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蝋印をで封をされ、丸められた筒状の書状が差し出される。
皺の寄った、年を感じさせられる手から差し出されたそれを名前1は一度見下ろし受け取ると、再度顔を上げてつるへと視線を戻す。顔も手と同じように多くの皺が刻まれており、年が感じられたものの、その根本にある美しさは覆らない。
伏せがちの瞳にかかった白の睫が一二度動く。
「こちらは」
名前1はつるに手の中に残る書状を矯めつ眇めつしてから訪ねた。望遠鏡のようにして中を覗くものの、書状の全ては読み取れず、軽く筒状の紙を振ることで問いかけの不足分とした。
蝋印の押されている書状の扱いにつるは軽く溜息を洩らしながら、届け物だよと答える。
「アラバスタ王国にいる王下七武海のサー・クロコダイルにそれを届けとくれ」
「カモメ便を使うのが手っ取り早いかと」
「出来るだけ早く届けてほしいから、カヤアンバルで行けるかい」
そちらが本文かと名前1は自身が飼育する大型鳥類の速度を考えて頷いた。確かに、カモメ便よりもカヤアンバルの方が数段速い。
分かりました、と告げる前に、つるはその言葉を手を振って遮る。
「一人で行くんじゃないよ。せめて二人でお行き」
「書状を届ける程度、一人でも問題ありませんが…中将がそうおっしゃるのであれば、中佐を連れていきましょう」
「アラバスタの視察も兼ねとくれ。何でも海賊が英雄だとか噂になっているから」
「海賊が、英雄、ですか」
それはまた奇妙な、と名前1は小首を傾げる。兎にも角にも一度足を運んでみなければ、その現状は分からない。それ以上に名前1は気になることもあったが、それを口にすることは憚った。
王下七武海と顔を合わせる機会は少ない。名前1は海兵になって長いものの、実際に顔を合わせたことはほぼないといって等しい。会議などで時折召集されることがあるものの、幸か不幸か今まで海賊の討伐等で海原にいたため、会う機会がなかったと言える。
初めてがサー・クロコダイルか、と名前1は覚えのある名前に目を細めながら、書状を手の内で回した。
「仔細了解しました。直ぐ発ちます」
「そうしとくれ。気を付けて行っといで」
「はい」
つるに一礼をし、名前1は部屋に戻るや否やギックに声をかける。
「アラバスタ王国へ飛ぶ。準備をしろ」
「飛ぶって…船では行かれないんで?」
尤もな疑問に、名前1はああと二つ返事で応えつつ、外套を突っ込んでいるタンスを漁る。
アラバスタ王国は砂漠の国。全身を覆う布が必要になる。自身の大きな体を覆うための大布を引っ張り出す。それに加え、砂の王国の気候を考え、スーツをやめて動きやすく通気性の良い服を出し、身につける。足元は砂が靴に入らないようブーツを履いて、その口を紐で動きを阻害しない程度のきつさで締めた。
てきぱきと準備を終えて行く名前1の隣でギックも同様に身形を整える。外装はほぼ同じ格好となった。
互いに、体に足元まで覆うローブを巻きつけた。
「アラバスタ王国ですか…アラビアンですねぇ…あっちの女性はお腹出しているなんて話も聞きますけどどうなんでしょう」
「腹を出すことと、今回の任務に何か関係性があるか?」
「おれの気合いの入り具合が変わります」
きりっと顔を引き締め、至極真面目な顔でおかしなことを言う部下の行動は慣れたものとはいえ、名前1は嘆息し、頭痛を感じ頭を押さえた。
呆れた上官の態度にギックは武器を装着しながら、反論をする。
「おへそを出した女性の美しさは目を瞠るものがあります。ウエストからヒップにかけての蠱惑的なライン…全く目が離せませんよ!」
「生憎お前に目を離してほしくないのはアラバスタ王国の現状だ」
