42:狼煙 - 6/7

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 城に何かが衝突時、堅固な城壁が視界の先で崩れ落ちていく様をXANXUSは見ていた。ルッスーリアを含む負傷兵も城にいたが、彼らがどうなっているかなど、XANXUSにとっては至極どうでもよいことであった。弱い奴は死んで当然である。
 右手に持ったワイングラスの中に瓦礫が幾つか落ち込み、既に飲めないものへと変わってしまった。ひどく腹が立つ。右手には自然と憤怒の炎が宿り、ワイングラスごと中身までかき消した。
「ドカスが」
 苛立ちまぎれに発された言葉であったが、耳につけている無線機から喧しい男の太い声が最大音量で入り込み、XANXUSは容赦なく耳につけていた無線機を潰した。そうでもしなければ鼓膜が破れそうだった。
 筒抜けになってしまった天井に見えるのは、ちりばめられた星空に匣兵器と思しき二機。それを従えていると思われる人物が二人。一人は椅子に座り、もう一人は執事宜しくその傍らに立っている。黒い執事服は体躯の良い男の体を際立たせた。一方で、筋肉が付いているかどうかも怪しい男は暖かそうな毛皮を首襟に巻いている。ベルフェゴールのミンクの尻尾をもっと膨らませたらあのようになるのだろうとXANXUSは思った。
 ベルフェゴールの兄、ジル。
 無線を聞く限り、成程よく似ている。傲慢な態度も、その人を小馬鹿にした表情も、鮮やかな金髪も、頭に乗っかっている王冠も。似ている。唯一違うところを挙げるとするならば、あちこちに跳ねていない髪の毛だけである。尤も、そのあちこちに跳ねていた髪も、ベルフェゴールの場合はいつぞやに自分でストレートを嫌がりセットしただけなので、結局のところ、眼前の兄と部下との違いはないに等しい。
 XANXUSの視線を他所に、オルゲルトは眼下に悠然と座する男の名を口にした。
「VARIAのボスにして、かつてボンゴレの10代目に最も近いといわれた男…XANXUS」
 オルゲルトの言葉にジルは首を軽く傾げ、傲慢に座り、恐ろしく鋭い目つきをものともせず、口角をつり上げ笑みをつくる。
「とてつもなく目つき悪ぃー。まさに不良集団の大将だな。だけど実力はたいしたことねーんだってな。中学生に負けたんだろ?」
 ジルの挑発にXANXUSは乗らない。
 苛立ちも、憤怒も、確かに心の内にはあるが、XANXUSはジルの挑発を意にも介さなかった。弱者の言葉など、そよ風にも等しい。騒がしい言葉にXAXUSは静かに目を閉じた。
「しーしっし!!14歳の沢田綱吉に凍らされたんだぜ!激弱ってことじゃん!!」
 裏で幾度も叩かれた陰口に怒り狂うほど、XANXUSも幼稚ではない。沢田綱吉に敗北し、療養中に誰彼構わずそれは叩かれた事実であるし、敗北を認めないほど愚かではない。
 Can che abbaia non morde(吠える犬はかまぬ).
