Buon Compleanno!

 自分が産まれた日を喜ばしいと思ったことは一度もない。産まれてきてよかった、だとか、産んでくれて良かったと感謝したこともなかった。ただ今生きているのは自分がそうありたいと望んだだけの結果であり、それについて感謝も何もない。
 ドン・バルディは本を読みながらそう思った。
 さらに言えば、本日は周囲が浮足立つ日でもあり、全くもって面倒臭い、春色の雰囲気になるのは勝手であるがこの雰囲気は鬱陶しいと思わざるを得ない。本日はバレンタインデー。
 バレンタインデーとはGiorno di San Valentinoと書き、日本では多少特殊な傾向がみられるようだが、ヨーロッパでは一般的に親しい人や恋人に対して花やカードを贈る日である。しかしながら、ローマ皇帝迫害の下で殉教した聖ウァレンティヌスに由来する日が何故愛だの恋だのを誓う日になったのかというと、兵士の士気が下がることを危惧したローマ帝国皇帝クラウディウス二世がローマ兵士の婚姻を禁止したところから始まる。それを憂いた聖ウァレンティヌスは(彼はキリスト今日司祭であったそうだ)秘密に兵士の結婚に協力し、それを不幸にも発見されて処刑された。その日が女神ユノ(全ての神の女王であり、仮定と結婚の神だそうだが)の祝日をわざわざ選んだ、と言う話である。そしてその日は2/14、詰まり本日である。さらに詳しく語れば、その翌日2/15はルぺルカリア祭の開始日であり、このルペルカリア祭とは、当時生活が別とされた若い男女が出会うための祭りであった。この祭りの間はパートナーと一緒に過ごすことと定められており、その多くのパートナーは恋に落ち、結婚したとされている。哀れ、ウァレンティヌスはそのルペルカリア祭に奉げる生贄となりました。おしまい。
 そんな話である。最終的に、多くのキリスト教徒にとって、この日は祝日となり、恋やら愛やら感謝やらを春の雰囲気で語り合う、人の神経をすり減らしてくれる日に変わったわけである。いっそ日本のような宗教色の一切ない、ただ商業目的ではやったバレンタインデーの方がいっそ面白みがあると言うものだ、とドンは考える。何しろ、日本にはわざわざそれに沿うようにホワイトデーなるものまで作ったと言うのだから、笑い話である。語り初めは愛ではなく、金というシビアで現実的な部分が大層よろしい。
 何でそんな日に生まれたのだろうと、ドンは溜息をついて読んでいた本を閉じた。くだらないくだらないくだらない。子は親を選べないし、産まれる日も選べない。いっそ生まれるのならば、17日の金曜日にしてほしかったところである。そうしたら、周囲の人間はうかない顔をして溜息をつくだろうに。何が嬉しくて、こんな華々しい(しくはないかもしれないが)楽しい楽しい祝祭日に生まれなければならなかったのか。ただでさえ憎らしい両親をさらに憎みたい気持ちに毎年思われる。僻みか。どうでもいい。尤も、生まれてこの方一度も誕生日を喜んでもらった記憶などありはしないが。否、自分の記憶がないほどに小さい頃にはひょっとしたら祝ってもらっていたのかもしれない。かも、という仮定の話ではある。
 どちらにしろ、今現在、自分の記憶がさかのぼれる程度においては、誕生日ほど自分をみじめな気分にさせる日はない。不愉快極まりない。忌々しい祝日め。否が応でも誕生日を意識させる。
 畜生、とドンは舌打ちをした。だが、その時頭の上からばらばらと花弁が落ちてきた。上から迷惑なことこの上ない。栞代わりにするにはいささか柔らかすぎるし、すぐに腐る。誰だろうとドンは上へと視線を向けた。そうすると、ひらひらと手を振っている少年が一人いる。ドンはそれが誰だか知っていた。
「セオ」
「や」
 二階、という高さを無視して少年は自分の前に飛び降りる。自分よりも頭一つ分は高い背が一度膝のクッションを利用することで、大きく縮む。そして地面を踏んだ脚が伸ばされ、くるりとこちらを振りかえる。
 彼は裏切らない人間である。何があっても、絶対に。
「何読んでるんだ?」
「君こそ、何で俺の上に花弁散らしたわけ?読書の邪魔になるとか思わないの?薄っぺらな脳味噌じゃそんなことも考え及ばなかった?」
 つらつらと並べたてられる言葉に黒髪の少年は臆することなく、からからと笑う。
「機嫌、悪いな」
「見て分かるんだったら、さらに悪くさせるようなことをどうしてするかな。君はひょっとしなくても馬鹿なの?それとも詰られたいマゾなの?」
「どっちでもないな。いや、馬鹿なのかどうかはそっちの判断に任せるけど」
