42:狼煙 - 4/7

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 スクアーロは眼前の敵を薙ぎ払った。
 吐き出した息はひどく冷たく、吐いた直そばから氷粒になっているような気さえした。それは斬り払った相手の血液と時折混じり、空中で結合して一つの滴となり、自己の肌や髪、隊服に当たってから地面に落ちる。
 己がただ一人主と、ボスと、従う人間と決めた男の数分前の一言の命令を、敵を斬り殺しながら鮮明に思い出していた。
 Estirpate nemici di vongola.
 最もあの男らしい、最もVARIAのボスらしい、最も、そう、最も自身が従うと決めた男の一言らしい一言であった。
 その男の最愛の女が拉致されているのが現状である。
 全く、CEDEFは一体全体なにをしているのだとスクアーロは感情を口からは吐露せず、その苛立ちを己の剣に込めて振るった。
 己が女が拉致されても、男はただの欠片も命令を覆すことをしなかった。
 そんな男が、スクアーロは好きだった、否、崇拝している。あの男であれば、地獄にまでついていく覚悟はある。
 ただただ、ボンゴレという組織が最強であり続けるために邁進するあの男にならば。
 スクアーロは、生き残りとも呼べる、眼前で動く生物に刃を水平に突き立て、横に薙いだ。
 背骨を乱暴に断ち切り、肋骨の隙間を縫い、肉を、皮膚を、肺を分断する。ぶつん。そんな音が耳に届き、それとほぼ同時に真っ赤な液体が周辺の木々に付着し、地面を汚し、緑の葉をクリスマスカラーにする。
 鮮やかな、朱。
 動く生物はすでにいない。
 少しばかり離れた場所から音が響いた。声なのか音なのか、それはラーダと呼ばれる生物兵器の発する音である。直撃すれば、人体は肉片へと変じる。
 音を声を、凶器であるものを耳にしても影響が出ないのは、直接その音を浴びていない者だけである。遠くにいれば然程問題もないが、その声を聞き慣れない者からすれば、人体こそ破壊されないものの、ある程度の影響が出ることは立証済みである。
 最後のヒトが地面に音を立てて落ちる。
 見渡す限り、敵であると認識される生物は少なくともスクアーロの視界上には存在しなかった。
「う゛ぉ、お゛お゛ぉい」
 誰かいねぇのか。
 俺の相手になるような。
 狩りに餓えた鮫は唇を一舐めして、死体の山の上に立った。
 唸りに応えた生物はおらず、スクアーロは退屈の頂点にうんざりしながら腕を振るった。不謹慎、という言葉が適切かどうかはわからないが、ミルフィオーレとの戦いはそれなりに楽しみにしていたのである。手応えのある獲物がいないかと、ただそれだけが気にかかった。
「相変わラズ」
 爪がアマイですヨ、とそう感情を含まない声がスクアーロの耳に届き、右後方にいた死体が跳ね上がった。
 袖が長く指先まで褐色の肌を覆い隠している。頭部はきれいに剃り上げられ、髪の毛は一本たりとも残っていないが、その形の良い頭には刺青が施されている。
 スクアーロは跳ね上がった死体、正しくは死んでいたフリをしていた敵へ視線を送った。怯えが見て取れる。
「あ」
 うあ、
 末期の言葉は、ない。
 男は自身の顔を自分の両手で挟み込み、ぐるりと一回転させた。首の骨が折れる音がする。自害、等では当然なく、スクアーロの隣に立つ糸目の男の仕業であることは、スクアーロ自身が一番よく知っていた。
 何年経っても不気味としか表現のしようのない男である。
 自分が言えることでは到底ないが、表情も感情も何一つ変えずに人を操って殺すそのやり方は何かどこかが変質してしまっているように思えて、スクアーロは仕方なかった。
 剣に付着した血液を払って飛ばす。
「このヘンはモウ片付きましタカ」
 よかったヨカッタと男は、シャルカーンは高めの声で笑う。
