20:飲めども呑まれるな - 1/6

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 トランクにぎゅ、とものをと詰め込んで修矢はトランクをバタンと音をたてて閉める。よし、と頷いた修矢に哲が後ろからひょいと袋を差し出して、忘れものですよと声をかける。
「それ…なんだ?」
 買った記憶のない袋に修矢は怪訝そうに眉を顰める。そんな修矢に哲は全くと溜息を一つついた。
「せっかく海外に来たのにお土産がないのは失礼です。心配されずとも自分が選んでおきましたから」
「…哲が、選んだのか?」
 ものすごく嫌そうな顔をした修矢に哲はそうですが、と答えて不思議そうに首をかしげた。一般的にお土産と呼ばれるようなものしか選んでいない。修矢はそれを受けとって敢えて中身を確かめずに、閉めたトランクを再度開けて中に押しこんだ。あまり期待しない方がいい、としっかりとそう心に刻んで。
 丁度その時ノックがして、扉が開けられる。
 緑の明るい色をした髪の毛がふさふさと揺れており、しっかりとした体躯の割にはたおやかな動きを見せている。ルッスーリア氏、と哲はその男か女か結局よく分からない人物の名前を呼んだ。
「んもーう、遅いじゃない。もう始めちゃってるわよ」
「始める?」
 訳が分からず首をかしげた修矢に哲はお別れ会だそうです、と笑顔で教えた。
「お嬢様がやろうとおっしゃって下さったそうですよ」
「姉貴が…。うん、そっか。というか哲!なんでお前それ黙ってたんだ!」
「言ったら始終浮かれると思いましたので」
 その尤もな言葉に修矢は口を閉ざす。本当の理由は、浮かれた修矢にXANXUSの機嫌が氷点下まで落ちるそうなので黙っていただけだが。
 ルッスーリアが早く、とせかしたので二人は立ち上がって、慌ててその後をついて行った。隣から眺めても、修矢の足取りが軽いのはよくよく分かる。
 言わなくてこれは本当に正解だったかもしれない、と哲はしっかりと頷いた。おそらくこれで言っていたりでもすれば、銀色の剣士の頭は今頃包帯がしっかりと巻きつけられていることになるに違いない。
 三日という実に短い時間だったが、哲にはここの関係がある程度には分かった。
 XANXUSという男は暴力的で荒々しいものの、それを許されるだけの力とカリスマ性がある。そして他の組員(と呼ぶべきかどうか)もそれを認めており、慕っている。理想的、と言えばそう理想的なあり方である。ただ少しばかり、XANXUSの沸点は低い。こと東眞のことに関しては。嫉妬深いとでも言うべきなのだろうか。この点において修矢とXANXUSはよくよく似ている。似ているからこそ相容れないのだろうが。
 そして大抵その被害を受けるのは力関係的に部下に及ぶが、ここに関してはあの銀色の剣士が気の毒なことに一手にそれを背負っている。勿論誰に対してもだが、とりわけ酷いのは、という意味では彼である。
 と、哲がそんなことを考えていると、わいわいと楽しげな声が響いて来た。
「さ、到着よ!好きなもの食べてちょうだい!」
 扉をくぐると、ルッスーリアが二人に皿を押しつける。どうやらバイキング形式のようであった。さらに二人の手にグラスが持たされ、ルッスーリアはすいすいっと華麗な動作で中に飲み物を注ぐ。
「有難う、ルッスーリア」
「あっら、あら!可愛いわあ!」
 笑顔で礼を言った修矢にルッスーリアはきゃぁきゃぁと騒ぎながら体をよじらせる。礼を言うべきではなかったかもしれない、と修矢はそんな風に思った。哲も律儀に礼を述べて、机の上に視線を向ける。見事な料理が次々と片付けられていく様子は達観である。そして、この城の主の位置をしっかりと確認して――――――一心不乱、とまではいかないがただ無言で目の前の肉を片付けている男を確認してから、哲はグラスに口をつけた。
 グラスの液体が傾き、哲の舌の上に乗る。そして。
「坊ちゃん!」
「ん?あ、これ結構おいしいな」
 にこやかな笑顔でグラスを持ち上げた修矢の手から哲は高速でそのグラスを奪い取った。全くもって理解できない行動に修矢は口先を尖らせる。
「何すんだ」
「未成年はお酒を飲んではいけません!」
「…酒?―――――――――――さ、さけぇ!?え、それが!?」
 ジュースと同じ味だ、と驚く修矢にルッスーリアは笑いながら、駄目だったかしら、と笑う。修矢はそんなルッスーリアの言葉など聞こえていない様子で、慌てて目でただ一人の姉の姿を探す。哲も皿もグラスも置いて東眞の姿を探した。
 そして、見つける。にこやかな笑顔でグラスの中のものをぐいと飲んでいる。中身はおそらく自分たちのものと同じである。
