22:Vivissimi augri di buon matrimonio - 1/4

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 どん、と目の前に箱が置かれた。
 東眞は飲みかけた味噌汁を口元から離して、置かれたその箱に視線を注ぐ。ルッスーリアとマーモンを除いた他の、スクアーロやベルフェゴールそれからレヴィはそれが一体何なのか分からずに東眞同様それに注目した。少し先に朝食を全て胃におさめていたXAXNUSは腕を腹の上あたりで組んで、相変わらず不遜な様子で椅子にどっかりと腰掛けていた。茶碗の前には箸が置かれている。
 XANXUSはきょとんとした東眞にようやっと説明をするための口を開く。初めから説明して渡しゃいいのに、とスクアーロはそんな風に思いながらXANXUSの言葉に耳を傾けていた。
「来週だ」
 それで伝わると思っているあたり、彼は全く進歩が無い。無いどころかむしろ退化しているような気がしないでもない。戸惑っている東眞にスクアーロは気の毒そうな目を向けたが、口を挟んだ場合こちらに何が飛んでくるか分からないので、ず、と味噌汁を啜って誤魔化した。あの、と東眞が言いかけて、だがしかしXANXUSはもう話は終わったとばかりに、隣に置かれた水をごくごくと飲み始めた。
 そんな光景を眺めつつ、スクアーロは自分の上司が実は今まで彼女を作らなかったのではなくて、ただたんにできなかっただけではないかと思った。こんな言葉の足らなさすぎる上に、傲岸不遜で暴力的で分からず屋で人を大切にするという感情はこれでもかと言うほどに欠落していて、相手の話を聞こうとしない。さらに加えて言えば、自分の言うことを聞かないとすぐに怒るしプライドはエベレストより高いわでその上嫉妬深い。人間性を見てみれば、この男の一体どこに惚れるところがあるのかと疑問にすら思えてくる。まぁ、それでも惚れている人間は自分の目の前にいるわけだが。
 スクアーロはそう思いつつも決してそれを口には出さずに、焼き鮭と白米をつつく。ホウレンソウのおひたしも小鉢に入っている。
 ごとんとXANXUSの手が机の上にのってグラスが机の上に乗った。そこで、まだ机の上に乗せたはずの小箱が開けられていない事実に不満そうに眉を顰めた。正直な話、ここでXANXUSが伝えようと(もしてないが)考えていることを理解しているのは若干二名だけなのである。
「開けろ」
「…いえ、その…何が来週なんですか?」
 たっぷりの時間を持ってようやく話が進む。それそれ、とベルフェゴール含め、スクアーロとレヴィも同じことを思った。
 XANXUSはどうして伝わっていない、と酷く怪訝そうな顔をして(あれで伝われば二人の間に言葉はいらないだろう)しまった。それに東眞は苦笑をこぼして、すみませんと謝った。謝る必要性は残念ながらどこにも感じられない。
「開けろ」
「…」
 この男に人の話を聞くための耳は付いていないのだ、とスクアーロは再認識した。開けろ、と三度目になる言葉をXANXUSは東眞に命令した。これ以上言っても押し問答だと判断したのか、東眞はその指をゆっくり伸ばして飾り気のない小箱に手をかける。そして、
「…あ」
 もらした声に、XANXUSはフン、と鼻を鳴らす。
 見れば分かると言いたかったのだろうが、それを言うなら一言プロポーズなりなんなりすべきではないだろうか。スクアーロはそう思いつつ、ホウレンソウに手をつけた。
「あの、」
「…来週だ」
 XANXUSは空気に耐えかねたのかどうなのか、がんと椅子から大仰に立ち上がって大股で部屋を出て行ってしまった。激しい音をたてて扉が閉められる。そして、一拍。
「キャ――――――――――東眞!!おめでとうっ!!!」
「ぬおぉぉぉぉぉ…っボボ、ボスううぅぅぅう…っ!!!」
