42:狼煙 - 3/7

3

 身、一つ。
 防音が行き届いた寝室で女が一人佇んでいた。その体の前には鏡台があり、化粧品でも通常であれば並べられている机の部分には、本来の用途としては一向に相応しくないものが乗っていた。机としての機能を優先するのであれば、それが何であれ、物質が乗せられている、という状況はしかし机の製作者がその場にいれば諸手を叩いて受け入れた事象である。
 机の上には、鉄の塊が乗っていた。丁度先程射撃練習を終わらせてきたものである。
 女の掌と身体能力に丁度合わせられたその物質は、決して重たすぎることもなければ、軽すぎることもなかった。それを常日頃から扱う人間からしてみれば、その銃は軽すぎたし、殺傷能力の低さに眉を顰めるようなものでもあった。ただ勿論、鉄の塊は、この場合であれば、引き金があり、火薬を点火させる部位があり、押しこめられた鉄の小さな塊を空気を切り裂く凄まじい速度で飛ばす、突き詰めれば、生物に怪我をさせる或いは殺すために作られた物体であるから、女が間違いなく急所と呼ばれる所を熟知し、そこを狙うことが可能ならば、十分に殺戮のための道具になり得るものであった。そして、その武器の所有者である女は、拳銃という武器を決して威嚇や抑制のためだけに用いるわけではなく、本来の使用目的、殺傷を理由としてそれを携帯していた。
 長年使い込み、手にしっかりと馴染んだ銃の手入れは日頃から欠かすことはない。今日も朝に一度解体し、掃除と銃弾の補填は女の手によって行われた。
 この武器もまた、女の身体の一部である。下げられているホルスターに拳銃をおさめ、その上からカーディガンを羽織る。体のラインよりも少し大きめで、柔らかな布地は、体にぴったりと付けられているホルスターとその中に収められている武器の存在を隠した。対面にある鏡から見ても、それは視認できない。
 ゆるめに結わえてある髪を項を軽く見せるようにして団子にまとめた。胸の辺りまである髪の毛はきっちりと動かなくなった。そして、女は引き出しを開け、薄い小箱を取り出して蓋を開ける。三本程度、綺麗に並べられているのは細い針であった。持ち手の方は滑らないようにゴムで覆われている。女の多彩な趣味を知っている人間であれば、縫針かと頷いた所であったが、それを女に渡した人間からすれば、一種の暗器であった。女もまた、それを承知でその武器を譲り受けていた。
 大きめの髪飾りでまとめた髪を飾り付けた。そして、それに隠すかのように針を器用に団子状にまとめた髪の中に埋める。持ち手と針の部分は、髪の色とほぼ同一で、少しばかり見た程度ではその存在にも気付くのは大層難しい。
 鏡に映っているのは何のことはない。黒縁の眼鏡をかけた、どこにでもいそうな女であった。特に目立った服装でもなければ面立ちでもない。雑踏の中に居れば見つけ出すのは酷く難儀な、そんな女である。
 最後にポケットに、地下に住まうパソコン偏愛男に渡された特殊な小型通信機が埋め込まれた時計を左手首に巻き付け、服の裾を整えた。
 準備が終わると同時に、厚手で温もりの感じられる木製の扉が数度ノックされる。返事をする前に扉は押し開けられ、その先には黒に塗り潰された男が一人、立っていた。暗闇にでも染め上げられたかのような男の顔には二つ、赤い彼の特徴的な色がはっきりと灯されている。温かさよりも、それは冷たさの方を感じさせる。女は男の来訪を目を細めて、穏やかに微笑み喜びを示す。
 少し、一人よりも厚めの唇が上下それぞれに動き、男は言葉を紡ぎ出した。
「来い」
 端的なそれは、他の意味を持たずに命令となる。言葉が決して不自由なわけではなく、他に言葉を持たないだけである。女はそれを承知で二つ返事をした。
 その心中如何ばかりか。想像するには容易く、言葉にするには重たい。
 男の胸中を察し、女は問い詰めることをせず、踵を返した男の背について歩く。二人分の足音が交互に、重たい足音と軽い足音が時折混ざり合いながら広々とした廊下に反響しては消えていく。
 玄関までの距離は、会話を一つ成立させるには十分にあったものの、二人がこれと言った言葉を交わすことはなかった。天井まで届く高く大きな扉が開かれ、その先の階段の下には黒塗りの車が一台、扉の両脇にスーツをきっちりと着込んだ二名を立たせて、停まっていた。そして、男は、女の夫は短く現状を伝えた。
「CEDEFだ」
「お世話になります」
 女は綺麗な姿勢から頭を下げ、深く礼をした。開けられた車のドアの奥には何とも座り心地のよさそうな椅子が向こう側のドアまで伸びている。車自体もひどくものものしく、防弾ガラスを使用しているのは聞かずとも分かるような見た目であった。
 女が頭を下げたことにCEDEFと紹介された二名も一礼する。両名は男女一組のペアで、運転席に近い方には男が立っていた。そして、西洋人の面持と体つきをした女は流暢な日本語を操り、女へと挨拶をする。
