Lose a leg rather than a lifes. - 2/2

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 馬鹿かてめぇは、と男の声が病室に響く。それにミトはそうでもない、と軽く答えた。
「重症になるような傷は無かったんだ」
「手当くらいしときゃよかっただろうが、馬鹿が」
「頭が倒れては、な」
 深い溜息が病室に落ちた。そして、クロコダイルはベッドに座るミトに尋ねようと、口を開いた。だが、その前にすっくと立ち上がり、黒いコートを動きに合わせて揺らし、閉めていた扉を開けた。そこには誰も居ない。どうした、と背に声が掛けられ、なんでもねぇ、とクロコダイルは席に戻った。
「ガキなんざ無視しときゃよかっただろうが。一を取ってどうすンだ」
 男の言葉に女はからからと笑う。
「海兵は、何のために在ると思う。クロ」
「んぁ?」
 白いシーツを引っ張り、ミトは穏やかに笑う。
「海賊を捕えるために、マァそれも間違いではない。でも、一番は市民の安全を守るためだろう。十人助けられるからと言って一人を見捨てるのか?御免被る。目の前の命一つ助けられずに何が海兵だ。それは、あの人が認め尊敬した海兵じゃぁない。どうして十も一も両方助けてやると言えないんだろうな」
「そっちの方が利口だからだ。余計な事言わなきゃ、責任取らなくてもいいワケだからな」
 かぷりと紫煙が吐きだされ、続けられた反論をミトはやはり笑って、ゆっくり言葉を付け加えた。
「それをしてこその、海軍だろう」
「だからテメェは厄介者扱いされンだよ」
「上等だ」
 はは、と明るい笑い声が病室に響く。それをノックの音が遮った。クロコダイルは先程下ろしたばかりの腰を持ち上げ、ミトを見下ろした。ぐしゃりとその短い髪の毛を撫でる。金色の、爬虫類を思わせる瞳が細められた。溜息がこぼれる。
「無茶ばっかりするんじゃねェよ」
「無理な相談だ」
 笑ったミトにクロコダイルは首を軽く振って、また来ると踵を返し扉を開き、外で待っていた海兵を一瞥すると入れ違いに外へと出ていった。黒いコートが視界から消える。それと同時に、中に海兵が一人入る。中佐階級の男は正義を掲げたコートを羽織った状態で、ベッド脇に辿り着いた。その手には白い紙が結構な量持たれている。ミトはそれが何であるのか、即座に理解し、ギックに手を伸ばして差し出されたそれを受け取った。
 転属届けである。
「過半数です」
「そうか」
 一枚一枚をざっと目を通し、隣の名簿と照らし合わせているその表情は揺れが無い。ギックは思わず尋ねた。
「どうしてそう平然としておられるのですか」
「あの程度のことで転属する様な奴は私の部隊には必要ない」
 許可のサインを滑らせながら、ミトはあっさりとそう答えた。上官のあまりにも簡素な答えにギックは顔を顰める。眉間に軽い皺が寄る。
「先程のお話、失礼ですが聞かせて頂きました」
「あいつが外を確認したのはそのせいか。盗み聞きは感心せんな、中佐」
「あなたの指示ミスでは?あなたが取った命令は一般的ではなく褒められたものではありません。多くの兵が死ぬところだった」
「なら死ね」
 斬り捨てられた言葉に目を見開く。ぽかんと口を開けて間抜けな顔をしている中佐にミトは筆を滑らせながら、それを横目でちらりと見た。顔を歪めている部下へと声を掛ける。
「海兵が、何のためにあると思っている。死ね」
「そのような」
「黙れ。戦う力の無い市民を暴力から守る盾になる覚悟もなくお前はその正義を背負っているのか」
 宝石のような煌めきを持った双眸はあまりにも強く、立ちつくしている部下を射抜いた。怒られているのだ、とギックは気付いた。そして腹の内で嗤った。一を捨てて十を取ってきた今までの上官を腹の中で嘲笑いつつ、自分の命が危険にさらされればそちらが正しいと口にしたその事実に。
 上官の声は叱咤を孕み続けられた。耳に酷く痛い。
「市民を殺して兵を助けるか?お前は何を考えている。明日も分からぬ未来を杞憂してどうする。今日果てようとも、明日に繋がる命があるのならば、我々はそう行動するべきだ」
「海兵も、待つ家族があります。捨て駒にされるようなことを言うのは」
 思わず口を突いて反論した。だが、返されてきたのはあまりにも簡素な言葉である。だからどうした、と。
「無駄死にはさせん。だが一人の市民を助けるために十人の海兵を死なせることも已む無しだ。例えそれがどんな人間であったとしても、だ。分かるか」
「あの海賊を海に放つおつもりでしたか」
「武装が完璧であったならばな。人質を助けるためなら、それもまた仕方がない」
「無計画だ。無責任だ。アンタは、おれたちを何だと思っているんだ」
 堅固な意志を目の当たりにして、胸を掻き毟られるような痛みにかられながら、男は必死に言い返す。だが、上官は部屋一杯に笑い声を響かせただけだった。まるで、馬鹿にするように。否、実際に馬鹿にされたのである。
「下らん質問をするな。海兵だ。お前たちは、海兵だ。市民のために、海の平和のためにその身を差し出し、命を懸ける海兵だ。無責任だと?人質を解放後に捕まえればいい」