「ああ、この辺はもう仕舞だ。他の奴らのところはどうか知らねえがな」
「他のところも収束に向かっているヨウデスヨ。モットモ」
 シャルカーンは口元をその長い袖で隠し、唇の動きを読み取らせないまま、聞くものの感情を泡立たたせる声を発した。
「東眞サンの生存は分かラナイままですガ」
「分からねえから、それが俺達のすることに関係あるのかぁ」
「イエ、別ニ」
 袖の下で含み笑いをしているのがあからさまで、スクアーロは眉間の皺を深くし、シャルカーンの鼻先に切っ先を突きつけた。それでもなお、男が袖の下で笑みを作っているのは十分に分かった。
 フフ、とシャルカーンは笑みをこぼす。
「変わらないト、ソウ、思ったダケデスヨ。それでこそ我らがボス」
「当り前だァ。だから」
 だから。
 そこでスクアーロは言葉を区切った。
 脳裏を一瞬過ぎったのは、XANXUSが自分に見せたことのない、初めて見た穏やかな表情である。東眞と居た時にだけ、あの男はそんな表情をした。VARIAのボスでもなければ、ボンゴレ九代目の息子でもない。XANXUSという男がただそれだけでいられるその一瞬の表情である。
 東眞を失えば、XANXUSのあの顔も見ることはなくなるのだろうかとスクアーロはふと思う。
 人殺しに明け暮れる日々の中、あらゆる重責をものともせず威風堂々としている男がほんの少し、ひどく人間らしい顔をするのだ。
 同類である自分達にはその表情をあの男にさせることはかなわない。
 見ることができなくなるのは、それはひどく。
 ひどく。
 スクアーロが止めた言葉の続きを求めるかのように、シャルカーンは言葉を重ねた。
「だカラ」
「うるせえぞぉ」
「言いたくなイノハ、少なかラズ彼女の安否を気遣ってイルカラでスカ」
「黙れ。かっ捌かれてえのかぁ」
「オ魚サンでないのデ、遠慮しておきマショウ」
 切っ先の上がった剣をシャルカーンは袖先で軽く押し戻した。空いているもう片方の袖がスクアーロの絹糸のような髪に触れ、ゆるく引っ張られる。
 変わらず、この男は不気味である。感情の読み取れない顔がスクアーロへと近付いた。
 唇がゆるりと音もなく動く。
 いっそ、不気味なほどの緊迫感が張り詰め、吐き気すら覚える。感覚という感覚をゆっくりと嘗め回すような怖気にも似た感覚が天辺から爪先までぞるりと走る。
 ああ。
 スクアーロは対面する男の顔を見た。細い目は見ることも適わない。
 ラヴィーナのように強制的に感情を混ぜ込むそれでなく、ただ人の一挙一動を、それこそ目の僅かな動きすら読み取り感情を思考を読み取り、そこに付け入る男のなんとおぞましいことか。
 シャルカーンはそんなスクアーロの感情すら楽しむかのように口角を吊り上げた。
「ワタシもアナタも、あの女性を心配スル権利なドないのデスヨ」
 スクアーロ。
 と、そう名前を呼ばれ、スクアーロは目を眇めた。反論をしようと唇を動かすが、それは長い袖先が触れて止められた。
「ボスの妻ハどのような状況でアレ、ボスの妻デス。ネ、スクアーロ。心配する権利、トイウよリ、心配ノ必要がナイのガ正しいンデスけドネ」
「心配なんざしてねえよ」
 俺は、とスクアーロはシャルカーンの袖を払いのけ、眉間に皺を寄せ反論した。それはまごうことなき真実であると同時に、東眞がXANXUSの妻である確信でもあった。
 スクアーロは剣をはらい、いけ好かない男の顔を真正面から見る。
「ボスが、相応しくない女を妻に添えるわけがねえ。だから、俺達ゃあいつの心配をする必要なんて一切ねえし、仮にあいつが人質になったところで、俺達のすることは何一つ変わらねえ。あいつは、」
 あの、女は。桧東眞という女は。
「俺が、世界でただ一人ついていく価値のある男が認めた女で、」
 ああとスクアーロは思う。
