Como e Lavinia - 11/12

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 机の上に乱雑に散らばった紙のうち一枚を取り上げ、それを燃やす。掌から目を突くほどに溢れたその光は、紙と一緒になって消えた。何の音ももたらさず、視界から瞬きの間もなく消えてしまったそれを銀色の髪の隙間から、スクアーロは見ていた。その男の周囲にも紙は大量に散らばっている。
 四角の部屋には窓一つなく、年季の入っている換気扇がからからと耳障りな音を立てて回っている。電気料金を払う人間がいなくなったためか、部屋の片隅、しかし三分の一を占めていた巨大な冷蔵庫は運転しておらず、スクアーロはその扉を開けることを多少躊躇っていた。少し古ぼけた密閉用のゴムパッキンは乾燥しており、冷蔵庫あるいは冷凍庫の空気をどろりと少量ながらも零している。肌寒い季節であるのが幸いしてか、鼻を突くような腐臭は、夏とは比較にならないほど楽であった。その扉を開けるのは出る時にしろ、と入って早々にXANXUSにスクアーロは釘を刺された。扉を開けようとしたその手をジェロニモに上から押さえられた感触は、ぼんやりと手首に残っている。
 書類を見るのには邪魔になる髪の毛を後ろの高い位置で結え上げ、スクアーロは膨大な書類に綴られている文字を右から左へと読みふける。書類仕事をあまり好まないXANXUSももの寂しく置かれていた椅子に腰かけ、速読を行っている。一文字一文字読むような気にはなれず、概要だけ頭に入れていくため、はたから見れば読むというよりも見ているという行為に見える。
 縄で粗雑に括られていた書類をようやく全て確認し終え、スクアーロは次の山に取り掛かる。しかし、彼は相当にうんざりしていた。
「…う゛ぉお゛い、ボスさんよぉ。いつまでこの書類を読み続けてりゃいいんだぁ。こんなに」
 大量の、と言いかけ、スクアーロはじっとりと部屋に散乱している書類へと首を一回しする。多い。大量、ではなく膨大である。莫大と言ってもおそらくそれは過言ではない。
 部屋に入った当初は床に散らばるそれだけかと思っていたのに、足を踏み入れ、ジェロニモが中央部で足を止めてしまった事実をスクアーロは恨めしく思う。目が見えない分、彼は聴覚が恐ろしく鋭く、足元に収納があり、その中に何かが収められていることに気付いてしまった。暗証番号が要求されたが、問答無用で抉じ開けると、その中には大量の紙が詰まっていた。研究所、とでも言うべきであろう。それだけかと思いきや、壁にも隠し収納があると言いだし、こちらも壁の脇に隠されていたボタンに暗証番号があったので、流石に壁一面を剥がす気にもなれず、ジャンに暗証番号を調べさせてそれを打ち込むと、四方の壁一面、それこそ床から天井まで伸びている冷蔵庫を除いた全ての壁に、書類が埋まっていた。埋め尽くされていた。
 壁と床が暴かれる前は冷蔵庫の他には作業台と作業道具以外特にこれといって何もない部屋だとスクアーロは思っていたが、書類が見えた瞬間、この部屋は異様に圧迫感のある一室へと変わった。一種の気味の悪ささえ感じられる。
 対照的な印象を受け終えた後、スクアーロは自分の主である男が口にした言葉に耳を疑った。
「読め」
 読む。という行為は通常このように大量の書類を読む時には到底想像しようのない言葉である。否、僅かながらに想像はしていた、この男なら。スクアーロは素直にSiと答える。他に何の答えがあろう。あるはずもない。中国語は確か覚えているとスクアーロは呻こうとしたが、それは喉元で飲み込んだ。うっかり口にでも出しさえすれば、首から上がなくなりかけない。もしくは、言われなき過剰暴力を受けることは請け合いである。
 スクアーロはちらとガラスの目玉をはめ込んだ男を横目で見、そして肩を落とした。この男が文字を読めるはずもない。しかし、XANXUSはスクアーロ同様、ジェロニモにも読めと命令を下した。ジェロニモは分かったとばかりに、壁に埋められているファイルの一冊をとる。背表紙を指先でなぞりつつ、その作業を進める。
