誇り高き - 1/3

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 騒がしい空間。笑い声。酒の匂い。転がされた酒樽。旨そうな料理の香り。腹を剥きだしにして寝ている男。その腹には人の顔とおぼしきものが筆で描かれている。とぷとぷと視界の端ではコップに大量の酒が注がれ、縁から溢れている。注いでいる人間も注がれている人間も顔を真っ赤にして大層ひどく酔っている様子で、膝やら下やら零れて行く酒には頓着をしていない。肩を組んで大声で列をなして歌う者。もう飲めないとコップを投げ出して背中から倒れる者。
 ここは酒の席。
 ミトはこくんと手にした盃に唇を添えて一口飲み干した。盃と言っても掌サイズのそれではなく、手のサイズのそれであるのでなかなかに大きい。カップで無かったのはこれ幸いと言ったところだろうか。尤も基本自分は酒樽の一つ二つでは酔いはしないのだが、とミトは徳利を傾け、自分の杯に透明の液体を注ぎながら、周囲の混乱状態をさらりと無視をしつつ酒を楽しんでいた。
 本部将校クラス、准尉の人間で寄り集まっての酒宴の席だが、嵌めを外すと皆こうも酔っ払えるものなのか、とミトは部下の一人の酒を丁寧に断りつつ(とはいえども、その酒をすすめた少尉も大層酔っており、酒を勧められたのを断られたのち、隣でばたんと大きく倒れた)あまり酔うと言うことをしない自身を多少恨めしくも思った。
「大佐ァ」
「何だ」
 部下がまた徳利、ではなく今度はカップに大量のビールを零しながら隣に座る。すっかり出来上がっている様子で息が大層酒臭い。にへら、と笑った中尉にミトはやれ、と小さく溜息を吐いた。
「お前、明日は北の海に出るんだぞ。あまり飲み過ぎて、航海士としての役目を果たせんかったら、船から荒波に叩き落とすぞ」
「そいー言わないれくらさいっす。酒の場で、ひっく、仕事の話ぃ、は厳禁れすよ?」
「…酒臭い。呂律が回っていない。大尉!中尉を…ッ」
「はぁーひ」
 お前もか、とミトは呆れた顔をして畳みに突っ伏して手をひらひらと振っている男に溜息を吐いた。溜息を吐かざるを得ない。明日の航路は荒れる波を行かねばならないため、できれば今回の酒宴の席も断って置きたかったのだが、部下の熱烈な視線と酒への誘惑をそわそわと待ち続ける彼らの航海態度に渋々許可をしたのである。大佐、つまるところ艦長である自身が出席しないわけにもいかず、本日は嗜む程度の酒を味わいながら、という予定だったのだが、大きく狂った。これで明日の航海は大丈夫だろうか、とミトは心の底から溜息を吐き出した。深い、溜息となる。
 その深い溜息の隣にとすんと腰を下ろす者がいた。自分よりまだいくつか若い。人懐こそうな顔はやはりほんのりと赤らみ、酒の影響を受けている。お前もかとうんざりしたミトの顔に中佐はへらりと笑った。しかしまだ呂律は狂っていない様子で、平穏に話しかける。
「我々は常に『船』という戦場に居る訳ですから、たまにはこういう息抜きも必要です、大佐。一杯いかがですか?」
「…そうは言うがな…海には酔わんくせに酒に酔うとは」
 視線を外へやり頭を押さえたミトが持つ杯に酒を注ぎながら、中佐階級の男はははと楽しげに笑う。副艦長としては全く頼れる男ではあるが、いささか軽いのではないかとミトはいつも思う。立ち寄った港で女の尻を追いかける癖さえなくなればと心労が絶えない。とはいえども、自分の艦の部下はどいつもこいつも癖者ぞろい、もとい問題児揃いである。半ば押し付けられたと言っても過言ではない。
 彼らには自分が上官であるが故に多少申し訳ないことをしているだろうか、と後ろめたさを覚えながら、ミトは杯を傾けた。そんな上司の横顔を覗き見た中佐はからりと笑った。
「いやですね。我々はあなたの部下で良かったと思っておりますよ、大佐」