 東眞という女がXANXUSと初めて会って、それから色々とごたごたもあって、今日に至るまでの日。彼女は随分と自分たちに認められるための努力をしてきたのだと。
 それは彼女にとってなんの努力でもたとえなくとも、このVARIAという組織の頂点に君臨する男の妻であるということの重みはさぞかし大きく重いものだったろう。あの細い体で。あの女はその重みを抱え込んでいる。そして、
 銀糸が揺れる。
「俺も、あの男の妻であることを、認めたヤツだぁ」
 心配なんざしてねえよ、とスクアーロははっきりそう括った。
 改めて思う。あの女は非力で自分達と比較のしようもないほどに弱い存在であるのに、いつの間にか、自分達が認めるだけの存在になっていた事実に。
 あのレヴィもいつの間にやら、認めていない、とは言わなくなっていた。
 だからこそ、スクアーロはXANXUSの妻である東眞のことを心配しない。その行動に左右されない。あの女は、自分達と同じである。
 いつから同じ目線に立ったのかは定かではない。けれども、確かにあの女は自分達と同じ視線を持つ。だからこそ、だからこそなのだ。
 スクアーロは目を軽く細めて髪の毛を流した。自然と笑みがわき、上下の歯が噛み合わさる。
「心配する方がアイツに失礼ってモンだろうがよぉ」
「ナルホド」
 結構なコトデ、とシャルカーンはほくそ笑み、袖先でその笑みの張りついた口元を隠した。

 

 皿が宙を舞う。
 これでもないあれでもないと、死屍累々。
 ルッスーリアはこの手の付けられない状況に十分に手をこまねいていた。正しくは八方塞がりの現状に何も手を出せないままでいた。
 ボス。
 僅かに諦めを含んだ響きを持ってルッスーリアは男を呼んだ。皿こそ飛んでは来なかったものの、飛ばされた殺気はいつもとは違う居心地の悪さを感じさせるものであった。苛立ちを多分に含んだソレは、研ぎ澄まされたものとは違い、肌触りがひどく悪い。
「何だ」
 沈黙を破る男の声はひどく低い。肉だなんだの騒ぎ立てながらも、この男の根本は大層冷静にできている。沈着、ではないが。
 XANXUSからの返答にルッスーリアは両足をクロスさせ、肩を軽く持ち上げた。
 心配、とそう言いかけて開きかけた唇で他の言葉を作る。
「もう終わっちゃったわね。後方支援ばっかりでつまんないわァ、次は前線で使ってチョウダイ」
 ミルフィオーレの残党の掃除をそろそろはじめている頃である。圧倒的数の差を圧倒的戦力でひっくり返し、ミルフィオーレの拠点の一つを潰し終えた。
 それはルッスーリア達にとっては当然と言えば当然なのだが、しかし、今回の戦いの狙いがどこにあったのか、ルッスーリアはまさかと危惧した。敵があまりにも弱すぎた。雑魚と断言できるほどに弱く、数だけがただただ多い。まるで足止めをするかのような、そんな感覚がぬぐえない。
 ルッスーリアの言にXANXUSは鼻を一つ鳴らし、背凭れに体重を預けた。右手に把持したままである銃は未だ熱を燻らせていた。
 頂点に君臨する男に先程詰まらせた言葉を再度繰り返すかどうか逡巡し、ルッスーリアは決断の上で唇を一舐めした。小さく息を吸い、腹に力を込める。
 しかし、言葉が発されるのは、扉が激しい音を立てて開かれたことにより妨害された。扉の向こうにいたのは、年のころにしては体の大きな少年であった。銀朱の瞳は驚きで見開かれ、らしくもなく不規則な呼吸を肩で繰り返していた。少年の動揺は、明らかであった。
「マンマ」
 バッビーノ、とセオは言葉を震わせた。
 どこでその情報を仕入れてきたのか、XANXUSが問い詰める間も、ルッスーリアがセオの動きを止める間もなく、その体は父親の元へとかけ、その胸倉を両手で掴んでいた。上下の歯は食い縛られ、溢れんばかりの言葉を喉がせき止める。