 目の前の光景にスクアーロは唖然とし、そして思わず口を開いた。
「なんだぁ?ジェロニモ。てめぇ文字が」
「読めちゃぁ不思議かい?俺ぁ、読めねぇ、なんざ言った覚えはかけらもないんだがよぉ」
「いや、そりゃ」
 スクアーロの疑問への受け答えをしながら、ジェロニモは表紙を開き、武骨な指で紙をなぞる。
「印字されりゃあ凹凸が生まれる。何も点字である必要はないねい」
 余程指先が繊細にできているのだと見える。
 そうかぁと言いかけたその頭部、左側から強烈に分厚いファイルが衝突した。めい一杯の書類を詰め込んだファイルは重たく、凶器のようであった。飛びかけた意識をどうにか繋ぎ止め、足元まで落ち、床とキスをするかと思われたファイルを足首の角度で止め、投げつけた本人を睨み付ける。怒号を飛ばしかけたが、既にXANXUSは他のファイルを読み始めている。
 一冊二冊と両隣で片付いていく紙片の音に、スクアーロは諦めて頁を開いた。
 やはり、面白くない内容であった。
 人体解剖の手順から、ありとあらゆる薬品を人体に打つ実験結果を纏めたもの。時折生きている人間の実験結果も記されており、その時の写真、デッサンなどが至極丁寧に記されていた。ちらりとスクアーロはジェロニモを横目で見、嬉々として、ではないものの、興味津々といった様子で文字をなぞり続けている様を見れば、余程楽しいのであろうと見当はついた。理解の及ばない世界を垣間見たスクアーロはぞっと背を震わせた。
 いくら紙を捲って見ても、面白い資料など見当たりもしない。そもそも何故こんな作業をしているのか、と部屋に収められていたファイルを半分程片付けた辺りで、スクアーロはXANXUSへと話しかけた。
「ボスさんよぉ」
「黙って手を動かせ、カスが」
「…待てぇ。てめぇの言いたいことは分かる。だがなぁ、こんな膨大な資料で何を探してるのかくらい教えてくれないと、こっちも手詰まりだぁ」
「おっと、ありやしたぜ。ボス」
 そうだろとジェロニモに同意を求める前に、男の口からその言葉が発され、スクアーロは竦めかけた肩をがっくりと落とす。小さく舌打ちをし、読んでいたファイルを広げたままでスクアーロはジェロニモがXANXUSに見せるために開いたファイルを覗き込んだ。書類に記載されている題は「No.8 file:1」背表紙に記された文字は数字の羅列、正しくはその実験が行われたであろう日付であり、他の資料と同様の整理の仕方ではあったが、よく見れば手垢がついており、それが何度も繰り返し読まれたことが窺えた。
 ジェロニモの手からファイルを受け取り、XANXUSはそれを左から右へと読む。そのファイルは詳細であり、グラフから様々な値に至るまで全て記載されていた。
「…ラーダかぁ」
 No.8と記載されていた時点で薄々勘付いてはいたが、その内容の実情たるや燦々たるものであった。少なくとも、それを自分に行われて正気を保っている自信は、スクアーロはほぼ感じられなかった。
 最高級のモルモットは最高級の実験をその身に与えられた。喜びから苦痛に至るまで全てを。
 ファイルはいくつある、とXANXUSはジェロニモに尋ねるが、ジェロニモは逐一文字を指でなぞらなければ分からないため、スクアーロは適当に本を取ろうとし、ふと手を止める。ごく最近の日付のものが背表紙に見て取れた。そのファイルから先のものは、また日付が古いものへと変わっている。念のため、そのファイルの前後を手に取り内容を確かめれば、その新しい日付のものが、「No.8」に関する書類の最後だと分かる。
 スクアーロはXANXUSが手にしているファイルが抜けている場所をざっと見上げた。随分とその位置は遠い。100冊、もっとあるだろうか。
「多いぜぇ。シャルカーンを呼ぶのが賢明だなぁ」
 彼の匣兵器の能力を示唆し、スクアーロはXANXUSにそう提案したが、カスと罵倒された。
