La bugiarda

「おーい、セオ!先生が呼んでる!」
 金色の髪でずんぐりむっくりな少年が教室の入り口で手を振っている。中学生にしては随分と高い背は、もう少しで入口の上部にくっつきそうな勢いである。
 セオはすっくと立ち上がって、教師に呼ばれたとその場を離れた。二人の大柄の少年が並ぶと流石に大きいと言う印象が倍になる。その場に机を囲むようにして座っていたドンと、それから男性二人のうち一人の女性、イルマは分かった了承の返事をした。ジーモとセオが放課後の教室、尤も、ただ偶然にも昼食を家で食べない日が重なったと言うだけで、食事終了後、すぐに帰宅予定ではある。
 ドンとイルマは二人っきりの教室で、ほぼ会話もなく手の中の昼食を腹の中に消去していく。教師の話にしては随分長く、三十分ほどしても帰ってこない。
「これは女の子に捕まったんだろうね。ねぇ、イルマ」
 君もそう思うだろう、とドンはにこりと爽やかな笑顔でそう尋ねた。目の前の少女がセオという少年を好いているというのは周知の事実で、それを踏まえた上の発言ならばかなり性格が悪い。無論目の前の少年とはイルマも短くはない付き合い(とは言っても中学体だが)なので、その程度のことは知っている。
「だから、何?」
「どうせセオのことだから、美味しく頂いて帰ってくるかもよ?勿論相手の女の子がSiと言えばの話だけどね」
「…だから、何」
 ワントーン落ちた声にドンは愉しげに眼を細めながら、セオも罪な男だよねと口元で笑う。灰色に近い緑の瞳は愉悦で歪み、そして口元は嘲笑に近いそれで楽しめられている。
 イルマは口の中にパンを突っ込んで、だからともう一度繰り返した。
「セオがそういう性格だってのは、私だって知っているもの。今更どうこう言おうだなんて思ってないわ。それに、体の関係だったら私だってあるし。―――――セオは、絶対にその女の子は、愛さないって言いきれるわよ。体の関係をすぐに享受するくらいなら、ね。セオは、そう言う男なの」
「最低だよね。いくら女の子の方から抱いてって言ったら抱くっていってもさ。普通断らない?」
「…普通じゃないのよ。あれが、セオなの」
 そのどこか苦しげな感情を含んでいる言葉にドンはにやにやと笑って、牛乳を飲む。喉を通った瓶牛乳はさっぱりとしていて、後味がすっきりとしている。
「願いをかなえることが、誠実なのよ。セオにとって。セオにとって、SEXはその程度のことなの。愛を確かめ合う行為なんかじゃなくて、ただ気持ちいいからしているだけの動物的行為に他ならないわ」
「その論理から行くと、君も一緒だよね。セオの抱かれた女の子と」
「…だから、なんだっていうの。私は他の子とは違うわ。その証拠にセオの側にいても文句一つ言われないもの。それに普通に、クラスメートとして付き合ってくれてる。他の女の子は抱かれたら、それでおしまいでしょ?彼女たちにとってもセオとのSEXは思い出作りに他ならないのよ。好きな人と寝ることができた、ってね」
「ふぅん、凄く不毛だね。女の子ってみんなそんなの?それともセオに告白してる女の子がみんなそうなだけ?」
 ドンの楽しむかのような言葉にイルマはむっと顔をしかめる。しかしそのしかめた顔をすぐに澄まし顔に直して、すいとドンの緑の目から逃れるようにそらす。
 きっと、今自分が帰ったところで、セオという少年が大した反応を示さないのは分かっている。帰ったの?と残念そうな顔を、自分が帰ったからと言ってするような人間ではないのだ、彼は。しかしながら、目の前の少年と会話をするのは非常に疲れるし、全く不愉快な気分にさせられる。
「俺にすればいいのに」
 唐突に耳に響いた言葉にイルマは目を丸くした。視線だけ動かせば、精一杯に笑ったドンがそこに座っていた。
「俺にすればいいのに。そしたら、セオみたいに無碍なまねはしないよ?だって、俺、イルマを好きだもの。愛せる自信はあるけど」
