正義の名の下に - 3/3

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 ドフラミンゴはピンクの羽毛をわさわさと揺らし部屋を訪れた。だが、そこに至ろうとすれば、何故だか海兵たちが邪魔をする。いつもならば黙って両脇に避けるはずの彼らが一体どうしたことかと不思議に思いつつ、無理矢理道を開けさせてそちらへと歩く。だが、途中で海兵が自分の進行を阻止する理由をドフラミンゴは知った。
 鼻に届く、嗅ぎ慣れたその臭い。
 少しばかり足を速めて、ミトの部屋にたどり着く。准将になったことで別室を与えられたのはドフラミンゴも知っていた。
「ッフッフフフッフッフッフ!こりゃ、随分と派手な壁紙じゃねェか…!」
 ドフラミンゴ様、と前方で明らかに慌てている海兵を他所に、ドフラミンゴはその光景を見て笑った。真赤に染め上げられた部屋。それはペンキをぶちまけたわけではない。人一人分の血がべったりと部屋を覆っていた。死体が転がっているのだろうか、そこには一枚の布があり、その下には人と見られる手が溢れて覗いていた。それはミトの手ではない。
「おい、ミトはどうした?部屋の主は、どうした?」
 にたにたと笑いながら、ドフラミンゴはその場に居た海兵に尋ねる。だが、サングラスから視線はそらされ、もごもごと聞き取れない声でしか海兵は喋らない。否、喋ることを躊躇っていた。話して良いのか悪いのか、その判断がつきかねると言った様子であった。
 とっとと話せと思いつつドフラミンゴは男で少し遊ぼうと手を上げたが、その背中に、お待ちと老婆の声がかかる。
「おいたをするんじゃないよ、ドフラミンゴ」
「おっと、おつるさん。あんたに見つかったんじゃ、可愛い遊びもまともにできやしねぇ」
 軽口を返したドフラミンゴに、つるはおいでと手招きをした。ドフラミンゴは遊び足りないと指を動かそうとしたが、数秒考えて、大人しくその背中について行った。
 つるは少しばかり疲れた様子で自室の椅子に腰かける。茶はやらないよ、と一言断ってから自分の机の上の茶をすすった。
「あんたがいるなら茶菓子の一つでも持ってきたんだがな」
「余計な気回しをするんじゃない。全く。ミトだがね、」
「そう!会いに来たってのに、居もしねェ。そんでもって、部屋は大層愉快な色に仕上がってる。ありゃどうしたんだ?」
 フッフフと笑いながら両手を広げたドフラミンゴに、つるは疲れ切った様子で背もたれに体重を預けた。吐き出した息は重たく、床に落ちる。そして指先を湯のみで温めるかのように、指先に軽く力を込めた。
 珍しく口が重いつるにドフラミンゴは笑っていた表情を不思議そうなものに変える。
「あの子は、もう海兵じゃないよ。海軍准将の階級は剥奪。今はインペルダウンさ」
「インペルダウン?」
「どうせあんたの耳にはすぐに入るんだろうから言ってしまうけれど、あの子をクロコダイルの仲間と上層部が判断してね。連行に向かった少将を斬り殺したのさ」
「、」
 言葉にならず、ドフラミンゴはサングラスの奥で目を丸くした。
 あの正義を語る女が、正義の名のもとに控える少将を斬り殺した。珍しくおしゃべりな口を止めたドフラミンゴにつるは静かに言葉を続ける。
「馬鹿な子だよ…全く。今頃はインペルダウン最下層に連れていかれていることだろう。あの子は悪魔の実の能力者ではないけれど、実力としては中将か大将クラスだったからね」
「今准将だって言わなかったか、おつるさん」
「あの子の出自に問題があったんだよ。それでもあの子は頑張って准将まで登り詰めたって言うのに」
 馬鹿な子だ、とつるは再度繰り返した。
 ドフラミンゴはつるの呟きを聞きながら、その大きな体躯を揺らした。椅子の上に大人しく座っていると言うのに、体は軽く揺れている。ピンクの羽毛で作られたコートがわさわさと音を立てた。
 そしてドフラミンゴは思い出す。自分を見てくるあの冷たい瞳を。そこでふとつるが言った言葉を繰り返し思い出し、アン?と口元に指先を添えた。
「インペルダウン?」
「そうだよ。なんだい」
「ワニ野郎が居る所じゃねェか。フッフ、フッフッフ!全く、天はどこまであいつらを引き寄せ合わせりゃ気が済むんだ!」
 つるの怪訝な視線にドフラミンゴは呆然としながら、しかし笑いと共に、しっかりと己の何かを嘲るような笑いを口からぼろぼろと零した。そのさも楽しげな様子に、つるは軽い溜息を吐く。
「脱獄なんてさせるんじゃないよ」
「心配するなよ、おつるさん。どうせ、」
 どうせ、とドフラミンゴは机の上に置かれている急須と湯のみを勝手に使って自分で茶を淹れ、口元に運ぶ。湯が少し温くなっていたのか、普段つるが淹れてくれるような美味しい茶の味はしなかった。
 どうせ迎えに行ったところで自分の手をあの女が取ることは無いだろう。クロコダイルと一緒なら尚更である。
 ドフラミンゴは、母音を大きく伸ばし、その背中をどっかりとソファに預けて天井を見上げた。だれたその大きな体はつるの部屋を占めた。いつもであれば、邪魔だと追い返すつるも今日ばかりはドフラミンゴを追い返すような真似はしない。ピンクの羽毛が視界の端でちらつく中、ドフラミンゴは天井を睨みつけ、口角を吊り上げ、表現しづらい笑みをそこに浮かべる。
「上手くいかねェもんだな」
 一度たりとも自分の名を呼ばなかった女。振り返りもしなかった女。どんなに優しくしても懐柔しようとしても、冷たい目でそれを払いのけた女。一つ気に障る事を言えば、殺意を持った目で睨みつけてきた女。七武海の制度が嫌いで、何かを固く強く心に刻んだ女。自分は駄目なのに、唯一人の男にだけは気を許した女。
 ああとドフラミンゴは溜息をもう一度吐いた。
「おれの手には、触れようともしないんだろうな」
 ふざけるなと強い視線で睨みつけ、唾を吐きつけられるのが落ちなのは、ドフラミンゴにも見えていた。
 どうしたら手に入るのか分からない。レイプしても、きっと手に入らないんだろうとドフラミンゴは思う。体なぞくれてやると、冷たい顔をして、心だけは自分にくれないのだろうと。籠の鳥にしても、彼女は恐らく海を飛び続ける。体だけ残して、どこまでもどこまでも。
 おつるさん、とドフラミンゴは疲れ果てた中将に声をかけた。それにつるは、なんだいと返事をする。
「世界は、おれの思い通りにはならねぇなァ」
「馬鹿ををお言いでないよ。あんたは順調なのが嫌いで退屈なんだろう」
「だがこうも不調続きってのも面白くねェ。好転を自分の力でできるからこそビジネスはそれなりに面白い。だがなぁ、こればっかりは」
 分からねェと口元の笑みを取り払ったドフラミンゴの言葉に、つるはもう一度、馬鹿だねと呟いた。
「それが人の心って言うものだよ。体をいくら操っても、手に入らないものさ。よく、分かったろ」
「分からねぇ。どうすりゃいい?知恵を貸してくれよ、おつるさん」
 無理な相談さ、とドフラミンゴの言葉につるは静かに返し、そして茶をゆっくりと啜った。