「…そうか、有難う」
「危険な場所への航海が馬鹿みたいに多いので、あまり特定の個人に食いかかる馬鹿な真似を控えて下されば文句はないのですが」
「…そうか」
 あけすけで言葉をオブラートに包むようなことをしないのもこの中佐の長所だなと思いつつも、痛いところを突かれてミトは少し背を丸くする。冗談です、とそんな上司に自身も杯を差し出して酌を頼む。ミトはそれに大人しく酒を注ぎながら小さく口元を笑わせた。
 中佐は横目でさらに上位に居る将官、将クラスの集まりへと目をやりながら(その中にガープ中将はいないのだが。下座で酒を煽らせている)そのうちの一人を示して、彼は、と上手く言葉をはぐらかして、その人を表現する。否、しようとした。丁度その時、准尉がミトの隣に腰を下ろした。年かさの男は、やれやれと言った様子で、酒のループから逃げだしてきた様子だった。
「全くやってられませんな。若いものについていくのは難しい」
「その若いものを扱くのがお前の仕事だろう」
「酒の飲み方まで教えてやる義理なんぞありゃしません。大体自分が扱くのは下の連中です。下の連中の模範とならんといかん奴等があの様ですか。マァ、多少の嵌め外しも悪かないですケドね。自分は断言しますよ。奴等、明日が北の海だってことを頭の隅にも置いてないと」
「兵の様子は」
「今日は明日のことも考えて早めに訓練を切りあげて帰らせました」
「よし」
 頷いたミトに中佐はからからと涙目で笑う。
「本当に仕事人間ですねェ。もう少し息抜きを覚えたほうが良いんじゃないですか、大佐」
「海に居ることが、息抜きのようなものだ」
「海が恋人ですか。こりゃまいった」
 パンと膝を強く叩き、中佐は先程、准尉が来たことで途切れた話に路線を戻した。
「彼はまぁ、親の七光りで今の地位に居るようなもんです。それに過去一件の大物を捕えた以外の報告とくれば、それこそ小物ばかりで、あなたが気にされるような人物だとは思えませんよ。一笑にふせばいいじゃないですか。いつものように。マァ、あの言い様と態度には我々も腹が立つコトはありますがね。金と権力だけが取り柄の貴族のおぼっちゃまはこれだから手に負えない。少なくとも我々はああいう男の下につきたいとは思いません。あなたのような、実力だけで今の地位に登り詰めた、そういう優秀な人間の側にいる方が何かと有り難い」
「無駄に命を落とさずに済みますからな」
 あからさまに貶す言葉を交えながら、中佐は肩を軽くすくめた。准尉は一言加えて、中佐の言葉に頷く。ミトは、酒を大将に勧めてへこへこと頭を下げている男を視界の端に入れながら、そうだな、と小さく返した。酒が、不味い。ひどく不味く感じた。視界にあの男が入ってくるだけで不愉快極まりない。
 自分は良い部下に恵まれた、とミトが小さく零せば、中佐と准尉は顔を見合わせてははと笑った。
「いやいや、とても嬉しいお言葉ですよ。大佐」
「全くですな。全く、自分も良い上司に恵まれました」
「できればもう少し女らしくても良いんじゃないかと思いますけどね。ほら、ヒナ大佐を見習って下さいよ。出るとこ出でますし…ストイックな感じがたまりません。あ、大佐、腹筋とかは別に要らないんで」
「お前はその頭が要らんようだな」
 ああ?と米神に青筋を浮かべたミトに、中佐は両手を上げて冗談ですと笑った。
「男の中の女なんていくらどんな状況であっても目立つもんなんですけどねー。どうして、あなたはそんなに目立たないんですか?別の意味じゃ目立ってますけど」
「怖いくらいが丁度良いですな。敵船に一人乗り込んで暴れまわる凶暴な上官の姿を見せられた兵は海王類に遭遇した時よりも金玉縮こませておりますよ。お陰で、脅しが良く効きます」
「何だそれは」