 シャツを掴む両手が力で小刻みに触れる。なんで、と小さな声がこぼれ、それが関を切り、土石流のように言葉が溢れ出た。
「こんなところにいるんだ!」
 息子の言葉が部屋に響き渡る。
 皿の残骸と共に床に這いつくばっている隊員を含め、その場にいたルッスーリアでさえ、セオの向こう見ずな恐ろしい発言と行動に背筋を凍らせた。少年は憤りで震える。
 ルッスーリアは父親から息子を引き剥がそうと腕を伸ばすが、それを拒むかのように鍛え上げられた筋肉に怒気が飛ぶ。
「何で…ッバッビーノは、」
 少年の父親の前髪は深く長く、男の瞳を覆い隠しており、その表情を読み取ることを大層難しくしていた。
 微動だにしない父親に息子は憤りをぶつける。
「浚われたって、生死不明、だって、護衛は死体しかなかったって、こんなところで何やってんだよ…ッ。こんなところ、俺達だけで十分なのに、そんなこと分かってるくせに、なんでバッビーノはこんなところで踏ん反り返ってる」
 ごり。
 セオはそこで初めて喉から溢れた言葉をせき止めた。額に感じた冷たい鉄の感触に喉を詰まらせる。銃口と、そしてそれ以上に、黒髪の合間から覗いた、赤色の殺意に全身を強張らせた。
「るせぇ」
 XANXUSの地の底を震わせるような声にセオは掴んでいた胸倉から手を放す。一つ、呼吸をするのでさえ息苦しい。一歩後ずさった息子の胸にXANUXSはブーツをめり込ませ、蹴り飛ばした。
 尻餅をついたセオは父親の顔を見た。黒髪の隙間から覗く二つの赤を直視するだけの勇気は、なかった。
 呼吸が、一つ。あいつは、
「てめぇのケツはてめぇで拭ける」
 そういう女だ。
「クソガキ、てめぇが思っているほど、アイツは弱くも間抜けでもねぇ」
 待っていると、XANXUSは妻の顔をふと思い出した。
 確かにそう言ったのだ。あの女は。それならば、案ずることなど何一つない。
「てめぇでどうにかできねえようなカスを、俺は迎えたつもりは欠片もない」
「だからって、そんッ、ぶ」
 顔面にブーツの靴底が飛び、セオは後頭部を激しく壁に叩きつけた。鼻の血管が切れたのか、つ、と鉄の臭いが脳天まで突き抜け、鼻から垂れた。
「なら、てめえはどうするんだ」
「俺は、マンマを」
「助けに行くとでも英雄気取りで言うつもりか。それもいいがな、クソガキ」
 XANXUSの親指がゆっくりと動き、撃鉄を起こし、人差し指が用心がねの中に差し込まれた。引き金に、かかる。
 ぬらりと黒い壁のようにたった男の姿は、父親のものではなかった。セオはひとつ身震いし、唾を飲み込む。息が、一つ、重い。
「てめぇが、一歩でもその扉を出ていこうとすりゃ、殺す。使えねえカスは、VARIAに必要ねぇからな。何回、俺はてめぇに教えりゃいいんだ。ここは」
 セオはここでようやく父親の顔を直視した。そして、そこから先の言葉を叫ぶことによって遮る。
 わかっている、と。
「分かってる。分かってる。ここは、VARIAが、何を守るための場所なのかなんて、分かってる。それでも、だよ。守れるなら、手を伸ばせるなら、可能なら、俺は」
「この」
「まーまーボス!そろそろ撤退しましょ!先に帰っていてちょーだい!後は、やっておく、わっ」
 眉間に深い皺を刻み、指先に力がこもったのを見、ルッスーリアは慌ててXANXUSの背を押し、半ば追い出すような形で部屋からだし、扉を閉めてそれを背で抑えた。
 我ながら恐ろしいことをしたものだと、口元を引き攣らせながら、ルッスーリアは冷や汗をぬぐった。扉が反対側から消し炭になっていない点を考慮すると、セオの説得もとい説教を任されたものだとルッスーリアは理解した上で、耳につけていた無線機に撤収の声に胸をなでおろした。
 そして、唇を噛み締める少年へと視線をやり、溜息をもらす。セオ自身、その溜息が何ゆえかは重々承知であった。
「駄目よ、Jr.」
