42:狼煙 - 7/7

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 沢田綱吉に檄を飛ばし、XANXUSは通信機を人差し指と親指で潰して壊す。
 スクアーロを始めとした幹部は全員城に集合し、その無事を確認した。ただ、場の空気は葬式染みた陰鬱さが漂う。誰一人口にしないが、ベッド代わりのテーブルの上に寝かされた東眞へと視線を其々注いでいた。
 傍から見ても、女の肌に残された鬱血は目に余るものがあった。シャツを捲れば元の象牙の色など残らないほどに赤黒い色が広がっている。手酷く蹴られたのか、それでも内臓破裂を起こしていないだけましであった。破裂していないにしても、痛めていることは間違いない。セオの出産で十分に痛み、手を施さなければ通常の生活すらも困難になる体である。よく、生きている。
 XANXUSは己の言葉を守った妻へと視線を送る。
 久しく見ていなかった顔に広がった鬱血は、ルッスーリアの晴の炎により細胞を活性化させることで、その傷をもとに戻した。しかし、首から下は肋骨の骨折を確認できたため、炎による手当はせずにいた。下手に細胞を活性化させ、骨を歪に治すことはならない。
 浅黒い肌で覆われた掌が女の体を調べている。
「どうだ」
 XANXUSは主治医でもあるシャルカーンへ様子を聞いた。シャルカーンは東眞に触れていた手を挙げ、感謝シマスと口にする。
「奥サンノ運の強さは折り紙つきデス。ヨクゾこの状態で生きてマシタ」
「どうなんだ」
 せっつくように、XANXUSはシャルカーンに妻の状態を問い正す。今の状態ではなく、これからの話をする。
 気の流レハ治しましタ、と感情の起伏の少ない声でシャルカーンは上司の質問に回答した。しかし求められている回答は無論それではないことを承知しており、テーブルに横たわった女の頬に指先を乗せた。
 呼吸、脈拍ともに弱くはあるが安定はしている。しかし、それだけである。
 目の覚めない東眞にXANXUSが業を煮やす前に、求められる答えは返された。
「三日以内に目が覚めなけレバ、覚悟をシテクダサイ。非常に危険な状態デス」
「目が覚めれば、問題はねえな」
「寝たキリ、トハ言いませんガ、走ッタリ、遠出スルこトハシないでクダサイ。命ニ関わりマス」
「それだけか」
「寿命ハ、普通の人ヨリモ短いと思っテくだサイ」
 それは、東眞がXANXUSを置いて死ぬことを覚悟しろということである。
「ボス」
 スクアーロは口を閉ざしたXANXUSの傍らへ寄り、言葉を探す。慰めの言葉も励ます言葉も、喉をついては来なかった。根拠のない励ましの言葉など、今の彼には届かない。一撃で一蹴されることは間違いない。
 生涯の伴侶と定めた女が自分を置いていなくなる。
 動かしようのない事実を前にスクアーロを始め、誰も言葉を持たない。
 XANXUSは椅子から立ち上がり、シャルカーンを脇へ寄せ、応急処置を済ませた東眞を抱き寄せようと手を伸ばしたが、シャルカーンがそれを制止した。
「ボス、ワタシのネコサンで運びマスヨ。一番安全デス」
「いい」
 制止したシャルカーンの言葉を拒否し、XANXUSは力のない体を両手で抱きかかえた。気絶している分、力が抜けている体はずしりと普段よりも腕に重く感じられた。
 ブーツが瓦礫を食み、一歩を前に出す。
「餓鬼共はどうした」
「そういや、まだ戻ってきてねえなぁ。ジャン」
 スクアーロは自身が所有しているVARIA内のみの通信機で本部に居座るパソコンジャンキーへと連絡を取る。隊員のそれぞれの位置及びその生存を彼は把握しているはずである。彼の愛しのニコラにうつつを抜かして任務をサボってさえいなければ。
 幸い、彼は辛うじて仕事をしていたようで、スクアーロの通信にすぐに応答した。
『はいはーい。なーに?俺の愛しのニコラに何か用事?』
「誰がてめぇの冷てぇ電子機器に用事なんぞあるかぁ!餓鬼共は生きてるか?」
『んー生きてるね。今そっちに着くよ。ああ、丁度』
 ざ、と木々をかき分け、小さな影が一つ飛び出してきた。スクアーロは咄嗟に左手に力を込めるが、その影がVARIAの隊服を身に纏っていることに加え、見慣れた黒髪を銀朱の瞳に腕を下した。
 しかし、その腕に抱えられている小さな塊の有様に駆け寄る。
「ルッスーリア!」
 スクアーロが何かを話しかける前に、セオは腕に抱えたラヴィーナをルッスーリアの下へと運ぶ。
「ラヴィーナを、助けて…ッ!!」
「まずはそこに寝かせて頂戴」
「うん」
 言われるままに、セオはラヴィーナの矢の突き立った体を先程まで母が寝かされていたテーブルの上に乗せる。
「矢を抜いて。骨折はないわね」
「骨折は、多分。これ抜いても大丈夫?」
