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そう言うわけなんですよ、と厄介な上官を持った中佐はグラスをスモーカーに傾けた。にこやかな笑顔の奥は全く底知れない。二本の葉巻を大きな口に咥えている男はぷかと二倍の煙を吐き出した。煙で顔が見えなくなるのではないかとそう思える程の量である。実際そんな事は無いわけだが。
かぷ、と大きな口から煙が二つ。片手に持ったグラスには透き通った氷の塊とウイスキーが注がれている。その隣でグラスを口に添えたギックは喉でその味を堪能する。焼けるような感覚が喉に残る。頬がほんのりと赤く染まる。
「しかしおかしな話。おれにはあの人には正義を掲げた軍艦よりも、海賊船の方が余程似合うと思うんですよ」
「…」
ギックは笑いながら、しかしどこか何かを懐かしむようにグラスに浮かんだ氷を眺める。
「スモーカー大佐。あなたは大佐と同じ海軍の厄介者ときた。でも、あなたには海賊船よりも軍艦がよく似合う。正義のコートがとても似合う。我々の大佐とあなた、どう違うんでしょうね?」
「さぁな」
短い答えに、まぁそうでしょう、と答えなど初めから分かり切っているとばかりに、中佐は小さく穏やかに笑う。
「同じ船に乗るものは家族同然」
よく聞く言葉だ、とスモーカーは煙を吹かした。そろそろ小さくなってきている右側の一つを灰皿に押し付け、ジャケットにつけている葉巻を一本ぬくと口に咥え直し、火をつける。新しい味が口に広がった。中佐は続ける。
「しかし、我等の大佐は上官なのですよ。決して、家族ではない。家族と言う形にすらなりはしない。信頼はしてもらえますが、信用はしてもらえない。あの人は素晴らしい上官ですが、良い家族ではない。あの人の家族はどこに居るんでしょうか」
「天涯孤独の身だと聞く」
クロコダイルの奴と仲が良いみたいだが、という言葉は呑み込んだ。七武海の存在など口にするだけでウンザリする。七武海で在ろうと、海賊は海賊。気を抜くことなかれ、牙を見せることを忘れることなかれ。あの女は、とスモーカーはケダモノのような女を思い出す。
海兵でありながら、海賊を友とする。カヤアンバルと共に海賊と宴を共にすることもあるらしく、かの白ひげとも交流があるようで、全くお前は本当に海兵なのかと問い正したくなる。
家族は、と一度酒の席で聞いた時、死んだと短く答えられた。それ以上聞くのは野暮と言うものだし、黙って流していたが、本当は海賊の中に家族がいるのではないかと疑いたくなる程である。
「あの後、こっぴどく大佐はつる中将に大目玉を食らい、海賊共を最終的にはインペルダウンへと送り届けた模様ですが。全く馬鹿ですよねぇ。ああしかし、スモーカー大佐。誤解してもらっては困ります」
半分ほど減ったスモーカーのグラスにギックはウイスキーを注ぎ足した。にやりと男の口角が悪戯っ子のように持ち上げられる。
「我等は大佐が大好きなのです。あの厄介者の大佐が、大好きなのです。あなたも同じように好かれておりますよ。たとえ、あなたがどれだけ上官の言うことを聞きもしない野犬でも。あなたは、大層分かりやすい。我等の大佐と同じように」
「一緒にするな」
「仰られる」
はは、とグラスの中のウイスキーを全て飲み干して、中佐は椅子から立った。そして、カウンターに二人分の代金を置く。それに顔を顰めたスモーカーにウインクを贈り、奢りです、と笑った。
「我らが大佐の教えです。海の男は酒を奢れ、と」
呆気にとられているスモーカーにギックは敬礼を一つして、失礼致しますと店を出た。扉はきぃきぃと音を立てながら中外に揺れ動き、次第にその動きを止めて行く。
完全にその動きが止まった頃、スモーカーは未だ氷の浮かぶウイスキーを見下ろした。そしてごつい指先でグラスを掴み、それを一気に飲み干す。強めの酒は喉を焼く。今日は寒い。体を心から温めるには酒が良い。だが、先程いた下官の上官はこう言うのだ。そんな時は海に飛び込めばいい、と。寒中水泳でもして心臓でも止めるつもりかと呆れ果てたが、海を眺めた女は続けて言う。海のぬくもりをお前は知らないのか、と。懐かしむように、請うように。
飲み干したグラスをカウンターに戻し、スモーカーは一人分、一本分の酒の代金をカウンターに置いた。お題は先程頂きましたが、との言葉にスモーカーは続けた。
「そこのワインと同じ色の目をした男のような女が来たら、その金で飲ませろ」
借りを作るのは好きじゃァないと言い残し、スモーカーは店を出た。外に浮かんだ月は揺らめく薄い雲がほんの少しかかっている。剥き出しになった肌が少しばかり冷たいとそんな事を考えながら、野犬はゆっくりと夜道を歩いた。どこか遠くで、犬の遠吠えが聞こえたような気がした。それに合わせて、夜道を歩く野犬が遠吠えをし返すことなどありはしなかったが。