「あいつは今中国だろうが。下の…手の空いているカス共にやらせろ」
「扱わせて、いいんですかい?ボス」
 そう、ジェロニモは機密書類だということをにおわせた。実験の手法等、ラヴィーナへの対応に変化が見られる可能性が考えられる。その言葉にXANXUSは一つ間をおいて、
「ガキ共にやらせておけ」
 成程。スクアーロはXANXUSの采配に納得した。セオに近しい者であれば、心配も不要である。
 XANXUSが立ち上がり、もう用は済んだとばかりに階段へと向かう。しかし、ふと冷蔵庫の手前で足を止めた。スクアーロに後で開けろと釘を刺した冷蔵庫である。取っ手を手に取り、引っ張る。完全密封はされていなかったのであろう、ばっと真っ黒な大群が視界を埋め尽くした。スクアーロは顔を歪め、途端にあふれた腐敗臭など生易しいほどの異臭に眉を顰めた。慣れっこであるジェロニモは顔色一つ変えない。
 黒い物体が冷却機能を果たさなくなった冷蔵庫の中で蠢いている。XANXUSのブーツのすぐ傍らに落ちたのは、対照的な色をした白い、蛆であった。ぐにょり。奇妙な動きをする。蠅が天井を埋め尽くす。所狭しと耳喧しく飛ぶそれは、壊れた換気扇に群がっていた。
「イイ趣味とは、言えねぇな」
 開けられた冷蔵庫の中に転がる、人肉の塊、それは四肢に及ばず頭部など内臓を繰り出されたものまで置かれていた。冷蔵でこれなのだから、冷凍庫の中身も想像はついたが、XANXUSは冷凍庫に手を伸ばし、こちらも開いた。蠅はまだ羽化していないのか、蛆がどろりと溢れて落ちる。試験管から倒れて落ちたのであろう、人の目玉に集る蛆は何とも言えない薄気味悪さを足元に這わせた。冷蔵庫にはなかった、内臓、脳に至るまでが冷凍されていた様子だった。
 それが彼の実験に際して必要だったであろうことは、ファイルを手に取り内容の始めを読んだだけでも理解はできた。コンクリートで打たれた床を這っていく異臭に、スクアーロはああとぼやいた。
「こりゃ、ガキ共大変だなぁ」
 しかし、手伝ってやろうという気は毛頭起こらなかった。

 

 足音を響かせる。一週間ぶりに戻った本部にある姿がないことにXANXUSは気付き、眉を潜めた。ジェロニモは早々に地下室にクラシックを聴きに戻ったため、スクアーロはその顔を一人横目で見ることとなる。不機嫌な顔だ。八つ当たりされる準備をそっと取る。悲しき性かな。しかし諦める他ない。
 そこに、変声期を終えた青年の声が響いた。
「バッビーノ、スクアーロ」
「Jr.じゃねぇかぁ。何だぁ?お前、もう歩いて平気なのかぁ」
 ちらっとJr.と呼ばれた青年の視線が泳ぐ。どうやら病室を抜け出してきたらしい。昏睡状態から覚めたことは喜ばしいが、この行動は全く褒められたものではない。凄み、Jr.とスクアーロは大柄な青年を睨んだ。もう、自分よりも身長は少し高い。
 銀糸の間の問い詰めるかのような視線に、セオはもごと口籠ってから言葉を口にした。
「…ラヴィーナが心配で」
 ああ。スクアーロは納得した。この青年の行動は分からないでもない。口端に小さな笑みが自然と浮かび、スクアーロは生身の掌をセオの頭に乗せ、ぐしゃりと撫でた。
「心配しなくても、ラーダは大丈夫だぁ。てめぇの怪我が治る頃にゃ、ぴんぴんしてるぜぇ」
「嘘吐き」
 子供の、青年の背格好に見合わない言葉がぽつんと開かれた唇から零れ落ちた。スクアーロは言葉を失くす。何と言えばいいのか、分からなかった。
 普段はまっすぐに明るくこちらを見てくる銀朱の瞳は床へと貼り付けられていた。Jr.、スクアーロは名前を呼ぼうとして、それを喉元で止めた。止めざるを得なかった。
 頭に置いた手ばかりが行き場をなくして彷徨う。おそらく今からかけようとしている言葉は全部が全部薄っぺらいものになるであろうし、それがセオにとって何にもなるはずもないことを、スクアーロは承知した。言葉に詰まっているスクアーロを馬鹿にするかのように、その隣で黒いコートが笑った。は。鼻が鳴る。