 空中で高笑いする男はまさにそれだった。全く、取るに足らない。挑発に全く乗ってこないXANXUSにジルは勝ち誇ったように、言葉を投げる。
「図星で言葉も出なくなったか?しししっ」
 笑い方は弟と同じか。
 XANXUSはあまりにも退屈すぎて大欠伸を一つした。
 椅子に完全に凭れ掛かり、大欠伸をした男の行為が気に触れたのか、ジルは口端を引き攣らせた。瞼を閉じ、完全にリラックスをしているXANXUSの行為はそれそのものが、完全に挑発に他ならなかった。
「てんめぇ…立場わかってんだろーな」
 下らない。
 下らなさすぎて、退屈に身をやつしそうであった。こんなものは戦いでもなんでもない。馬鹿馬鹿しい。XANXUSは左人差し指で、疲れたように二度ほど手招きをした。こい、とばかりに。
 ジルは分かり易いほどに分かり易い挑発に米神を髪の毛の下で引き攣らせた。
 主の怒りにオルゲルトは反応し、一歩前へ出る。
「ジル様。あなたの手を汚すまでもありません。ここは私にお任せを。巨雨象!!」
 その名を呼べば、自身の匣兵器は潰した瓦礫の中から姿を現し、XANXUSと正対した。
 オルゲルトはそのまま匣兵器に攻撃命令を下す。象の足は傲慢な敵を踏み潰そうと真っ直ぐにその巨体の全体重を乗せた足を振り上げ、そして振り下ろした。通常であれば、その厚さと重み、それは城をも壊す体重である、一撃で命を屠ることができる。
 しかし。
 ジルは大口を開けて、無残につぶれたはずであろう男の死を喜んだ。
「あ゛っはあ゛!ぶっつぶれー!!」
 しかし、宙を移動したオルゲルトはXANXUSが潰れたであろう場所を確認しようとして違和感を覚える。巨雨象の足が、地面に接着していない。何か、何かでその足は止まっていた。激しい閃光が散っている。
 その光景を確認し、オルゲルトは言葉を失った。どういうことか、全く理解できなかった。
「バッバカな!!触れることなく止めただと!!」
 どう思考を巡らせても全くあり得ない光景に驚愕を示すしかなかった。さらに、その足には細かなひび割れができ、爪先から発生したそれは、全身へと一気におよぶ。
 小さな黒い影が瓦礫の隙間を走ったのは確認できたが、しかしそれでもオルゲルトは納得がいかなかった。あのような小さな生き物が、巨雨象の一撃を防げるはずなど到底考えられない。
 そうこうしているうちに、巨雨象の全身に走った石化はその体を脆く一撃で壊せるほどに風化させた。
「まあ、ゆっくりしてけや」
 XANXUSの言葉が、どこか遠くで響いてきたように、オルゲルトは感じた。
 格が、違うのか。
 瞬時にそんな考えが脳裏を過る。XANXUSの右手に集まるまばゆい光の球が、通常では考えられない高温が掌に凄まじい勢いで収束されていく。赤い、紛れもない殺意の塊の瞳が炎の光でその色をより深く美しく見せた。
 言葉など、必要としなかった。男の純然たる強さにオルゲルトは身震いすらした。
 重低音が炎が収束されていく音に混じり、低く、鈍く、通る。相手の耳に届くそれは、恐怖を越えた何かを感じさせるには十分だった。
「沢田綱吉の名をほざいた以上、てめーらはここで」
 収束された炎は鮮やかな色を纏い、ゆっくりと、ひどく緩慢な動作でジルとオルゲルトの方へと向けられた。
 かっ消す。
 ただ一言、その一言共に、オルゲルトは全く信じがたい現象を目にした。巨雨象が、その体をほぼ動かすことなく、砕け散った。石化し崩壊をはじめていたその体はいとも簡単に砕け散った。眼前の光景は、理解しがたいそれそのものであった。
 跡形もなく砕けた巨雨象の向こう側にいたXANXUSは広くなった視界にジルとその執事を捉える。高笑いを続けていた男の表情が理解の範疇を超える現象を見て、一瞬、その表情をなくしたのを確認した。この程度で驚愕するのであれば、立つまでもない。XANXUSはそう判断し、椅子にさらに深く腰掛けた。
 わあわあ上で喚いていたが、ベスターの存在に気付いたのであれば及第点、ギリギリ、である。
