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 最後に鍋を雑炊にして食べ終わる。
 しかしと東眞は空になった鍋やら皿やらを見ながら驚いた。まさか本当に全部食べきるとは。半径500mのピザがでても彼らなれば食べてしまうかもしれないと考えるとぞっとしない。ベルフェゴールはデザートデザートと笑っているし、ルッスーリアもまだ余裕で行けそうな感じがする。スクアーロは皿に残っている米一粒まで器用にかきこみ、途中から食べ始めたXANXUSとて腹一杯と言った様子はまるで見受けられない。一体どんな胃袋をしているのだろうかと東眞は不思議に思う。もっとも人種が違うのでその点においてなのかもしれないが。
 東眞は向かいでデザートを待っているベルフェゴールにそっと言う。
「すみません、デザートはないんです」
「…プリンならあるぞ。市販の」
 その一言にぴくりと哲が肩を揺すった。そしてちらと視線だけで修矢に訴える。しかし、修矢はそれに気付いているのか気付いていないのか、軽く無視をして手を挙げたベルフェゴールに持ってくると返した。哲はがっくりと項垂れてずと麦茶をすする。
 東眞は肩を落とした哲に苦笑しながら声をかけた。
「きっと修矢が後から買って来てくれますよ」
「…期間限定ものなのです、お譲様。先日ようやっと購入できて…っ」
「…えー…その、ベル?」
 半分分けてはどうかという提案をするものの、ベルフェゴールはししと笑って全部王子のだし、と返す。哲はやはり深く溜息をついて肩を落とした。ルッスーリアは弁護のように分けてあげなさいよぉと言っていたが、返事は笑い声だった。
 どうにか笑っている東眞の耳にグラスが、音を立てておかれた。気付かせるように立てた音だったのでそちらを向けば、XANXUSがこちらを見ている。そして机の上には空になったグラス。東眞は小さく笑ってそのグラスに麦茶を注いだ。
「ねぇボス?」
「何だ」
 両肘をついてルッスーリアは笑顔で頼む。
「本部にも炬燵、このえーと…」
「掘り炬燵ですか?」
「そう!掘り炬燵入れなぁい?これあったかくていいわぁ…」
 東眞の助けを借りてルッスーリアは端を軽く捲り、体に添えて微笑む。余程炬燵が気に入ったらしい。座れるし、と続けた辺りを見ると腰をそのまま床につける文化はないらしい。ほうと息をついた言葉にXANXUSは黙る。
 珍しく(それもひどいいいようだ)考えている姿を横目で見てスクアーロはがなりたてるようにして発言する。
「なんだぁ!てめぇも気に入ったのかぁ?!!餓鬼くせぇところもあるんだなぁ!!」
 笑っちまうぜ、とすでに笑いながらそう大声で言うスクアーロにXANXUSの手が伸びる。けれどもスクアーロもそう毎回毎回机に叩きつけられてはたまらないようで、今回は想定していたかのように上半身を引いて腕から逃れる。スクアーロは指をさしてまた笑う。
「そう何回も同じ手をくぶ!」
「…るせぇ」
 顔面に粥を食べ終わった皿を受けてスクアーロはそのまま後ろにのけぞるようにして倒れる。尤も全身が倒れるのは腕をついて止めていたが。怒りでわなわなと腕を震わせながらスクアーロは投げて落ちた皿を拾うものの、流石にXANXUSに投げ返すような真似はしない。そして肝心のXANXUSはと言えば、もはや興味もないといった様子で腕を組んで座椅子に背を預けてしまっている。
「てめ、て、てめぇぇ…っ!う゛お゛ぉい!見たか東眞!こいつはこんなぼぶふ!」
「うるせぇって言ってんのが聞こえねぇのか、カスが」
 今度は麦茶のペットボトルを顔面にのめりこまされる。これはさしものスクアーロにも聞いたようで、痛みで顔面を押えて呻いている。
 そこに修矢が帰って来て半分に分けたプリンをベルフェゴールに渡す。もう半分は哲に。
