置き去り - 1/2

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 重たい扉が閉ざされる。
 ギックは狭い小部屋に一つずつある椅子と机、それからベッドを眺め見て、目尻に一つ二つ皺を増やした。どすんと音を立てて回した椅子に座る。謹慎処分など、全く持って冗談ではなかった。何とも馬鹿馬鹿しい処遇である。あの人が。ギックは一つある鉄格子付きの窓をちらと眺める。四角く切り取られた空がそこに残っていた。部隊の他の連中も寮で謹慎を言い渡されていることは確かであった。
 ごつんと机の上に足を乱暴に放り投げ、乗せる。普段であれば間違いなくそんな行為はしない。
 ミト元准将がハルバラット少将を殺害。
 あの二人が元より仲の宜しくないことをギックは知っていた。少将は大佐、准将をここぞとばかりに目の敵にしていたし、それ以上にあの人は少将を嫌い抜いていた。その理由こそ知らないが、嫌っていることは知っていた。嫌い、というよりむしろ憎悪や嫌悪に近いそれであったようにギックは記憶している。しかしながら、あの人がと信じられなかった。ギックが知るミトという上官は、罰することはすれ、殺害という処断を暴力的に振るう人間ではなかった。どこまでも海軍としての規律と正義を守る人間であった。羽織ったコートの背にはためく正義の二文字がどこまでも似合う人であった。否、似合う人である。
 何かの間違いだろう。ギックはそう思う。
「大佐」
 准将に階級が上がっても、長年の癖は抜けず、未だに咄嗟に出る名称は「大佐」である。
 ああとギックは顔を上げた。こんなところで自分はいったい何をしているのだと。両手で頬を挟み叩く。ぱちんと高い音が鳴り響き、目が覚めるような痛みが皮膚下の神経に伝わった。
「おれを、甘く見ないことです」
 こんなことでめげる己ではない。何しろ、あの人の下で鍛え上げられたのだから。
 ふんと一つ鼻を鳴らし、ギックは放り投げていた足から靴を取ると、その靴底をべコンと外した。幸いにもこの部屋には電伝虫が設置されていない。要監視者でもないので、実際には必要もないのだろうとギックは見当をつけ、これ幸いと含み笑いを零す。外した靴底の裏に仕込んであった細い針金を手にし、底を戻すとするりと靴下に靴を履かせ、両足で堅い床を踏む。見回しても、全くと言っていいほどに面白味のない部屋である。
 早々に出てしまおうと、ギックは堅い扉の前でしゃがみこみ、一度扉に耳を押し当て、外の気配を探る。足音が耳に入らないことを知ると、その鍵穴に先ほどの針金を差し込んだ。そうすると、数秒もしないうちにかちんと音が鳴り鍵が外れる。音が立ってさらに数秒待つ。音に気付いたのか、外に立っていたと思われる兵士がどうしたと様子を見るために扉を内側に押した。見定め、首に手を回し頸動脈を軽く締めて落とす。ずしりと腕の中の体が重くなり、それを床に放り投げて、大層嫌そうな顔をしながらギックは海兵の服をひん剥いた。男の服を脱がせる趣味など毛頭ない。パンツ一丁の姿を見下ろしながら、ギックはこれ以上ないほどに不愉快な顔をした。ひん剥かれた海兵がたいそう気の毒であるが、それを注意する者は誰もいない。
 自分の服を脱ぎ、海兵服を着る。帽子を目深に被ってしまえば、一般兵と見分けなどつくはずもない。そう特徴的な外見も持っていないことも幸いした。自分を中佐と階級証明をするものと言えば、やはりあの重たい海軍コートなのである。きゅっと帽子を深めに被る。パンツ姿の海兵にスーツの上下だけを着せ、手足、それから口を縛った上でベッドに寝かせるとその上にシーツを被せる。こうすれば、シーツをめくらない以上異常など分からない。
 外に出ると、取り上げた鍵で扉を閉める。がちんと景気の良い音が鳴った。素敵である。
 造作もないことだとギックは頷きながら、きょろと周辺を見回した。大佐に、否、准将に会いに行って事情を聴いた方がいいかと一歩踏み出したが、すぐにそれを否定して停止する。自分がここに軟禁されたのはそれ即ち罪状が確定したものとみていい。ならば、すべきことは、あの人に会いに行くことではなく、その確定をひっくり返すことのできる人を当たることである。そして、その人物は、彼女をよく知る人でなくてはならない。多少の融通も利く。
 そうとすれば、その人物像は一人しか思い浮かばない。ギックは周囲を気にすることなく、そちらの部屋へと足を向けた。途中、どぎつい色をしたピンクのコートとすれ違ったが、気付かれることはなかった。敬礼をしていれば相手はさほど気にすることもない。どうせこの男が見分けようとしているのは、あの人だけなのだろうけれどもと思いつつ、過ぎ去った男に背を向け、老兵が坐する部屋をノックした。失礼します、と一言声をかけたから入室する。