「へーXANXUS。お前にも一応大空の波動が流れてんだな。ボンゴレリングには拒絶された雑種のクセにな!!そーだ!!お前は王位継承者であるオレよりはるかに劣る雑種だ!!」
 喧しい。
 その一言に尽きる。XANXUSは相手にするまでもないと思いながらも、この喧しい状況にこれ以上堪えられそうになかった。煩いのは約一名で十分である。
「おい、てめぇのうぜぇ遠吠えは聞き飽きた」
「…ッんのやろう!」
 ジルは身を乗り出そうとしたが、その前にオルゲルトがそれを制止する。だが、ジルはオルゲルトへと視線をやり、そこで彼が片脇に抱えている麻袋の存在を思い出した。XANXUSの態度に失念していたが、それは彼への手土産だった。うっかり忘れていた。
 しし、とジルは崩しかけた余裕を取戻し、そうだとXANXUSへと話しかけた。
「てめーに土産があったんだった。そうだった、忘れてた」
「敵からもらう土産に興味はねえ」
「そー言うなって。真心こめて用意したんだぜ?」
「反吐が出る」
 吐き捨てたXANXUSにジルはオルゲルトに片手で指図した。オルゲルトは小脇に抱えていた麻袋の紐を解く。中で完全に気をやってしまっている女の体はぐにゃりと重い。
「ま、受け取れよ。てめーなら、ぜってー喜ぶと思って持ってきたんだ」
 オルゲルトは、紐を解いた口からその体を地面へと投げ落とした。気絶している体は然程抵抗もなく地面へと真っ逆様に落ちていく。指先一つ動くことはない。
 XANXUSはオルゲルトが開けた口の袋からずり落ちた物に興味はなかった。下らないと目を閉じかけ、見慣れた髪の毛の色に目を見開いた。手酷く殴られでもしたのか、顔面は青痣と乾いた血の色がが目立っていたが、それを、その女をXANXUSは見間違えるはずがなかった。
「ベスター!」
 力なく落下する体が地面に衝突する前にXANXUSはべスターに命じ、その体を受け止めさせる。日頃、優しくしてもらっていたせいか、ベスター自身その体を丁寧に受け止め、案じるように喉を鳴らした。
 飼い馴らされた匣兵器は恭しく主の下へ、背に受け止めた身体を持っていった。
 ぐったりと力ない頬に軽く触れても、指先一つ動かない。しかし微細ながら脈が辛うじて指先に感じられる。死んではいない。
 べスターの体から東眞の体を預かり、XANXUSはその頬を撫ぜた。目尻や口端、頬にも青痣がくっきりと残る。目に見えているところだけでも負傷は酷く、見えていない部分の様も容易く想像できた。
 一言も発さないXANXUSにジルは笑い声を皮切りに言葉を投げかける。
「し、しししっ!気に入っただろ、土産は」
 XANXUSは一言も発さない。
「死ぬなら、二人で一緒にだとか、オレ様ちょー優しい」
「喰らうがよい!!」
 オルゲルトが傍に控えさせていた二頭がXANXUSと今にも事切れそうな女の下へと攻撃を仕掛ける。
「ベスター」
 その呼び声とともに凄まじい咆哮が空気を割り裂く。巨雨象の動きがその咆哮に停止し、石化と共に崩壊が始まる。緩やかに集まる高温の攻撃にだけ主を置いた炎がXANXUSのてに収束されていく。
「かっ消えろ」
 しかし、その炎が発されることはなかった。
 耳に違和感を感じ、XANXUSは耳を見開く。膝の上に置いている女の細い体が先に流血した。意識もないのに、体が魚のように跳ね、血管から血が噴水のように溢れ出す。一拍遅れ、XANXUSはその症状が自身にも襲ったことに気付く。視線をずらせば、ベスターも苦しげに体を震わせていた。
 左手を東眞の頭に沿える。指先から溢れる血が、既に絶命寸前の女の血液と混じる。
「どーだ。嵐コウモリの超炎破の味は。それでもまだ座ったままやろうってのか?」
 勝ち誇った声が頭上から降りる。
「つーか、その前にそいつは永遠の安楽椅子になっちまったかもな」
 高笑いを続けるジルの隣で、オルゲルトは巨雨象の石化と崩壊が解けたのを視認した。ジルからの潰せとの命令にオルゲルトは、勝利を眼前にした主の指示に従い、二頭の巨雨象を再度二人と一頭の下へと向かわせる。
