33:進路相談 - 1/7

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 嵐は突然やってくる。天気予報で予測できないそれは、くるんと訪れどろんと消える。しかし嵐とは古今東西、多分きっと、そういうものなのだろう。

 

 ぶぶ、と携帯電話が震える。東眞は皿を洗っていた手を止めて、水で濡れてしまっている手をタオルで拭いた。そして机の上に置いている携帯電話に手を伸ばしたが、それを先に小さな手がひょいと取ってしまう。
「セオ」
「Telefono、セオです!」
 電話の取り方は覚えているので、セオはぱっと笑顔で顔よりも少しだけ小さい携帯電話を耳にあてた。そして、電話向こうの相手に笑顔で話しかける。尤も、その相手がだれかというのは分かっていないが。
 その声に困惑するように、電話の相手は一拍の間を置いてそれからセオの声にこたえる。
『セオ?』
「Si、セオ、です!」
「セオ。ほら、電話返して下さい。おもちゃじゃないですから、ね?」
 手を拭き終わった東眞が優しく諭すように言うと、セオは少しためらったものの、Si、と返事をして東眞の手に携帯電話を返した。
 東眞は通話が面と一度確かめてから、はいもしもし、と日本語で話しかける。電話相手が誰なのかは、もう分かっている。携帯の画面に出た名前。
『あ、姉貴』
「はい。どうしたの?電話なんてしてきて」
 珍しいと笑う東眞の目は修矢の次の一言で大きく丸く見開かれることとなる。一時期メリーさんの話がはやっていたことを、そしてふと思い出した。そう、
『俺、今そっちの家の門の前にいるんだ』
 次の電話は、俺今姉貴の後ろにいますだろうか(それはない)
 え、と東眞は驚いてもう一度聞き返した。それに修矢はどこか気恥しそうにもう一度繰り返す。
『イタリア、来たんだ。今、ほら、休みだから』
 学校がと電話の向こうで聞こえる声に東眞はああそう言えば、と思い出す。
 日本では今冬休みの最中である。学校がないとどうにもそう言う感覚が薄れてしまうのだが。思い出せば先月クリスマスを祝ったばかり。ちなみに今月にはセオの誕生日がある。
 外、と聞いて東眞ははっと声を上げる。
「外?!この寒い中!?」
『いや…うん、さっきまではタクシーで。ちょっと離れたところにいるんだけど、迂闊には中に入れないから』
 問題起こしたくないし、と修矢の吐きさだれる息の音が外の寒さを物語っている。何しろ本日、雪が地面を埋め尽くしているのだから。
 東眞はセオにいい子で待っていなさいね、と一言声をかけて、セオがそれに元気よく返事をしたのを一つ聞くと、慌ててコートを手に外に飛び出した。厚手のコートを羽織っているが、随分と寒い。吹く風は顔に当たる度に肌を凍らせるような感覚を浴びせる。サクサクと薄く積っている雪の上に自分の足跡を残しながら、東眞は良く知った道を歩いて門へと向かう。そこには一つ守衛の部屋があり、中には隊員がストーブを側に門を見張っていた。
 その扉をこつこつと叩くと、中の隊員がもう幽霊でも見たような顔でばっと飛び跳ねるようにして椅子から立ち上がり、Signora(奥様)!と悲鳴じみた声を上げた。扉が開けられて、その中からはほっとするような温かい空気が外へと流れ出る。
 守衛は鼻や耳を赤くした東眞に、どうなさったのですかと慌てるように聞きながら、風邪でも引かせたら上司に殺されるとばかりに青ざめて、ストーブのそばへと案内しようとする。東眞は笑顔でそれを断って門を開けるように頼んだが、その言葉に守衛は僅かに渋った顔を見せる。
「本日はどなたの来訪の予定も…」
「弟が、急に来て」
「しかし…」
 守る者としては、ボスの妻の言葉だとはいえ、早々に頷くわけにもいかずに唸る。その時、守衛の腕が東眞を守るようにしてその小屋へと押し込み、門の外へと警戒を走らせた。ガラス越しに東眞は門の外を眺める。
