我らが大佐 - 1/2

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 さて、とミトは海賊船を見下ろす。甲板に座らされた海賊の腕にはそれぞれ重たい手錠が嵌められており、その自由を奪っていた。これで全員かと隣に立っている中佐に女は一度確認し、はいそうです、との返事に納得して帰還すると正義の二文字をはためかせて踵を返した。だが、甲板から船室に入る前に、大佐、とマストの上から落ちてきた声に顔を上げた。最上部に居る海兵は望遠鏡を覗いたまま、すいとその場所で水平線を指差した。否、水平線ではない。目を凝らせば、そこには軍艦を一隻確認することができる。
「誰の軍艦だ」
「大佐」
 上から落ちてきた声が酷く震えて聞こえた。隣に立つ中佐が渡した望遠鏡をミトは覗き見る。そして、納得した。大将サカズキ、別名赤犬の異名を有する男がこの海に一体何の用だろうかと考えつつ、ミトは持っていた望遠鏡を中佐に渡した。それと同じくして、電伝虫がけたたましくなる。びくりと緊迫感が張り詰めていた船上の空気が大きく震える。ミトは受話器を取った。
 大将、赤犬の声が機械を通して響く。何をしちょる、と特徴的な言葉回しを耳に残しながら、ミトははっきりとしかし非常に分かりやすいように、上官の問い掛けに答えた。
「海賊を捕え、搬送するところです。大将」
『捕え?』
「はい。海賊船に乗っていた者には全て手錠を掛け、能力者とみられるものには海楼石の物を使用しております。抵抗の色も見られず、問題はありません」
『そんなことを言うとるんじゃァありゃせん』
「仰られる意味が良く分かりません」
 上官の険呑な表情にぴりぴりと空気が糸のように張り詰められて行く。それでなくとも相手は大将。海軍最強戦力の一つとして数えられ、さらに言えば、あの痛い程に厳格な正義を掲げるサカズキ大将なのである。これに緊張せずに、一体どこで緊張しろというのか。海兵たちの背筋は自然とぴんと伸ばされた状態になる。
 明確に発言しろとばかりの強気な己の上官の向こう見ずとも呼べる言い様に痛い程に空気が震え、緊迫する。大佐、と中佐はそれを肌で感じとって、軽くミトを肘で小突くが、女はその肘の与えた忠告を無視した。
「つまりそれは殺せと、そう仰っておられるわけでしょうか」
『悪は、存在すら許されん』
 明確過ぎる程に明確な回答に、ミトはすぅと息を吸った。一瞬、船上の空気が緩むが、それはほんのわずかな間であった。本当に僅かな、一瞬以上、刹那、そう表現するのが最も適切な僅かな間であった。
 ミトは電伝虫を軽く首を傾げて、眉間に皺をよせて応答する。
「お断り申し上げます、大将。彼らは私が捕まえた海賊です。彼らの処置は私に一任されております」
 大将であろうと口を出すな、そう、ミトは暗に己の意見を明示した。一拍二拍、間が空き、甘い、ときつい、ぼこりと何かが弾けたような音が受話器の向こうから伝わる。それがマグマの弾けた音だと気付くのには然程時間は掛らない。しかしながら、ミトは一切臆することなく、はっきりと続けて言い返す。
「お言葉ですが。我々の為すべきことは海の平穏を守ること。海賊を無闇に殺しまわる事ではありません。我々の仕事は、海賊を捕獲することにあるかと自分は考えております」
『甘い、と言っちょろうが。悪は滅ぼされるべき。存在するだけで悪。わしの言うちょる意味が、分かるか?』
「分かりかねます。海賊は、悪などでは決して」
 ありません、と続けようとした言葉は、中佐の掌で塞がれた。受話器の調子が悪いようです、と中佐はそちらに声を掛けて、強制的に電伝虫を切った。そして、溜息交じりに上官であるミトを見上げる。