 両極端の声が部屋に響いた。うるせぇ、とスクアーロは乱暴にテーブルを箸を持った手で叩きつける。ベルフェゴールはひょいと東眞の傍によって、その小箱を掴んでおもちゃでも触るかのようにそれを開ける。
「ルビー?じゃ、ないみたいだけど…これ、何?」
 深い赤をしたその宝石にベルフェゴールは首をかしげた。あまり見たことのない石らしい。ルッスーリアは打ちひしがれているレヴィを他所に、ベルフェゴールの後ろからその指輪が入った小箱を受け取った。そして、あらと小さな声を漏らした。そこにマーモンも加わってへぇと不思議そうな声をもらす。
「ベルが知らないのもなんだか納得ねぇ」
「どーいう意味?」
 ルッスーリアの言葉にベルフェゴールは解答を求めて質問する。それに机の上に立っていたマーモンが答えた。
「それはパイロープかアルマンディのどっちかだよ。値段は正直な話どっちも一万円以内で買える値の張らないものさ」
 なんだってそんなものにしたんだろうね、とマーモンは指輪を下から眺めながらそうぼやく。ルッスーリアがマーモンの説明にさらに詳細を付け加えた。
「正式にはパイロープ・ガーネットとアルマンディ・ガーネットよ。見た目で区別できることはほとんどないの。成分比較で分かるくらいね。価値も希少性も同じくらいだし、両方ともそこまで価値のある宝石とは言えないわね。ちなみに両方とも一月の誕生石で、宝石言葉は、友愛、勝利、それから真実よ」
「…真実、ですか?」
「ええ」
 その言葉に東眞は思わず見とれてしまうほどの笑みを浮かべた。眼鏡の奥で微笑んだ瞳は、これ以上ないほどの嬉しさを表している。ボスもここにいれば間違いなく今日の任務は楽ができるだろうと、ルッスーリアたちはそう確信した。
 真実ですか、ともう一度繰り返して東眞はその指輪を幸せそうに眺めた。そして、後お願いしてもいいですかとルッスーリアに断って、慌てて小箱を掴んだまま部屋を飛び出した。勿論彼女がどこに向かったのかは自明である。
 めいめいは席に戻って食事を再開した。ただレヴィだけは相変わらず沈んだままで、ベルフェゴールにうぜー!と椅子を蹴られていた。
「あ」
「どうしたぁ」
 母音を何か思い出したように上げたルッスーリアにスクアーロは鮭の皮をばりばり口の中で咀嚼しながら視線を向けた。ルッスーリアはひょっとしたら、と楽しげに笑う。
「あれ、パイロープ・ガーネットじゃないかしら」
 その言葉にマーモンやベルフェゴールが怪訝そうにそちらに目を向けた。ルッスーリアはご飯を一口のりで巻いて食べてから、咀嚼して嚥下する。
「パイロープ・ガーネットって語源がギリシャ語の「炎のような」ってところからきてるのよ」
「…成程ね。ボスも結構考えてたんだ」
「つまりそれってさ、ボスが傍にいなくてもボスが傍にいるってことだろ?うっわ、ボスすげー独占欲」
 しし、と笑ったベルフェゴールにスクアーロは、今更だろうがぁ、とぼやいた。全くもって本当に今更だ。
「でも金額で選ばなかったところがボスらしくないわね」
「…まぁなあ」
 宝石関連に関してはおそらく高価で希少価値のあるものが喜ばれると思うタイプ(というよりも基本はそう考えるだろう)なのでそれが少し意外ではある。あの足りない頭を振り絞って(こんなことを言えば間違いなく殺されるだろう)選んだに違いない。何が一番喜ばれるか、と。
 だから最近イライラしていたのかと、スクアーロは頭をなでながらそう思った。いい迷惑だ。思えば宝石の本を買って恋だのなんだの乙女趣味に目覚めたのかとでも疑った記憶はまだ新しい。
「ルビーかダイヤだと思ってたけど、あてが外れたね」
「賭けなくてよかったわね、マーモン」
「まったくだよ」
 危うく大損するところだった、とぼやいたマーモンは箸をことりと置いた。
「だがなぁ…、」