 ふさふさファーのダウンコートの帽子を頭にひっかけて、鼻頭を赤くし、首にはしっかりとマフラーを、それから両手は保温性の高そうな手袋をした上でコートのポケットに突っ込んでいる青年の姿があった。
 はふ、と吐き出した吐息はすぐに白くなって外に拡散する。青年は門のすぐそばまで歩いてきて、その三歩手前あたりで止まって、手を振った。その姿に、守衛は鋭い目つきでその青年を睨みつけ、警戒を鋭くする。東眞が慌てて外に降りると、守衛はSignora!と声を張り上げ、さっと手を出して進行を妨害する。
 そんな守衛の行動に東眞は苦笑をこぼして、違いますとその青年へと視線を向ける。
「私の、弟です」
「身元が確認できない以上通すわけにはいきません」
「うーん」
「これで文句あるか」
 修矢は肩掛けのボストンバッグからパスポートを引っ張りだして、自分の前で広げて見せた。そこには国籍と本名、それから顔写真が英語と日本語と一緒に乗せられている。しかし守衛は首を横に振る。
「偽造の可能性がある。信用できない」
「…何やったら信用してくれるんだよ…ティモッテオさんから話聞いてないのか」
「九代目!?…いや、しかし連絡はついてない」
 ドンボンゴレの名前に守衛の顔が驚きで一瞬染まったが、すぐに元に戻って、首を横に振るう。
 忙しいんだろうなと修矢はぼそりと呟いて、その寒さにぶるりと身震いした。このままここで凍死は御免だとばかりに修矢は舌打ちする。
 と、その時修矢の目が一瞬で大きくなり、ボストンバックをその場に落としながら、体だけを数歩横へとずらした。その判断は正しく上から銀色の剣が降ってきて慣性の法則によって取り残されたバックの紐に突き刺さった。銀の流れるような色がざ、と遅れて下に落ちてくる。こちらも防寒のためのファーつきフードが揺れていた。そして空気を揺るがすような大声が響く。
「う゛お゛お゛おぉお゛おお゛い!!!餓鬼ぃい!てめぇ何しに来やがったぁ!!」
 声の大きさのため、不機嫌と勘違いされがちだが、声の調子ばかりはかなりの上機嫌で、その顔は楽しそうに笑っていた。修矢は半眼になって、溜息を一つつくと、落としたボストンバックを拾い上げようと手を伸ばす。だが、その行動も途中で中断して、さらに数歩下がる。独特なナイフがすとんすとんと白い雪の上に突き立った。修矢はそれに顔をしかめながら、ナイフが降ってきた方向を睨みつける。
 こちらはファーをかぶっていないが、雪の中では綺麗な金色の少し跳ねつつある髪がゆらと落ちてくる。
「何しに来てんの?」
「…姉貴が、正月になっても帰ってこないから。遊びに来た。正月は日本に帰ってくるって話だったのにな!」
「「…」」
「ばっかじゃねーの?東眞が帰るひつよーねーじゃん。お前もーうざいから帰れよ」
 う、とスクアーロと東眞は修矢の言葉に喉を詰まらす。
 確かに正月に帰れるように予定はしていた。初めはXANXUSも了承していたのだが、大晦日の日に駄目だと言うことで部屋に閉じ込められた。連絡を取ろうにも携帯電話もパソコンも取り上げられた。スクアーロを通して手紙を届けてもらおうかと思ったが、筆記用具の類も持たせてもらえなかった。後で謝罪の電話を入れようと思っていたのだが、忙しくしている間にその機会を逃してしまっていた。
 ああ、と二人はそんな過去を思い出して大きな溜息を洩らす。本当に全く、である。
 イタリアにとどめる理由を聞けば、理由はねぇと突き返されたのは記憶に新しい。
「うるさい。お前にとやかく言われる筋合いない。俺は姉貴に会いに来たんであって、お前に会いに来たんじゃないんだ。世界がお前中心に回ってるとか勘違いしてんじゃねぇよ。この自称王子様が。大体その年になっても王子だとかなんだとか恥ずかしく…」