「アタシがやるわ。Jr.はラーダが暴れないように手を持っていて」
 セオはラヴィーナの小さな手を握りテーブルの上に抑える。ルッスーリアはまず、手足に刺さった矢を一本ずつ一気に抜きとる。その際、矢が骨に刺さっていないかを確認し、四本とも骨を折っていないことを確認すると、匣兵器の炎を照射し、その傷を癒していく。出血もあったが、輸血は本部に帰ってからするしかない。
 小さな体が、矢を抜く度に跳ね上がる。セオは守り切れなかった妹に眉間に深い皺を寄せ、項垂れた。
 Jr.、とスクアーロは背中から声をかける。ふり返った顔は今にも泣きそうだった。
「気にするなァ。任務を果たして帰ってきただけで十分だ。よくやったぞぉ」
「俺、ラヴィーナを」
「心配するんじゃねえ。敵のクロスボウの矢は細い。出血もありはするが、ひどくねえ。ルッスーリアがちゃちゃっと塞いじまえば、すぐに元気になる」
 気落ちをするな、とスクアーロはセオのまだ若い小さな背を叩いて励ます。励ましようのない、彼の父親の背は叩けそうにもなかった。何より、彼は母親の惨状にまだ気付いていない。気付けば怒り狂うのだろうか、とスクアーロは目を細め、口を引き絞った。
 ルッスーリアの手が喉に突き刺さる矢に手をかけた。抑え込んでいた手足がびくりと跳ねる。大きく口が開かれるが、声はでない。ルッスーリアは勢いでその矢を引き抜いた。幸い骨を貫いてはおらず、炎の照射だけで済みそうである。ごぷ、と血が傷口から溢れ出す。
 ラヴィーナの細く頼りない肩をさすり、炎の照射により細胞を活性化させ、傷口を塞いでいく。
 10分も経てば傷口は完全に塞がり、痛みに喘いでいた体がゆっくりと起き上がり、小さな両手を広げてそのまま兄へと抱き着いた。余程怖かったのか、それとも安堵の為か、セオはそのどちらかとは判じかねたが、抱き着いてきた妹の背をしっかりと抱きしめ返した。
 感動の再会もつかの間、XANXUSはラヴィーナを抱えているセオへ言及する。敵は全て殺したのか、と。
「うん。でも、もう弾がない」
「この…」
「うわ、怒んないでよ!俺、バッビーノと同じ炎だせたんだから!」
「何?」
 息子の告白にXANXUSは顔を顰める。レヴィは目を瞬き、ルッスーリアとスクアーロは顔を見合わせた。
 唐突な言葉をスクアーロは、それは、と問う。
「大空の炎でなくて、憤怒の方かぁ」
「そ、そう!そう。ほら!」
 先程よりもずっと不安定ではあるが、セオは右手を差し出し、その掌に高温の炎を発生させる。目を潰すほどの眩しい炎が現れては消え、子どもの掌に球体として生ずる。
 セオは不服そうな顔をして両眉を下げた。
「あれ?さっきはもっと大きかったのに…弾丸にこの炎が込められたんだ。ちょ、ちょっと掌だけじゃ上手くいかないけど」
「随分な進歩だなぁ、Jr.!」
 スクアーロは上司の息子を手放しで褒め、黒い皮手袋に覆われた手でその黒髪をぐしゃぐしゃに混ぜた。レヴィなどは、流石はXANXUS様のご子息セオ様と崇め奉り始めたので、セオは慌てて手を振った。
 照れた耳は赤く、口元は自然とはにかんだ。
「ホントよぉ、Jr.。凄いわぁ!これで、一歩ボスに近付いたわね」
「は、そんなの使えなきゃ何の役にもたたねーし。ボス、さっさと東眞連れて帰ろーぜ」
 ベルフェゴールは手を軽く左右へ振り、XANXUSの傍へと近寄り、本部への帰還を促す。XANXUSは腕に抱える妻の重さに目を細め、無言で踵を返した。
 東眞、母の名前にセオとラヴィーナは敏感に反応し、父親の傍へと駆け寄る。
「マンマ!?バッビーノ、マンマがいるの?」
「るせぇ」
 力なく垂らされた腕に気付き、セオはその手を取った。ひどく、冷たい。ラヴィーナはセオの背中へと移動し、少し高い位置から瞼を閉ざしたままの母の面を見た。小さな両手がその土気色の頬へ触れる。
 あまりの冷たさにラヴィーナは動揺を隠せずすぐに手を放した。
「マンマ」
「…死なねぇ」
 口からついて出た言葉が願望なのか、それとも確信なのか、XANXUSははっきりと区別することができなかった。
 三日経って目が覚めなければ覚悟を決めたほうがよいとのシャルカーンの言葉に嘘偽りはない。彼はその口調と飄々とした正確故に勘違いを受けやすいものの、診断に関して嘘を決して言わない。
 その事実は、東眞の死期を知らせるものでもあった。
「本当に?大丈夫」
 息子の請うような声音にXANXUSは反射的に銃を取出し、眉間に標準を合わせた。XANXUSの行動にスクアーロは咄嗟に手を伸ばし、セオとラヴィーナを父親の傍らから引き剥がした。殺されかねない。
「ボス」
「…てめーらは後始末をしてから帰れ」
 低く唸るような声に、スクアーロはただ分かったと頷いた。