 ぼつ、とスクアーロは今更だったがこれでもかと言うほどに今更だったが、非常に素朴な疑問を口にした。あまりに素朴すぎてある意味盲点だったのかもしれない。
「――――――――食事時にプロポーズってのはどうなんだぁ…?」
 そんなスクアーロのありふれた疑問に、周囲はボスだからね、とその一言で済ませた。それで済んでしまう辺り、スクアーロは少しばかり東眞を気の毒に思ってしまった。

 

 東眞は慌てて扉をノックして、返事を聞く前に扉を開ける。開いた扉の先には椅子に腰をどっかりといつものように下ろしている男がいた。肩で数回呼吸をして、東眞はまず一番に言いたいことを告げる。
「その、」
「肯定以外は却下だ」
 赤い瞳はこちらを向きもせずにそう告げた。それに東眞は小さく笑って違います、と息を整えつつそう答えた。
「お受けします、XANXUSさん。これからも宜しくお願いします」
「…、ああ」
 東眞の言葉にXANXUSは満足げに瞼を落して口元をほんの少しだけ動かした。そういえば、と東眞は会話を続ける。
「これ、何て言う宝石何ですか?ルッスーリアはパイロープかアルマンディって言ってましたけど…」
「パイロープだ」
「どうしてこれを選んだんですか」
 何気ない質問にXANXUSは口を噤んだ。そして東眞の問いに返答しない。できないのではなく、しない。東眞はそれに気付いて、そうですかと苦笑をこぼして答えを聞くのを諦める。
「ところで来週ってお話でしたけど…結婚式ですよね?」
「他に何があんだ」
「いえ、えと、その…どなたか呼ばれるんですか?」
 その言葉にXANXUSは思いっきり、これでもかと言うほどに眉間に皺をいくつも寄せた。それはもうそこに何か挟めるのではないかと思えるほどに深かった。そして、大きく舌打ちの音をならして、ぎりぎりと歯噛みしなががら、勝手に手配しやがった、と宙を睨む。誰が、というのはもはや愚問であろう。
 東眞は人の良さそうな笑顔の似合う老人を思い出しながら、困ったような笑いをこぼした。
「てめぇんとこの親類にもいってるはずだ」
「そうなんですか?」
 先に電話しなくて大丈夫だろうか、と東眞は修矢の顔を思い出しながら小さく唸った。またへそを曲げたりしなければいいのだが。
 余計な真似しやがって、とぼやきつつも、結局怒り切れていない感じが否めない。東眞はそれに小さく笑った。XANXUSがそれに小さな反応を示したが、鼻を鳴らしてそっぽを向くだけに終わった。有難う御座います、と礼を言いかけたが、その前にXANXUSの言葉が東眞のその言葉を押し潰した。
「俺に、聞きてぇことはあるか」
 冗談も何もないただ真剣な赤い瞳がゆっくりと動いて東眞を捉えた。
 その質問の意図が一体どのようなものであるのか、どことなく分かっていた。だが東眞は首を横に振った。
「いいえ、ありません。あなたが『何者であれ』私はあなたの傍にいます。居続けます」
 それはもう確証だった。
 九代目、と呼ばれるXANXUSの父である老人。暗殺部隊のボスという地位。そして、こちらに来た時に言われた「ファミリー」という言葉の真意。そして、
「あなたの全てが、私にとっての真実です」
 きゅ、と小箱を握りしめて、東眞は最後の言葉は音にせずにXANXUSの瞳をまっすぐに見つめた。発する言葉は今までのものとはまた重みが違う。
「いいんだな」
 そう尋ねたてはいたが、はい以外の回答は双方共にない。東眞はゆっくりと笑って頷いた。
「お帰りって、ずっと言わせて下さいね」
 言葉の本当の意味を、東眞がXANXUSが一体何者なのかを気付いているであろう言葉にXANXUSは一つ、いつも通りに返した。そしてかつて告げた、まるで合い言葉かのようなそれをXANXUSは東眞に与えた。
「待ってろ」
 俺を、とXANXUSは見つめたままに言葉を作った。そして東眞は、はいと朗らかに微笑んだ。