 マゾではない、と少年はドンの前で否定した。変な少年だとドンはそのように感じた。VARIAという組織に入隊して、まさか中学に行かせてもらえるとは思いもよらなかったが、このように通っている。そして、目の前の少年の名前はセオ。VARIAのボスであるXANXUSの実子であると言われているが、あまりにも気さくで、雰囲気が彼の父親と全くと言っていいほど一致しないため、そんな印象を受けない。
 そしてこの空気を読まない発言である。彼にはそのつもりがないのか、それともわざとやっているのか、預かり知るところではないが。
 思案しているドンの前に、そうそうと言葉が続けられる。
「Buon Compleanno, Baldi.(誕生日おめでとう、バルディ)」
「は?」
 久々に、というよりも記憶の中では初めて聞いた単語にドンは思わずセオに聞き返した。それにセオは笑いながら、ああそうそうと続ける。
「ほら。誕生日だろ、今日。調査書に書いてあった。覚えてる」
「君に記憶力なんて御大層なものが働いていたことに俺は盛大に驚くよ。誕生日?」
「覚えてないのか、自分の誕生日。ちなみに俺の誕生日は1/10。もう過ぎたけど」
 知ってるよ、とドンは答えた。セオの書類は見たことがあるし、記憶もしていた。だが、誕生日を祝う仲でもなければ、産まれたことの何が嬉しいのか、ドンには少しも理解できない。だから、祝う言葉を口にすることもなかった。
 黙っているままのドンにセオは続ける。
「来年は祝ってくれるだろ?」
「何で」
「友達だから」
「友達?」
「そう、友達。仲間じゃなくて、友達。仲間だけど、友達」
「…それは何?君は相手の都合を無視して勝手に友達にするの。あと前後の言葉がかなり矛盾してる。もう一回文法勉強し直したら」
 ドンは本能的に身構えた。裏切らない仲間は確かに欲しかったが、友達ともなると少しばかり事情が変わる。それは、仲間との定義と少しずれた所に存在する。裏切らない友達、そんなものは生憎と今まで見てきたことがなかった。命が惜しければ、どんなに固く結ばれた友情でもいともたやすく解ける。嫌と言うほどに見てきた。だが本来、友情と言うものは決して互いを裏切らないものだとドンは信じて疑わない。尤も、目の前の付き合いの浅い少年にそれを求めるのはどこか間違っているのかもしれない。
 警戒心の色を瞳に浮き立たせたドンにセオはそう言うわけでもない、と目を細めた。
「今は、まだ友達じゃない。だから友達になろう。来年は友達だから、俺の誕生日を祝って?」
「馬鹿じゃない?俺が友達に絶対なるって前提で話進めている時点で君の妄想癖は十分なものだね。自分の物語が作りたいなら、今からノートと鉛筆をプレゼントしてあげるからそこに君だけの物語でも綴ればいいよ。君だけに都合のいい物語がすぐにでもでき上がるさ」
 冷めた目で見つめてくる薄竹の瞳をセオは見下ろす。口元から笑みが取り除かれる。その表情を見て、ほらみろとドンは腹の中で辟易した。こんな軽口程度で気分を害する程度の人間ならば、構う必要もない。
 だが、ドンの思惑は外れた。
「都合のいい、ね。ああうん、それもありか。ありだな」
「頭おかしいんじゃない」
「頭がおかしい?どっちでもいいや。俺は自分の事は正常だと思ってるから。俺が正常だって思ってれば、俺は正常だ」
「訳が分からない。薬物中毒者のようなセリフ回しだ」
 すっくと立ち上がり、ドンはセオの横をすり抜けるようにして歩き始めた。それを後ろから足音がかつかつとついてくる。なんてことだ、とドンは呻いた。ただでさえ気分が最悪なのに、さらに神経を逆なでしてくる変な少年がいる。いい加減に、と振り返った途端、がつ、とその肩に顔が当たった。あ、ごめんと上から笑い声が落ちてくる。
「急に止まるから」
「…止まった俺が悪いと言わんばかりだけど、そのまま直進してくる君に一番の問題があると思うよ」
「そう?まぁいいや、それでも。兎も角、俺はお前と友達になりたい。何でって聞かれても、そう思ったからそう行動しているだけで深い理由はない。友達はお前がいい」
 にこと笑った銀朱にドンは呆れかえった瞳で蔑むようにセオを見た。言葉もない。
「君は野生動物か何か?直感で生きてるの?馬鹿を通り越した獣だね」
 辛辣に投げつけた言葉は少しも目の前の少年に届いていないようだった。ただ、少年は軽く肩をすくめ、そうだなと笑う。
「俺がそう思ったんだ。思ったなら、それだけの理由が俺にはあるんだ。言葉にすることはできないけど、何だろうな、お前は俺を怖がったりしないだろ?それに、俺がどういう立場の人間か知ってるし、どういう時にどういう行動に出る人間かも、知ってるんじゃないのか?」
「知ってるよ。冷酷非情な化物め」
 そう、ドンは聞き及んでいた。任務においては冷徹極まりない少年だと。普段の笑顔からは想像もつかない程の冷たい顔になる。任務の妨害となれば仲間すらも撃ち殺す。裏切りではなく、見捨てて行く。彼は任務第一主義であり、そしてボンゴレの僕である。ドンボンゴレの僕ではなく、ボンゴレという存在自体の僕であるのだ。
