トラウマに追いうちをかける

 もう生きていけない、とセオは枕に突っ伏してう、うと半泣きで呻いていた。
 勿論あの後トイレに(抜くために)直行したけれど、心配したラヴィーナがトイレの前にいられたのは何の拷問かと思った。マンマには「男の子ですからそう言うこともありますよ」とフォローにならないフォローで慰められた。
 一体何のいじめかと問いたい。
 その時、ごつごつと扉を叩く音がする。セオはいるよ、とドンの浅めの声がドアの向こうで響き、こちらが許可をする前に開かれて入られる。
「…俺、まだ入っていいって言ってないんだけどな。ドン」
「え、俺に廊下で待てって?そんな馬鹿な」
 あは、とドンは爽やかに笑って、さも当然のようにセオの机の椅子を引いてそこに腰掛ける。そしてベッドに突っ伏していたセオにほいと数冊のノートを投げる。
「今日の授業分。それからジーモに聞いたんだけど大変だったんだって?」
 この上なく楽しそうな顔で言われても嫌味しか感じない。お前に俺の気持ちがわかってたまるか、とセオは今にもドンを睨み殺せそうな勢いで歯ぎしりをした。
「まぁ別にいいじゃない。別にバックヴァージン奪われたわけでもあるまいし」
「奪われてたまるか!」
 鰻にバックヴァージンなどとられた日には翌日、全世界の鰻を絶滅させる任務を申し出ることは間違いない。それが叶わないならば首をくくって死ぬかでもしたい。
「それに射精させられたわけでもないんだろ?ギリギリ」
「ギリギリ余計。余計だからな」
「ならいいじゃん。ま、バックヴァージン奪われて、それで感じて勃った上に前立腺擦られてイったって言うなら、お悔やみ申し上げるところだけどね。その程度なら笑ってすませられるんじゃない?ねぇ。ジーモもそれなりに責任感じて落ち込んでたみたいだしさ」
「…お前、俺をそんなに怒らせたいのか…」
 手の平に集まる光の球にドンはまさか、と笑って肩をすくめた。笑顔のまま、それはこれ以上ないほどにこちらの不幸を楽しむような顔をしている。
「え、何?それともセオは鰻にヤられたかったわけ?それこそラーダ失望路線だね。まさかセオに獣姦…あれ、鰻って獣?まぁいいや、そのケがあったなんてね…ラーダも気の毒に」
「よし、分かった」
「冗談だよ、セオ。本気で受け取るなんて、よっぽどショックだったんだね」
 当たり前だ、とセオは吐き捨てようとしたが、その時ふとドンの手の中に小さな匣兵器が収まっているのに気づく。そしてそれは先日ジーモが持っていたのと同じ型のものである。
 セオの視線に気付いたのか、ドンはにっこりとほほ笑んだ。
「ああ、ジーモに借りてきたんだ。折角だから」
「…おい、それを俺の前で開匣するな…っ、ちょ、ま、いや!待て!」
 にやぁと笑ってドンは自身の指輪に雷の炎をともす。ならば逃げると立ち上がろうとしたセオだったが、いつの間にかタランチュラ、ドンの匣兵器がベッドの端にちょこんと乗っていた。そしてセオは真っ青になって現状を理解する。手足がその糸に絡めとられて動かない。
 自由を奪われたセオにドンはこれ以上ないほど爽やかな笑顔で首をかしげた。さぁとセオは全身から血の気が引くのを感じる。
「いいじゃない。俺もセオが感じた顔とかちょっと見てみたくなってさ。うん、ね!減るもんじゃないし」
「俺の気持ちがすり減るに決まってんだろ!!やめろ!」
 必死なセオとは対照的にドンはにこやかな笑顔で匣を開口する。ぬるりとベッドの上に鰻が落ちた。そして気のせいかどうなのか、鰻の数が増えているような気がする。先日は一匹だったと言うのに、今日は、否、増えていっている。今現在。
 ベッドの上で、うねうねとその体をくねらせながら、体を覆う粘液がベッドのシーツを汚す。
 ドンは笑顔のまま滑り止め用の手袋をはめて、鰻を一匹持ち上げた。先日のジーモのように鰻が滑って落ちるなどということはない。
「俺さ、雲属性の炎もあるから…へーやっぱり増殖の効果とかあるんだ。これだけ沢山いたら、さぞかし気持ちいいんだろうね。あ、ビデオとかどうする?回してもいいけど。あーこれ撮影して売ったらお金になるかな?」
「ひっ…や、やめ…っ―――――――――うぁああああああああああああああああ!!!」
悲痛な悲鳴が一つの部屋に響いた。

 

 はい、ジーモ。貸してくれて有難う。とても楽しかったよ」
「?何に使ったんだ?必要だって言ってたから貸したけど」
「まぁ、色々。あーそうだ、中の鰻オリジナルだけ残して空だから。オリジナルも結構疲弊してるし、一度ルッスーリア隊長に診てもらいなよ」
 ジーモはドンが言っていることが理解できずに、ん?と首を横にかしげた。それにドンは笑顔で雲で増殖させてさ、と笑う。
「ああ、そんな使い方もあるんだなぁ。でも、俺は一匹いたら充分だし…でも数が多い方が便利かな」
「かもね。なんだったら、任務前に俺が増殖させてから渡してあげるよ。それ貸してくれたお礼と、傷つけたお詫びってことで」
「ところで傷つけたって?」
 きょとんと聞き返したジーモにドンは笑顔で、セオのせいなんだけどねと朗らかに笑う。その時、ドンの顔面に分厚い辞書が凄まじい勢いで投げつけられた。勿論ドンはそれを自分の鞄で防ぐ。
「誰が俺のせいだ!ああああ、あ、あんなご、ご、拷問まがいのことしやがって…っ!!」
「そんなこと言って結局撮影できなかったじゃーん。それにジーモの鰻オリジナルは匣に入れてたからいいものの、折角増殖させた奴全部憤怒の炎で消しちゃって」
「ざけんじゃねぇ!」
「いやーでも売れると思うよ?コレ」
 そう言ってドンはポケットからちらっと一枚の写真を取り出す。首筋に鰻が這って今にも死にそうなほど真っ青になっている自分の写真。セオはぴくりと頬を動かした。そしてその写真は自然発火(というにはあまりある発火現象)によって燃え尽きた。ごつん、と低いブーツの音が鳴る。あちゃやりすぎた、とドンはへらっと笑う。

「―――――――いい加減にしねぇと、マジでぶっ殺すぞ…」

 口元が全く笑っていないセオにドンは冗談だって、と鞄のネガをセオに放り投げる。それはセオの手に落ち着く前に、あっさりと燃え尽きた。半径1m以内ならば炎を自在に出せる能力の無駄遣いである。
「まぁ、バックヴァージンは誰かのためにとっときなよ、セオ」
「お前黙れ」
 ぽん、と笑顔で肩に乗った手をセオは凄まじい勢いで払いのけて、ドンを睨みつけた。それに勿論ドンは笑顔で全く気にしていない様子で答える。
 そして話に取り残されがちなジーモは、セオの前で鰻を出すのは止めようと心に誓った。