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 東眞はひょいと台所に顔をのぞかせる。
 大柄な男が二人、ルッスーリアと哲それから少し小柄だが修矢と並んでいるので台所は一杯一杯という印象を与える。声をかければ、ぱっと修矢が表情を明るくして振り返った。
「姉貴!」
「ルッスーリア、私代わります。先に部屋に行ってて下さい。XANXUSさんとベルもいますし」
「んもう、仕方ないわねぇ。…あら、東眞、あなた眼鏡変えた?」
 ふとその顔にかかっているものに気付いてルッスーリアは首を小さくかしげた。東眞はそれにああ、と言葉をこぼして顔にかかっている眼鏡に触れる。
「これは私のもとの眼鏡です。父さんが死んでから父さんの眼鏡をかけるようにしてましたけど。だから度があってないんで…でもないよりかは随分ましなんですよ」
 にこっと笑った東眞に修矢が振り返って、それならと続ける。
「俺が新しいの買ってやるよ。姉貴に似合うやつ」
「じゃぁ、お願いしようかな」
「あら!私も東眞の眼鏡選びたいわぁ…」
「ならあんたも来たらどうだ。いつ帰るんだよ」
 しょんぼりとしたルッスーリアに修矢は気軽に声をかけた。しかしルッスーリアは残念そうに首を横に振る。
「用事も済んだことだし、明日には帰るの。残念だわ」
 口元に手を添えて心底残念そうに頭を下げるルッスーリアに東眞もそうですか明日に、と声を落とす。その言葉にルッスーリアは首を傾けた。
「東眞も一緒に来るんでしょ?」
 イタリアに、と続けたルッスーリアに東眞はきょとんとする。ぱちぱちと驚きで数回瞬きしたのに、ルッスーリアはころころと笑いながら手を軽く振る。
「もう!ボスが東眞を置いて帰るわけないじゃない。そもそも東眞を連れて帰るために日本に来たんだから!」
「…え、ぇと」
 言葉に詰まった東眞の隣で修矢が冷たい声を出した。
「馬鹿言うな。姉貴はやらないからな」
 そしてルッスーリアの胸に豆腐やくずきり、切った白菜などを乗せた皿を押しつけた。じろりと修矢はルッスーリアは睨みつける。
「これ、頼んでいいか」
「…任せてチョーダイ」
「姉貴、そっち大根切って」
片言でルッスーリアは答えて、東眞を気にしながら台所を後にした。
 東眞は気まずい雰囲気の中で大根の皮を剥いて、切る。そうしていると、それを察したのか哲が発言をした。
「もうこちらも終わったので、その大根さえ切り終われば終わりです。私は向こうにコンロと鍋を先に持って行って温めておきます。あ、それと」
「な、何ですか」
 作った笑顔で東眞は答えた。哲はちらりと修矢と東眞を交互に見た後に、切られた白葱人参などが乗せられた皿をまな板の隣に置いた。
「こちらに乗せて下さい」
「分かりました。あ、先にはじめてくださって結構ですから」
「お゛おい、切ったぞぉ」
 結局切ったのか、皿の上に魚を盛り付けたスクアーロがひょいと顔を出す。そして、どうすりゃいいんだと尋ねる。哲が鍋とコンロを持ってその隣まで行った。
「こちらにお持ちいただけますか」
「いーぜぇ」
 二つの足音が少しずつ遠のいて、消えた。
 たん、とまな板の上に包丁が落ちる音が二人の間に響く。先にその重苦しい沈黙を破ったのは修矢だった。
「姉貴」
「…何?」
 切った大根を東眞は葱の隣に盛り付けていく。修矢は静かな声で言った。
「―――――ああは、言ったけど…いや、俺は姉貴に行って欲しくない。でも、でもだ」
 こくりと息をのんで修矢は続ける。
「姉貴が嬉しそうな顔をしてくれるのが、俺は―――…一番嬉しい。でもやっぱり一緒にいたい。俺さ、この組を潰した後は、姉貴と二人で静かに普通に暮らすのもいいと思ってた」
 た、という過去形の言葉に東眞は大根を切っていた手を止めた。修矢は東眞と目をあわさないまま続ける。
「でも、俺に命を預けてくれた奴等を放るのは、嫌だ。それにこのシマを守りたい。だから、俺は」
 俺は、と続けた修矢に東眞は小さく微笑んだ。
「修矢がやりたいようにしていいんだよ」
 その言葉に修矢は東眞の方を見やり、ふっと笑顔を浮かべる。東眞はその笑顔に穏やかに目を細めた。
「姉貴はそうやっていつでも俺が一番欲しい言葉をくれる――――…俺は、桧にもう一度息を吹き込む。まだまだ俺は若くて頼りないこともあるけど、それはみんなの力も借りて頑張りたい」
 だから、と修矢は顔をあげてまっすぐに東眞を見た。

「俺を―――――、支えて。一人にしないでくれ」

 卑怯だと修矢は思った。姉がこう言えば断れないことを知っていながら、こんな発言をしている自分を。
 東眞は修矢の言葉にそっと目を閉じて、切り終えた大根を皿の上にもって、それを持ち上げた。
「修矢、私はね」
 そして東眞はやはり柔らかい笑顔を浮かべていた。

