正義の名の下に - 1/3

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 黒と白の囚人服。それは檻のように縦ではなく、横にラインが流されている。だが、檻の中に居る男はその服装を全くしていなかった。それどころか、彼の服は船長そのものの服装で、優雅に葉巻をふかしている。脇にはB.Wの印が入った海賊帽とマントが丁寧に畳まれて置かれていた。几帳面な性格を如実に表していた。隣に立つダズ・ボーネスはまるで英雄そのもののような奇妙な格好をしており、思わず目を引かれてしまう様な、というよりも、どこぞのヒーローアニメのような格好をしているのだから、嫌でも目につく。カウボーイのようなブーツと派手なベルトはひどく特徴的だ。
 ミトは檻の外からその光景を眺め、葉巻を吹かしている男へと声をかけた。
「大層な御身分だな。拘置所で葉巻とは」
 内容とは正反対の優しげな声にクロコダイルは眉をピクリと上げ、正義の文字を背負う女へと視線を向けた。短い髪と腰に佩いた刀が揺れている。穏やかに浮かべられた口元の笑みとその瞳の色に敵意も、檻に居る人間に対する蔑みも、何一つ無かった。
 ごん、と女の手が檻を打つ。
「海で、待つ。お前を待つ。帰ってくるんだろう。海賊として」
「シャバにゃ、もう興味もねぇな。面白いもんが何一つとして残ってねぇ」
 クハと独特な笑いを零したクロコダイルにミトはいいやと首を横に振った。その動作に合わせて、背に負っている正義の二文字が揺れる。着用を許可されているのは海軍将校のみである、その正義のコートは着用自由だが、それをミトは海軍の一部であるときは常に身につけている。そして、クロコダイルはその理由を知っている。
 ミトはクロコダイルに背を向ける。重たい二文字がクロコダイルの目に飛び込んだ。
「海があるだろう。愛すべき、海だ。帆を張り、船を走らせる。そこで待つ。帰って来い、クロコダイル」
「さぁな」
 首を軽く傾け、嘲るようにクロコダイルは口角を吊り上げた。そのまま立ち去るかと思われた女の背だったが、ああと何かを思い出したかのようにその場をまだ動かない。正義の文字が揺れるのを止め、大人しく下がる。
「以降は個人的な話だ。准将になった。後一つ、いや、あと二つ」
 こちらを向こうともしない女の表情をクロコダイルは容易に思い浮かべることができた。コートの端から覗いている刀の鞘が小刻みに震えている。それは恐らく、柄を持っている手の震えであることは間違いがない。瞳は怒りで煮え滾り、純然たる殺意を撒き散らしている。 あと二つ。中将。クロコダイルはミトの言葉に対して返事をすることはなかった。
「せめて、それまでに海には戻ってくれ」
「気が遠くなる」
 クロコダイルの返答にミトは溢れかえっていた殺気を収め、薄く笑うとポケットを探ると一ダースの上物の葉巻を檻の間を通し、器用にクロコダイルに投げ渡した。鉤爪ではない右手で投げられた葉巻を宙でクロコダイルは受け取った。葉巻と一緒にマッチまで添えられている。ご丁寧に、最も好きな葉巻を選んでいるのは大変彼女らしいとクロコダイルはほくそ笑む。
 かつ、と革靴が拘置所の石の床を踏み、音を立てる。遠ざかる二文字に葉巻の煙を拭きつけた。
「じゃあな」
 ミトの鼻元まで葉巻の煙の匂いが香る。
 脱獄者まで出たのだから、恐らくクロコダイルがインペルダウン行きになることは間違いないだろう。そして、彼がしたことを考えれば、収容される先はLEVEL6と考えるのが妥当。難攻不落のインペルダウン。そこから脱獄することはほぼ不可能に近い。
 だが、とミトは考える。クロコダイルはもう一度海に戻ってくるだろうと。何を持ってそう考えるのかはよく分からないが、彼が海賊である限り、海賊は海に帰ってくる。そうであるとミトは信じている。帰ってきた時こそは、この正義の名の下に海軍と海賊として、正々堂々と刃を交えたいものである。
「麦わらか。私の役を先に奪われてしまった」
 ミトは友人を打ち負かした海賊を思い出しつつ、穏やかに微笑んだ。
 ミトが完全に立ち去り、クロコダイルは二本目の葉巻に火をつけ、軽く吹いた。相変わらずの英雄の衣装を脱ごうとしないダズは、のんびりと葉巻を吸うクロコダイルへと視線をずらし、何かを尋ねたいように口を開きかけたが、それをすぐに閉じて腕を組んだまま静かにミトが去った場所を眺めていた。
 クロコダイルはそれに、かぷ、と煙を吐く。
「知り合いの、海軍将校だ」
 ダズは聞いてもいない質問にクロコダイルが答えたことに驚きつつ、愉しげに煙を燻らせている横顔を見て、彼が上機嫌なことを知る。葉巻があるから上機嫌なのか、それとも彼女が訪れたから上機嫌なのか、その判別はダズには付かなかった。
 ふーぅ、と長い煙がクロコダイルの口から吐き出される。
 煙を吐きつつ、クロコダイルはミトの言葉の意味を振り返る。あと二つ。あと二つで、彼女は少将である彼女の元船長であった男の仇よりも上の階級に登り詰める。その時こそ「正義」の鉄槌を下すのだと、彼女は繰り返し殺意を込めて言葉とする。
 クロコダイルにとっては、何故ミトがそこまで形にこだわるのか分からない。憎いのならば殺したいならば、純粋に力で持って殺せばよいだけの話である。実際、ミトはその少将などよりも階級は低くとも実力的には上である。元は支部の人間であったのだから、実質的な実力はそうない。彼が本部に派遣されたのは、単純なコネと金の話であることはクロコダイルも耳にはしていた。それでも、ミトは上から潰すのだと言い張る。叩き潰すための手段が取れるというのに、意味もなく殺すのでは報われないと繰り返す。
 難儀な性格だ、と煙を吐き出した。上質の葉巻は煙を吸い込めば、旨いと感じる。
「死ぬんじゃねぇぞ」
 葉巻を咥えたままのクロコダイルの言葉は非常に聞き取りづらく、隣に居たダズの耳にさえも届かなかった。仇を取れば本望とばかりに死地に向かう友の背中を思い浮かべながら、クロコダイルは三本目の葉巻に火をつけた。