「大佐」
「言いたいことは分かる、中佐」
 渋った顔をした部下にミトは腕を組み、眉間に深い皺を寄せる。かと言って、上官の命令に従順に海賊を殺すなどというのは全くもって下らない。阿呆らしいにも程がある。
 やれと肩をすくめた女の上、メインマストから双眼鏡を覗いている男が驚愕に彩られた叫びを上げた。
「大将乗船の軍艦から大砲撃たれました!狙い、右舷前方の海賊船!着弾ならず!」
 砲弾は海面を叩き、波を暴れさせる。この程度の波で沈むような軍艦ではないものの、多少の揺れは足元に響く。中型の海賊船なれば、尚更である。ミトは部下に命じさせ、斜め前に停泊させていた海賊船に軍艦を完全に付けさせ、そこに乗っていた自分の部下に声を掛ける。
「全兵軍艦に退却!」
 掛けられた縄梯子に兵たちは上官の命令に従うと、素早い動きで登っていく。海兵たちの行動にぎょっとさせられたのは海賊たちの方であった。腕には未だ枷が嵌められたまま、身動き一つ取れない。縄でお互いを縛りつけられているために、このままでは砲弾の海に沈むしかない。見捨てるつもりか、と叫んだ声をミトはアルコール飲料の一種の色を見せた。その双眸が捕えられた海賊を見下ろす。
 かつんと革靴を鳴らし、ミトは正義の二文字を中佐に翻した。
「大佐?」
「中佐、これよりこの軍艦の全指揮を一任する。直ちに各兵に伝達。本部に帰還せよ」
 上官の言葉に中佐は、はぁ?と口をあんぐりと開け、間抜け面を晒す。大きな背中に背負われた正義の二文字が海風に殴られ、はためく。腰に帯びている一口の刀がそこから覗いた。鞘からずるりと右腕に引きずられるように、白く美しい研ぎ澄まされた海楼石の刃が姿を見せた。剥き出しになった刃の上を海に湿った風が通り過ぎて行く。
 ミトは船の縁に飛び乗った。砲撃確認!という声と共に、強く大気を蹴りつける。月歩、という技で宙を飛ぶ。否、駆け抜ける。大砲の砲弾は船を潰す目的だけあって大きく、容易に視認できる。海賊たちの息をのむ声が聞こえた。そしてそのまま、刀が斜め下から降り上げられる。音もなければ抵抗もなく、砲弾は二つに斬れて船の両側に着弾する。波が立つ。
 中佐!と上官である女は海賊船に降り立って部下の階級を叫んだ。そうすると、軍艦の縁からはいはいとどこか諦めにも近い声音が追った。
「何ですかー!まだ何かご要望が?」
 ひょっこりと顔を出した部下にミトは大きく手を振って、東を指す。
「東から迂回!私は西からこのまま本部に回る!」
「大佐ぁーあなた海賊にでもなるおつもりで?!」
「馬鹿を言え!海賊を護送するだけだ!」
 ミトの言葉に中佐は護送ですか、と肩を一度すくめ、帽子のツバを軽く引くとにたと笑った。そしてくつりと笑う。
「あいあい!分かりました!我々に火の粉が降りかからんように、始末書はどうぞお一人で!」
「薄情な奴だ!付き合うくらい言えんのか!」
「馬鹿言わないで下さいよ!無謀と勇気は違いますよ!少なくとも我々は大将の軍艦相手に頑張るつもりはありませんから!まーこの風なら海賊船にとっても追い風、本部に到着することくらいはできますよ!船乗りは入用で!?」
「いらん!」
 張り裂けんだ声の直ぐ後、もう一発砲弾が二つに裂かれ、波を荒立てる。二発目三発目と急襲、とは言えずとも、あくまでもこの砲弾は海賊船を攻撃しているのであって軍艦を攻撃しているわけではないので、文句を電伝虫に叩きつける訳にもいかない。この上官に付き合うと面倒になる、と中佐は喉を震わせて笑った。しかし、それは全く詰まらないことではない。むしろ面白みさえ感じる。