「下らねぇ、クソ餓鬼が。そんなに言ってほしけりゃ言ってやる」
 待て。
 スクアーロはXANXUSの口から次の瞬間に零れるであろう言葉の刃を止めようと、制止しかけたが、それよりも青年の父親である言葉が青年の心臓を貫くほうが早かった。首から吊るされた腕は寂しく垂れる。
「てめぇのせいだ」
 いいか、と、情け容赦なく父は息子を詰った。
「チビカスが今あそこで転がってんのもまだ起きねぇのも、てめぇの体がひでぇことになってんのも。それは全部、てめぇの弱さのせいだ。いいか、誰のせいでもねぇ。お前の弱さが、招いた結果だ。てめぇの惰弱さを悔いろ。俺は、てめぇのせいじゃねぇだなんざ欠片も思っちゃいねぇ。誰のせいかと問われれば、真っ先に挙げるのは、セオ。てめぇだ」
 胸倉は捕まれず、しかし突き放すようにして言われた言葉にセオは顔を上げることができなかった。折られなかった方の腕できつく拳を握り締める。血が滲む。思っていたことを全て父親に言葉にされた息子は唇を引き結んで、何も言うことはしなかった。
「行くぞ、カス」
「ぉ、ぉ゛おい゛」
 項垂れた息子を一切慰めはせず、そのまま歩き出したXANXUSの背をスクアーロは慌てて追いかける。角を曲がり、その項垂れた姿が見えなくなった頃、スクアーロはボス、と声をかけた。
「言い過ぎじゃねえのかぁ。ハウプトマン兄弟はJr.じゃ手に負えねえから、ラーダ捜索の任務から一切外しただろぉ。今回のことは別にあいつが悪ぃわけじゃ」
「黙ってろ、ドカス」
 有無を言わさぬ強烈な赤を受け、スクアーロはそこから先の言葉を全て飲み込んだ。もう何も話さず無言のまま目的の場所まで歩くのだろうかとそう思った矢先、先方から声が流れてスクアーロの耳に届く。
「弱さは、それだけで罪だ。如何なる理由があろうとも」
 弱者はそれだけで死ぬ。
 そう言いたいのだろうかとスクアーロは目を細めた。死んでほしくないからこその言葉だったのか。まぁなあとスクアーロは上司であり夫であり父親である男の背に声をかけた。他になんという言葉を掛けるのが適当なのか分からなかった。しかしそれでいいとも思われた。
 暫く互いに無言のまま歩く。四角に切り取られた味気のない廊下が延々と続く先、一つの影が見えた。黒髪の女の姿である。ガラス張りの向こう側には部屋があり、その手前で佇んでいた。
「東眞」
 珍しく、男は女の名を呼んだ。それでようやくこちらの帰還に気付いた東眞は、ああと目の下に隈を作って笑んだ。疲れのはっきり見えるその顔にXANXUSは不機嫌そうな顔をさらに険しくする。
「お帰りなさい」
「帰ったぜぇ。ラーダの様子はどうだぁ」
 返事をしそうもない男の代わりにスクアーロはざっくりと言葉を返した。スクアーロの言葉に東眞はガラスの向こうへと一度視線をやり、首を横に振る。
「変化はないそうです。怪我もまだ治っていないようで」
「…随分とかかるなぁ。何やってんだぁ、医療班の連中は」
 それが彼らの限界だとは知った上でスクアーロは批判を零した。少なくとも、彼らが全力で少女を治療しているのを、スクアーロは知っている。
 会話もそこそこに、東眞はXANXUSへと声をかけた。
「セオには会われましたか」
 聞かれた言葉に返答はない。スクアーロも会ったという事実を先刻のことを考えると、気安く口にできるはずもなく、言葉を濁すに終わった。しかし二人の表情で会ったことを悟ったのか、東眞はそうですかと短く言葉を落とす。
「腹が減った」
 開口二番にその言葉かと呆れながら、しかしそれが一番適当であったのだろう。スクアーロは、では準備をしますと頷いた東眞のほっとした表情に納得した。おそらくまともに寝ていないに違いない。数日徹夜明けの自分たちと同じような顔をしていた。鏡でも突きつければ、その事実を認めるのだろうか。
