28:貴方の妻であるということ - 1/6

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 かぷり、と吐きだした煙が随分と煙たかった部屋に混ざって溶ける。シルヴィオは火のついた煙草を口にくわえて、悪ぃな、と笑った。
「なにしろ嬢ちゃんと赤んぼがいたからな。流石にあの前で吸うわけにもいかねーし」
 困ったもんだよなぁ、と笑って、そして能天気に告げた男にXANXUSは脅迫用の銃を取り出して、椅子に腰かける男に向けた。引き金には、既に指をひっかけてある。力を加えればそれは即座に男の命を奪うであろう。だが、男は笑っているだけだった。恐れも知らず。
 自分の来訪を知っていたかのような言動にXANXUSは目を眇めた。それにシルヴィオはにやりと口端を持ち上げる。
「何でお前が来ることを知ってたかって?そりゃお前、俺は情報屋だ。ハッカーがどこにどのように入り込んだ情報くらい簡単に手に入る。所詮お前のところのメカニックはメカニックでしかない。情報の上で俺に歯向かおうなんざ一万年早いね」
「女はどこだ」
 自分の話を無視して、そう問うた男にシルヴィオはさて、と肩を軽くすくめて、加えていた煙草を指先で挟むと灰皿に押し付けた。新しい煙草に火をつける。肺にたっぷりの煙を吸い込むと、そして吐き出す。煙たい部屋が、さらに煙たさを増した。
「生憎だが、女の知り合いは沢山いるからな。誰のことだ?」
「俺の、女はどこだ」
 言葉に苛立ちと怒りを滲ませたXANXUSにシルヴィオは、お前のと問い返した。
「いつの、女だ?どこの誰の?」
 そう笑ったシルヴィオの隣に穴が開く。XANXUSが持っていた銃口からは煙が立ち上り、煙の香りの中に硝煙の臭いが混じった。
 赤い瞳に底知れぬ怒りを宿らせた男は椅子に座る男を睨みつけていた。
 静かにその口が動き、次は当てると声を発する。勿論のこと、ソファの男はそれが本気であることなど容易に理解していた。ふぅ、と短い息に煙草の煙が乗る。
「それで?お前は俺に何をくれる?」
「てめぇの命を見逃してやる」
「俺はお前に俺の命をやる気はないな。それに、いつからお前は俺の命を握ったつもりでいるんだ?御曹司」
 ごつり、と離れた距離からブーツの音がして、それはゆるやかに、しかしながら重低音を伴ってシルヴィオの前に立つ。ごつんと止まった足音をシルヴィオは見つめた。その口元はやはり笑っている。赤い瞳が見下ろしていた。
 XANXUSは一度下していた銃を持ち上げて、それをシルヴィオの眉間にごり、と押し付ける。
「あいつはどこだ」
「ロシアンルーレットならお断りだ。俺はそんな命をかけの場に持ち出すような、狂人じゃないんでね。御曹司、情報屋から何か情報を得たいならば、何かしらの報酬を差し出すのが常識で、筋ってもんだ。お前がどんな温かい床で育ったかは知らねーがな、銃を押し付けて交渉すんのが、お前らの流儀か?」
 落ちぶれたもんだ、と口元をさらに歪めたシルヴィオにXANXUSは一度銃を下ろした。しかし、それをしまうことはない。額から銃が取り除かれて、シルヴィオはやれやれとふっとXANXUSに煙を吐き出した。XANXUSは煙たさに顔を顰めた。
 まぁ、とシルヴィオは話を続ける。
「嬢ちゃんに言伝を預かっているから、それは伝えてやろう」
 ぴくり、とXANXUSの眉根が上がる。シルヴィオはそれに薄く笑みを乗せて、煙草を口から離した。
「会いたくない、だとさ」
「…どこにいる」
「会って話でもするつもりか?」
 低く、はっきりとした怒りを含んだ声にシルヴィオはそう問うた。それに、XANXUSは回答ともどうとも取れない答えをする。