 勝利を収めたと確信したオルゲルトの耳に、XANXUSの苦しげな匣兵器を呼ぶ声が届く。
 ベスタ―の白い毛皮に黒色の虎のような模様が浮かび上がる。咆哮が轟き、一瞬で巨雨象は破壊された。凄まじい威力にジルとオルゲルトは驚きの色を隠せなかった。一撃。ただの一撃で破壊された事実は重たい。
「てめぇらは」
 9代目に受けた古傷が顔面に浮かび上がるのをXANXUSは感じた。
 許すわけには、いかない。
 左手に感じる細い髪と、冷たくなりつつある肌が。己の受けた傷も何もかもが。
 一片たりとも、この世界に、残してなどやるものか。
 XANXUSは低く息を吐いた。それだけで十分であった。
「本気で、俺達を怒らせた」
 自身の怒りが、咆哮を轟かせたベスタ―の怒りが、全身に伝わり、もはやどうしようもないほどである。宙で浮いている連中の戯言などXANXUSには既にどうでもよかった。驚愕も、動揺も、恐怖も何もかも、どうでもいい。
「ベスターは虎でもライオンでもねえ。雑種が劣ると誰が決めた」
 自分が手にしているそれが全ての事実である。ベスターを呼べば、主に従順な獣はすぐさまその傍らに寄り添い、その膝で横たわる東眞の頬に流れた血を心配そうに舐めとる。ぐるぐると喉を鳴らし、動かぬ体に顔を擦りつけた。そうすれば、いつものように撫でてもらえると思ったのだろうか、しかしその手は当然のごとく動かない。動くはずも、ない。
 再度XANXUSはベスタ―を呼び、匣へと戻し、狼狽える周囲にXANXUSは最後通牒を突きつける。
「次にこいつが開匣された時が」
 間が空く。赤い、怒りの伴った瞳が向けられる。
「てめーらの最後だ」
 ジルは唾を飲んだ。双方共に何も口にしない。
 だが、とXANXUSは視線をはずした。
「死に様ぐらい選ばせてやる。楽に死にたければ、白蘭のカスをここへ呼べ」
 それだけ言うと、XANXUSは体を椅子を完全に預けた。
「おいおいおいおい、随分調子にのってんじゃん。よーく考えてみろ、わざわざお前ごときに白蘭様がお動きになると思うのか?……と言いたいところだが、お前は運のいい男だ。丁度白蘭様への定時報告の時間だ」
 ジルは全方位に配置させた嵐コウモリの気配に笑みを口元に広げた。勝利を、確信する。
「特別に白蘭様と話をつけてやらないでもないぜ…。もちろん、話す内容は」
 そこでジルは嵐コウモリに合図を送る。一斉に攻撃を仕掛け、死に絶えたXANXUSの姿まで想像し、ジルは顔を喜びで歪めた。
「おまえの死についてだ!!」
 配置していた嵐コウモリからの攻撃で瓦礫が宙に舞う。
「あ゛は~最速最大炎圧だ!!気付いた時にはもう遅」
 しかし、ジルの言葉は最後まで続かなかった。
 槍のような炎が全方位に配置した嵐コウモリを全て破壊する。一撃で、一瞬で。匣兵器の最速よりも早い連射速度に開いた口が塞がらない。
「…何が、遅ーんだ?」
 十字に二丁の銃を構え、XANXUSは鋭い眼光で男を睨みつけた。
「………交渉決裂だな…。それ相応の死をくれてやる」
 ジルの前に執事が立ち、その防御壁となったが、XANXUSにとってそんなことは些事であった。ひどく、どうでもいい。気にかけることなど一切ない。防御するならば、それ以上の攻撃で撃破するまでである。
 それはあまりにも単純な事であった。
「笑止」
 匣兵器に指輪の炎を注入する。それは、XANXUSの大空の属性の炎だけでなく、憤怒の炎が混ざったものであった。生まれながらに有していた故に、奇怪な運命に巻き込まれたが、XANXUSは今でもそれを後悔したことは一度もない。ただの、一度もである。
 防御に盾にされた匣兵器、そして人間までもが石化をはじめ、そして。
 砂礫となって、消えた。
 人の死というには血もなければ肉もない。独特の匂いすらなく、オルゲルトという人間は死に絶えた。