 

 がら、と襖を開けて暖かい部屋にはいる。見ればもう鍋は始まっていた。二人は部屋に入り、炬燵に足を入れる。東眞は角開けられていた席に腰をおろし、その隣に修矢が座る。しかし東眞の角の向こう側に座っている人物にむっと顔を顰めた。
「XANXUSさんまだ寝てるんですか?」
 XANXUSの隣で鍋をつついているスクアーロに声をかけるが、スクアーロはあちぃ!と叫んで口元を押さえた。そして机の上に置かれていた麦茶を一気に飲み干してから質問に答える。
「まだ寝てるぞぉ。こいつはなぁ、起こされるとすげぇ機嫌が悪くなるんだぁ」
 だから起こさねぇ、とスクアーロはげんなりとした声で返して白滝に手をつける。東眞の向こう側にいるベルフェゴールはスクアーロが切った魚がもう大丈夫か尋ねた。その質問に東眞は鍋の中をのぞいて、ついついと箸で軽くつついて、もう少しですと答えた。
 しかしと東眞はこの光景を見ながら小さく笑う。掘り炬燵を囲んで食卓を、鍋を共にする姿はとても楽しく面白い。心がほんわりと温かくなる。そうしているとベルフェゴールが東眞に皿を差し出した。
「東眞、王子の分入れてー」
「いいですよ。何が欲しいですか」
 笑顔で皿を受取って東眞は菜箸を取った。
「えーと。そこの白い四角い奴と、透明なヌードルそれから魚!」
「豆腐と糸こんにゃくと鱈ですね。…うん、もう大丈夫です」
 鱈の煮え具合を確認して東眞は皿にそれらを盛り付けて、最後に春菊を入れた。それにベルフェゴールはげ、と顔を顰める。
「それいらねーって」
「そう言わずに、美味しいですよ。一口だけでも」
「ちぇっ。しゃーねーの」
 そう言ってベルフェゴールはぱくりと食べるかと思いきや、それをスクアーロの皿に突っ込んだ。それにスクアーロは何しやがる!と叫ぶがベルフェゴールは気にする様子もなく、糸こんにゃくを口に入れる。ルッスーリアは豆腐を美味しそうに食べていた。
「豆腐お好きなのですか」
 あまりにも美味しそうに食べるものだから、哲が恐る恐る尋ねた。ルッスーリアはうふふと頬に手を添えて笑う。
「美容にいいっていうじゃない?」
「あ、はあ…そうですか」
 返答に困った哲を見て、東眞は笑う。そしてちらりとXANXUSの方を見る。やはりまだ寝たままだ。どんどん減っていく皿を心配そうに眺めて、東眞はXANXUSの腕に手をかけた。その行動にルッスーリアたちはぎょっとする。
 流石にこの熱い鍋ものを頭からかぶるのは御免である。XANXUSが目を覚ませばそんな災厄が起こりうる可能性は大である。慌ててスクアーロが東眞を止めようとしたが、声が、低い声が響いてその動きを止める。
「………あぁ?」
「晩御飯なくなっちゃいますよ」
「…肉はどうした…」
 この我儘御曹司のことだとスクアーロは背筋を凍らせた。一度などこの肉一つで部下が半殺しに遭ったほどだ。肉一つで。信じられない。あの時はまだましだった。肉という肉は用意してあったからだ。けれどもここにはそれがない。一体どんな惨事になるのだろうかと身を凍らせた。
 だが東眞がそんなことを知っているわけもなく、何ということもないようにああと続けた。

「魚肉がありますよ」

 修矢が買ってきてくれた鱈です、と笑顔で言った瞬間、ヴァリアー三人の心は(不思議な事に一つになった)逃げよう、と。しかし予想に反して、破壊音は響いてこない。おそるおそるルッスーリアたちはXANXUSと東眞に目を向ける。
 東眞はと言えば、鱈や大根などを皿に乗せてXANXUSに差し出していた。そのXANXUSは喉が渇いたのか、置いてあった麦茶を飲みほしている。そしてふと修矢が思い出したように言った。
「あ、そういやあんたら箸使えたんだな。フォーク持ってきといたんだが」
 いらなかったか、と言って盆に戻しかけたが東眞はXANXUSが箸の使い方が上手くないのを思い出してそれを手に取って渡した。XANXUSは何事もなかったかのようにそれを受け取り、突き刺して食べる。その一連の行動に三人はほっと胸をなでおろす。
「てか、ボス借りて来られた猫みたいじゃん。信じらんねー」
「きっと寝起きで頭がまだはっきり起きてなのよ」
 こそこそと話しているルッスーリアとベルフェゴールの隣で、スクアーロが笑った。
「借りられた猫だぁ?!まさにその通りだなぁ!!!」
 馬鹿で、とベルフェゴールはははと乾いた笑いを浮かべた。ルッスーリアも呆れた視線しかもうよこさない。
「うるせぇ、このカスが」
 そしていつも通りに、今回入っていたのは酒ではなく麦茶だったが、グラスがスクアーロの頭に激突した。