「ご紹介に預かりました。わたくし、CEDEFに籍を置いております、デボラ・アラゴンと申します。本日より、東眞様の護衛を務めさせて頂きます。運転席の男はガスパーレ・イオリでございます。何か御座いましたら、すぐにお呼びください」
「何もねえようにするのが、仕事だろうが。カス共が」
「申し訳御座いません」
 男の叱責を甘んじて受け、デボラは頭を下げる。下げた頭は数秒後に上がり、光彩の明るい瞳が東眞へと向けられ、その白い手が差し出された。お手をどうぞと、まるで令嬢のような扱いに東眞は夫へと視線をやるが、瞼をゆっくりと一度上げ下げしただけで、返事はない。
 差し出された手の上に自分の手を乗せ、東眞は何とも言えない気分を腹の内で咀嚼しながら、大人しく車の中へと乗り込んだ。体が大きな、恐ろしいほどに余裕のある空間の中に収まり、扉がデボラの手によって閉められる。しかし、それが完全に閉まりきる前に、マンマ!と子供特有の高い声が慌てて内から響いた。閉められかけた扉はもう一度幅を持たされ、二人の子供の姿を東眞の視界へと映し出す。
 子供の名が発される前に、二人分の、四本の腕が東眞へと突き出されてその体に子供の高い体温が押し付けられる。XANXUSはそれに酷く気分を害した様子で、顔を歪め、眉間にきつい皺を寄せた。母の匂いを体へと染み込ませる様に子供は体を擦り付け、ぐすと鼻を啜った。離れようとしない子供に痺れを切らしたようにXANXUSは低く唸った。
「離れろ」
 父の恫喝にも等しい声にセオとラヴィーナは体をびくりと震わせ、大層名残惜しげに体を離す。
 マンマ。セオは声を出せないラヴィーナの代わりに、それと合わせて自分の気持ちも言葉に込める。
「無事で、いてね」
 既に母よりも己たちの方が十分に自己防衛能力が高いことを知っている子供の言葉であった。東眞は離れようとした二人の子供を両腕に閉じ込めてかき抱く。しかし、そのまま子供達を車に乗せて安全な場所へと匿うというその単純なことが不可能なことは承知であった。母、は、それをしたかった。叶うはずもない思いを飲み下し、東眞はセオとラヴィーナの体をきつく、抱き締める。
 彼らは既に、暗殺部隊VARIAの一員なのである。
 数秒、そうして東眞も子供達を離した。眼鏡越しにはっきりと二人の顔を見る。どんな言葉も戦地においては薄っぺらいものに変わってしまう。彼らが幾度も死線と戦場を体験しているとは雖も、常に不安は付きまとう。
 額を二人のそれに合わせ、東眞は視線を下へと落とした。無事を願う言葉など、この場においては何の意味も持たない。息を細く吸い込む。
「帰って来なさい。どんな姿になろうとも。母は、待っています」
 腕に軽くかかっている子供の小さな手が、その言葉に力を籠め、服に皺を寄せた。しかし、それを断ち切るように、二人の子供の襟首が強い力で引っ張られ離される。
 母である女はそれを行った男の顔を下から見上げた。暗闇の中に灯される赤は変わらず美しく、それには責める色も、侮蔑の色もなかった。代わりに、ただ一言、XANXUSは現時点における最良の命令を発した。
「行け」
「はい」
 あらゆる思いを飲み干し、東眞は扉が閉まる音を聞いた。その前方にはデボラが膝を揃えて座る。運転席からもドアが閉まる音が響き、低いエンジン音と共に車は走り出した。振り返ることはせず、窓を流れていく景色をただ視界の端に落とした。しかしその景色すら断ち切るかのように、カーテンが一枚引かれる。
 子供から無理矢理引き剥がされたか母の光景を目の当たりにしたデボラは、その沈鬱な空気を変えようと口を開いた。
「ご安心ください。すぐに、お戻りになれます」
 楽観視を。
 口をついて出ようとした皮肉を東眞は胃の腑に落とし込んで焼き捨てる。
 すぐに戻れるような状況であれば、XANXUSが自分を本部から避難させるような真似はしない。切迫した状況だからこそのこの状況にまでなったのである。尤も、デボラの好意を否定する気にはなれず、東眞は有難う御座いますと当たり障りのない返事をした。
「どちらまで」
 そして話を続けようと、会話の糸口を差し出した。その問い掛けに女は困ったように眉を落とし、申し訳ありませんとまずは謝罪した。謝られた時点で東眞は納得し、かまいませんと頷く。
「答えられない質問をしてしまいました。気にされないで下さい」
「いえ」
 ここは、そういった世界であったと考え直す。最近少しばかり気が緩んでいたのだろうかと東眞は僅かな気落ちを感じつつ、小さな溜息を吐く。気にしすぎも問題だが、緩みすぎもまた問題である。
 会話が途切れ、車のエンジン音だけが狭い個室の二人の間を埋めていく。三時間程その状況が続いた後、デボラはまた口を開いた。イタリア人にしては少し小柄で、明るい表情をした女性は、沈黙に耐えかねたようであった。年の頃はいくつ程だろうかと東眞は年齢よりもずっと大人びて見える民族の顔をまじと見つめる。