「あーはいはい、そこまで」
 修矢、と東眞はこれ以上の口喧嘩が続く前に修矢にストップをかける。ベルの方はスクアーロが押さえてくれていた。ナイフを投げようとしている手を押さえている。
 東眞はちらとこの状況に今一ついていけていない隊員に、困ったような笑顔を向けて、門を開けてもらっていいですか?と尋ねた。

 

 ず、とお茶をすする。浅い茶色の髪と黒い髪が一つの炬燵に向かい合うようにして座っていた。
 二人の前には煎餅が入った木の器が置かれている。ばり、と藤堂の口がそれを割っているその向こう側で、哲はスプーンに甘くて黄色いプリンを掬っていた。あまっていたお節料理が今日の昼ご飯だったのか、黒豆が少し残っているタッパーが冷蔵庫にしまわれている。ちなみに流しには洗われた重箱が乾かすために置かれていた。黒と赤、それから金色の対比は正月を思わせる。
 男二人と思いきやそこで襖が開いて、おお寒いと言いながら青緑の目をした男が入ってくる。机の上に置かれた灰皿に藤堂は顔を顰めた。それに気付いたのか、入ってきた男は藤堂にミント味のガムを放り投げて渡した。藤堂の手がそれを宙で受け取る。しかしながら、その珍しく不機嫌そうな表情は変わることがない。
「んな顔するなよ。別にいいだろ?坊主もいねーんだしさ。ここにいるのは老い先短い年寄りばっかじゃねーか」
 煙草を一本取り出して口に銜えたシルヴィオに哲がすかさず、机を叩いて睨みつける。そんなプリン中毒者の視線にシルヴィオはにやりと笑って肩を軽く揺らした。
「おいおい、お前だってもう三十路過ぎただろうが。三十路過ぎりゃおっさんだ」
「少なくとも貴方よりは若いです。それに三十路の前半ですから。田辺氏と一緒にしないで下さい」
 つっけんどんに答えた哲にシルヴィオは口元を歪めて、目を細める。哲はと言えば、この中では取り敢えず最年少なので勝ち誇った様子でプリンを食む。
「おーおー言ってくれんじゃねーか。その理論なら俺もまだまだ若い方なんだがな。大体コイツなんざ五十手前だぜ」
 そう言ってシルヴィオは煎餅を食べるのをやめて、ミントガムを口に放り込んだ藤堂を親指でさす。それに藤堂は年配の人間を指でさすのはやめてもらえますか、ときっちり釘をさす。そしてにこりと笑った。
「そんなことを言っても五十歩百歩ですよ。目くそ鼻くそを笑うとはまさにこのことですね」
「「…」」
「ちなみに私は二人のどちらの口論にも参加していないので、どちらでもないですが」
 かむ、とガムを口の中で噛みながら、藤堂は完全に上から視点で二人をそこはかとなく馬鹿にする。一番性格が悪いのはこの男かもしれない、と哲とシルヴィオは二人してそう思った。
「それから、シルヴィオ。老人がいる前で体にとって害毒になるものを吸うのはやめてください。正直、とても不愉快です」
「…バリバリ現役のおっさんが何言ってんだ…」
「それに私は戸籍上はまだ三十代ですよ。あなた方が私を追い抜くのも時間の問題でしょう」
 戸籍上は鬼籍に入っているので、確かに藤堂は年をとることはない。体の年齢に反して年だけ若いなど笑えない状況である。全くどこの「永遠の二十歳です☆」のネタだろうか。
 しかしながら、と哲は炬燵の三角を埋めるメンバーの顔を見て、ふと溜息をついた。それに二人のおやじが視線を向ける。
「何と言うか…この三人で炬燵を埋めるっていうのも…こう、虚しいですね…」
「花が欲しいなら、フラワーアレジメントの新作見せてやろうか?」
 溜息をついた哲にシルヴィオはにやにやと笑いながら、部屋の隅にいつの間にやら置かれていた紙袋を指差す。持って帰ってください、と哲は頬を引きつらせてシルヴィオを睨みつける。藤堂はと言えば、そんな二人をよそにシルヴィオが買ってきたミントガムをほいほいと口の中に放り込んでいた。
