUSは布団の横に手を伸ばしたが、それは何も取ることなくすっと下に落ちる。眉間に皺を盛大に寄せてXANXUSはそちらの方に視線をやる。
「…」
「XANXUSさん、顔を洗って着替えをしてください。ルッスーリアたちが待ってます」
「待たせとけ…」
「飛行機は待ってくれませんよ」
「待たせとけ…」
 そんな無茶な、と東眞は言いかけたがそれにスクアーロが時間なら大丈夫だぁ、と付け加える。
「専用ジェット機で来たからなぁ。待たせることもできるが、東眞んとこのあの男が車回してんだぁ」
 それなりには急いだ方がいいだろうとスクアーロはXANXUSに服を投げ渡した。こういった遠慮のないところは助かる。
「おら、急げぇ」
「…」
ふら、と立ち上がりいつにもまして悪い目つきを光らせてXANXUSは洗面所に向かった。