 東眞が去った病室の前で、XANXUSは横たわり、幾本もの管に繋がれている少女を眺める。そのまま去るかと思いきや、少し行ったところにある扉からおもむろに中に入った。スクアーロは慌ててその後を追うように中に入る。自動で扉は後ろで閉まった。音もなくただ気配だけでそれが閉まったのを悟る。
 部屋は真っ白であった。医療機材が置かれていなければ、三日程度で発狂しそうな防音が行き届いた部屋である。その中央部にベッドが一つ。白いシーツが掛けられており、少女の顔を判別することはその顔に掛けられた黒い布によって不可能にされていた。黒い布で、少女が今どのような顔をしているのかは判断がつかない。苦悶の表情か、それとも安堵の表情か。
 体からは幾重にも管が生えており、彼女を生かし続けている。XANXUSはその光景を黙って眺めていた。力なく放られている手はぴくりとも動かない。シーツの皺も、何一つ変わることはなかった。
「ボス」
「…フン」
 鼻を鳴らし、何を言うまでもなくXANXUSは入った時と同じように部屋を出た。
 闇を塗りたくったような色をしたコートが動きに合わせて翻る。ボス、とスクアーロが声を掛けようとしたと丁度それに合わせたかのように、カスと自身の代名詞を呼ばれ、何だぁとついつい違和感なく返答をする。返答をした後に、誰がカスだと苦言を呈することは既に諦めてすることはなかった。
「ガキ共にラーダに関連するファイルだけを全て持ってくるように命令しろ。他は全て燃やせ」
「全て、かぁ」
「一切合財」
「分かったぞぉ。Jr.はどうする」
「外せ。足手纏いだ」
「経過は」
「興味がありゃ自分で調べるなんなりするだろう」
 がつんとブーツが乱暴に床を踏み鳴らす。歩みが速くなり、付いて来ることを望まれない。スクアーロは立ち止まり、途中の角で曲がった。勿論それは命令を遂行するためであったが、後を付いて来るなと言わんばかりの背を追いかけるつもりがなかったからでもある。
 あの青年はまだ自分のことしか見えていない。周りの感情が見えていない。
 広い空間をふんだんに使った廻廊の中で歩を進める。後ろに銀が流れ、それは流曲線を描いて下に落ちる。ブーツの音を聞きながら、スクアーロは目を細める。彼は自尊心を痛く傷つけられたことだろうが、それは己の弱さが招いた結果であることはスクアーロも認めている。最強を冠するにはまだ彼は弱すぎる。経験も何もかもが足りない。
 それでも今回のことは、セオにとってかなりの痛手になったことは違いなく、スクアーロは薬が効きすぎないことを僅かばかりに祈り、そして次の角を曲がった場所で見つけた、見事な凸凹の二人に声をかけた。

 

 ガラスに手を付ける。細かく砕かれた方の掌の骨は外科手術の後、炎によって再生を図ったようで、今では自由がきく。目覚めた時も、カップを掴むことができたなとセオはそう思いだす。流石に両腕が使えないと不自由だと判断した結果だったのだろうか。しかしそれなら、腕の骨も再生させてくれればよかったのにとセオは口惜しく思う。尤も、再生したとはいってもまだ動きはぎこちなく、以前と同様という訳にはいかず、動きは少しばかり固い。掌を完全にガラスに付けることはできなかった。
 透明な色の向こうに横たわる妹の姿を瞳の奥に捉える。ぴくりとも動かない。ラヴィーナと口の中で名前を呼んだところで、やはり答えはあるはずもない。何より、このガラスは防音の役割も持っているので、声が向こう側に届くことはありえない。
 眩暈がしそうなほどの大量の管がラヴィーナの体から生えていた。心電心音計は規則的に動いている。一週間と少し。それくらいになる。
「ラヴィーナ」
 俺が、忘れ物なんてしなけりゃ、一人きりになることなんてなかった。
 俺が、あいつの視線の意味に気付いていたら、未然に防げた。
 俺が、もっと強かったら、俺を庇いに戻って来ることなんてなかった。
 俺が、俺が、おれがおれが、俺が。
「ごめん」
 ごめん、ラヴィーナ。
 謝罪は嗚咽と混ざり合って落ちていく。大きな体をした青年は、その場にしゃがみこみ、背を震わせた。彼の妹がそれに呼応することはなかった。