02:二人の距離 - 5/6

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 う、と東眞は真っ暗だった視界に光を戻した。大きな青い空が切り取られた状態ではなく広がっている。ぼうと呆けていて、今の体勢に気付き慌てて体を起こす。
「あー…と、有難う御座います」
 XANXUSはその隣で足を組んで座っていた。長椅子の上で寝転がっていたのか、東眞はようやく普通の状態に座りなおした。
 そして自分が意識を飛ばしたことを思い出す。あのきぐるみに押しつぶされて、一瞬肺やら何やら内臓が一気に圧迫され、悪いことに後頭部を冷たい石の上に打ちつけた。死ななくてよかった、とほっと安心する。
 触れればそこは僅かにこぶになっていた。そうしていると、頬にひやりと冷たいものがあてられる。
何かと思えば水の入った瓶だった。
「飲め」
「…どうも。あ、そういえばあのきぐる
 みはと言いかけて、眉間の皺が一二本増えたような気がして東眞は何でもないです、と口を閉ざした。そして渡された瓶から水を飲む。
 XANXUSはベンチの背もたれに体重を預けて待っていた。
「あの」
「何だ」
 短い返事の後で東眞はすみません、と謝る。XANXUSは何故謝られたのかが分からずに、初めて怪訝そうに東眞を見た。
「気を使ってくださっていたのに」
「…そういうわけじゃねぇ」
 吐き捨てるように言ってからXANXUSはポケットからガムを取り出して噛み始める。そして、飲み終わった瓶を店に返して来てから東眞はもう一度XANXUSの前に立った。XANXUSは東眞の体で切り取られた空を見る。
「今度は私に付き合ってください」
「…」
「ガイドブックも持ってきてるんです」
 そう言って鞄から日本語で書かれている旅行書を取り出して笑った。ぺらぱらとページをめくりながら、止めて、東眞はきょろきょろと標識を見る。
「ここから少し行ったことろに安い店が並んでるショッピングモールがあるんです。そこで」
「安い」
「ショッピングは、買うだけが目的じゃないんですよ」
 XANXUSさん、と東眞は笑ってXANXUSの手を取った。その手をXANXUSは振り払わなかった。代わりに、ゆっくりと立ち上がり東眞の手からその旅行書を取る。
「…こっちか」
「あれ、こっちじゃないんですか?」
 正反対の方向を指した東眞にXANXUSは地図をもう一度見直したが、やはり東眞が差した方向は反対である。方向音痴だなと言えば、東眞はそうでもないんですけれどとそれに苦笑して返した。

 

 スクアーロは重くて暑苦しいきぐるみのまま尾行を続けていた。他の連中は普通の格好なのに、何故自分だけとこの不幸を呪う。
「いい雰囲気じゃないの!一時はどうなるかと思ったけれど、ボスもやるわねぇ」
 うふふと笑うルッスーリアにスクアーロはならばいい加減脱いでもいいかどうかを尋ねる。しかし、まだと言われた。(考えれば何故そんな命令を聞いているのだろうか)
「でも東眞もセンスがいいわねぇ。眼鏡のセンスは最低だけど」
「それ言えてる」
 ししとベルフェゴールは笑い、あんなだせーの信じらんねぇとそのまま口にする。スクアーロはそんな会話を聞きながら、二人が店に入ったのを確認する。
「う゛お゛ぉい、入ったぞぉ」
 しかしながら、そのきぐるみでその声は非常にミスマッチだ。近寄った子供が逃げたのをルッスーリアは横目で見ながら、うふと唇に手を添えた。
 店はミュールやスカート、可愛くはあるがそこまでけばけばしいものはなく落ち着いている感じである。
東眞はふと隅にあるアクセサリーに気付き、そちらに足を運ぶ。ネックレス、ピアス、指輪。女でも男でもつけられるようなデザインが揃っていた。うん、と東眞がそれを眺めているとふと声がかかる。
「はい」
 振り返るとぞんざいに服を持っているXANXUSが立っていた。東眞は小さく首をかしげる。
「着ろ」
「…え、でも」
「いいから、着ろ」
 最初の店と同じではあるのだが、値段が大きく違う。<これならば自分のお金でも買えるだろうと東眞は頷いてわかりましたと言った。
 前で広げればそれはスカート。それとXANXUSはもうひとつ、ミュールを差し出した。合わせろと言いたいのだろうかと東眞はXANXUSの顔を窺う。何も言わないが、そう言いたいのだろうと東眞は検討をつけた。
 試着室でズボンを脱ぎながら、壁にかけてあるスカートを見つめ、予想外にXANXUSのセンスがいいのに東眞は驚いていた。だが一つだけ不思議がある。ドレスの時と言いこのスカートと言い、何故か東眞のサイズがぴたりと合っている。
「…男の人って基本的にそうなのかな?」
 少なくとも修矢がそうであったために、東眞はそう納得してスカートに手を伸ばした。しかし、天井から響いた音にその手をぴたりと止める。いくら鈍感な自分でも流石に光が奇妙に点滅すれば気付く。
「…」
 ず、と天井から現れた刀身にそれが一体誰なのか、東眞にはすぐに分かった。そして刀は四角を描いた後に天井がかっぽりと外れる。この部屋は完全個室のために、足首から下くらいしか見えない。天井の不具合には誰も気づかない。
「姉貴」
 す、と影が東眞の隣に一つ落ちた。己とよく似た顔立ちの男を東眞はよくよく知っている。
「修矢…何で、ここに?」
「姉貴たちが出るのを見たんだ。日本に帰るなら今が絶好のチャンスだから」
 真面目な顔をして言っているが、ここが更衣室だということに気付いているのだろうかと東眞はどこか見当はずれな所に気を揉む。風呂も一緒に入ったこともあるし、下着姿など今更気にするところではないのは分かっているのだが。
「…修矢、ひょっとしてこんなことちょくちょくやってるわけじゃ…」
「してない。してないから」
 小声ではあるが、修矢はしっかりとそれを否定した。心なしか顔は赤い。だがそれをすぐに振り払って東眞の手首を掴む。
「帰ろう」
「…まだ、駄目」
「お願いだ。親父が疑ってるのか電話があった、上手くごまかしたけど…」
 次はそうは行かない、と修矢は苦しげに顔を顰める。
 東眞はしかし首を横に振った。
「これで帰ったら、何のためにここに来たのか分からない」
「こんなことするために、イタリアに飛んだのかよ。男と遊ぶためか!」
「…修矢、違う」
「まさか、惚れたとか言わないよな…」
 途端声のトーンが落ちた修矢に東眞は僅かに距離を取る。けれども更衣室自体が狭いのもあり、そう逃げれはしない。東眞の動きにぎり、っと修矢は奥歯を噛みしめた。怒りがその顔に滲んでいる。
「否定しないのか…っ」
「ち」
 違う、と東眞ははっきりそう言うことはできなかった。
 XANXUSの横暴な行動に振り回されながらも決してそれを嫌だと思っていない自分がいる。この夢物語が続けばいいと瞬間的にでも思ったことは事実だ。それになにより。

あの瞳に。

「でも、日本には帰る!」
 極力声を押えて東眞はそう叫んだ。けれども修矢の瞳には既に怒りしか滲んでいない。
「姉貴は――――…っ、」
「修矢」
その時だった。