02:二人の距離 - 2/6

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 冷蔵庫を開けてボトルをひねり水をぐいとそのまま喉に通す。昨晩の生温い水とは異なり、きんと冷えたその水は起きたての頭に響いたそれと体がぎしりと痛い。あのような格好で寝たからだ。
 XANXUSはぐと眉間によった皺を伸ばすようにしてそこに指を押し当てた。
「あら、ボス」
「…」
 ちらとそちらに視線を向ければ、何とも言えない程に不釣り合いなネグリジェをまとったルッスーリアが立っていた。いつものことだが、相変わらずの様子にXANXUSはもう何かを言うこともしない。
 ルッスーリアも冷蔵庫を開け、水ではなく野菜ジュースを取ってグラスに注ぎ飲む。そして突拍子もなく言った。
「デート」
「…あぁ?」
「ボス、デートしましょ!」
「…消されてぇか…」
 きらきらとサングラスの奥から目を輝かせてくるルッスーリアをぎんとXANXUSは睨みつけて、その手に炎を宿らす。その色を見てルッスーリアは慌てて違うわよぉ、と弁解をする。
「東眞とね、ショッピングモールに行ったらどうかしら?」
「…」
「旅行で来てるって言ってたし、折角だからいい思い出を作ってあげたらどうかと思うのよ」
 その言葉にXANXUSはふと考える。そんなXANXUSの背中を押すようにしてルッスーリアは続ける。
「女の子は買物が好きよぉ。素敵なお洋服とかアクセサリーとか…ひょっとしたらボス…あら?」
 どこかに意識を飛ばして語りに落ちていたルッスーリアはそこで初めてXANXUSの姿がとうにないことに気付く。後ろの扉を見ればきぃと開かれていた。それを見て、にま、とルッスーリアは笑った。XANXUSは部屋の扉の取っ手に手をかけ、そして押し開く。
「おい」
「…え、ぇと…」
「…とっとと着替えろ」
 そう言って何事もなかったかのようにXANXUSは開けた扉をぱたりと閉じた。東眞はパンツとブラジャーの姿でかっちんと部屋の中で固まる。
 ここは声を張り上げて枕か置時計か、何かを投げるべきだったのだろうが相手の対応があまりにも冷静だったためそれを逃した。確かに女としては多少問題がある思考回路かもしれないが、それでも一般的な羞恥心くらいは持ち合わせている。
「…み、見られた…」
 下着姿、と呆然としていれば途端扉の向こうで大きな破壊音が響く。一体何事かと慌ててシャツをかぶりズボンに足をさっと通してそちらに駆けて扉を押し開く。そこには床と熱烈なキスをしているスクアーロがいた。
「着替えたのか」
「え、ぁ、はい」
 扉の影になっているところから声が聞こえ、東眞はそれに咄嗟に返事をする。昨晩の姿から少しも変わっていないXANXUSがそこに立っていた。
「どうした、出ろ」
「…ぁ、ああ、そうですね…」
 何故だか(いや当然だが)気恥ずかしさを覚えながら東眞は扉の隙間から体をするりと出す。そしてスクアーロの髪を踏みかけて慌てて足を上げた。XANXUSはそれには全く気を払うことなく東眞に告げる。
「飯を食ったら出かける」
「どこにですか?」
「行けば分かる」
「…はぁ。あの、」
「何だ」
 東眞は地面に倒れ伏したスクアーロに視線を移してXANXUSをそれから窺った。視線を前に戻してXANXUSは興味がないと言わんばかりにまた歩きだした。
 しかし流石にこのまま見捨てていくわけにもいかないので東眞は倒れているスクアーロの肩を数回軽く叩く。そうすれば、ばっと銀色の髪がまるで滝か何かのように上がって上半身が起きる。向けられた敵意すら感じられる瞳に東眞は目を見開く。
「…ぅお゛おぃ、てめぇかぁ…」
「あ、ああ、はい。私です。どうかしたんですか」
「ボスを追いかけてきただけだぁ」
 一瞬護衛というよりも追っかけか何かか、と思いかけた東眞だったがそれは勿論口には出さない。
 先に立ち上がって手を差し出し、立つのを手伝う。立ち上がったスクアーロはぱたぱたとコートの裾をはたいて、頭を殴られたのかそこをさすった。そしてXANXUSがすでにそこにいないことに気付く。
「何処行ったぁ?」
「広間の方じゃないですか?朝ご飯にするって言ってましたし」
「ボスが朝飯?…天変地異か何かの前触れかぁ…?」
 信じられない、と眉をひそめたスクアーロに東眞は目を一度丸くして、驚いた。朝食は一日の始まり、食べない方が何かおかしい。
 そう思っていると、スクアーロはまるで東眞の思考を読み取ったかのように続ける。
「朝が遅いんだぁ、ボスは」
「そうなんですか」
 そんなことよりもとスクアーロは慌ててXANXUSが行ってしまった方へと駆けだしていった。東眞もその後を慌てて追いかけるようにしてついていった。尤も、東眞の足でついていくことなど叶わなかったが。

 

「ボス!」
 明るい声にXANXUSはふと足を止める。その先には小指を立てて追って来る大柄の男が一人。
 一体何事かと眉間に皺を寄せて振り返る。ルッスーリアはXANXUSの前に来ると足を止めてわきわきとその指先を動かした。気持ちが悪い。
「まさかその格好で出掛けるつもりじゃ…」
「コートは羽織る」
「駄目よ駄目よ!絶対に駄目よ、ボス!!」
「?」
 隊服は機動性に優れているし、別にパーティーに行くわけでも何でもない。一体どこに気を使う必要があるのか分からない。  XANXUSは眉間の皺をさらに増やした。ルッスーリアは着替えましょ、とにっこりと嫌な笑顔を浮かべる。
「私に任せてちょーだいっ」
「着替えならてめぇだけでやってろ」
 短くそう吐き捨てるように言うとXANXUSは広間に向けて歩き出した。それにルッスーリアはうんと一つ考えてそれからある考えを口にした。

「素敵な格好すれば東眞もボスのこと見直すかもしれないわよぉ」

 一拍置いてXANXUSの足が止まる。ルッスーリアはにまっと笑って、始めましょうかと笑った。