火中の栗

 白黒無常の白無常はプライドが高い。
 ふと、そんな話題になった。
 エミリーはサバイバー側の待機室で、人格の調整をしながら、黙ったままその話を聞く。
「板に当たった後に、服についた汚れを落とすところとか、攻撃を当てた後のあの表情や髪を払う仕草とか、そういう一つ一つの仕草に滲み出てる」
「身だしなみを整える、という意味では汚れを払うことはおかしな行動ではないけど、板を当てられて、さらに距離を取られているにも関わらず、わざわざ一動作入れるところに、性格を感じるね」
「そりゃ悪い意味で言ってんのか。いい意味で言ってんのか」
「はは、ノーコメント」
「アンタも大概だよ、イライ・クラーク」
「それは、いい意味かい?それとも悪い意味かい?ナワーブ」
「ノーコメント」
 はは、と笑いながら、ナワーブとイライは話を続ける。
 会話に参加しないエミリーの肩を隣に座っていたフィオナが軽く指先で突く。
「それで先生。君の意見は?」
 話の内容は聞いていたが、話を振られるとは思っておらず、エミリーは二度瞬きをした。ふと顔を上げれば、六つの視線が自身に注がれていることに気づく。
 答えを期待されている目に、エミリーはわずかに口ごもった。その、と言葉を選ぶ。
「謝必安のプライドの話、でよかったかしら」
「ああ、そうだとも。先生の目から見て、彼はどうなんだい」
「プライドが高ぇ男は面倒だとか、素直に言っていいぞ」
「ナワーブ。君そんなこと言って、救助に吸魂を決められても知らないよ」
 隣で笑う二人に苦笑をこぼしながら、エミリーは少しばかりの間を置いて、口を開いた。
「プライドが高い、というか、口達者な綺麗好きという印象ね。潔癖とまではいかないけれど、部屋の中もきちんと整理整頓されていたわ。身だしなみにも気を遣っているから、多分、そういうところじゃないかしら。ちょっと、子供っぽいところもあるけれど」
「子供っぽい」
 エミリーの返答に、三人の声が重なる。
 三人はそれぞれ顔を見合わせながら、イライは肩をすくめ、ナワーブは信じられないとばかりに顔を歪める。フィオナは、二人の気持ちを代弁するように、例えば、とエミリーに質問する。
 三者の反応に、エミリーは多少の戸惑いを覚えつつ、思い当たることを一つずつ口にしていく。
「したくないことは、絶対に何がなんでもしないところと、どう考えても自分でできることを人に頼むところとか。あと、少し怖がりなところもあるわ」
「そりゃ子供っぽいというか、単純に我儘なだけじゃねえのか」
「まあ、そう。そうともいうけど。こう、所作というのかしら。頼み方がとても子供っぽいのよ。普段はそんなことはないんだけれど。分かってもらえるかしら」
「いや全く」
 記憶にある謝必安の姿に、エミリーは言葉でうまく表現できない部分を仕草で表そうとしたが、当然それもうまくいかない。
 幼子が母親に甘えるような、ロビーのような明るさはないが、憐憫を誘う、手を差し伸べなければと思わせるような態度で頼み事をする。意図的であるかどうかは、エミリーに判断はつかなかった。
 駄々をこねる子供のようになるところも、意地をはる姿も、拗ねてそっぽを向いてしまう姿も、どれをとっても、話題になっているプライドの高さをエミリーが感じることはない。プライドが見えないほどに高いのは、東風遙の謝将軍であって、謝必安ではない。
 ただ、とエミリーは続ける。
「謝必安のことなら、きっと范無咎の方が詳しいと思うの。だって彼は、ずっと謝必安の隣にいて、彼のことなら大体なんでも知っているのだから」
「ええ。ええ、そうですとも。私のことを一番知っているのは無咎ですとも」
 突然の、話題になっていたハンターの訪問に、エミリーは驚きで身を縮める。
 悪い評価こそしていないものの、本人がいないと思っていた場所での話を聞かれることほど気まずいものはない。
 背後から降るハンターとしての気配と、そして言葉とは裏腹の眼光の鈍い輝きにエミリーは唇を引き結んだ。
