02:二人の距離 - 4/6

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 そして相変わらずの(東眞にとっては)高級そうな店。
 流石にこれ以上、あのドレス一つで一体どれだけの万札が飛ぶのか分からない。東眞は多少顔色を青くして、店の前で立ち止まった。
 いくら本家で育てられた影とはいえど、やはり遠慮という二文字が付きまとい高い買い物などしたことはない。着るものだって、養母の下がりの服である。貰った中には和服も入っていたが、それはそこまで流行というものが存在しないので問題はない。そしてこの服は修矢に貰ったものだ。
「あ、あの」
「早くしろ」
「そうではなく、も、もう結構です」
「?」
 XANXUSの眉間に皺が二本ほどより、不機嫌な顔になる。東眞はそれを分かりながらも続ける。
「こんなに高い買い物をしていただいては、本当に」
「俺が気にするなと言っている」
「XANXUSさんが気にされなくとも、私が気にします」
 その言葉に一拍置いて、XANXUSは東眞の瞳にまっすぐ視線をぶつけた。苦手なその視線に東眞はう、と言葉を詰まらせる。全くもって、不機嫌そうなそれ。
「従え」
「…お断りします」
 それだけは聞けない、と譲れない最後の一歩で東眞はその瞳を見つめ返した。どれだけ流されたとしても、どうしても下がれないところだけは持ち合わせている。

「私が従うのは、私が納得したことだけにです」

 靴一足に何をそんなに、とXANXUSは思う。柔らかかった雰囲気が一気に硬直する。両者は睨みあい、深い沈黙が落ちる。
 その様子をはたから見ながら慌てる面々。こそこそと小声で冷や汗をかきながらそれぞれに花壇の影で言いあっている。
「ちょ、ちょっと!なんでデートであんな不穏な空気になるのよぉ!」
「これこそボスのなせるわざじゃね?」
 しし、と笑いながらベルフェゴールは殺すのかな、と口元に笑みを刻んでいる。マーモンに至ってはもはや興味がないと言わんばかりに花壇に腰かけて見ようともしていない。ルッスーリアはただ一人まともそうに見える(だけの)スクアーロの胸倉を掴んで前後に揺らす。
「ああんもう!どうにかしなさいよぅ!」
 あなたボスの右腕でショ!と小声で怒鳴られるものの、そんな都合のよい解決策がスクアーロの頭に浮かぶはずもない。手を放せぇ、とルッスーリアの手を掴み放そうとする、がルッスーリアはその背後の影にふと気付いて、視線を上げる。風船をもったきぐるみが、一体。
 ルッスーリアはほとんど反射的にそのきぐるみを引き倒した。そして中の人間を笑顔で引きずりだして、唖然としているスクアーロをその中に詰め込む。そしてこぽりと頭をかぶせた。それからきぐるみがあらかじめもっていた風船をスクアーロに押しつける。当初はいっていた男はルッスーリアの膝の下で伸びてしまっている。
「う゛、うお゛おぃ、な、何しろってんだぁ」
 かなり無理矢理押し付けられた役にスクアーロは混乱しながら、おたおたとする。普段と違う視界と動きづらさに足が取られる。ルッスーリアはそれを気にすることなく、びしっとスクアーロに指を吐きつけた。
「あなたもヴァリアーの一員ならこの窮地を救って見せなさい!」
「窮地を救うのはてめぇの役目だろうがぁ!!!」
 守護者の役割を言うのであれば、それはまさにその通りであるが、ルッスーリアはくねりと体をひねった。
「あたしはそんな不細工なきぐるみを着ろって言うのぉ?悲劇だわぁ」
「だったら死ね!」
「早くいかないと拙いことになるわよ!」
 ほら、とルッスーリアは半ば蹴り飛ばす勢いでスクアーロの背中に蹴りをぶちまかした。突然のことと、俊敏な動きを奪うきぐるみによって、スクアーロはどてんと数歩よろめいてこけた。どうにか風船と頭が落ちることだけは防いだが。
 これでXANXUSにばれたりなぞしたら、命がない。
 ちら、と狭い狭い視線で背後を見れば、ルッスーリアは親指を立てて、ベルフェゴールはその隣で笑い転げていた。後でおろす、とスクアーロは半泣きになりながら決めた。
 その時、頭上から声が落ちてくる。
「大丈夫ですか」
「う」
 おぉ、と返事をしかけて慌てて口を噤む。声なんて出せばばれることは請け合いだ。その代りに前に倒れこんだ体を起こしてこくこくと頷いた。小さな視界の中で、東眞が笑ったのが分かる。
 スクアーロは先ほどまでの緊迫した雰囲気が溶けたのが分かりほっと息を吐く。東眞の後ろに立つXANXUSはいまだ不機嫌そうな顔をしていたものの、そこまで怒っているわけではなさそうだった。
 安心して筋肉が弛緩し、指先の力が緩む。そうすれば当然握っていた風船の紐が離れ、風船はふわと上に登ってしまう。スクアーロはあ、と慌てて立ち上がってそれをとろうとした。
 普段であればひょいと飛び上がって全部の風船を取ることが可能であっただろう。が、しかし。今はきぐるみ。いつも通りに上げた足が予想以上の重さを持ってその行為を阻む。当然のこと崩れる姿勢。前のめりになった先にいる人物。もう言わなくても分かる。
「あ」
 東眞の前面に黒くて大きな影が覆いかぶさる。XANXUSが東眞の手を引く前に、あっという間にスクアーロ(という名のきぐるみ)はその場に倒れ込んでしまった。勿論東眞を下敷きにして。
「あーあ、殺される」
「あなたの勇姿、見届けたわ…っ」
「これ売れば金になるかなぁ」
 三者三様の勝手な言い草が耳のイヤホンを通して伝わってくる。おろす!と叫びたいが、叫んだら目の前の男に焼かれる。(尤もこの場合叫んでも叫ばなくて同じな気もする)
 スクアーロはともかく(それでも70kgは超している)、きぐるみの重さまで加わって東眞は完全に潰された。骨折はしていないだろうが、これ以上圧迫すると拙いことになる。慌てて退こうとして、背筋が震えあがるような声にその動きを止める。