「それまでの間にどれだけの市民が犠牲に」
「犠牲などださせなければいい。何故それが言えない。それを口にしない。無計画だ無責任だと罵り責任を放棄する前に、お前は責任を負うことをしたか?逃がした海賊をもう一度捕まえると、何故言えない。先のまだ出ていない犠牲に怯えて、目の前の命を殺すのか。子を失くした、大切な人を失くした市民に、彼らは尊い犠牲でしたと勲章でも贈るつもりか。そんな下らないもので人の死が埋められるとでも思ったか」
「それはおれたちだって」
「だから言った。我々は海兵だ。命を捨てる覚悟があるはずだ、と。その家族も、お前を大切に思ってくれる者も、お前が大切に思っている者も、それだけの覚悟はしなければならない。海兵になるとは、そういうことだ」
 最後は、大層可哀想な目をされた。嘲ってきた上官たちと自分が同じ人間だと同じだと言われているような気がした。否、同じ人間であった。最後の一枚にサインがなされる。ミトはそれを数え、再度照らし合わせて最終確認をし、おいと唇を噛んでいる男に声を掛ける。
「一枚足りん」
「は?それで全てですが」
「お前の分が足りんと言っているんだ。転属届けを出すんだろう。またサインするのは面倒臭い。とっとと出せ」
 手を伸ばされ、ひらひらと催促される。中佐階級の男は言われたとおりに折り畳んでいた転属届けをポケットから出した。
 最後の最後に皮肉と嫌味と共にサインを要求するつもりだった。アンタのせいで殺されるところだった、と。無駄死にするところだったと。だが、差し出した紙に上官の指先が触れる前に、びりと指先に力を込め、上下に引き破る。そして左右に。もう一度縦に、横に。細切れになったそれを側に在った屑かごに捨てた。小さな紙切れは風の抵抗を受けて、綺麗には屑かごに入らず、幾枚かは床に落ちる。
 ワインの瞳が丸くなる。ざまぁみろ、とギックは腹の中で笑った。おれみたいな、と言葉を続ける。気丈に笑う。
「おれみたいな有能な部下なくしてどうします。あなたのような猪突猛進の馬鹿な上官には必要でしょう。それにいつ誰が転属届けを出すなどと言いましたか。勘違いも甚だしい。付き合って差し上げます、大佐」
 ほう、と低い声が響く。
「死んでも、文句は言うなよ」
「無駄死にではないのであれば。それは、しないのでしょう?いざとなりましたら、大佐を盾にしますのでご心配なく。おれも、自分の身を守ることくらいはします」
 にぃと笑った男にミトは薄く口元を緩めた。ああこの人もこんな風な顔をするのだ、とギックは目を丸くする。
「よろしい」
 ひとつ、声が部屋に届いた。では、と続け様に白いシーツが捲くられる。病院服の下にはしっかりと包帯が巻かれており、血は滲んでいないものの、やはり撃たれたことを彷彿とさせた。子供一人を助けるために、九の弾丸をその身に躊躇なく受けることを選んだ。死ぬかもしれないのに。
 それでもこの人は立つのだ、と男は思う。
「では、私も職務に戻るとする」
「は?」
「もう動ける。いつまでもごろごろしていては腕もなまる。可愛い部下が気概を見せてくれたんだ。それに応えなければな」
 壁に掛けてある海軍コートをミトは左手に取る。手の甲辺りまでしっかりと包帯が覗いている。おいおい、とギックは呆れかえった。
「何を」
 大佐、アンタ馬鹿ですか、と続けようとした時乱暴に扉が開かれた。王下七武海が一人、先程入れ違いに部屋を出て行ったはずの男がそこに額に青筋を立てて立っていた。扉が小さく感じる。咥えられている葉巻はぎぢりと噛まれ、彼の苛立ちを露わにしているようだった。
 クロコダイルはギックの存在など視界に入らないとばかりに(実際に視線としては入らないのだろうが)がつがつとその横を通り過ぎ、海軍コートをミトの手から奪い取った。そして、振り上げた鉤爪でこれ以上ない程に強くその頭を叩きつける。痛い!と悲鳴が上がった。
「てめぇは…どうしてそんなに頭がカスカスなんだ。えぇ?」
「い、いや、もう動けるし」
「動けるのと治るのは同じじゃねェんだよ。馬鹿野郎が」
 怪我人にするとは思えない動作で男は女をベッドに蹴りこかせた。生身の右手で頭を枕に押さえつけ、そのまま器用に体をベッドに戻す。一度まくったシーツをその上に掛ける。
「…過保護」
「過保護にせざるを得ねェ理由を一度てめぇに聞いた方がいいか?」
 椅子を引きずり、その上に乱暴に腰かける。ざらりと体は砂となり、まるで縄のように重たく女の上に乗った。
 まるでコントのような光景を目にしつつ、ギックはしっかりと空気を読み、上官がサインした書類を手に取ると、こそりと部屋を出る。そして、手にした転属届けの書類をぱらぱらとめくりつつ、薄く笑った。ああお前らはとんだ馬鹿だ、と。無駄に殺すかも知れない上官に従うはめになるかもしれないのに。
 否、しかし。
「とんでもない上官を持ったもんだ」
 おれも、と小さく笑いつつ、正義のコートをはためかせた。その二文字が大層誇れるものに思え、男は足取りを軽くした。