 こちらを一度見た中将は、困った子だねとそう言葉を漏らした。ギックはそれに薄く笑い、あの人の部下ですからと付けた。
「単刀直入に申し上げます」
「部屋にお戻り。疑われるよ」
 言葉を続ける前に素気無く言い返された言葉にギックは微かに眉をひそめた。一度開きかけた唇を閉じ、しかしまた開く。目深に被っていた帽子をするりとその坊主頭から取り除く。双眸が老兵へと向けられる。
「大佐は理由もなく、海兵を殺すような人ではありません。殺害が事実でありましても、大した審議もなされず、LEVEL6へと送るのは如何なものでしょうか。何か、理由があったはずです。減刑の措置を求めます。個人としては、金食い虫の老害を殺害した分上層部からも拍手されて構わないのでは。あの少将が過去にわたり、海賊と手を組み海を荒らしてきたのは事実です」
 証拠はありませんが、とギックはそれを口ごもった。それらは全て問うた人々から答えてもらっただけに過ぎない。証言などいくらでも覆され、物質的証拠がなければ立証は難しいと言える。あの人が、とギックは続けた。
「海軍へ貢献してきた事実をお忘れですか。確かに海賊と酒を酌み交わすこともあったでしょう。しかし!あの人がそれを公私混同したことはありませんでした。あの人は、どこまでも海兵だった。海を荒らせば海賊を捕え、要求があれば大佐は…いえ、准将はそれに応えました。その仕打ちがこれですか。中将、お答えください。あの人がサー・クロコダイルと手を組むなど!どう考えても何があっても!考えられないことではありませんか!中将、それはあなた自身が一番存じて居られるはずだ!」
 は、と一息に言い切り、ギックは肩を揺らす。らしくもなく声を荒げてしまい喉が痛い。黙ったままの老兵に女の部下は言い募った。
「アラバスタの件も。麦わらの一味によってBWが壊滅させられなければ、大佐が赴いたはずです。あの人がそういう性格をしているのはご存じでしょう。友であろうが親であろうが子であろうが。あの人は、海軍の正義を歪めるものを許さない。どんなに厳しい命令を下されてもあの人は、あなた方に従ってきました。あの人は、一度も否とは言わなかったはずです。あの人は海を愛していたから。海軍の正義を、誰よりも何よりも、誇りに思っていたからこその行動です。そして、あの人は、あなた方の言に全て応えてきたはずだ。おれは!それを、すぐ隣で見てきた。ですから!あの人が、何の意味もなく正義に反する行動などとることがありえません。おれは、あの人を信じています」
 まっすぐな視線を向けられた老兵は深く息をついた。耳につけている飾りがちゃりと音を立てて揺れる。男の言葉は耳に沈むものの、一線を引かれた遠くにあった。ああ、とつるは言葉を零す。
「お前の言いたいことは、よく分かる。しかし、あの子のしたことは裁かねばならないんだよ。誰が何を言っても、それは意味のないことだ」
「おれはあの人の部下です」
「…言いたくないことだが、お前にも嫌疑は掛けられている。だからこそ、あの子の部下に対しての謹慎処分が下されたのは…そう、お前が、よく分かっていると思うんだがね」
「承知しております。おれは頭がいいですから」
 相も変わらず謙遜の一つもしない男につるは視線を机の上に戻した。こつんと骨ばった指先が机の上を叩いて鳴らす。
「理由があれば」
「理由など、一体何の意味を持つのか。ギック、頭がよいと豪語するなら分かるだろう。分かるはずだよ。何より、あの子は何も言わない。減刑措置を望んでいない。自分が殺したとの一点張りだ。これでは手の施しようがない」
「会わせてください」
「分かっているだろう」
 本来であれば、見つけた時点で元の部屋に叩き戻さねばならぬところを見逃している。つるの言葉にギックは薄く口端を歪めて笑う。
「申し訳ありませんが、分かりません。中将殿。先刻も申し上げました。何度も申します。おれは、あの人の、あの正義を掲げる人の部下なのです。右腕なのです。あの人が、背負うものはおれも背負います。それが、あの人と共に同じ正義を掲げると決めて、部隊移動届けを破り捨てたおれと!あの人の!」
 約束です。
 らしくもなく、肩を揺らして声を大きくして叫んだ。ギックは帽子をぐしゃりと握りしめ、言葉を並べ立てる。目の前の中将に動いてもらうしか他に手がないことをギックはよく知っていた。頭が教えている。それしかないのだと、理論尽くめの世界で答えが出ているのであった。