 少し相好を崩したミトに、ああ笑った、と中佐はミトを見て笑い返す。笑ってはいないのだが、普段あまりにも笑わないせいか、頬の筋肉が緩んだところを見ただけで中佐はそれを笑ったと判断した。
「あなたも笑うんですね。笑ったら少しはそれなりに可愛く見えますから、もっと笑って兵士たちの士気を上げてください。脱いでも…あーでも大佐は女らしい体とは無縁な方ですから、脱いでも士気が下がりますかね?やっぱり脱がなくても良いです。女の子に黄色い声を上げられる大佐で居て下さい。可愛い女性をほいほいして、我々を喜ばせて頂ければと」
「褒めてるのかけなしてるのかどっちだ、中佐」
「褒めております」
「自分の真似をしないで頂けますかな、中佐」
 豪快に笑いながら、准将は酒を一杯大きく煽った。ぷふーと息を吐き、腰を持ち上げると倒れた上官を端に寝かせるようにずるずると引きずる作業に移った。大層面倒見が良いのでとても助かる。お前は手伝わないのか、とミトが中佐を見れば、力仕事は趣味ではありません、とにこやかに酷いことを言った。
 後一二杯飲んで、自分も失礼しようかとミトは徳利を傾けた。だが、その時耳に入った声に思考が一瞬停止した。上座から落ちてきた声だった。
「いやぁ、その時の私の勇士を是非ともお見せしたかった!」
 大佐、と肘でつつかれたが、隣の制止は今一耳に入って来ない。
「モノクルのレオル!噂に名高い海賊でしたが、私にかかればまるで赤子の手をひねるように倒せましたとも!名前ばかりで全く弱い海賊でしたな!」
「そうかい」
 つるの声はただ静かにそれに返した。だが、隣に座る少将の言葉は止まらない。楽しげに、浮き立つように話を続ける。つるもその話を遮る程野暮ではなく、しかし相槌を打つだけに留めている。話を聞き流す術と言うものを老兵は心得ていた。
「泣き叫ぶさまなど、いやぁ、全く子供のようで見ているこちらが恥ずかしかった。最後には命乞いまでしてき
 ましたよ、と最後まで言う前に、強く杯を叩く音が会話を割った。ハルバラット少将は会話を止め、自分の心地良い話を遮った張本人へと目を向ける。女の隣では一人の中佐が、大佐、と気まずそうに肘でつついている。
「すみません、大佐は少し酔われておられるご様子で…」
 へら、と中佐はその人懐っこい笑顔でかわそうとしたが、ミトはそれを許さなかった。凍えた色を瞳の奥底に湛え、モノクルのレオルを侮辱した少将へと冷たい視線を向ける。
「…その、名高い海賊モノクルのレオルの首を持ち帰られた少将殿の勇士は近頃では全く耳に致しませんが」
 一度会話を区切って、ミトは口元に嘲りを混ぜた。口角が持ちあがり、鼻で小さく笑う。
「優秀な部下でも、失いましたか?」
 かっと少将の顔がトマトのように屈辱で染め上げられる。未だ二人の対立に気付いていない人間もおり、周囲はざわざわと楽しげに騒いでいたが、ここ、ミトと少将の間だけはまるで氷の海に放り込まれたかのように冷え切っていた。
 ミトはふつりと腹の底が湧くような怒りと見も狂いそうになる殺意を辛うじて押さえる。いつか殺した一人目の仇の顔を思い出す。この男に殴られた痛みを蘇らせる。お前は私の一生の仇なのだと、ミトは思う。この男を殺すまで、この男の心臓が止まるまで、この男という意識の存在が消え失せるまで、この男は、自分の殺意の対象になりうる。
 ミトが口にした「優秀な部下」とは一体何のことか、それが理解できるものはこの場には数少ない。このハルバラットという名ばかりの少将が海賊と手を組んでモノクルのレオルを始めとした海賊をいくつか潰したことを知るものは、それこそ上の人間だけが知っていることだろう。もしくは、それに与した、甘い汁をすすった屑共か。
 そのことを指摘された少将は一瞬顔を青く、しかしすぐさまそれを隠すように顔を茹でダコのように真赤に染め上げ、立ち上がる。馬鹿な猿が、と腹の底で詰り、ミトはその立ち上がった男を冷たい目で嘲笑う。