 石化は一羽と一人にとどまらず、椅子に坐していた男にも及ぶ。固まり始めた足に動揺を隠せず、ジルは思わず椅子から立ち上がった。無様な姿にXANXUSは終止符を打とうと銃口を向ける。
「おいドカス。王子は座したまま戦うんじゃなかったのか?」
 勝ち目がないと判断したのか、ジルは焦りとともに命乞いを始めた。ひどく、耳障りである。XANXUSは目を細めた。
「お前が欲しいのはボンゴレボスの座なんだろ!?お前、沢田綱吉のこと憎くてしょーがないんだろ?だから今は亡き九代目直属なんて謳ってる!!そりゃそーだ!!ボンゴレ十代目の座を奪われたんだからな!!オレの力をもってすれば、憎き沢田を倒し、お前がボンゴレのボスになれるぜ!!」
 なんと、煩わしい。
 ジルの命乞いをXANXUSは醒めた感情で聞いていた。
「沢田綱吉を倒した後は今のボンゴレと同等!いや、それ以上の戦力を手に入れることも夢じゃねーぜ。ししし、どーだ!!最高だろ!!」
 ドカスが。
 何が最高なものか。XANXUSは反吐がでそうな命乞いに目を細める。馬鹿馬鹿しい。もう、何一つ聞く価値のないことである。
 銃口に光が収束していく。敵を屠るため、一撃で、かき消すため。
「俺が欲しいのは最強のボンゴレだけだ。カスの下につくなどより反吐がでる。十年前の沢田綱吉を生かしているのも殺せねえからじゃねぇ。ボンゴレファミリーは最強でなくてはならないからだ」
 XANXUSの言葉の意図がつかめず、呆然としているジルにXANXUSは標準を定める。
「内部にどのような抗争があろうと、外部のドカスによる攻撃を受けた非常時においては、ボンゴレは常に」
 引き金を、引く。
「ひとつ」
 椅子から立ち上がった、哀れ王子は灰となって跡形も残さず消えた。
 瓦礫に落ちる灰の一片にXANXUSは視線をやる。
「こいつが、てめぇに命乞いなんぞしたか?」
 肌の色が次第に土気色を帯び、色が抜け落ちていく頬を撫ぜ、XANXUSはそう問うた。無論、答えるべき人間は既に消し炭になった後だった。

 

 は、とセオは息を吐いた。ラヴィーナと妹の名前を呼び、近くへ呼び寄せる。今日は戦闘を主としたため、ラヴィーナの普段足まで隠すほどの長髪は高めに結われ、顔を完全に覆い隠す布は口元を出すために、鼻の辺りのものに変わっていた。
 防護衣を着ていない連中はラヴィーナの声によって肉塊に変じ、周囲には鉄錆の臭いが漂っていた。
 殺しもれた連中も、ラヴィーナの声で体の不調は現れるため、動きが鈍ったところを、セオが一撃で仕留めていった。
「ラヴィーナ、怪我ないか?」
 兄の問いかけに妹はふるりと首を横に振って怪我がないことを伝えた。世界中のどこを探しても、この人外の兄は彼一人しかおらず、かつ血が繋がっていないにも関わらず、この生物兵器を妹として愛する兄は彼だけだった。
 ラヴィーナに怪我がないか、セオは触れて確かめ、本当に無傷であることを確認すると納得したように頷いた。
 闇が広がる森の中で、一切の油断は許されず、頼りになるのは自身の感覚と月明かりばかりである。
 セオは自身がスクアーロたちのような他の幹部よりもはるかに実力が劣ることを自覚していた。故に、今回ラヴィーナと二人組で出されたのは大層意外であったし、反面自分も多少実力がついたのだろうかと怪訝にすら思った。
 木々のざわめきが敵の接近を知らせる。
 殺しても殺しても、終わりが見えない戦闘にセオは大層うんざりしていた。大空の匣はベルトに嵌めてはいるものの、開匣はしていない。いまだ制御できぬ匣は能力は未知数で、反対に自分に攻撃する可能性も否めない。己の未熟さにセオは泣きそうになった。
 視界の端を揺れ動いた白は夜陰において非常に目立つ。何故そんな目立つ格好をしているのか、セオには全く理解できない。黒を基調とした隊服を纏う身として、軽率な行動であると断じざるを得なかった。
 銃を構えたセオの前を小さな背中が遮る。吐息すらも喧しく響くこの一帯で、その声は発された。音波に近い。耳で捉えようとすれば、それはどの音階か判断できず、声と言うにはどの単語も当てはまるものではなかった。
