La preoccpazione

「ラヴィーナ?」
 びくっとその小さな背中が大きく震える。いつも布をかけているその顔には、今日は奥が外側からは一切見えない特殊仕様のサングラスをかけており、服装もどこか可愛らしさを感じさせるものである。肩に掛けている鞄の肩紐にラヴィーナのその手が握られている。
「出かけるのか?一緒に行くか?一人は危ないからな」
 セオは自分もとコートを手に取ったが、ラヴィーナは慌てて首を横に振る。そして、NO!と大きな文字が書かれたメモ帳がセオの目の前に出された。え、とセオは思わず言葉を失う。ラヴィーナはセオが驚いている間にまた続けて文字を書き、一人で行くと示した。でも、とセオは渋る。
「一人じゃ危ない。外には怖い狼とか…熊とか鮫とか、兎も角、危ない」
 森や海に行くわけでも、動物園に赴くわけでもないのに、セオは的外れなことを言う。尤も、それらの発言は全て比喩のものであり、実際にセオが心配しているのはそう言うことではない。
 危ないラヴィーナと続けたセオの前に、ラヴィーナは一番初めに見せた紙を千切ってセオに強く押し付けた。来てはいけないとばかりに首と手を横に振って、人差し指で地面を数度示した。ラヴィーナ、とセオは踵を返した妹に声をかけたが、ラヴィーナはそれよりも早く扉を閉めて駆けだしてしまった。
 セオはラヴィーナに押し付けられたNO!と書かれた紙へとしょんぼりと目を落とした。本当に大丈夫だろうかと心配は募るばかりである。そわそわとするが、ついてきてはいけないと言われた(示された)手前、ついていくわけにもいかない。セオは、深く溜息をついてラヴィーナが出て行った扉を寂しげに、心配げに見やった。
 その背中に、何やってんの?と呆れた拍子の声がかけられた。振り返れば、見事なまでな凸凹な二人がそこに立っている。巨人と小人は、セオが落ち着きなく見ていた扉へと視線をやった。そして、状況把握に優れたドンは、あー成程ね、とセオが持っているメモ帳と扉を見比べて顎を軽くさすった。隣に立つジーモはドンの言葉の意味が分からずに、どういうことと不思議そうに尋ねた。それに小人は、馬鹿だね、と一言付け加えて、無論それにジーモが怒るなどと言うことは一切ありはしなかったが、事の状況を推測を混ぜて説明した。
「つまりこういうことさ。単純明快もいいところだけど、ラーダが珍しく外出するからついていこうって言ったけれど断られたってところ。で、セオは言われた手前ついていくこともできずに、でもシスコンなので心配で心配で仕方がない。結果、こうやってここでその大きな体をそわそわとさせてるってわけ」
「なるほど。ドンはすごいなー」
「って、いうかこれくらいのこと、猿でもわかるよ」
「俺は馬鹿だから、そういうのは難しいかな」
「ふーん、そ」
 それで、とドンはくんと鼻を動かした。
「あれ、香水までつけてってるんだ。これでセオについてくるなって言うのはあれじゃない?」
「あれ?」
 にやにやと笑うドンにジーモは不思議そうに首をかしげる。そしてセオはぎくぅと大きく肩を震わせた。危惧していなかったと言えば嘘になるが、心配で追いかけたくなるので考えないようにしていたことである。しかしながら、ドンはセオのそういう気質も鑑みたうえで、至極愉しげにその言葉を口にした。
「男。ま、ラヴィーナもあの年だしね。彼氏の一人や二人いてもおかしくないでしょ」
「一人や二人!?おい、待て!俺はそんな話聞いてないぞ!」
「何馬鹿言ってんの。何で私事を一々セオに話さなくちゃいけないのさ。そんな義務ないって」
 がなったセオにドンは馬鹿馬鹿しいとばかりに軽く手を振った。
「まー、最近の男の子は早熟だって言うからね。ひょっとしたらあーんな展開やこーんな展開で美味しいことになってる可能性も十分にあるけど…そこは当人の問題だし、セオが口を挟むことじゃないんじゃない?」
「そういえば、ドミニクにも彼氏いるってこの間手紙来てたなー。俺も彼女できないかな…」
「君、自分の性格分かって言ってる?無理」
 ジーモも自分の妹の事を引き合いに出して、嬉しげに笑った。しかし、セオの顔は紙のように真っ白で、ラヴィーナがと震える顔でつぶやいている。いっそ気持ちが悪い。
「い、いや、でも…ラヴィーナが擦りよられてるんだったら、相手ぼこぼこに叩きのめして二度とその面拝めないようにしてやるんだけど…でも、ラヴィーナが好きな相手だったら…そ、それは…ででででも、ラヴィーナだってもう御年頃だし、そういうことは避妊さえしてれば…で、でも、そいつが本当は悪い男でラヴィーナが騙されてるだけだったら…っ」
「誰がSEXなんて言ったのさ。今更だけど過保護すぎて気持ち悪い」
 言葉の合間にとんでもなく物騒な言葉を混ぜながら青ざめているセオにドンは冷静に突っ込みを入れた。それをほのめかす単語を口にしたのは彼自身であるが、そのあたりは一切気にしていないらしい。
「――――…っラヴィーナ!!」
 結論が出たのか、もとより考えるまでもない結論だったのか、セオはコートを慌てて羽織り、扉を押し開けると慌てて飛び出した。飛び出したその背中を眺めて、ドンはひょいとそれを追いかける。ジーモは追いかけるの、と不思議そうに尋ねたが、ドンはそれに面白そうじゃないと笑った。ジーモも少し考えて、そうだなーと大きな体を扉の下にくぐらせて、大慌てで妹の後を追った馬鹿の後を追いかけた。