「ああ、エミリー。どうしたんですか、私の顔を見てそのように顔をこわばらせて。いいんですよ、少し、私の話をしただけではありませんか」
「そ、うなのだけど。ええ、でも本人がいないところで、する話では、なかったかと思って」
 後ろめたさから眉尻が下がったエミリーに、謝必安はいいえ、と笑ってみせる。
「私のプライドがどうのという話でしょう。ハンターとしての矜持こそあれ、そう、」
 そこまで告げて、謝必安は視線を足元へと落とし、その端正なかんばせに影を落とす。薄い胸元に手を添えるその姿は痛ましささえ覚える。
「私のような存在は、そのようなものを持つ資格などないのですよ。どのように語られようとも、私はそれを受け入れるべきなのです」
「無神経だったわ。ごめんなさい、謝必安。范無咎にも謝罪を」
 漂う悲壮感に、エミリーは自身が白黒無常の触れるべきでない箇所に触れたと思い、慌てて席を立ち、謝罪を口にする。
 顔を伏せすみません、と繰り返す謝必安にエミリーは狼狽える。
「あなたの精神状態がよくないようだから、今回のゲームはお休みにしてもらいましょう」
「いいえ、エミリー。私、こう見えてもハンターですから。あなた方を全員椅子に座らせて差し上げる程度のこと、多少の気持ちの乱れがあっても問題なくできます」
「そ、れは、サバイバーの私からすると、手放しで喜べないけれど、でも、駄目よ」
 エミリーは謝必安の瞳をしっかりと見つめ直して、目を細め、慈母のごとき微笑みをたたえる。
「心も体と一緒よ。不調を侮ってはいけないわ。あなたがキャンセルしないなら、今回は私がキャンセルする。自室に戻って、気持ちを落ち着けましょう。部屋まではつきそうから、ああ、その前にナイチンゲールに、言ってくるわね。ハンターの席に戻るのが辛いようなら、私の椅子を使ってちょうだい。みんな、勝手を言ってごめんなさい」
 そう優しく気落ちしているように見えるハンターと、そしてゲームを待っていた仲間に告げると、エミリーは足早に待機室を出て行った。
 小走りの足音が消えた頃に、謝必安はエミリーが座っていた椅子を引いて、ゆっくりとした動作で椅子ではなく、テーブルの方に腰掛ける。
 悲壮感の漂っていた顔には、すでにその色はなく、至極満足げな色しかない。
「すみません。折角待っていただいていたのに」
「うーん、白無常。すまないと思っていない謝罪は、僕らも受けることはできないな。それに、あなたは僕たちの言葉を受け入れなければならないとは思っていなさそうだ」
 イライの言葉に、謝必安は長躯を前方へと曲げながら、口元を歪ませる。
「それは、そうですとも。私が受け入れるべきは、無咎からの責めであり、お前たちサバイバーごときの言葉を粛々と受ける必要などどこにもない。ゲームさえ始まっていれば、投降がかなう時間まで失血状態で放置して差し上げましたのに」
「お前、性格悪いって言われねえ?」
「一度も」
 にこやかに微笑んだハンターの顔に、サバイバーは肩をすくめた。
 そこに、黒傘が広がる。今変わる必要はないと誰しもが思ったが、それはテーブルに腰掛けていたハンターも同じだったようで、その表情は戸惑いの色が浮かんでいる。
 口が開いたが、言葉が発される前にその体は黒の雫に溶け落ち、もう一人の白黒無常が三人の前に姿を現す。険しげな面は、眉間に皺が寄っていることで、より不機嫌そうに見えた。薄い唇が上下に開く。
「必安を、悪く言うな。傷つきやすい」
 ナワーブを含む三人は、告げられた言葉に一瞬動きを止め、そして肩を落とした。
 黒無常、とナワーブは深い溜息と共に、プライドの高い相方を持つハンターへと声をかける。しかし、その言葉は、口を開いた状態で結局喉奥で止まり、言おうとした言葉とは別の言葉として形成される。
「あー、気をつける」
 失血死はごめんである。
 ナワーブ・サベダーの判断を、残されたサバイバーは黙って支持した。