Looking Glass - 1/2

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 この女は鏡を持っていないのだろう。持っていないに違いない。そもそも、鏡と言うものの存在を知らないのかもしれない。自分を左右対照に映し出すそのもの。曲がったものではない限り、それはそこはかとなく正確にそのものを表現する。髪の一筋、肌の色一つ間違うことなく。
 だから、この女は鏡を持っていないのだろう。この女は、自分を記録するものを持っていないに違いない。そしてそう言った類のものに興味を持ったこともないに違いない。そうでなければ、この状況は一切説明がつかない。
 まるで恋人のように。まるで愛を語るかのように。まるで心を全て預けたかのように。
 女は男に落ち着いた表情を作る。そここそが彼女の居場所であると言わんばかりの笑みを向ける。それはそれは大層穏やかな笑みで、自分に向けられる、冷たい軽蔑にも似た表情とは真逆のものである。そこに居るだけで良いのだと言わんばかりの、その優しく朗らかな表情は決して自分に向けられることは無い。
 唯いつも思う。あの女は、自分が一体どんな表情をして、その男を見ているのかと。
 どんな穏やかな目をして、どんな優しい口元で、どんな朗らかな顔をして、男を見ているのか。きっと女はそれを知らぬに違いない。知ってさえいれば口が裂けても言えないはずだ。「彼は私の知己だ」などと。縫い付けてやりたい。針と糸を持って、上唇と下唇を一針一針丁寧に。二度とそんな馬鹿げたことを言わぬように。
 そして男も男である。彼はどうして気付かないのだろうか。その女の愛おしげにさえ思われる笑みを見て、「あいつがそう言うんなら、そうなんだろうよ」と友人説を肯定するなどと。信じられない。全く信じられない。自分に向けられる差別染みた表情と比べてみろと言ってやりたい。
 彼らはいつでも共に居る。物理的距離ではなく、精神的な距離で。この自分でさえも、あの男の名前を口にすれば、嫌々ながらでも話を聞いてくれることもあったりする。時折。男の方とてそれは同じくである。
 尤も、最近では女は自分の事を、とうとう諦めたかのように無視を決め込むようになってしまったが。無論それとて、調子に乗って騒ぎ過ぎれば、悪霊ですら睨み殺せそうな目つきを向けられはする。それでも椅子に黙って腰掛けていれば、部屋から叩き出そうとすることは無くなったし、さらに言えば、刀を突きつけて、存在自体が罪だと言わんばかりに攻撃態勢を取ることもなくなった。おつるさん曰く「諦めたんだろうね」と酷く可哀想な顔をして、溜息交じりにそう呟かれた。思えば、初対面時から考えて、自分に対する態度も随分と丸くなったような気もしないではない。しないでは、ない。無論言うまでもなく、自分への対応はクロコダイルに対するそれとは全く別物であり、それはもう比べ物にならない、比較するのですらおこがましい程の差が存在している。
 何て嘆かわしい。
 そして、どうしてあの二人はお互いにそれに気付いていないのだろうかと疑問にすら思う。
 あれ程に近いのに、あれ程に触れあっているのに。
 全くどうしてかさっぱり分からない。おばあちゃんの知恵袋とばかりに聞いてみれば、すげもなく一言。分からないね、とだった。勿論自分にだって、あの二人があれで恋人同士でないのか見当もつかない。だが、恋人同士でないからこそ、自分はよりさらに強く手に入れたいと思うのだし、仮に恋人同士で在ったとしても欲しがることは間違いないのだが、女と男は友人だからこそ、余計に自分の場所もあるのではないかと、二人並んで立っているところを目撃すると思う。間に、自分の場所を探す。男の地位はどうせ不動のものだろうから、そこにすげ代わることなぞ望んでいないし、代われるとも思っていない。実質問題、彼女から彼を奪えば、女の笑顔はそれこそ一生拝めないのではないかとすら思う。
 違う意見はねじ伏せろ。欲しい者は手に入れろ。強欲なまでに。
 いつか手に入ると思いつつも、女の笑顔はいつだって男の方へと向けられる。ここ最近では、ジンベエや鷹の目とも少しばかり打ち解けたようで、普通に会話をしている様子を見かけた。それでも、クロコダイルの物とは一線を画している。つまり自分が人間として嫌われていると言うことを暗に意味しているのだが。ヒューマンショップが問題なのだろうかな、と考えてみるが、人が人を売買することなど、もうはるかかなた、数え切れないほど昔から行われてきたことであり、人道的問題を列挙したところで大して意味は無いように思われる。
 冷たい目をして顔をして、大将青雉のようにヒエヒエの実の能力者のような態度でこちらを眺める。その顔に色が浮かぶのは、からかった時やちょっかいを出した時だけであり、それすらも基本的には拒絶の意図を示したものである。楽しげに笑ったり、そう言うことは一切ない。
 もっと自分を見れば良いのに、と思う。
 もっと自分を意識すればよいのに、と思う。
 もっと自分だけを感じればよいのに、と思う。
 それはきっと束縛にも似た感情。束縛を何よりも嫌う海の女に束縛を強いる。
 ああだから自分は嫌われているのかもしれない、と思った。彼女は海賊が好きなのだ。根本的に、彼女は海賊と言う存在を自由の象徴として愛してやまない。ジンベエや鷹の目も彼女を束縛しようなどと一切思っていないだろう。モリアもくまも、恐らくそれに関しては同じだ。
 だがそれは仕方のないことだ、と思う。自分は生来こういう性質であるし、欲しいものはどんな手を持ってしても手に入れたいという欲望欲求が強い。
 唯一つだけ気に食わない事がある。
 女は、やはり、自分の顔を鏡で見たほうが良いのだ。絶対に。だが、同時に思うのだ。女が自分の顔を見た時、男への感情を意識するのかしないのか、したとすれば、その心は間違いなく一生手に入らないだろうと分かっているが故に。
 女を取り囲む鏡を全て、そう、全て、一切合財、叩き割りたい衝動に駆られるのだから。