「あいつは俺の女だ。他のどこにもやらねぇ――――――――逃がしは、しねぇ」
 歪められた瞳が、静かな部屋で鋭い光を放つ。低い声はその張り詰めた空気の中で、さらに重たく沈んだ。逃がさないとXANXUSはもう一度口にする。どこにもやらないと。とんだ男に好かれたもんだな、とシルヴィオは口上にすることなくそう思った。
 赤の瞳が目の前の獲物を喰い殺そうと動く。
「こうも言った。自分の言葉が届かないから、会いたくないと」
 尤もだとシルヴィオはこの言葉を聞いたときに思った。怒りに駆られた目の前の男に言語が通じるとは思えない。
 そもそも力がある人間は大概にして怒りに駆られた際に言葉ではなく、力を振るう。勿論全部が全部とは言わないが。少なくとも、このXANXUSという男が、怒りに駆られた際に相手の言葉を聞く人間でないことは確かなのである。冷めた後ならば聞く場合もあるだろうが。
 だから、とシルヴィオはXANXUSに続ける。
「もしお前が、俺に武器を渡して、一切の暴力を嬢ちゃんに振るわないと約束するならば、お前を嬢ちゃんのところに連れて行ってやろうと思う。勿論のこと、炎を使って脅したりするのもなしだ。話し合いに暴力は不必要だからな。そこで何を話して、それから二人で出した結論によって嬢ちゃんがお前のところに戻るっていうなら俺は引き止めないし、何も言わない。ただし、お前がその力で無理矢理連れて帰ったならば――――――――俺は、俺の全情報を持って嬢ちゃんをお前から奪い返そう」
 シルヴィオは緑の中に滲む青い瞳でXANXUSを見ていた。
「そして、一生お前の手から逃がし続けてやるよ。今ここで俺を撃ち殺しても同じ結果にさせてもらう」
 一拍置いて、シルヴィオは乗せていた一切の笑みをその表情から取りはらった。瞳の色だけが、やけに鈍く光っている。
「そうした場合、ボンゴレは全ての情報を敵に回すと思え」
 XANXUSはシルヴィオの言葉に眉間に軽く皺を寄せた。
「ボンゴレを甘く見るな。女一人見つけられねェ組織だと思うか。俺が、てめぇのその下らねぇ交換条件を呑むとでも思ってんなら、随分とめでてぇ頭だな」
「ボンゴレがいくらすごかろうと情報にはかなわない。それに、だ」
 そう言ってシルヴィオは指にはさんでいた煙草を口に戻す。口端に笑みがゆっくりとまた、乗せられ始める。俺は、と静かな言葉と瞳の色が赤い色に向けられる。
「お前は、常に最強であらんとする。お前本人もだが、ボンゴレそのものが、だ。だから、お前はボンゴレにとって不利益になるようなことはしないし、やらせない。だからお前は俺の申し出を受ける。それに名誉ある男は、約束を決して反故にしない。まぁ、する奴も時々いるが、お前はそう言うたぐいの人間じゃねーからな」
「てめぇの下らねぇ与太話を無視して帰ることもできる」
「それはないな。お前は一刻も早く嬢ちゃんを見つけたいんだろ?マーモンがいない今、どうやって見つけるんだ?お前らに俺の情報網の中の嬢ちゃんを見つけ出すことは不可能だな」
 さぁどうする、とシルヴィオはXANXUSを見た。赤い瞳は細められる。
 しかしながらそれでもシルヴィオは相手が導き出す答えを知っていた。それしか、ないならば目の前の男はそれを手にする。何が一番利益があり、何が一番不利益なのかを男は瞬時に判断してはじき出せるように育てられてきている。そして育ってもきた。勿論、己の矜持を損なうものであれば、相手を殺して他の手段を考えるであろうが、今回はその類の話ではない。
 そしてXANXUSは持っていた銃の引き金から指を抜き、グリップをシルヴィオに向けた。
「連れていけ」
「いいだろう、御曹司。契約成立だ」
 そしてシルヴィオはぱしんと差し出されたグリップを手に取った。

 