「ハルバラット」
 つるはその背中にお待ちと制止を掛けたが、部下の躾けですとハルバラットは明らかに引き攣った笑みを浮かべていた。ミトは双眸で眼前に立つ男を下から見上げる。その瞳にははっきりとした侮蔑と嘲笑の色を交えた。大佐、と隣で中佐が慌てた声を出したが、そんな声は、今ミトの耳には一つも入って来なかった。
 体をどろどろに溶かすような、全てを灰に帰すような怒りが湧く。
「ああ、失礼。今のその御立派な地位に居られるのは、先程嬉々として語っておられた少将の勇猛果敢な戦歴のお陰でしたか。その勇士、是非とも兵の手本にさせたいところで」
 す、と最後まで皮肉を言いきる前に、ミトは鎖骨下あたりに足が入ったのを感じた。正座しているこの状態で微動だにしないことなど流石にできるはずもなく、体は畳みの上に倒れ込む。げほ、と数度咳がこぼれた。中佐が、大佐!と声を上げたが、ミトはそれを手で制した。ふーっふーと鼻息の荒い怒気に塗れた音が落ちる。徳利が頭めがけて投げつけられ、割れる。そしてその上に、ごりと倒れた頭に足が乗せられた。少将は怒りの形相を納めることはせず、ミトの頭にばしゃばしゃと瓶の酒が流れていった。
 酒に頭を濡らされながら、ミトはその姿勢のまま、男を冷めた目で見続けた。夢で、過去で、幾度も繰り返した悪夢の中で哂い続ける男の顔を、視界から逃さない。
 少将は引き攣った方で高みから見下ろす好意に快楽でも覚えたのか、ははと足に敷いている女を嘲笑う。
「七武海に尻尾を振っている貴様に言われる筋合いなど毛頭ないな。一体どういう手管で彼らを手籠にしているのか、一度聞いてみたいものだ」
「…」
 黙って何の反論もしないミトに不気味さを覚えたのか、少将は足を振り上げてミトを蹴りつけようとしたが、ああそこまで、と呑気な声が振り上げられた足を掴む。
「はいはい。酒の席でのお遊びにしたちょーっと行きすぎなんでないの?ほら、周りもちょっと引いちゃってる」
 ね、と大将青雉、クザンは口調だけはあくまでも穏やかに、しかし目だけは笑わせずに振り上げられた脚にほんの少し力を込める。ぱきんと氷が張った。ひぎゃと情けない声が上がって、そのばに少将は尻から転げた。クザンは両手を打ち鳴らすと、楽しんでと周囲からこの空気の気まずさを取り払った。
「あらららら、おれも酔っちゃってるか?」
 その楽しげな声と情けない少将の姿に、どっと周囲が沸いた。そして、クザンはミトの隣に座っていた中佐に笑顔を向け、声を掛けた。
「悪いけど、そこの人、シャワー室に連れてってくれる?凍らせたのは服だけだから、あっという間に溶ける」
「はっ、クザン大将!その、」
 ちら、と中佐は気遣うように倒れていた体を起こしたミトへと気遣わしげな目を向けた。それにクザンはひらひらと手を振って、こっちは気にしないで、と笑いミトの腕を取る。
「お気になさらず、大将」
「あー駄目駄目、額切っちゃってるから。そんな怖い顔した子がいたら、この場がおれの技でもないのに凍りつく」
 クザンはミトを立たせると、歩けると一度確認してから、はいと返事をしたミトを医療道具が置かれている部屋へと連れて行った。明かりをつけると、クザンはミトに丸椅子を指差して座るように指示する。この人と顔を突き合わせて話をするのは初めてだな、と思いながら、ミトは大人しく言われたとおりに腰かけた。
 髪が短いため、前髪を上げると言う仕草も必要なく、クザンはひょいと血が溢れている箇所を脱脂綿で数回軽く叩いた。
「あらら、こりゃ結構深いね。まぁ、でも傷自体は大きくないし、縫う必要はないか。よかったな、アンタ。だが、あの席でのあのもの言いは、お前が悪い」
「承知しています」
 即答され、クザンは軽く眉を顰めた。分かった上での発言であれば、あまりよろしくない。注意を繰り返そうとしたが、その前にミトの言葉がそれを遮る。