 堅い帽子のつばが力の入った指先で押し曲げられる。そんな海兵の様子を眺め、つるは低くうめくようにして、しかし残酷な現実を突きつけた。
「もう、あんたはあの子の部下じゃぁない。あの子は、既に准将階級を剥奪され、海軍からも除籍された。お前は今、誰の部下でもない」
「おれの上司はあの人だけです。おれはあのどうしようもないほどにまっすぐな正義を掲げたあの人についていくと、決めています」
「それ以上の発言は許さないよ。お前、今自分が何を言っているのか分かっているのかい。共犯者だとみなされても仕方のない発言ばかりだ。冷静におなり。らしくも、ない」
 ばたばたと遠くから駆け足の音が響き始める。脱走がばれたようであった。ギックは歯噛みした。中将と扉の向こうで声がはじける。時間などない。眼前の老兵は項垂れ疲れたように首を横に振り深く息をついた。そして、ここにいるよと告げる。扉が勢い良く開けられ、両脇を拘束される。中将と吠えた。
「あなたもご存じのはずだ!!!」
「連れて行っておくれ。もう、何も言うんじゃないよ」
「中将!」
 肩の骨が軋んだ。大人しくしろと止められる。
「あの人の正義を一体どうして何故!疑うのですか!!!助けを拒んだからと言って何故見捨てるのですか!あの人が、あの人の正義が!海軍に…ッ我々に必要であることは!分かることでしょう!あの人が一体どれだけの海賊を捕まえたか覚えていらっしゃるでしょう!体にどれほどの傷を負い、どれほどの血を流したか、どれだけの人を救ったか!あなたは、書面上であれ、知っているはずだ!」
「あたしは」
 しん、と部屋に一瞬で静寂が訪れる。つるは深い悲しみを湛えた面を男に向けた。
「助けを求めない人間を、助けることなどできない」
 つるは手元に置かれている、血で彩られてしまっていた書類へと視線を落とした。一枚目は目も当てられないほどに血で汚されていたが、二枚目以降ははっきりと読むことも見ることもできた。既に死んだハルバラットが集めた資料であり、それは全てミトがクロコダイルと共犯していたことを客観的に見て、裏付けるものでもあった。何もなかったのだと、この資料を突きつけられて言えるほどの手持ちをつるは持ち合わせていなかった。それでいて、ミトを庇い立てするのは、どこまで行っても主観的で恣意的行動に過ぎない。
 今現在一時的に拘置所に繋がれいてる娘はそれを知っているのである。だからこそ何も言わない。の、だとつるは思う。中将と叫ぶ声に耳をふさぎたい衝動にかられながら、つるはそのままの姿勢で目線を合わせることもなく、扉を閉まる音を聞いた。クロコダイルと共犯していたという事実だけでもインペルダウンへと連行するには十分であるが、それを6まで貶めたのは少将殺害にある。否定をしない彼女を助けることは不可能に等しい。
 目の前の現実が全てであるとばかりに、彼女は何も言わない。己を慕う部下も、己を心配する上司も、彼女にとっては既に全て一切合財どうでもよいもののように思えていた。
 つるは以前、自身が彼女を赤犬かスモーカーのようだと言い表したことを思い出す。しかしそうではないと今更ながらに首を横に振る。そうではない。同じような絶対正義を持ちながら、彼らの方向性は何処までも違う。彼らは海賊を認めることはしない。彼らにとって海賊は絶対悪なのである。海賊は捕まえるべき存在であり、絶対的な、いかなる角度から見ても敵にしかならない。
 しかし、ミトにとってはそうではなかった。唯一の違いと言えばそこなのだろうと、つるは今思う。皺の寄った冷たい指先を温めるようにして触れ合わせる。冷たい。ドフラミンゴには今後間違いなく訪れるであろう未来を口にして教えた。そうでもしなければ、あの男は間違いなく拘置所に足を運び、娘を詰るか何かをしたに違いない。騙したわけではない。いずれそうなる運命である。インペルダウンLEVEL6へと連行されることも何もかも。敢えてそれに嘘を吐いたというのであれば、現在はいまだ拘置所であるというただそれだけの事実である。遠からず、否、今晩、もしくは明日の朝にでも彼女は難攻不落の要塞である地獄の門をくぐることだろう。
 ぎゅぅとつるは目を瞑る。視界は真暗に、ぼんやりと光の加減で血管が見えた。彼女の部下は。ああとつるは一人ごちる。愚かで寂しい、初めて会った時のあの瞳を思い出す。そうしてつるは理解する。世界最高の参謀の頭脳は、今になりようやく全てを理解した。あの目の意味も言葉の意味も。嘆いても、仕様のないことである。どこまでもどこまでも。
 いつ淹れたのか覚えていない茶はすっかり温く冷めてしまっていた。