Como e Lavinia - 7/12

7

 視界を分断するかのような黒線を、後ろに反り返って回避する。どうしても避けきれない一本は、銃弾を当てることでその方向を変えさせた。余程頑丈な繊維でできているのか、通常弾でそれを食いちぎることは不可能であった。腿に添えつけてるホルスターのもう一段階裏側に装備している予備弾倉を、最後の一二発が入っているままの弾倉を落として、中にはめ込む。
 圧倒的な力量差の前で、セオは己を恐ろしいほどにちっぽけな存在に感じた。ヴィルヘルムは手袋を嵌めた指先を曲げたり伸ばしたりしつつ、退屈そうに欠伸を一つする。体の中心線とそこから外れて左右に銃弾を三つ、ほぼ同時に撃ち込むが、相手は回避動作の始めすら見せずに、指先だけで攻撃と防御を兼任するリールのような糸で弾丸を絡め取ると反対に投げ返してきた。床を踏み、最小限の動作でそれを避ける。
 ヴィルヘルムは間延びした声を、顎を中途半端に落として溜息交じりに零す。
「中途半端にできると面倒なんだよなぁ…ったく」
 頭をかき混ぜ、ひどく面倒くさそうにしている男へとセオは唾を飲み込み、へばりついていた舌を引き剥がして言葉を手繰る。
「依頼内容に、食い違いがあったんじゃないのか」
「それ、俺がお前に話す必要があるのか?」
「仲間が到着すれば、多勢に無勢。引いた方がいいと思うが。杜撰な依頼内容な上、依頼者が勝手に動き回るような」
「あのなぁ」
 ヴィルヘルムはセオの言葉を遮った。一本の、視認することが難しい黒糸が男の腕輪の中に見事に収納される。履いている革靴で傍に転がっていた瓦礫を蹴り、ヴィルヘルムは破壊し、穴の開いた壁に腰かけた。
「一度依頼されたことは依頼者からの撤回がない限り、それは遂行する。確実に間違いなく。だから、依頼者が何をしようが俺には関係がない。依頼内容の妨害をするようならは誰であろうと殺す。依頼者であっても、だ。お前に分かるかな。ちょっと難しいか?」
 きりきりと、ヴィルヘルムは右手で左側の腕輪から伸びる糸を引っ張りながら、指を放して巻き戻した。
「その辺、XANXUS等とそう変わらないんだが。お前もそう教わってるだろう?まあ、殺し屋と暗殺者の違いなんてものが定義されているとすれば、俺はまだそれを知らないわけだから、完全に同一視するのは流石に躊躇うが」
 引っ張り、放して、また戻る。
 ヴィルヘルムの一連の行動にセオは意味を一切見出せない。実際、意味などなく、ただ手持無沙汰なのでそう行動しているだけに過ぎない。ぎりぎりに張り詰められた空気の中で、セオは一つ呼吸をした。ヴィルヘルムの足元を眺めていた瞳が、ゆるりと持ち上げられる。
「邪魔だ」
 その一言と全く同時であった。腹を貫いた感触に足元が揺らぐ。一体何が起こったのか、セオには理解が及ばなかった。腹から背部にかけて、一本の黒い槍が貫いていた。正しくは槍などではなく、一本の細い糸が互いに強固に絡み、組み合わされたものであった。体が危険信号として、アドレナリンを放出し痛みを麻痺で緩和させる。震えた膝でセオは地面を踏み直し、ヴィルヘルムは落としていた腰を悠長さすら感じさせる動作で持ち上げた。大きく伸びをする。
 穴を開けた糸の束は傷口を押し広げるようにして解け、ち、と付着した血液が指先の僅かな動作で空中に弾いた。散った赤は球状へと変化し、その後に地面へと花を咲かせる。数秒置いて、腹からせり上がってきた液体が食道を通過して口内に鉄の味を蔓延させる。糸がばらけると同時に、塞がっていた傷口から血液が溢れかえる。腹に空いた穴を掌で抑え、セオは口から真っ赤な血を吐き出した。内臓のどれかに確実に穴が開いていた。おびただしい出血が、腰から下の服を湿らせ、ブーツの縁に凭れる。