 ドンの言葉に、セオは化物ねとやはり笑った。大してどころか全く堪えていない様子に、ドンは眉間に軽くしわを寄せる。鬱陶しい。
「そんな化物とどうして友達になりたいと思うの?人間と友達になれるのはいつだって人間さ。君は人間じゃない。勿論生物学的に考えた場合、君は立派なヒトという生き物ではあるけれどね。人として何か大切なものを忘れた化物」
「それは、バルディも一緒だろ?」
「…」
 ドンは口を噤んだ。目の前の少年は、思ったことを真実を語り続ける鏡のような気がした。基本的に否定をしない。少し、気押される。そして銀朱の目の鏡は笑って続けた。
「一緒だ。勿論その人の定義がお前と俺で違うなら、一緒じゃないかもな。俺は人を殺し続ける。ただ、ボンゴレのために。でも、それが俺の生き方だから。それはいいとして、だから友達にならないか」
「だから、の使い方どう考えても間違ってるけど」
「細かいこと気にするなよ。禿げるぞ」
「君とは頭の出来が違うから、十分な余裕があるし全く問題ないよ。禿げるなら君の方が明らかに先だね」
 そうかな、とセオはドンの言葉に軽く生え際に指を乗せて唸る。
「友達になって何か俺に得でもあるわけ?」
「友達って損得でなるものじゃないだろ?」
 言葉が通じない化物にドンは溜息をついた。にかーと笑って、セオはぐいとドンの肩を掴んで引き寄せる。触れ合った体にドンは放してよ、とセオの顔に持っていた本を叩きつけた。痛いという声とともに、腕が緩む。
「セクハラ。セクシャルハラスメント」
「そ?ごめん。で、友達にならない?」
「君の頭の中を本気で一度覗いてみたい。嫌だって言ってるでしょ」
「一言も言ってないけど。今初めて聞いた」
「…」
 人の上げ足を取るような発言にドンは不愉快に眉を顰めた。こちらの不愉快さを無視した笑顔が向けられる。ドンはもう一度その顔に向けて本を叩きつけようとしたが、手首を取られてピクリとも動かない。化物め、とドンはセオを詰った。勿論効果などありはしない。
「友達になろう。俺は、お前に俺の信用と信頼を全て預ける。そしてお前を裏切らないことを誓う。死んでも」
「…何それ、やけに重たいじゃない。結婚でも申し込まれてる気分になるね」
「男と恋愛する趣味はないな」
「表現の一つ解する頭が君にはないの?首から上に乗っかってる物には綿が詰まってるの?」
 しかしそんなドンの言葉を無視してセオは言葉を続けた。
「誓う。俺は、絶対にこれを破らない。俺が死ぬことになっても、俺はお前を裏切らない。お前のためなら命をかけてやる。友として、なら」
「何それ。友達としてじゃなかったら?他に何があるの?」
「VARIAの俺としてなら、お前を殺す時が来るかもしれない。その時は躊躇しない」
「…君の血の色は実は緑なんじゃない?」
「いや、血液検査の時は赤だった」
 裏切らない、と言う単語にドンは反応した。ひたとその銀朱の瞳の奥を見つめ、真偽を定める。一つ間違えば、傷つくのはこちらである。友達は確かに甘美な響きではある。そんな友ができれば、自分にとって喜ばしいことこの上ないだろう。そう言う存在が欲しくなかった、と言えばうそになる。しかしながら、その対象者が今までは側にいなかった。
 彼らは、いつ裏切るか知れない。
「君が裏切ることを許さない」
「俺は裏切らない。でも、お前が俺を裏切っても構わない。ただし、裏切ってもお前は俺の友であり続ける。俺が死ぬまで、お前は俺の友だ。それは一生変わらない。たとえ、俺がお前を殺しても」
 いつの間にか手首を掴んでいた手は離れていた。銀朱の瞳は薄竹の瞳をまっすぐに見ている。そこに、一切の虚偽はない。
「お前が望むことを叶えよう。お前の全てを認め、お前の全てを受け入れる。お前が傷つけられれば俺は怒り、お前が笑えば俺も笑う。どうだ?友達にならないか?」
「…まるで女王様にでもなった気分だね」
「崇め奉る気はないぞ?」
 肩をすくめたキチガイにドンはく、と口元を吊り上げ、そして本の角でセオの胸を軽く叩いた。
「いいよ。友達になってあげる。君の言葉を信用してあげるよ。君は、俺を裏切らないね?」
「死んでも」
 バレンタインデーも悪くない、とドンは笑った。声を上げて笑ったドンにセオはバルディ?と声をかける。ドンはにぃと口元を笑ませ、そしてセオの足をこれでもかと言うほどに強く踏みつけた。い゛、と悲鳴が上がる。
「ドン、でいいよ。それとも君は友人を名字で呼ぶ習慣でもつけてるの?」
「…成程。なら、ドン」
「何」
「ずっと思ってたんだが、お前って」
 言葉を区切ってセオは笑った。
「小さいよな」
「死ねばいい」
 最低だ、とドンは初めての友人を睨みつけた。