 結局見つからず、朝焼けが目に飛び込んできたので、スクアーロたちは一度本部に戻ることにした。部下を休ませて、上司に報告しようと部屋に行ったが、既にその部屋には誰もいなかった。
「オヤ、ボスどこ行っちゃったんでショウネ」
 どうにも能天気な声にスクアーロは苛々しながらも、知るかと返した。だが、そこに一人の男が立っているのに気づく。オレンジの髪が特徴的な、地下から出てくること自体が滅多にない男。
「ジャン」
「やぁ、スクアーロ。ボスならもう行ったよ」
「行ったぁ?」
 どこにだ、との質問にジャンは勿論奥さんのところさ、と笑った。
 自分たちがあれほど探した女の場所を当の本人はここに座って得たというのかと考えると、スクアーロは頭痛がした。それに見つかったのであれば、それは連絡を入れて欲しいところである。無駄骨を折らされた(いつものことだが)
 溜息をついたスクアーロにジャンは仕方ないさ、と慰めにもならない慰めを言う。
「何しろ彼女、シルヴィオの庇護下にいたんだから。それは見つけられない。無理ってものさ」
「…シルヴィオだぁ?ああ…あいつら知り合いだったんだよなぁ」
 確か、と思いだして、スクアーロはあながち自分の想定が外れていなかったことを知る。尤も、一番初めに除外した男の名前が挙がってきたのは不服だったが。
 ジャンはニコラとイザベラに会いに行くよ、と二人の間をすり抜けて、また自分の城へと帰って行った。
 空っぽになった執務室で、スクアーロはふと思っていたことを聞いた。それはこのことが分かった時点で、シャルカーンに聞きそびれていたことでもあった。
「あいつは―――――――東眞は、ボスが堕せっていうのも、分かってたんだよなぁ」
 分かっていたのであれば、そしてXANXUSの性格を誰より近くで体験していた東眞ならば、この道を選んだことは理解できる。そして、シャルカーンの答えは是であった。
「分かってマシタヨ、ワタシが言うまでもナク。デモ、
「いや、あいつがそこでボスを説得しなかったのは、あいつの落ち度だろうがなぁ。だが、俺はあいつがどんなに頑張ってもボスを説得できたとは思えねぇ」
 命に関わることであれば、あの場で怒鳴っていたように、何が何でも堕ろさせたであろう。その問題に関して自分たちは必要以上にシビアなのである。二つを天秤にかけて重い方を取る。そんなことは常識だ。
 だが、とスクアーロは何度となく思ったことを、また思う。東眞は普通の女なのだと。だからこそスクアーロには東眞が今回取った、取らざるを得なかった行動も理解できる。説得しなかったから悪い、というのも勿論当然だ。東眞は確かにXANXUSにこの件を話す義務があった。
 どれだけ悩んだのだろうなとスクアーロは考える。黙っていることと、優しくされるたびに溢れかえる罪悪感に。
 あの男の妻であれば、名誉ある男の妻であれば。その言葉の真意を理解していなかった、していたが細部までは理解していなかったというべきだろう、女の落ち度。
 スクアーロはシャルカーンの言葉を遮って、息を長く吐き出した。
「同情デスカ?」
「違ぇ」
 ただ、思考しているだけだ。そこに可哀想だとか気の毒だなどという感情は一切ない。だがそれでも、考える。
「なぁ」
「何デスカ?」
「ボスは」
 あいつを捕まえて、どうするのだろうか。
 スクアーロはXANXUSが、分からなくなっていた。
 一度裏切られたとXANXUSが感じた女を側に置くことが、あの男にとっていいことになるとは思えない。だがそこで、逃がしたり見逃したりする選択肢も、またあり得ない。かといって、和解をするための会話スキルがあの男に在るとも到底思えない。
 口を噤んだスクアーロにシャルカーンは、サァ、と返しただけだった。