 さぁ、と二人の顔から血の気が引いた。そして今50mのタイムを計測すればひょっとしたら世界記録に追いつけるかもしれないそんな速さで床をかける。
「あ、姉貴!!!」
 叫んだ修矢に東眞はひらひらと手を振っている。そこまで地面と靴の間に摩擦を起こしながら、修矢は横滑りしつつ、東眞のもとに到着する。
 東眞の隣ではボトルを持ったスクアーロと、斜め前にはXANXUSが肉を自然な動作で切って、非常においしそうに(見えなくもない)口に運んでいた。
 修矢はとんでもない勢いでスクアーロの手からボトルをもぎ取った。
「あ、あああ、姉貴に一体何杯飲ませた!!」
 あまりの必死の形相にスクアーロはボトルを奪い取られたことに対して怒る隙を逃す。あ゛ぁ゛?と首をかしげた。そんな何杯飲ませたかなど正確に覚えているわけもない。すると対面に位置するレヴィが静かに三杯だ、と告げた。
「あ、…あー、とアンタは…」
「レヴィ・ア・タン」
 ふん、と鼻を鳴らしてレヴィはなくなりかけたXANXUSのグラスの中にワインを注いだ。献身的な様子。修矢は自分も名乗ってから礼を述べた。
「修矢。これ美味しいから飲んだら?」
 そう言って東眞は「四杯目の」アルコール類を飲んでから、そう言った。さぁ、と修矢と哲の顔から血の気が引く。そのあんまりな表情にスクアーロは一体どうしたぁ、と尋ねる。
「酒癖でも悪ぃのかぁ?」
 だがスクアーロが記憶する限り東眞は酒に弱いわけではなさそうだった。確かにそう沢山の量は飲んでいなかったが。
 まぁ、とけたけたとスクアーロは大声で笑って白い歯を見せる。
「ストリップでもしだすなら、まぁ、こっちはもうけもんだながぁふ!」
 いい笑顔を浮かべたスクアーロの位置に肉が乗ったままの皿が直撃する。流石に熱かったのかスクアーロは悲鳴を上げた。
「な、何しやがる!!!」
「――――――――あぁ?てめぇ、その口引き裂かれてぇのか…」
「別に何も悪いこたぁ言ってねぇだろうがぁ!!」
 ばっかでー、とベルフェゴールはパスタを口に入れながら頷いている。普通に考えるならば、恋人の前でする発言ではない。相変わらず空気の読めない男である。
「もしもの話だあ、もしもの!ぉ、っとっ!」
 ひょん、と今度はナイフが先端を向けて飛んできたのをスクアーロは間一髪で避ける。洒落にならない。XANXUSはぶっ殺す、とその瞳に確かな殺気を宿したまま、空気の読めない男を睨みつけていた。
 スクアーロが反論している中、修矢と哲はにこにこと酒を、ジュースの味しかしない酒を飲んでいる東眞を凝視していた。
「何が問題なのだ」
 その女の、とレヴィのまともな質問に修矢は一歩引きさがる。顔は心なしか青い。ルッスーリアもベルフェゴールも、それからマーモンも、言い合いをしているXANXUSとスクアーロ以外は二人の言葉に耳を傾けている。しかし修矢も哲もそんな言葉は耳に入っていない。踵をかえして逃げ出そうとした。だが、
「修矢」
 穏やかな、ひどく穏やかな声に修矢は足を止める。しかしながら、その穏やかさの裏に隠されたものを修矢は誰よりもよくよく知っている。それは一度経験済みなのである。
「待ちなさい。哲さんも―――、どこに行くつもりですか?」
「い、いえ!じ、自分は!」
「哲さん?」
「…ここにいます」
 哲もぴたりと足を止めて、その場にとどまった。
 東眞はゆっくりと、優しく、しかしながらどこか薄ら寒ささえ感じてしまう声音を出した。
「修矢、新学期初めのテスト――――――国語の点が悪かったって…哲さんから聞いたんだけど…?」
「哲!お前余計なこと…っ!!!」
「修矢」
「はい」
 初めに向いた矛先に修矢は半分涙目になりながら返事をした。穏やかな姉の笑顔がそこにはある。けれどもそれは本日現在今時刻、ちっとも喜ばしいものではない。がみがみとではなく諭すように、しかし酔っているとは到底思えない精緻な論で叱り始める。その上どこかこちらの良心に訴えかけてくるような怒り方は心に悪い。
「私は修矢にしっかり勉強しなさいと言ったはずだけれど」
「ご、ごめんなさ…ぃ」
「謝るつもりがあるなら、どうして勉強しなかったのかな」
「すみません…」
 もう謝るしかできない修矢に哲は心の中で合掌した。そして、その場から逃げだそうと一歩、下がる。しかし、それは許されることではなかった。
「哲さんも―――私、たしか調味料の分量をかいたメールを送ったと思うんですが。修矢が料理をしているのは、まぁ将来的に役立つから良いのですが…健康面としてはあまり好ましくないと思います」