 ぶつ、と錆びた赤色が木々の間で飛び散った。それは、肉片であり骨片であり、脳漿であった。被り物はしていなかったようで、頭部は醜く弾け飛んでいた。地面にぐずりと落ちた身体を見てみれば、本来体がある部分は無残にもぐちゃぐちゃに混ざり合ったなにかが詰まっている。ラヴィーナの音は頭から体へと見事に振動を果たしたようだった。
 人体にのみ有効な驚異的な音波だが、どこか一部分でも人体に音が直接的に触れなければならない制約があると、VARIAの医療部隊は言っていた。そして、VARIA隊員のみに配布されている小型の機械はラヴィーナの声を中和させる役目を持っており、仮にその機械を紛失したり、うっかり忘れでもしようものならば、ラヴィーナと組んだ日は哀れ肉塊に変じる。ラヴィーナが部隊に配属されるようになってから二度、そのようなことがあった。遺体は回収され、ラヴィーナの発する音がどのようなものかの研究材料となった。
 それ以来、ラヴィーナと任務を共にするものは、必ずその機械を忘れることはなくなった。回収された遺体、遺体と呼ぶには人間という形を全く成していない光景を見て、忘れる粗忽者がいるのであれば、それはただの自殺志願者のみである。
 ただ、生身が必ず直接触れていなければならないため、相手が建物に隠れたり、あるいは全身を防御してくる場合、ラヴィーナの能力は通じない。万全、というわけでもないが、しかし、人体にのみ有効であるとの一点において、人間を殺すためだけに造られた兵器以外の何ものでもなかった。
 だがセオはラヴィーナを妹として慈しんでいたし、愛おしく思っていた。
 小さな体が、肉塊に変じた敵を前に、褒めてとばかりに胸を張る。それがまた可愛らしくて、セオはラヴィーナの頭を撫でた。撫でて、右手に持っていた銃を一瞬の動作で背中へ向けると引き金を引いた。たかが銃弾されど銃弾。大空の炎を纏った銃弾は防護衣を破壊し、相手の脳天を的確に撃ち抜いた。透明のフロントに真っ赤な血が付着し、身体は膝から力なく崩れ落ちた。
 残弾が少なくなったため、銃弾を装填する。
 敵はまばらにしかし確かに攻撃を仕掛けてくる。城の方向から凄まじい音がしたが、セオは全く気にしていなかった。あの父親に敗北という言葉ほどふさわしくないものはない。
 バッビーノなら大丈夫、とセオは自身に言い聞かせ、眼前の敵を仕留めることに集中した。
 しかし、銃弾も無限にあるわけではなく、セオは数えられるほどになった残弾に肩を落とした。一度、城に戻って銃弾を補填しなければならない。
「ラヴィーナ」
 そうやって、妹の名を呼び。
 セオは、あ、と短く言葉を発した。ラヴィーナの小さな体、小さな首に突き立った炎がセオの朱銀の目を大きくした。銃弾ではなく、矢尻が小さな身体を突き、刺し貫いている。
「ラヴィーナ!」
 小さな体に駆け寄ろうとしたが、その体が地面に突っ伏す前にセオは左手で倒れかけた身体を抱きとめかけ、しかし伸ばした手を瞬時にひっこめると後方へ飛び退り、木の幹に姿を隠した。的確に先程まで自分がいたところに矢が突き刺さっている。
 クロスボウ、とセオは地面に刺さっている矢を見て辺りをつける。暗闇に既に目は慣れており、確かにその武器がクロスボウであると確認ができた。隠れている幹に一本、矢が突き刺さる。クロスボウも矢に限りがあるため、乱射はできないと思いながらも、それでも幹から迂闊に体を出すのは危険である。そう判断し、セオは相手の出方を伺った。
 待てど暮らせど、相手の動きはない。体を僅かに幹から顔を出したその瞬間、木屑が頬をかする。矢尻が頬の肉を引き裂いて持っていく。
 体を僅かにでも出そうものなら、仕留めるつもりでいることは明白であった。かなり正確に狙いをつけてくる事から考えると、手練れであることは間違いない。セオは身を引き締めた。ラヴィーナの生死が判明しないことがただただもどかしい。
 ざく、と木の葉を踏む音が響く。セオはその一瞬を用心がねに指を入れ、身を乗り出そうとしたが、眉間めがけ矢が飛んできたのを避け、再度幹に入る。