「…分かってるよ」
 セオは座り込んだ状態でうなだれ、暗殺者の先輩にあたる男の言葉に同意した。
 頭では十分に理解しているのである。十分なほどに。だだ、父であるXANXUSの基準と自身の基準が違うだけなのだ。
 ねーえ。
 ルッスーリアは座り込んだ少年に口元に優しげな笑みを浮かべて話しかけた。黒髪の隙間から銀朱の瞳が持ち上がり、サングラスの奥にある目と視線が合う。
「俺達なら、できると、思ったんだ。この戦力差で、バッビーノ一人の穴を埋めるなんて大したことない。むしろ、今回の作戦にバッビーノは必要なかったって思ってる」
「でもJr.」
 ねえじゅにあ。
 甘い響きに少年は顔を上げる。無機質なサングラスの奥の瞳は無言で経験の浅い暗殺者の軽率な言葉を責めていた。
「駄目よ」
「…何が、駄目なんだよ」
「駄目よ。こっちの相手はいいとしても、東眞をさらった連中の目星も実力も人数も手段も何もかもが不明だわ。そこに単身向かうことは、ねえ」
 勇気などではなくただの無謀である。自殺行為である。
 ルッスーリアの言葉にセオは唇を噛み締め、それでもと言葉を吐いた。
「バッビーノなら、大丈夫だって、思ったんだ。俺は、駄目でも」
「ボスは強いわよ。でも、万能じゃないわ」
「強いじゃないか、誰よりも」
「立場が、あるのよ。大人だから」
「…俺は、子供だから?」
「そうね。子供だから」
 セオは一つ、クソ、と吐き捨てた。
 未熟な己を恥じ、未だ弱者たる位置にいる己を悔やんだ。いくつ戦場を経験すれば、いくつ死体を積み上げれば、父の高みに届くのか、まったく見当もつかなかった。母を救いにも行けぬこの身を恨んだ。
 固い床に叩きつけられた拳が嫌な音を立て、床には蜘蛛の巣状の亀裂が入る。
 ルッスーリアは叩きつけられた拳を掬い取り、それを両手に包み込んだ。クーちゃん、と己の匣を呼び出してその手に治療を施す。不恰好に爪が僅かに伸び、後で切っておきなさいと付け加えた。
 立ち上がった男に少年は声をかける。ねえ、と。
「助けに、行けないの?今からでも」
「行けないわ、今からでも。私達は東眞に割いている時間なんて、これっぽっちもないの。それに、ボスが言ったとおりよ」
「何が」
 座ったままの少年に男は手を伸ばし、立ち上がらせ、俯きがちになっている前髪を払って、今にも泣きだしそうな少年の顔、両頬を包み込んだ。
 父親譲りの面立ちだが、母である東眞の優しい面影も僅かに受け継いでいる。
「あなたのマンマはちゃぁんと帰ってくるわ。どんな姿になっても、どんな仕打ちをされても。ボスのところへ、帰ってくるわ。この私が約束してあげる」
「どうして、そんな風にいえるの。だって、マンマは弱いじゃない。護身術程度しか、身を守れない。そんなマンマがどうやって一人で帰ってくるの」
 尤もな疑問であったが、しかしそれは愚問でもあった。
 ルッスーリアは包んでいた両頬を左右に引っ張り、そしてぱちんと放した。
「帰ってくるわ」
 迷うことのない答えをルッスーリアは持っている。何一つ心配することはない。
「東眞は、ボスの妻なんだから」
 一拍、ルッスーリアは呼吸を置き、セオの胸に己の固く握った拳をその薄い胸に押し当てた。
「弱くなんてないわ。強いわよ。あなたよりずっと強い。諦めを知らない。何より自分の立場を誰より何より理解している。だから、東眞は強いわ。だから、私達ができることは待つだけよ」
 ルッスーリアはぐっとその厚い胸板を張った。顔満面に笑みが自然と浮かぶ。
「そして、私達がすることは、たった一つ」
 漆黒に身を纏う暗殺者たる男は、両足に力を籠め、少年の横を通り過ぎる。
 太腿まである隊服が風を孕んでぶわりと揺れた。
「敵を、薙ぎ払うだけよ」
 ああとセオは唇を噛み締め、背後で閉まる扉の音に今度はしっかりと、自分の意志で顔を上げた。