「い、頂きましたが、そのですね…いえ、自分は」
「言い訳する暇があったら計量スプーンの使い方を覚えて下さいね」
 鋭いナイフのような言葉に哲は沈没した。男二人を見事に撃沈した東眞にルッスーリアたちはごくりと唾を飲む。
 酒の勢いとは恐ろしいものである。
 そしてふ、と東眞の視線の先に、先程XANXUSがスクアーロに直撃させた肉が床に落ちていた。二人はと言うと、XANXUSがスクアーロに相変わらず食器類を投げつけ、スクアーロはと言えばそれを必死になって避けている。全ては避けきれていないが。
 まさか、とルッスーリアたちは戦慄する。そしてその予測通りの名前が東眞の口から零れた。XANXUSさん、と。
「…あぁ?」
 ワインのボトルが握られているその手がふっと止まる。スクアーロは助かったぜぇ、と一息ついて東眞の肩にポンと手をおこうとした。が、向けられた笑顔の神々しさ、の裏に隠された何かに気付いてその手を止める。
 あぁ、と周囲の(XANXUS以外の)者は気の毒そうな目を向けた。
「いつも心配してくださって有難う御座います。でも、もう少し空気を読んだ発言を心がけたほうがいいと思いますよ」
「…………ぉ、ぉ゛お゛………そ、ぅ、だなぁ……」
 柔らかい物言いで、しかしながらぐっさりと突き立った言葉にスクアーロはどうにか発言する。空気が読めてない?とスクアーロは独り壁に向かってとうとう独り言を呟きはじめる。そして東眞はようやく椅子に戻ったXANXUSの方に笑顔を向けた。
 ルッスーリアたちはひょっとすると、と怯えながらそそくさと部屋の端に避難する。
「食べ物、落ちてますね」
「それがどうした」
「食べ物を無駄にしてはいけません」
「るせぇ。カスにでも食わせろ」
 ワインに手を伸ばしたXANXUSだったが、東眞の手がそれよりも早く机の上のXANXUSのグラスを取って、そしてそれを飲んでしまった。滅多にしない行動にXANXUSは目を見張った。一体何事だ、と。しかしすぐに我にかえって、なにしやがる、と僅かに不機嫌さを表層にあらわした。だが、東眞は笑顔のままである。
「無駄にしてはいけませんよ、XANXUSさん。もう投げないで下さいね」
 その一言を撃沈する前のスクアーロに是非とも聞かせてやりたいところだが、現在それは不可能である。東眞の正論にXANXUSは不愉快そうに眉間に皺を寄せて、口を曲げる。
「知るか、文句があんならそこのどカスに言っとけ」
「でも投げたのはXANXUSさんでしょう」
「文句あんのか」
「投げたのはXANXUSさんですから。少し我慢してください」
 周囲の者は(といっても残りはたったの四人ではある)そのやりとりを心臓を悪くしながら見守っていた。XANXUSが切れるのが先か、東眞が酒が回り切って倒れるのが先か。
 しかしさしものXANXUSもあまりに違う東眞の様子に怪訝そうに眉を顰める。
「…なんだ、てめぇ酔ってんのか…?」
「分かりません。でも、投げないでくれますか?」
 その様子にXANXUSはしばらく考え込んで、そしていいじゃねぇか、と口元を歪めた。初めて落とされなかった男にルッスーリアたちは流石はボス!と驚きつつ、前に出ようとして、そして止まった。
 何かしら嫌な予感がする。
「投げねぇなら何かするんだろうな」
「どうしてしなければならないんですか?食べ物も無駄になりませんし、スクアーロの怪我も減ります」
「俺は腹が立つからあのカスに投げつける。スッキリするわけだ」
 分かるか、と珍しく饒舌になってXANXUSは東眞に語りかける。東眞ははい、といつも通りに返事をした。
「だがそれがなくなると、俺はどうやって苛立ちをおさめたらいい。てめぇが俺のストレスのはけ口を奪ってんだ」
 にやにやと楽しげな笑いをおさめないまま、XANXUSは話を続ける。東眞はにこやかな微笑みを僅かに崩した。
「なら、」
 赤い瞳をゆっくりと細めてXANXUSは東眞の頬に手を伸ばし、その指のはらで唇を艶めかしくなぞった。
「――――――その苛立ち…てめぇがおさめてくれるんだろうな…?」
 この極悪人!
 酔っている人間相手に言う台詞ではない。極悪人は本当にわかりきったことではあるが、今更である。
 唇を撫でる手を止めて、くいと髪をねだるように引く。だが、その赤い瞳が大きく見開かれる。直後ばったりと東眞の体が倒れてしまった。XANXUSの肩口に顔を埋めるようにして力を失った体に大きな舌打ちが響く。答えを聞く前だったための舌打ちに違いない。
 むすっと不機嫌そうな顔をした男と、撃沈した男三名。
 華やかなはずなお別れ会は何とも奇妙な光景となった。