 持って数十分の命の妨害者であった青年の脇を、ヴィルヘルムは何事もなかったかのように通り過ぎようとした。しかし、その進めようとしていた足は、セオの真横で止められる。肩に軽く触れる金髪を流し、ヴィルヘルムは口元を真っ赤に汚した青年を見下ろした。白い手袋は眩しい鮮血の色に染め上げられていた。染料は彼自身の血液である。まだ白い方の手袋が、ヴィルヘルムの腕を、その骨をへし折らんばかりの力で掴んでいた。
「ま、だ。殺せてない」
「どうせ死ぬ。ただでさえ相手にならないのに、死に損ないの状態では路傍の石にすらなれない」
 革靴が持ち上げられ、辛うじて立っている青年の腹にめり込む。踵は傷口を抉るように蹴り込まれていた。
 悲鳴は噛み殺したが、踏ん張りが利かずに体は後方へと吹っ飛び、床に背中を打ち付けるようにして転がる。痛みと衝撃で数秒のタイムロスが生じ、その間にヴィルヘルムは間を詰めて、さらに痛みつけるように、踵から全体重を傷口の上へ掛けて踏みつけた。肋骨が悲鳴を上げ、数本が折れたのが分かった。筋肉の下の骨が圧し折られた音が、咳き込むのと同時に耳に痛く響いた。傷口を押さえていた掌の上から踏みつけられたために、掌を走る細い骨も間違いなく踏み砕かれている。
 ヴィルヘルムは理解不能な生き物を見るかのような視線をセオへと注ぎ下した。
「救出される万が一つの可能性を捨てて向かうのは理解できない」
「…ぁ…は、…ッあ」
 口内に溢れている血を唾液ごと飲み込む。強烈な痛みに眩暈がした。
「、う゛ぃな…は、殺させ、な、い」
 散漫とする意識を乱暴に掌に集中させ、光球を発生させる。死ぬ気の炎の中では最も攻撃力が高いとされるその炎は白に近い色をしていた。触れるものは灰にする程の高温体である。セオはそれをヴィルヘルムの腹に向かって放った。けれども次の瞬間、目に疑う光景を目にする。
 当たるかと思われた炎は回避されることもなく、ただ、四散した。
 ヴィルヘルムの両手のリングから幾重にも交差させられていたのは黒い糸であった。肩を揺らし、セオは血を吐いた。呼吸が上手くできない。だから、と男は防御壁にしていた黒い糸を全て解いて手首の輪に戻す。
「死ぬ気の炎で戦う連中は一辺倒で芸がない。馬鹿の一つ覚えみたいに、炎で攻撃すれば必ず当たると勘違いしている」
 鼻で一つ嘲笑うと、ヴィルヘルムは傷口の上に乗せていた足をそのままに、床の上にあった足を持ち上げた。男の体重が砕かれた手と傷口の上に無情に圧し掛かる。その状態で、男は軽く体を揺らした。全身の骨を容赦なく圧し折るような痛みが指先まで駆け抜ける。その中で、残っている右腕に糸のような感覚が絡まった事に気付いたが、動かしようなどない。切断されるかと思ったそれだが、隊服の上から強烈に乱方向から締め付けを食らい、折れた。痛みの中に痛みが弾ける。歯を噛み、痛みに彩られた声を押し殺す。
 激痛の海に放り込まれたまま、セオは男の言葉の意味を考えた。種明かしは必要ない程に単純な答えが見つかったが、それでも攻撃方法は既にもうこの一択しか残されていない。そしてヴィルヘルムは、耐死ぬ気の炎の繊維を編み込まれて作られている糸をセオの腕から緩め戻した。
「隊服の強度は随分だな。こいつで切れないのは立派なもんだ。だが、まぁでも」
 まさに、セオの上に立っている状態でヴィルヘルムはその指を器用に動かし、数本の糸を青年の首へと巻きつけた。タートルネックのように上まできっちりと閉めてはいるものの、それでも服と肌の切れ目は存在する。肌に、細い糸が食い込んでいく感触をセオは感じた。
 死ぬ。
 自分の頭部が胴体と離れる光景がまざまざとリアルに想像できる。炎も効かない。体術も及ばない。どうしようもない。打つ手がない。セオは全身の力を緩め、目を閉じた。視界を閉じた分、聴覚が鋭くなり、ヴィルヘルムの声が鮮明に聞こえるようになった。ドイツ語で別れの言葉が、セオの耳を打った。最後の言語がドイツ語なのは、言葉にしようもない。