「――――かっ消す」

終わった、とスクアーロはきぐるみの中で涙を流した。

 

 ぷしゅ、と煙を上げるきぐるみにルッスーリアたちはこそこそと近寄る。
 XANXUSは気を失ってしまった東眞を抱えて(ルッスーリアはその運び方に狂喜した)奥の広場に行ってしまった。
 ベルフェゴールはごんときぐるみの頭を踏みつけ、そのままごりごりと動かした。
「うしし、生きてんの?」
「ぐ…ぁ…どうにか、なぁ…」
 三途リバーが見えた、などと英語と日本語を奇妙に混ぜてしまっているあたり、まだまともではないらしい。スクアーロはどうにかこうにかで立ち上がって、そのかぶり物を取る。
「うぉぉおい…てめぇら…よくもやってくれたなぁ…」
 ぎらん、と目を光らせたが効果は一切なし。それどころか、ルッスーリアには肩を叩かれ、ベルフェゴールには足を踏まれる。ルッスーリアのはあくまでも好意であったが。
「よくやってくれたわねぇ。流石はボスの右腕よぉ?」
「ま、まあなぁ」
 ちょろいね、というマーモンの呟きは煽てられたスクアーロには聞こえなかった。じゃあとルッスーリアは天使の笑顔で続ける。
「暫くはそれを着ててねぇ」
「あ゛ぁ?な、そんな必要はねぇだろうがぁ!」
「駄目よ。また二人の空気が微妙になったら突撃よ!」
「ふ、ふざけんじゃねぇぞぉお!」
 そのままスクアーロは背中を押される様にして歩かされ、結局きぐるみを脱ぐことはかなわなかった。勿論その時ベルフェゴールによってまたかぶり物を叩きつけられるようにして乗せられたが。