 海賊だからと言ってそれやれどれやれと殺していくのはやはり性分に合わないし、何より、手に掛けるのは外でもない自分たちなのだ。抵抗せず命乞いをする人間を殺すことに後味の悪さを覚えるのは御免被る。攻撃されると分かっていて見殺しにするのも同様である。苛烈すぎる正義は時に禍根を残す。あの人は味方も多いが敵も多いことだろう、と中佐は姿をはっきりと晒した軍艦の主、赤犬へと目をやる。眩しい程の、焼けつく程の、常人が触れてしまえば、反対に焼かれてしまう程の、正義。あれを背負うのはどれだけに重いことだろうかとその重さを考え、うへ、と口元を歪める。きっと己が背負えば、一秒と持たずに潰れてしまうことだろう。それ程に彼の正義は重たく、辛い。
「焼いているのは、海賊か、それとも己の人間性か」
 彼にとって海賊は人間ですらないのだろうなと中佐は小さく呟き、海賊船から高く鳴り響いた口笛の音に空を見上げる。ひょう、と風を切り裂く音を発生させた鳥類が波を叩きながら高度を下げてくる。いつ見ても全く馬鹿みたいに大きい。太陽の光すらも隠してしまいそうである。カヤアンバル。上官の私物(と表現するといつも嫌そうな顔をされるのだが)故に、誰も扱うことができないグランドラインの猛禽類。主食は海王類だという、素晴らしい化物である。
 一発、砲弾が飛んで来る。ああ、と中佐は口角を歪めた。カヤアンバルは、大きく羽ばたいた。強く、強く。波が荒立ち、驚くべきことに、その風圧だけで砲弾の筋を変えて海に叩き落した。意図的に羽ばたけばこれだけの風を巻き起こせる。これ以上近くに居るとこちらまで巻き添えを食らうと判断した男は、上官に支持されたとおりに東の海路で本部帰還を命じる。大佐は?という質問は誰一人として口にすることはない。そんな馬鹿なことを、口にする阿呆はもうこの船には乗っていないのである。皆、大佐の性分をよくよく知っている。
 あの人にとって、海賊は人だ。我々と同じ。
 カヤアンバルの攻撃色を強く含めた雄叫びにも近い鳴き声が海を震わせる。海に潜んでいた海王類がそこから恐怖するかのように暴れ、波がさらに強くなる。逃げる方向は追いたてられるかのように、大将が乗っている軍艦へと向かうことだろう。いくら軍艦とて、海王類の群れに船艇にぶつかられればただでは済まない。先に進むなどなかなかにできるものではないだろう。海も生き物ではあるが、海王類は手に負えない生き物である。それを乗り越えるにはかなりの熟練した航海士の腕が必要だし、波を読むのとは訳が違う。
 未だ甲板に転がされたままの海賊たちを乗せた海賊船が追い風をマスト一杯に拾い波に乗った。それに合わせて、カヤアンバルの発生させる一層強い風を帆に受け、勢いを付けられて軍艦から離れた。正義の二文字が小さくあっという間に消えて行く。中佐はそれを視界の端に納めながら、軍艦を反対方向に進める。赤犬の軍艦はどうやら海王類の群れとぶつかって立ち往生(というのも変な表現だが)しているようである。東に航路をとりながら、中佐は電伝虫を取った。
「あーこちら、今し方こちらの軍艦指揮を一任されましたギック中佐であります。電伝虫の通話状態良好に戻りましたので、連絡させて頂いております。大佐は海賊船を掌握し、西の航路を通って本部へと帰還されました。どうぞー」
 怒り心頭、頭が沸騰している。いやなに、これは冗談でも何でもないな、と中佐は肩を震わせながら笑い、あの恐ろしいサカズキ大将がどんな顔をして怒っているのだろうかと想像した。不思議と恐れはなく、ああこれはあの人に頭までやられてしまったかと、上官の背中を思い出しながら口角を小さく吊り上げた。願わくば、こちらにまでとばっちりが来ませんようにと願いながら。