「Guten Traum(良い夢を)」
 一生覚めない夢だろうとセオは皮肉って軽く口角を吊り上げた。喉が一気に締め付けられる。ピアノ線よりもずっと細い糸は皮膚と筋肉を、そして骨まで切断し首を血液と共に転がす。しかし、
 そうはならなかった。
 体の上に乗せられた重さが一度だけさらに重たくなり、蹴り付けられると同時に退く。首を切断しようとしていたいともするりとほどけ、空気を軌道に一気に通す。同時に幾分の血液も気道に流し込んでしまい、強く咳き込み、傷口をさらに痛めることとなった。
「何だ、手間が省けた」
 耳から入ってきた言葉の意味を瞬時に理解し、セオは息を切らして立っている少女をすぐに見つけた。視界の端でヴィルヘルムの指先が動く。それは先程まで自分の首を切り落とそうとしていたものだった。何がどうなるかなど、そんなことは問質さずとも理解できることである。痛みなど忘れて反射的に立ち上がった。自分の血で滑る床をブーツ底の滑り止めで踏み留め、体を前へと投げ出す。折られていない方の腕を伸ばす。男の攻撃が届くよりも速く、疾走する。正面衝突するように、セオはラヴィーナの体を自分の胸の中に収めた。背中ごと抱きかかえて倒れ込む。背と脇腹に糸が鋭く当たって傷口を痛めたが、そんなことよりも大事なものが腕にある。
 息を飲む音が聞こえたが、セオはそれを無視した。何故戻ってきたなど叱責したいことは沢山あったが、そんなことを問い詰めたところで現状は露程も変化しない。倒れた位置から、膝を立たせ足を動かす。動けば、ズボンに滴り落ちる血液がぱたんと、ヘンゼルとグレーテルのパン屑のように痕跡を残す。尤も、この痕跡を食べてくれる鳥はいない。相手に背を見せて逃げる自分は無様だと思った。父のように、スクアーロのように、ルッスーリアのように、レヴィのように、ベルのように、マーモンのように。力があれば、妹をこんな危険な目にも合わせず、不必要な恐怖に怯えさせることもないのにと、セオは情けなく思う。今も、守るように自分の体に押さえつけた体は泣いている。泣かせているのは他ならぬ自分である。情けない。口惜しい。
 掌にある骨が全て踏み砕かれている場所はもう一切の感覚がない。腕と脇で器用にラヴィーナの体を抱え、折れた腕を横に垂らしてセオは走る。走るというよりも、その速度は歩くに近い。足を一歩動かす度に、思考が一欠けらずつ奪われていく。脳に酸素を運ぶ血液が床に零れて体外に消える。折られた肋骨付近にラヴィーナの体を抱えているため、痛む内臓に血を吐く。擦れた息をこぼし、それでも前を見ながら妹を抱えて歩き続ける。
 腕に抱えている命を、妹を、大切な家族を、零すわけにはいかない。兄なのだから。お兄ちゃんなのだから。
 セオはラヴィーナの小さな手を思い出す。色々なことを思い出す。初対面の時のことを、初めて近づいて来てくれた日も。
 息を吐く。
「しん、ぱいする、な」
 俺が守るんだ。
 そう零そうとした言葉は、咳き込みに混じって消えた。
「だいじょう、ぶ、だ」
 ここから必ず、生かして帰してやるから。マンマやバッビーノ達のところに、帰してやるから。
 背後からのんびりと、セオが力尽きるのを待つようにヴィルヘルムは革靴の固い音を鳴らしながら、子を追う父のように歩みを進める。軽く鼻で歌を歌う。軽い音が四方の壁を叩いた。満身創痍で妹を抱え逃げる姿は見事とは到底呼べないものだった。手首のリングから糸を引っ張り出しながら、音を響かせる。