 だがイルマはそのドンの言葉にすぐに目を細めた。侮蔑と軽蔑の色がはっきりと見て取れる。耐えきれないといった様子でイルマはかたんと椅子から立った。
「あれ、駄目?」
「ジーモならまだしも、あなたは絶対に嫌よ。何があっても一緒になりたくないわね」
「どうして?ジーモは正直イルマの話相手になるとは思えないけど」
 顔を合わせればすぐに真赤になって、動きすらぎこちなくなる。観賞物としては可愛いが、彼氏としては少しばかり頂けない。ドンの尤もな言葉だったが、イルマはその長い髪を手で梳くと、ドンをそのアメジストの瞳で見下ろした。
「嫌。あなた、嘘つきだもの」
 紫の瞳は異様なまでに冷え切っている。ドンはその視線を受け止めながら、相変わらず笑っていた。それにイルマはさらに不愉快そうに吐き捨てた。
「私が誰だか知っているでしょう?嘘吐きイルマよ?他人の嘘なんてすぐに分かるのよ」
「で?かりに俺が嘘つきだとして、女性に不誠実なセオよりかはずっといいと思うけど」
「不誠実なのはどっちよ」
 長い睫毛の下の目が、はっきりとドンを蔑む。普段あまり強い感情はあらわにしない彼女にしては珍しいとドンはくつと喉で嗤った。
「抱いてって言われたら抱くセオだと、俺は思うよ。好きでもないのに、言われたら抱くなんて行為、期待を持たせる分残酷だと思うけどね」
「言ったじゃない。誰もセオに好かれようなんて、思わないのよ。告白する子は、皆、ね。少数はそうでしょうけど。でもセオは「あれ」だからそういうタイプの子はセオのほっぺたひっぱたいて終わりよ」
「最近セオの頬に紅葉がついてないのは、もう周りの子がセオの性格分かってきたせいってね。成程?人の噂の回りは早いっていうけど、その分傷つく女の子も減っているわけだ。なかなか面白いね」
「そうやって面白がってるドンの方が性格悪いわよ。失礼だわ。セオはね、」
 セオは、とイルマは眉間に深いしわを寄せて、絞り出すようにはっきりと口にした。さも、口にしたくもないと言うように。
「嘘吐きじゃないのよ」
 ああそうなのだ、とイルマは知っている。彼程正直な人間もいない。好きではないと思えば、どんな状況であれ好きではないと言い切るし、今後その気がなければはっきりとそう言う。相手が泣こうがわめこうがお構いなしである。彼が、そう言えば間違いなくそうなのである。
「馬鹿みたいに本当のことしか言わないわ。自分に随分と正直で、だから女の子の気持ちもすぐに飲むのよ。後腐れがないって分かったら、自分がそうしたいって思って、相手もそうだって分かったら誰だって抱くわ。男は知らないけどね。ドンからしたら最低な男かもしれないけど、私からしたら、いっそ潔いわ。だって、私にはそれしかないもの。セオは私に言ったのよ、好きにならないって。セオが好きにならないって言ったら、特別にしないって言ったら、それは本当よ」
「イルマもいい加減に馬鹿だよね。諦めて新しい恋でも探せばいいのに」
「嫌よ。セオ以外は嫌よ」
「そこまでしてセオにこだわる理由が俺には分からないね。ま、権力と外見的に悪くないとは言っておくけど。でもこのままずるずるとこの関係引きずって、傷つくのはセオじゃなくて、君だよ、イルマ」
 その言葉にイルマは、ええ知ってるわと笑って返した。そしてすと椅子に腰かけているドンの隣を過ぎて、背中で返答をする。
「それでも、少なくとも『私を好き』なんて嘘吐きのドンよりかは、ずっと女の子に誠実よ。嘘吐きはね、相手の嘘くらい――――――――すぐに、見破れるんだから。見くびらないで」
 かつん、と革靴がなって、ドンは一人教室に取り残される。そして空になった牛乳瓶を指先でくるりと回して、くくと喉で嗤った。
「なんだ、分かってたんだ」
流石は嘘吐きイルマ、とドンは小さく口元を歪ませた。