「遊び心も必要でしょう。きっちりまかれた腰布から分かるヒップの丸みも見所です。腰回りについた触り心地の良さそうな肉もちょっとマニマックですけど素晴らしいです」
「…勝手にしろ。準備はできたな、行くぞ」
やれやれと名前1は外に出て、空を旋回するカヤアンバルを呼び寄せる。その巨大な白い羽が大空から舞い降り光を遮断する。風圧はすさまじく、気を張っていなければ吹き飛ばされそうなほどである。
ギックは普段であれば被っている海兵の帽子の代わりに被せている布を吹き飛ばされないよう指先で抑える。上から叩きつけられるようにし吹き荒れる風は地面に当たり、再度空へと登る。スカートのように外套が空気を呑み込みめくれ上がる。
頭上から舞い降りた巨大な鳥類にギックは感嘆に近い長い息を吐く。
「乗るのは初めてです」
「そういえばそうだな。喰い殺されんように気を付けろ。気性は穏やかだが、獰猛な気質も持ち合わせているからな」
名前1は頭を下げて撫でることをゆすり目を細めた愛らしい鳥類の嘴を掻くようにして撫でる。クククと喉を鳴らしながら、ヤッカと名づけられたカヤアンバルは満足げにその巨頭を名前1の胸へと摺り寄せた。
それで、とギックは上官へと顔を向け、山のような鳥を指差す。
「どうやって乗るんですか、コレ」
羽毛は酷く柔らかく、触るだけで手首より奥へと埋もれてしまう。上によじ登ろうと羽毛を引っ張ればその嘴の餌食になることは間違いなかった。
ギックは腕を埋める楽しさに口元を緩めながら、どうするんですと再度尋ねた。
「羽毛も気持ちが良いですが、でもやはり一番気持ちがいいのは女性の胸ですね」
爽やかで人懐っこい笑顔で発言自体はセクハラの塊である。名前1はやれと諦めを覚えながら、ヤッカの首を軽く二度ほど叩き意思を伝える。
「乗る方法は二つある。一つは」
次の言葉を紡ごうとした男は浮遊感を感じ、舌を噛まぬよう咄嗟に口を閉じた。襟首を量嘴が啄み、鳥の体格と比べれば象と豆粒ほどもあるその小さな体を宙へと放り投げた。全身を隠す大きなローブが空気抵抗を受け微震しながら体に纏わりつく。
中空へと放り出された体は重力に従い落ちていく。下を振り返り受け身をとろうとギックが体を捻ったところで全身が柔らかな羽毛に包まれた。転がり落ちるかと思われたが、なだらかな窪みとなっており、地面へと滑り落ちることはなかった。
「放り投げてもらう方法」
「先に仰って頂けませんか…食われるのかと思いました」
「もう一つは自分で登る方法だ」
名前1は足元の地面を蹴りつけ体を宙へと浮かせ、その体が地面へと落ちる前に再度空気を圧迫させて蹴りつける。それを数度繰り返し、滑らかな動作でギックが転がる場所へと足をつけた。
「ヤッカに頭を下してもらって、それを登るのもありだ」
「放り投げさせたのは意図的ですか。おれ、そっちの趣味はないんですけど」
「少しは肝も冷えたろう。下の方も縮こまって丁度いいんじゃないか」
「大佐からそのような下ネタ頂けるとは重畳です、と」
ふ、と体がぐらつき、ギックはその身を羽毛の中へと伏せた。空を飛ぶ、とはいささか奇妙な感覚である。名前1にとっては慣れたものであったが、その部下にとっては全く初めての経験であった。殴り飛ばされて宙を舞うとは話が違う。
名前1は尻をヤッカの背に下し、顔を上げろと部下の首根っこを引っ掴み姿勢を正させる。名前1の顔を風が撫ぜる。地面の香りと、空の香りが混ざり合う一瞬に、短い髪の毛が空気を大量に含んだ。ギックは片目でその光景をしっかりと見た。上昇速度が速まり、一気に風景が砂粒よりも小さくなる。島が一望できるほどに小さくなり、視界には島と海が広がる。
ぱちりと目を瞬き、ギックはこりゃ凄いと単純な感想を口にした。
島すらも水平線の彼方へと消えたころ、名前1は懐からエターナルポーズを取出し、ヤッカへと方向を一度のみ指示する。