 それでもあの怪我と出血量から見れば、随分と持った方だった。直線の廊下を歩き切り、角を曲がろうとしたときに、とうとうセオは転げた。兄の体に押し潰された、正しくは覆い被さられた妹の柔らかそうな手が覗き、兄の肩を必死に叩く。覆い被さられた状態で声を出せば、兄は肉の塊になるので、流石に妹が声を出すことはなかった。ただ、手で兄を叩き押す。どこかその光景は、ヴィルヘルムには滑稽に思えた。
 ヴォル。
 そんな時もあったろうかと、ヴィルヘルムは弟の顔を思い出す。足を挫いたと座り込んで動かなくなった弟を背負って歩いた光景がふと脳裏を過り小さく笑う。全ては過去の遺物に過ぎないそれを、懐かしむ感傷的な面は持ち合わせていない。自分よりも小さな弟の手を引いて、楽しく道を歩けたのは一体いつまでだったか。いつの間にかそれは、上辺だけのものになってしまったように、ヴィルヘルムはそう思い返す。自分と弟は確実に違うのだと、泣きながら死んでいた小鳥を埋める弟を眺めながら思い知らされた。どうして弟がそんなに悲しそうにしているのか、いつかは土に帰るというのに、わざわざ墓標まで立ててやる意味は何処にあるのか、食物連鎖を考えれば、そのまま放って猫や烏の餌にしてやるのが最も合理的なのではないか。そんな自分を弟は、ひどく悲しそうに見つめていた。その目を、ヴィルヘルムは今でも鮮明に思い起こすことができる。
 この世界の色が、一番似合わない弟だった。
 覚悟の末にここに踏み入って来たくせに、それでいていつも辛そうに人を殺す。それでも一度染めてしまえば、それが中に浸透せずとも色を落とすことは叶わない。馬鹿で愚鈍で、全く、憎たらしいほどに、泣きたいほどに優しい弟だった。
 世界はいつだって思うように動かない。思うように動いてしまう世界など、存在するはずもないのだが。ヴィルヘルムは笑い、妹を抱きかかえるように倒れた青年の手前で足を止めた。生物兵器がその下からようやく這い出ると、まるで兄を庇うかのように一番大事な頭をきつく抱きしめる。奇妙で滑稽な光景だった。見るものが見れば、さぞかし感動的なワンシーンであろう。笑いがついつい込み上げる。ふ、とヴィルヘルムは鼻を小さく鳴らした。
 それと同時に、頭を抱えた少女が大きく息を吸い込んだのを確認した。今まで兄の体が邪魔で発生させられなかった武器を使う気になったようだった。歯を食いしばり、体を戦慄かせているそれは、恐怖ではなく怒りであった。目から大粒の涙が頬を真珠のように零れ落ちて兄の頬を濡らす。攻撃が来る。喉が動いてから、声が発生するまでの僅かな瞬間をヴィルヘルムは完全に見切り、刹那で自身の前に細い糸で作り上げた防護壁を張り巡らせる。体の肉が弾けることはなかった。ただ、声の振動だけが糸を震わせる。
 無駄な抵抗を糸の向こうから眺めつつ、これから殺す存在にヴィルヘルムは暇潰しに独り言を述べた。
「お前のその声だが…製作者によると、人体にしか反応しないようだな。それも直接的に、最も強い扇状範囲の音波を浴びた者にしか効果がない。他は肌が泡立つような違和感を覚えたり、気分が悪くなるだけで、さしたる問題はないようだ。使い方によっては最高の兵器だが、同じく使いようによってはただのゴミだな。暗殺には使えるだろうが、戦場投入は不可能だろう」
 さらに強い声が張り巡らせた糸越しにヴィルヘルムの耳を触った。
「その上、最大値能力使用可能時間以上の能力使用は本体をどうしようもなく痛めつける結果となる。一度使い物にならなくなれば、自己修復に一年は必要だそうだ。武器と違って、人体をベースに作られているというのは、非常に厄介だな」
 次第にか細くなっていく声にヴィルヘルムは小さく首を傾ける。最終的に少女は喉を押さえ、兄同様に血反吐を吐いた。妹が血を吐いたのは、兄と異なった理由であったが、喀血という行為は全く同じであった。細い肩を震わせながら、揺れる声でそれでもなお攻撃を仕掛ける。音波は声の大小に関わらず、直接浴びれば人体を破壊するものなので、確かに殺傷能力は高い。油断をすれば、一瞬で肉の塊になる。