「げ、何で半分なわけ」
「坊ちゃん」
「一つしかないプリンを二人が食べたいんだったら二等分は当然だろ。ん?そこ何やってんだ」
「東眞に告げ口しようとして敗北ってところかしらねえ」
 ぷぷと笑いながらルッスーリアは痛みにもがくスクアーロに哀れそうな視線を送った。修矢はへぇと一つ適当に言って炬燵に足を突っ込む。そしてふと東眞の方を見て慌ててその手を止めさせた。
「姉貴、それは俺がやるって」
 食器の片付けを始めていた東眞は苦笑して、大丈夫と返す。
「片付けは私の仕事でしょ。哲さん、コンロはお願いしてもいいですか?」
「分かりました」
 そう言って東眞は食器類を鍋の中に入れてよいしょと持ち上げて台所に持って行く。立ち上がり襖を開けて、廊下に出れば天井についている蛍光灯がちかりと灯りを放っている。台所まで付くと鍋に湯を加えて、皿を手早く洗って水きりの上に乗せていく。かちかちと陶器が重なって音を立てた。鍋を洗い洗剤のついた手を湯で落してタオルで手を拭いた。ぎっと床を踏む音がしてはっと振り返れば、影がこちらに向かって伸びている。そして、影はまたいつかのように同じ言葉を繰り返した。
「遅ぇ」
「…あ、ああ、はい」
 すみません、と返して東眞は水よけのためにかけていたエプロンを外して隣の机に置く。しかし影が動かないので、東眞はどうにも動けない。
 意竦めることが目的かのように向けられた赤い瞳に吸い込まれる。
「…あの」
 戸惑って声を出せば、ふっとその頬に手の甲が添えられた。まるで、本当にそこにいるかどうかを確認するかのような仕草に東眞は怪訝そうな表情を作る。影は何も言わず、ただその手を添えている。
「XANXUSさん?」
「…」
 静かな空間にはその声だけしか響かない。
 XANXUSの唇がふと動き、何かを言ったのだろうがそれは音になっていなかった。本当に僅かな動きな上に、日本語かそれともイタリア語なのか区別もつかない。(イタリア語だと分かったとしても意味は分からないが)
 そこで東眞はふと思い返す。
「あ、そういえばコートお借りしたままでした。クリーニングして返そうと思ったんですけど」
「いい」
「そうですか?私の部屋に吊ってあるので今持ってきますね」
 短い返答に東眞は笑顔で返してその隣をすり抜けるようにして足を進めたが、とんとんと足音がついて来る。それに足を止めて振り返れば、XANXUSが相変わらずの表情で立っていた。
「とっとと行け」
「…寒いでしょうし、炬燵の部屋で待っていてくださったらそこにも
「行け」
「…何もありませんよ?」
 三度目の返事はなく、東眞はそうですかと言って歩きはじめる。
 静かな廊下に足音が二つ。
ブラウス一枚の恰好は寒くないだろうかと心配をしながら東眞は少しだけ足を速める。これならば早々に返しておけばよかったとも後悔をした。
 暫く歩いて、少し離れた所に東眞の部屋はある。部屋と言っても、一室を与えられていて鍵はついていないのだが。
 東眞は襖を開けて、中に入って壁にかけてあるコートをとってXANXUSに差し出した。XANXUSはそれを受け取り、ふとポケットに触れてからそれを肩にかける。少しだけ東眞は笑って、寒かったでしょうと続ける。
「寒くねぇ」
「セーター着てても寒い位なんですけど、廊下は。でも部屋は暖かかったですね」
「ここがてめぇの部屋か」
 無遠慮に踏み入ってXANXUSはちらと部屋の中を見渡す。
 何もない部屋、いや、本棚の中に教科書や参考書だけが置かれており、その隣には折り畳み式の机がたてかけられていた。
部屋の隅には布団がきちんと畳まれて置いてある。東眞はああ、と本棚を見ているXANXUSに言う。
「大学で使ってる教科書とかです。春画は置いてないですよ」