「『戦友』を馬鹿にされて、怒らないほうが無理と言うものです」
 じく、と傷口に消毒液を染み込ませた脱脂綿が押し付けられる。
「たとえ顔を見たことがなくとも、一戦交えたことがなくとも、海賊と海軍は、海を愛し、その上で互いの信念の元に刃を交わす、戦う友。捕獲したならばそれで良いでしょう。しかし、敗者を詰ることなど、許されたものではありません」
「…もう少し、気楽に考えた方がいいんじゃないか」
「友を侮辱されてへらへら笑っているくらいならば、殴られた方がましです」
「そういうもんかね」
「そういうものです。手当、傷み入ります」
「いや」
 ミトは椅子から立ち上がり、深く一礼するとその場を後にした。
 全く少しも掴めない、そんな女だとクザンは首筋をかく。ハルバラットが口にしていたように、七武海にへりくだっているだけの女であれば、危険因子でも何でもない。だが、彼女には実力が伴っている。そして彼女が信じる正義がある。情にも厚い。だが、彼女は何かが違う。クザンはそう嗅ぎ取っている。何のために海軍に居るのか、良く分からない。
 ハルバラットのような腐った海兵が居る中で、彼女のような存在は稀有だと言っても過言ではない。だが、やはり何かが違うのだ。信じる正義も掲げる正義も振るう力も、確かにそれらは全て、正義の名のもとに還元されているが、違和感を覚える。海兵で無いとは言わないが、海兵であると断言もできない。少なくとも、ハルバラットと彼女の間には何かしら確執がある様子でもあった。それも、ミトだけが知っており、ハルバラットは何も知らない何かが。尤も、あの覚えの悪い少将のこと、ただ物忘れが激しいだけと言えばそれに納まる。口さがないことも、クロコダイルとの仲故に言われたりするが、おつるさん曰く、公私を交えることはしないとのことなので、それさえ除けば部下からの信頼も厚い。腕一本でここまで這い上がってきた人間には、やはりそれなりの尊敬が集まるものである。その上、能力者でないと来れば尚更である。
 ただ、クザンには気になることがあった。
 あの時、少将に頭を踏みつけられていた時にミトが向けていた視線である。あれは、殺意の塊であった。ぎりぎりで押さえこんでいたが、まるで抜き身の刃のように研ぎ澄まされたそれは、人の皮を被っていた。底なしの暗闇を覗いたような気分にさせられた。
 階級は大佐。准将試験は一度クロコダイルとの間柄を「友」だと即答したのと、出自の不明瞭さから受理自体を退けられている。自分たちの高みに登ってくるだけの力は彼女には十分に備わっている。ただ、それに見合った階級には属していない。そして何より、彼女は一体何のために高みを目指すのか。ある意味、個人的な自由が利く範囲は大佐が尤も便利である。艦長、つまり軍艦一隻を自分の意志一つで自由に動かせる。准将以上になれば、個々ではなく、群での艦隊指揮権を得るが、そうなると、頭数が多い分個人の自由はあまり効かなくなる。つまり、自分の自由意思で海を渡りやすいのは大佐クラスなのである。
 もとより、階級などの称号に一切の興味関心があるように見られない。ならば何故、彼女はそれを手にしようとしているのか。
 そこまで考えてクザンは面倒臭い、と思考を放棄した。こうやってこまごまと考えたりするのは自分の領分ではないのだと溜息を吐く。ぴゅーい、と高い口笛の音が窓の外から響いた。巨鳥が月を背中に旋回しながら下りてくる。広いグラウンドに一羽のカヤアンバル。敵にすればどれだけ厄介なことか、とクザンはそんな事を思った。
 そして月明かりの下、ミトの顔を見る。優しげに笑っていた。
 あの子は笑わないんだよ、と言っていたつるの言葉をクザンは思い出す。
「…笑ってるじゃない…の?」
 彼女にとって海軍という組織は一体何なのか、クザンにはやはり良く分からなかった。