 それでも十分も連続使用すれば限界は訪れたようで、ラヴィーナは声も出せないほどに喉を傷めつけたようだった。呼吸をするのも苦しい様子で、息を吸う度に眉を髪の毛の下で顰めていた。悔しげに下唇を噛み締め、妹は兄を守ろうとしっかりとその体を抱きかかえる。しかし、抱きしめられていた青年の体がゆるりと動いて妹の体を軽く突き飛ばすと、その両手を大きく広げ、暗殺者と妹の前に壁を作る。折れている腕は、中途半端な位置で止まっていた。妹は兄の背を叩いたが、兄は妹が前に出ることを許さなかった。
 全く涙を誘う感動の光景を冷めた視線で見下しながら、ヴィルヘルムは自然な動作で自身の武器を操る。二度目になる別れの言葉をかける必要性を男は見い出せず、斜め上から青年と少女の無防備な首を跳ね飛ばそうと糸を振るった。けれども、糸の動きは、横から放たれた目を潰さんばかりの光の筋に妨害される。死ぬ気の炎に対して耐久性を持つ武器が溶解することはなかったが、それでも二人の首を跳ね飛ばすには至らず、ヴィルヘルムは動きを乱された糸をリングに戻した。
 無言の重圧と、目の前の青年とは比べ物にならない殺気と実力を持った男が一人、床を踏んだ。へぇ、とヴィルヘルムは肩を竦める。
「予想以上にお早いご到着だ。XANXUS…と、」
「うおぉおい、ボス!一人で勝手に行くんじゃネェ!」
「スクアーロ」
 怒鳴り声と共に、一つ遅れて角を曲がって来た銀髪の男を視界に入れ、ヴィルヘルムは名を付け加えた。
 互いに何を聞くまでもなく、一瞬の行動で戦闘へと火花を散らす。XANXUSは銃口を問答無用でヴィルヘルムへと向け、先程の線を帯びる程に高火力の憤怒の炎を纏わせた銃弾を放つ。その攻撃にヴィルヘルムはセオの攻撃を防ぐように糸を前方に編んで炎を散らすが、先程と同様の厚みでは堪えられないことを瞬時に悟り、さらに糸の厚みを増した。力任せに焼切られた糸が灰と燃え滓になり、床に落ちる。続けて連発された銃弾を今度は横に飛ぶことでヴィルヘルムは回避し、その最中で役に立たなくなった腕輪を放り捨て、新しいものを素早い動作で嵌める。予備を出すハメになったことは、想定外でもあったが、しかしヴィルヘルムはその危機的状況を楽しいと感じた。
 回避が確実に可能な距離を保った場所に、ヴィルヘルムはブレーキをかけて止まった。顔にかかった金糸を一筋指先で退ける。
「セオの時は、一枚で事足りたのに」
「餓鬼と同一視すんじゃねぇ、カスが」
 大きく舌打ちを鳴らし、XANXUSは後方で動いたスクアーロの様子に異変を覚えた。戦闘に対する欲をすぐ剥き出しにする男であるのは承知のはずだったのだが、珍しくそれがない。奇妙に感じる。Jr.と焦った耳に声が覚える。体が倒れ込む音が続いて響く。ヴィルヘルムは、あらと口端を軽く持ち上げた。
「あっちも限界だったか。ああXANXUS、息子に別れの言葉を告げてやるくらいの時間は待ってやるが?後十分持てばいい方だ」
「カスに負けるような餓鬼にかけてやる言葉はネェな」
「冷たい父親だ。東眞にもそう笑われてるんじゃないのか」
「知るか」
 引き金が奥に移動し、銃口が軽く上に跳ねる。横に逃げる男を追うようにXANXUSは銃弾を壁にめり込ませていった。速さはスクアーロと同等か、それよりも僅かに速いくらいである。壁や床を糸を使い、縦横無尽に移動するので、位置が把握しづらい。自身の頭上を通り過ぎようとした男の腹目掛けて、今度は確実に当たると確信を持ち、XANXUSは引き金を引いた。ヴィルヘルムは銃口の向きを青い目で捉え、進行方向へと直進するのを止めると体を先程あった場所に蹴り戻す。
 音もなく地面すれすれに張っている糸の上に体重をかけ、ヴィルヘルムは肩を竦め、溜息をこぼし、軽く顎を右指先で擦った。