「まだ生きてやがる」
 しぶとい奴だ、と男の声が響く。ラヴィーナの苦しげな咽びがセオの耳に届く。
 くそ。
 セオはじりと焦りに唇をかむ。ラヴィーナの武器は音波だけで、矢が刺さった位置から判断するに、間違いなく喉が潰されている。握りしめた銃把が熱い。
 男の動きは音から判断するしかないが、どうやらラヴィーナの体を捉えたようだった。髪の毛を掴んでいるのか、腕を掴んでいるのかは定かではない。
「うっわ、きたねぇ」
 それは、彼の死んだ仲間を見ての言葉だろうとセオは思う。確かに、あの死に様は綺麗というより汚い。
 一拍の間が空いた。一体何の間か、とセオは銃を体に添わせて考える。ああ、と短く声が発された。ラヴィーナのものではない。その声は、確かにこちらに向けて話しかけられていた。
「こいつだろぉ!このグチャグチャの死体は!そこに隠れているお前じゃないよなぁ!」
 セオが銃で反撃したことから考えての結果だろうか、と思う。それとも死体が傍にあるにも関わらず、敵の喉を射止めた途端、その攻撃がやんだが故だろうか。どちらにせよ、相手はこちらの手の内を知ったことをセオは理解した。
 黙ったままのセオに男はふぅんと鼻を鳴らした。
「だんまりか!まあ、そこにいろよ。まずは他の連中を殺したこいつを始末してから」
 お前を殺す。
 男はそう言った。
「殺す?」
 ラヴィーナを、とセオは口の中で反芻した。
 そんなことは、許さない。
 考えるよりも早く体は反応した。幹から体を出し、相手に標準を合わせる。しかしそれよりも早く、敵はセオに標準を合せていた。引き金を引く速さは相手の方が僅かに速い。
 矢が、まっすぐに眉間を貫こうと飛んでくる。セオは僅かに顔を傾け、矢を避けた。耳朶を矢尻が持っていく。銀朱の瞳が捉えたのは、髪の毛を捕まれ、喉を矢で貫かれた妹の姿だった。それでもなお、戦おうと血みどろの口を大きく広げ、音を発そうとしている。擦れた吐息が、緊迫した僅かな合間に耳に届く。
 小さな妹の姿、セオは足と手に矢を生やしているそれに目を疑った。惨たらしい殺し方をする。甚振るだけ甚振って殺すつもりでいたのか。
 身体が軋む音がした。怒りが、脳に充満して思考が停止する。眼前が白く、白くなっていく。
 矢は炎を帯びており、察するに破壊を司る嵐の炎である。ラヴィーナの手足が抉れるように白くなっていく。小さな体は任務を遂行しようと必死にもがくが、動きに繁栄されるのはごく僅かなものである。
 セオが放った一撃をクロスボウの本体で弾道をそらして避けると、そのまま矢先を小さな頭へと向ける。
 少年の行動から、少年は小さな戦闘員を助けに出たと敵は判断したのか、攻撃を避けるためかそれとも牽制か。だが、その行動はセオの思考を停止させた。眼前が白から、真っ赤に染まる。
 残弾、一。
「死ね」
 純然たる殺意をもって、任務など頭から弾けて消えた。
 大空の炎が弾丸に、しかしセオが見た色は違った。それは、大空の炎の色ではなく、父親が発するそれと、同じである。
 引き金を引き切る。敵の男はそれをかわそうとしたが、高温の破壊の炎はそれを許さない。傾けた顔だったが、それは顔の半分を消し炭にした。
「あ゛?」
 男は一声だけもらすと、焼けきれた方向へと視線だけずらすと横へ倒れた。そしてそれきり、動くことはなかった。
 セオは矢が突き立つ妹の傍らへと駆け寄る。
「ラヴィーナ!」
 矢は迂闊に抜くと痛みを伴い、出血を徒に増やすだけなので、移動に邪魔な外に出ている部分だけ慎重に二つに折り、地面に投げ捨てると、小さな体を抱えた。
 流石に喉に刺さった矢は流石に素人で触るわけにもいかず、セオは抱えた背を安心させる様に擦る。喋ることのできないラヴィーナは小さな手でセオの隊服を掴むことでそれに応えた。
 残弾は0であるが、今、掌に灯すことのできている父親の炎を見て、セオは顔を上げ、暗闇の森へ、ルッスーリアがいる城の方向へと全速力で駆けた。