「それで事足りるんですか」
「お前と違ってヤッカは素直でな。空には障害物もない。一度教えれば、そちらの方向へと間違いなく進む」
そう言いきり、名前1は取り出したエターナルポーズを懐にしまい直す。話のネタもつき、そう言えばとギックは思い出したように上官へと口をきく。
「しかし七武海へのお遣いだなんて珍しいこともあるもんですね。サー・クロコダイルの顔は分かりますか」
「知らん。名前は知っているが」
上官の信じられない言動にギックは頭を抱えかけたが、想定内とばかりにローブの下にかけていた鞄からかつての手配書を引っ張り出して、上官へと提示する。
「この顔です。覚えといてくださいよ。まさかとは思いますが、他の七武海のことも全くご存じでないとか」
「何だ、お前覚えているのか」
「大佐。がっかりですよ、大佐。想定内ですけれどもがっかりです」
ああとギックはこれ以上ないほど大げさに振る舞い、項垂れた様子を見せた。全く可愛げの欠片もない部下である。名前1はそうかと短く返事をして、ギックへ頬杖をついて見せた。
「なら教えてくれ。どうせ着く間で暇だ」
「仕様のない方ですね。いいですか、王下七武海は現在ゲッコー・モリア、バーソロミュー・くま、ジンベエ、ボア・ハンコック、ジュラキュール・ミホーク、ドンキホーテ・ドフラミンゴ、そして先程お伝えしましたサー・クロコダイルの七名で構成されています」
「ハンコック、鷹の目、ジンベエなら知っている」
「どうせ七武海としてじゃないでしょう」
「そうだな」
淡泊に返した上官に部下は溜息交じりに釘をさす。
「そんなのだから、他の将校達から陰口叩かれるんです。海賊と仲良くするのも結構ですけど、少しは控えて下さい」
ギックはクロコダイルの手配書を出した鞄から先程の名前の挙がらなかった海賊の手配書を取り出して名前1へと見せる。ふうんと鼻を鳴らし、名前1は手配書をギックへと返却した。
返された手配書を鞄の中へと戻し、ギックは分かりましたかとうんざりした顔で口を曲げた。どうにも世情に疎い上司を持つと困るのである。
風が二人の顔の横を叩きながら、あっという間に後方へと流れ去る。見渡すばかり海ばかりで他に見るものもない。会話が一度途切れ、ギックは話題を新たに持ち出した。
「サー・クロコダイルとは知り合いでないんですか」
「…古い友人が同じ名前だ」
「友人?」
「だがまあ、」
クロコダイルの手配書を一枚手に残した状態で名前1はその似顔絵を見る。
似ているといえば似ている。似ていないといえば似ていない。目元が似ているといえばそうだが、名前1が知っているクロコダイルという男には顔に傷がなかった。
「同姓同名はどこにでもいるもんだ。話をしてみんことには、どうにもな」
「それもあって、今回の件を受けられたんですか?」
部下の質問は的を得ているようで、的外れである。名前1は違うと答えた。
「興味がないといえば嘘になるが、ただ単に中将から依頼があったから受けただけの話だ」
「おつる中将の依頼となれば、大佐は断れませんねぇ。納得しました」
手を打って納得とばかりに頷いてみせたギックを横目に名前1はヤッカの柔らかい羽毛に埋もれて横たわる。視界は白く柔らかな上質の羽毛の隙間から見える青ばかりである。雲は抜けてその上を飛んでいるので、雲ひとつない空が広がっている。カヤアンバルによる飛行が天候に左右されないのは雲の上を舞うことに由来する。
潮の匂いが鼻を擽り、その心地良さに気持ち良くなりながら名前1は目を閉じた。
「大佐ァ、暇です」
「知るか。寝ろ」
「…大佐が可愛い女性だったら社員旅行で盛り上がったのに…」
「喧しい」
恨みがましい愚痴を片手で払い、名前1はヤッカが到着を知らせるまで穏やかな眠りへとついた。