「一応聞いてみるが、八号を渡す気にはなれないか?俺も馬鹿じゃない。お前と正面からやりあって、無傷で済むとも無事で帰れるとも思わない。どうせ、その生物は人を殺すだけしか能がない。存在自体がイレギュラーだ。食わせて、監視させて、生かしていくのに一体どれだけの金が必要になると思う。今ここで、俺に殺された方が余程世のため人のためだと思わないか」
「…てめぇの口から下らねぇご高説を聞く羽目になるとはな」
「正論と言えよ。一応、聞いてみたが」
 ヴィルヘルムは首を僅かに傾け、耳を掠めた弾丸の音に片眼を細める。
「答えはNoか」
「俺に命令できるのはてめぇみてえなカスじゃねぇ」
「…お前、東眞とじゃなくてボンゴレと挙式した方がよかったんじゃないか?」
 軽口を叩き、弾けた音と光弾にヴィルヘルムは体を器用に移動させる。一本だけの糸では到底防ぎきれるものではなく、部屋中に張り巡らせている数本の糸が焼切られる。逃げるために使っていた糸を全て解き、ヴィルヘルムは一度腕輪に戻した。
「成立しないとは分かってたが、交渉決裂だな」
「カスは死ね」
 四方から一度に攻撃を仕掛けてきた糸をXANXUSは周囲に花を咲かせるように360度全て弾丸を撃ち込んだ。一つだけに持たれていた銃は既に二つに持ち直されている。踏み込み、確実に息の根を止めるためにXANXUSはヴィルヘルムとの距離を詰めつつ、銃弾が相手を吹き飛ばすように両方の銃を手の甲で軽く交差させる。上下左右、どこへ回避しても撃ちこめる構えであった。しかし、それは、ラーダ!と後ろで声が荒げられたことにより僅かに位置を外す。ヴィルヘルムはその体を部屋の隅へと逃がした。
 XANXUSは一度だけ赤を後方へと、顔をずらさずに動かす。
 ラヴィーナと、妻がそう名付けた少女がセオのコートを身に着け、気絶した兄の体を守るように抱きしめ、座り込んでいる。スクアーロは頭を押さえ、自身の精神に問答無用で踏み込んできた意識に顔を顰めた。その仕組みを理解していれば、倒れることはないが、決して気持ちの良いものではない。思考力判断力、共に鈍る。小さな体ががたがたと大きく震え、兄の体を精一杯に抱き込んでいる。スクアーロはセオに、一刻も早く応急手当を施そうと手を触れようと伸ばしたが、上下に開かれている少女の顎を見れば、動きを止めざるを得ないようだった。完全に少女がパニック状態に陥っているのはXANXUS、スクアーロ両名共に即座に理解した。しかし、そうこうしている内に、止血が施されていないセオの傷口からは血が流れ続けている。失血死の可能性も高い。ラーダ、とスクアーロは落ち着けるようにそっと声をかける。しかし、僅かにでも動けば、喉が震えるように動いた。万事休すか。スクアーロは歯噛みした。
 しかし、その緊張の糸を一発の銃弾が断ち切った。XANXUSはヴィルヘルムからは一切視線を外さないまま、弾丸でラヴィーナの髪を一筋飛ばした。パニックをさらに進行させるような真似にスクアーロは抗議しようとしたが、その前に静かな声がラヴィーナへと投げつけられる。誰が、とそう始まる。
「声の使用を、許可した。兄貴を殺すつもりがねぇなら、とっととそこのカスに渡せ」
 ラヴィーナはうろたえたように、一度はきつくセオの体を抱きしめたが、スクアーロを認識することはできた様子でおずおずとセオの体を放し、その場に横たえさせた。スクアーロは一秒だけ待ち、ラヴィーナに攻撃の意思がないことを確認するとセオの応急処置にかかった。出血量も傷もひどく、満身創痍と呼ぶにふさわしい。褒められはしない。戦いたい衝動は、XANXUSとヴィルヘルムの戦いを見せられれば、足元から背筋を這い上がってきたが、首を振るいその意識を振り飛ばす。今すべきことを間違えたりはしない。