 

 こそ、とセオは気配を人の間にまぎれさせて、不安一杯に噴水のそばで誰かを待っているラヴィーナをじぃと見つめていた。通る人々が不審げにセオを始めとした三人組を見やったが、あまりにも不審すぎるので反対に誰も声をかけず、見て見ぬふりをする。
 セオの心配をわざとあおるようにして、ドンはにやにやと笑う。
「あーあー。あーんなおめかししてねぇ。一体誰と会うつもりなのやら」
「…」
「ドン。そんな風に言っちゃ駄目だって。セオ。ほら、ラヴィーナだって可愛い格好したくなるよ。女の子だもんなー。ドミニクもこの間新しい服買ってて、彼氏に見せるんだってはしゃいで…」
 笑顔でとどめをさしているジーモは、あ、と小さく声を出して止まった。絶望的な表情をしたセオに、へらと困ったように笑う。大丈夫と背中を軽く叩いた。しかしそんな気遣いは今のセオには一切通用しない。
「彼氏できて、ラヴィーナがお兄ちゃん嫌い!とか言ったらどうしようか…っ!風呂に一緒に入ってくれなくなったり、下着は別に洗う!とか言いだしたら…おおおお、俺、ど、どうしたら…!」
「君、一体いつからラーダの父親になったのさ。え?それより、この年までお風呂一緒に入ってるの?それ一つ間違えばセクハラ扱いだよ」
 大きな体を震わせて、半分涙目になっている男にドンは蔑みの目を向ける。ジーモはまぁまぁと二人の間を取り持つように、手を押さえた。そして、うーんと同じ妹を持つ身として大丈夫とセオに声をかけた。
「俺は、大体小学校中学年で一緒に入ってくれなくなったけど…でも、下着を一緒に洗うことは何も言わないし、お兄ちゃん嫌いって言うのはないけど…でも、デートがあるからって一緒に遊びに行くの断られたことはあるかなぁ」
「――――絶望だ」
「そのまま死ねば。あ、誰か来た」
「何!」
 ジーモの言葉に打ちひしがれていたセオはドンの一言にばっと顔を上げた。しかしながら、やってきた男の顔は大きめのフードが目深にかぶさっており、その顔を拝むことはかなわない。ラヴィーナは嬉しげに立ち上がって、うんうんと一二度了承するように頷いた。そして、鞄の中からメモ帳を取り出すと、すすと指先で何かを示しているようだった。
 並んで立つ二人を見ながら、セオはどうしたらいいか分からないような顔をしてうーと小さく唸る。
 そんなセオを他所に、ジーモはツンと軽くドンの肩を叩き、そしてそっと耳打ちをする。
「ドン、あれって」
「…いーのいーの、黙ってなよ。気付いてないみたいだしさ」
「でも」
「面白いから」
 俺はどうしたらいいんだとうずくまって頭を抱えた大男を気の毒そうにジーモは眺めて、まぁいいかと頷いた。そして、二人が動き出したのを見て、うずくまっているセオの肩に手を乗せ、動いたよと声をかけた。それにセオはぱっととんでもない速さで顔をあげると、雑踏に器用にまぎれながら二人の後を追いかける。二人は人に道を尋ねながら、町の中を何事もなく歩いていく。途中、男がラヴィーナにジェラードを買ってやっている時には、セオは俺が買ってやるのに!と馬鹿丸出しな一言を叫びそうになって、ドンに頭を殴られた。
 一時間ほど街を歩き回って、二人は結局最初の噴水のところに戻ってきていた。ラヴィーナは片手に持っていたジェラードを食べきって、やけにしょげている。セオはそれを酷く心配そうな顔で、今にも飛び出しそうになりながら必死に堪えて、ざり、と町の壁を指先で欠けさせた。とんだ馬鹿力である。
 すると、男の方が、しょげているラヴィーナの前に立って何かをした。すると、ラヴィーナはびくりと大きく肩を震わせて、怯えの表情を色濃くした。それを見た瞬間、セオのそう太くもない堪忍袋の緒がぶつんと盛大に音を立てて千切れた。あ、とジーモは慌てて止めようと手を伸ばしたが、セオの初動の方がずっと早いものであったので、伸ばした手はセオの肩をすり抜ける。ドンはその光景をにやにやと笑いながら、眺めた。
 セオは相手の肩の骨を砕く勢いで掴み取り、乱暴に自分の方へと振り向かせた。大きなフードが揺れる。
「てめぇ…!!ラヴィーナに何しやが――――…っ!」
 る、とその声は最後まで続くことはなかった。
 目の前に現れたのは、額に赤い点がぽつんとある、色の強い肌と青い目をした男性。セオはそれを恐らくこの場に居る誰よりもよく知っていた。
 ラジュの手には生きてぐねぐねと蠢いている白い蛇が握られていた。匣兵器ではない。ラヴィーナはこれに怯えたのか、とセオは取り敢えずそれを奪い取ろうとしたが、ラジュはポケットから大きめのハンカチを取り出して、その上にかぶせる。そして、それをすっと取り外した。するとそこには、生きている蛇の姿はなく、可愛らしい兎のぬいぐるみが残っているだけだった。さらにラジュはもう一度ハンカチをかぶせて、ぱんっと大きめに手を叩く。すると、ハンカチが自動で持ちあがり、中からは鳩と紙吹雪が飛び出して、目の前を色とりどりに染めた。ラジュの手には何も残らない。
 ラヴィーナはその奇想天外な手品にぱちぱちと嬉しげに拍手をする。呆然としているセオの背中に後ろからドンは声をかけた。
「あーあー、飛び出しちゃってさー。面白かったのに、ばれちゃった」
「ばれたって…!お、お前、相手がラジュって知ってたのか!」
「そんなの一番初めに見たら雰囲気で分かるでしょ。ジーモだって分かったのに」
 ねぇ、とドンに胸を小突かれて、ジーモはうん、と困ったように頷いた。それにセオはラジュ、と幼馴染に理解を求めるように目を向けた。セオの目を見て、ラジュは何かを言おうとしたが、それは、すぐに閉じられ、青い瞳は袖を引っ張って、口元に内緒とばかりに人差し指を添えているラヴィーナに頷くだけで終わる。
 ひどい疎外感を味わいながら、セオはラヴィーナと困ったように声をかける。
「ラジュと一緒なら、そうって言ってくれればよかったの、
 に、とセオは言いかけたが、ラヴィーナから向けられる無言の威圧感にうと押し黙る。
「い、いや、だって、心配だったんだ。ほら、だって、その…危ないから!ラジュと一緒だったら、俺も何も言わなかったよ!ついてこなかったし!」
 ラヴィーナと伸ばした手は、ぱちんとメモ帳ではたかれた。ついてこないでと言ったのに、とセオをその表情と纏う空気で責める。セオは反論のしようもなく、すみませんでした、と頭を下げた。