「…春画?」
「俗に言うエッチな本です」
 くすくすと笑って東眞にXANXUSは調子を崩されたように口を曲げる。そして本棚の端に置かれている教科書とは違う、薄い冊子に目をつけてそれに手をかけた。東眞は後ろからそれを覗きこんで、アルバムですとXANXUSに言う。ぺらりと捲れば、髪の長さの違う面立ちのよく似た子供が二人映っていた。髪が長いほうが少しばかり背が高い。
「そっちの大きい方が私です。節分の時の写真ですね。修矢が鬼をやるって言ってきかなかったんですよ。節分っていうのは日本行事の一つで、炒った大豆をまいて、それからまいた大豆を年の数だけ食べるんです。鬼に豆をぶつけるって言うのは邪気を払い一年の無病息災を祈るっていう意味合いがあります。この写真は哲さんが撮って下さいました」
 私がやるって言ったんですけどね、と苦笑して東眞はその隣の写真を懐かしそうに眺めて説明していく。XANXUSはそれを聞きながら、突然アルバムを閉じた。東眞は不思議そうに首をかしげながら、ふと思い立ったように本棚に置いてあった携帯を手に取る。携帯されていなかった携帯という携帯の風上にも置けないような携帯だ。そしてぽちぽちとボタンを押して、XANXUSさん、と名前を呼ぶ。XANXUSの瞳がすっと動いて東眞の方を向く。が、途端視界が白くなり、眉間にくっと皺を寄せる。
「…おい」
 不機嫌そうな声に物怖じもせずに東眞は穏やかに微笑み、そして携帯の画面をXANXUSの方向に向けた。そこには少し機嫌が悪そうな顔が写っていた。
「今度現像して、そのアルバムに入れておきます」
 修矢以外の人を入れるのは初めてです、と言って東眞は携帯をぱたりと閉じた。
「そのアルバム、修矢がまとめて私の誕生日にくれたんです。なんというか、ちょっと変わったプレゼントですよね」
 独特で面白いですけどと付け加えて、XANXUSからそのアルバムを受け取り本棚に戻した。しかしその嬉しげな横顔に、ふつりと苛立ちが起きる。半ば本能的にその腕を掴み取った。
「?はい」
「―――――…」
「う゛お゛ぉおおい、ボス!風呂が入ったってよぉ!」
 XANXUSが小さく口を開けた瞬間にスクアーロの大声が割って入る。それに興醒めしたのか、XANXUSは掴んでいた手を離してスクアーロに視線をゆっくりと向けた。
「XANXUSさん一番風呂がいいですか?そう言えば服はどうしましょうか」
 その東眞の言葉にスクアーロがひょいと浴衣を投げ渡す。
「あの餓鬼がそれでも着ろって言ってたぜぇ」
「…XANXUSさん、着方分かります?」
 心配そうに尋ねた東眞の手から浴衣をとってXANXUSは腰を上げる。そして通りがけにスクアーロの頭を鷲掴み、そのまま後頭部を柱に激突させた。うご、と鈍い声が上がったがXANXUSはもう見向きもせずにそのまま廊下の奥に消えた。
「大丈夫ですか?」
「…痛ってぇ…あの、やろぉ…っ」
 ぎりぎりと歯ぎしりをしているが、いい加減それに対して東眞も慣れてきた。苦笑を送り、倒れこんでいるスクアーロに手を伸ばす。スクアーロはその手をとって立ち上がる。すっと立ち上がったその背筋はまっすぐで、XANXUSよりは少し高い。
 東眞が見上げていると、スクアーロは視線を落してなんだぁ、と尋ねる。東眞は目を細めた。
「いえ、XANXUSさんもスクアーロも背が高いなぁと」
「アイツが高いのは背だけじゃねぇぞぉ。プライドと我儘っぷりも負けてねご!」
「…」
 廊下の奥から飛んできてスクアーロの側頭部に激突したユーロコインに、東眞はははと困ったように笑う。スクアーロと言えばぶつけられたコインを拾って、ぎっと廊下の奥を睨みつける。とんだ地獄耳だなぁと思いつつ東眞はスクアーロに大丈夫ですか、とまた声をかけた。