 セオの体を、極力傷を悪化させないように担ぎ上げて、腰がすっかり抜けてしまっているラヴィーナも一緒に抱える。こちらは血の色こそひどいが、外傷は見られない。ルッスーリアに通信機越しに連絡を入れる。本部とは場所が離れているために、こちらの方が早く到着したが、本部からも救護班二名を向かわせていることをスクアーロは知っていた。可能な限り早く診せた方がいい。
 ボス、とスクアーロはXANXUSに向かって怒鳴るように声をかける。
「餓鬼二人は連れて行くぞぉ!」
「ちんたらしてんじゃねぇ、ドカス」
 しっかりと罵倒され、スクアーロはしかしいつものことと割り切り、その場から離脱した。
 離れていく足音を耳に留めながら、XANXUSは追わねえんだなと口元を軽く持ち上げて見せた。それにヴィルヘルムは肩を竦めて、そりゃあと受ける。
「手負い二人連れていれば、十分に八号は殺せる。が、でもその前にXANXUS、お前がそうさせてくれないよなぁ。お前に背後を取られたら生きた心地はしないし、追われながら殺すってのも手間だ。なら、ここでお前を殺してから行った方が効率的だと、そう思わないか?」
「カスは所詮カスだな。それが、実行可能だと勘違いしてやがる」
 数発残っている弾倉を銃から叩き落とし、新しい弾倉を込める。赤い瞳が黒髪の隙間から覗いて見えた。
「Va’ all’inferno(くたばれ)」
 成程。
 ヴィルヘルムは薄く笑う。攻撃を避けられないほどの光球が視界の向こうで弾け飛んだ。防壁を編んだが、一二三四、十枚余分に張ったそれは簡単に食い破られた。十一枚目でぎりぎり威力を死なない程度には落とせたものの、もう一枚編むほどの糸は残っていなかった。間一髪でしぼんだ弾を回避したものの、詰めていたXANXUSのブーツがヴィルヘルムの腹に飛ぶ。内臓を上から蹴り付けられ、足が地面から浮き床に叩きつけられた。それと同時に、両腕が攻撃を繰り出さないように、凄まじい速さで憤怒の炎の餌食になる。痛みは麻痺と共に消え失せた。もとより、実際に痛みを強烈に感じる指先は存在しなかった。脚こそもぎ取られはしなかったものの、両腕は灰も残さず失せてなくなった。血管は高温の炎で焼切られたために、出血もない。痛みはアドレナリンで麻痺している。意識も驚くほどに鮮明であった。
 見上げる男は、現状が先程と真逆だと腹の中で口角を動かした。しかしそんなものかとも自嘲する。
 残念なことに、これ以上足掻いたところで勝率の欠片も見いだせない。ヴィルヘルムは穏やかな表情でXANXUSを見上げていた。男の銃口は迷うことなく、ヴィルヘルムの頭を吹き飛ばす位置で固定されていた。寡黙な男の口が動く。
「アルノルド・コモは何処だ」
「言うと思うか?」
「いや」
「だろう」
 最終的な修正がなされ、引き金を引くだけで命は奪われる位置に固定された。思い出したようにヴィルヘルムはXANXUSに言葉をかけた。困ったように、男は微笑んでいた。
「東から三つ目の部屋なんだが、ヴォルがいるんだ。両足は俺が切った。糸で止血しているし、まだ生きているだろう。あいつはお前の息子と、それから娘を助けようと俺を止めた。殺し屋としての生命はもう絶たれたが、勉強でも何でもして…そうだな、向こう側に、あいつなら戻れるんじゃないか。敵も多いだろうが、まあそれは自業自得だ。だが、こんなところに置き去りじゃ、流石に死んでしまう。筋違いな頼みごとだってことはわかってるんだが…あいつを、助けてくれないか」
 引き金に指がかかる。XANXUSは男を見下ろしたまま、言った。
「そこは、通ってきた」
「そうか。仕方ない」
 XANXUSの言葉の真意をヴィルヘルムは悟った。
「Wol, ich gehe zu dir」
 言葉が言い終わると同時に、殺し屋の頭は綺麗に消し飛んだ。