 正月時のテレビ番組と言えば、これと言って興味を引くものもなく駅伝くらいだ。それも面白いが。藤堂がリモコンを持って、ぱちぽちとチャンネルを変えるが、どれもこれもあまり面白そうな番組はない。最終的に駅伝に落ち着いた。
「暇ですね」
「ああ、暇だなぁ。おい、哲。お前なんかしろ。最年少だろうが」
「こんなときばっかり最年少扱いするのをやめていだたけますか?それに自分はもう三十路のおっさんですから」
「お前こそさっきと言ってること違うじゃねーか。一発芸とかねーのかよ」
 ありません、と哲はプリンの最後の一口を口に入れてスプーンをかちんと噛んだ。口に火の点いていない煙草を銜えたまま、下半身を炬燵にシルヴィオはごろんと背中を絨毯に着ける。
 そして、ああと思いだしたように声を出した。
「そういや坊主はもう着いたのか?」
「本当にどこからそんな情報仕入れてくるんですか…坊ちゃんのストーカーですか」
「敢えて言うなら、全世界の人間のストーカーだ」
「笑えません」
 ああそれなら、と藤堂は机の上に置いてある白い携帯を取って、ぽちぽちと操作する。酷く遅い。それにシルヴィオがひょいと代わりに手にとって、あーと頷いた。
「無事にゃついたみてーだな。ま、後は自分で何とかするだろ」
「風邪引かなければいいんですけどね…。防寒着はしっかり着こませましたが」
 ふぅと溜息交じりの藤堂に哲はここを出ていく前の超重装備の自分の主の姿を思い出しながら、小さく頬を引き攣らせた。自分もなかなかの心配性ではあるものの、あそこまでひどくはないと頷く。
「イタリアは寒いんですよ。日本よりも」
 考えを読んだように、藤堂は最後のミントガムを口に入れて、にこやかにそう言った。東眞ちゃんも元気にしてますかね、とまるで過去を振り返る老人のように藤堂はにこにことしている。
「そーいや正月に帰ってこなくて、坊主空港で一日夜明かしたんだって?」
「ええ。飛行機事故がなかったかどうかとか、飛行機内での誘拐殺人がなかったかとか色々疑ってましたが…映画ではないので流石にそれは。まぁなんとなく想像はつきましたが…お嬢様のことですし、XANXUS氏に引きとめられた、とかではないですか?」
「若い人はいいですね。夫婦の時間を大切にする、ええ、いいことです。家族はいつでも一緒にいるに越したことはありません。それに東眞ちゃんには可愛い子供もいますからね…飛行機の離着陸や長時間航空機内にいるのは、子供にもあまり面白いものではないでしょう。それならいっそ、イタリアでの正月や季節折々を楽しんだ方がいいでしょう。赤ちゃんよりも大きな修矢が行くのはお兄さんとして当然ですね」
 お兄さん、との言葉にシルヴィオははは、と笑う。
「あーそうか、あいつは甥っ子になるんだよなぁ。藤堂、あの坊主もう『叔父さん』だぜ?」
「…そう、ですね。そう言えば。あんなに小さいのにもう叔父さんですか」
「意気消沈して帰ってくるんじゃねーか?」
 二人の会話を聞きながら、哲は東眞が時折送ってくるメールに添付されているセオの顔を思い出す。
 成長していくほどに段々とXANXUSの顔によくよく似てくる。隣で枕を殴っていた修矢の姿は哲にとっていい加減に見なれたものではある。
 哲はず、とお茶をすすってふと息を吐いた。プリンのカップはもう空である。
「自分としては」
 やけに神妙な声で話に割り入った哲にシルヴィオと藤堂の視線が向く。哲は深い溜息をついて、今頃イタリアにいるであろう自分の主の姿を思い描いた。
「――――――坊ちゃんがお嬢様の子供と仲良くできるかどうかが、一番心配です」
 そんな妙な真剣みを帯びている哲の言葉に二人は笑って、心配ないとそのような意味の言葉を言った。そして哲は本日五個目のプリンを取りに冷蔵庫へと向かった。