 

 ところで、とジーモはしょんぼりと帰路につくセオの背中を見送った後、ラヴィーナとラジュに尋ねる。
「何を探してたんだ?二人して」
 それにラヴィーナとラジュは互いに視線を動かし、ラヴィーナはメモ帳にかりかりと文字を書いてドンとジーモに示した。それに、ドンはからからと笑う。
「何?あっはっは、君、人選間違ってるよ。喋れないラーダと基本口数の少ない人間連れてってそれを探すのは無理でしょ。イタリアに一体何件花屋があると思ってるのさ。頭に脳味噌詰まってる?」
「そっか、セオが気になってる人に会いたかったんだなー」
 こくこくとラヴィーナは、花屋と書いてあるメモ帳をしまいながら頷いた。ラジュはぼそりと呟く。
「多すぎ。見つからない」
 当然でしょ、とドンは呆れたようにラジュを見る。そして、ジーモはしょんぼりと肩を落としているラヴィーナに、今から皆で一緒に見に行こうかと声をかけた。それに、ラヴィーナはぱっと顔を明るくして二三度うなずいた。
「ラジュも行く?」
 ジーモはラジュを振りかえって、そう尋ねたが、既にラジュの姿はそこにはなかった。あれ、と首筋をかいていると、隣からドンが、もう帰ったよと、セオの意中の人が店番をする花屋への道を歩く。そしてジーモはうんと笑った。おそらく、ラジュはセオを慰めにいっているのであろう。
 結局、兄が妹を心配するように、妹も兄を心配した、それだけの話であった。