 リップを丁寧に塗った唇が柔らかな笑みと共に、独立暗殺部隊のボスである男の妻を励ました。
「これから行く先には、ドンボンゴレの奥様もいらっしゃいます。お二人は時折お会いになられているとお話を伺ったことがあります」
「ああ、はい。私の弟の同級生なんです」
 腹の傷が僅かに痛みを伴ったような気がした。
 もう何年前になるか、随分と昔の話である。その光景を瞼の裏に鮮明に思い描くことはできるのに、それがいつ何時のことであったのかは、はっきりとは思い出せない。人の記憶とはえてして曖昧なものである。
 口元に小さく笑みを作り、東眞は弟の名前をまず口にする。
「修矢とも仲良くして頂いて。とても可愛らしくて、優しい方です。沢田さんにはとてもお似合いで…よくお話しをするようになったのは、結婚式の時からでしょうか」
「ドンボンゴレの、ですか?」
「はい」
 その光景を思い出し、東眞は笑みの中に苦いものを混ぜる。新郎はひどくリボーンに振り回されており、酒だ肉だのと祝いの席だというのに、XANXUSは始終不機嫌そうな顔をしていた。その前に立った綱吉の引き攣った笑みを忘れるはずもない。そうは言っても、大層賑やかで、新郎新婦共に幸せそうにしていたのは印象深い。
 その、とひどくそれに対して聞き辛そうにしながら、デボラは東眞へと視線をやった。
「XANXUS様は恐ろしくはないでしょうか。どうにも、わたくし共は先入観が働いてしまいまして。一度お会いしましたらお聞きしたいと思っておりました。もしそれが、わたくしの勘違いでしたら認識を改めたいのです。我々は、ファミリーなのですから」
 真っ直ぐな、純粋さと誠実さを感じさせる瞳に、東眞は目を細めた。眩しい。そして、それに対する素直な答えを口にした。正しくは、口にしようとした。
 突如ブレーキが踏まれ、舌を噛みそうになる。デボラは顔を強張らせ、ガスパーレ!と相棒の名を叫んだが、その返答はない。東眞へと手を差し出し、静かにしているようにと示した。そして、ホルスターにしまっている拳銃の安全装置を外して構える。そ、と運転席を隔てる厚手のカーテンをそっと引き、息を飲んだ。
 ガラスには脳味噌が千々に散らばり赤い血液と共にこびり付いていた。真っ赤な血の隙間から覗き見えた先には、頭部を失くした首から下の体が座っている。さしたる抵抗もなく即座に殺された様子であった。
 燦燦たる光景にデボラは一つ息を飲んだが、すぐに平静を取り戻し、カーテンを引き東眞と向き合う。
「シニョーラ、襲撃されました。どうやら情報が漏れていたようです。ですが、ご安心ください。わたくしの命と引き換えにしても、奥様はお守り致します」
 拳銃では心もとないと判断し、デボラは掌に収まる匣を取り出すと、それに指輪の火を灯す。ごつ、と鈍い音と共に蓋が開かれ、炎を纏ったチーターが姿を現す。小柄ではあるが、チーター一頭が現れても車内は十分に余裕があった。
 いいですか、とデボラは東眞の手を取る。
「この車は、外からの銃撃、爆撃程度であれば防ぐことができる造りになっております。ですが、ガスパーレがやられたところを見ると、敵の力はそれ以上の模様。車内で立てこもっていても、突破されるのは時間の問題でしょう。…わたくしが囮になりますので、奥様はわたくしの匣兵器にしっかりと掴られて、反対側の扉から出て下さいませ。わたくしが、生きている間はそのチーターは走り続けることができます。この車が襲撃された時点で、自動的にCEDEF本部に応援が届くような仕組みにはなっておりますので…仲間が奥様を保護するまで、わたくしは、」
 そこで言葉は途切れた。
 正しくは、東眞のその眼前で、頭がもぎ取られた。ばくん。緑色の植物がその頭を食い千切った。車の隙間を縫うかのように茎を走らせ、それは車内にまで侵入していた模様だった。食虫植物を巨大化したようなものであり、車内は一瞬で血の臭いで溢れかえる。行場を失った血管からは血が噴水のように溢れ、車の天井を押し上げんばかりに真っ赤に塗りたくる。車内を埋めていたチーターもそれとほぼ同時に姿を消した。力を送る者がいなくなれば、当然その姿は匣へとかえる。
 植物は頭部から少し下へ行ったところに、胃と思われる袋がある。ごぽんと中で液体が動く音が鈍く響いた。細い枝は次第に太く姿を変え、車を内側から軋ませた。その振動に合わせて、先程まで喋っていた女性、だった、死体が転がる。血は既に出尽くしたようで、噎せ返るような血の臭いが籠るばかりで、それ以上の血が車内を埋めることはなかった。
 先程まで動いていた人間が死体となった様に驚く様子も見せず、東眞は手早くホルスターの銃を抜き取って構えた。そして、倒れている女の銃を代りにホルスターに入れる。幸い銃の大きさは同一のようで、すっぽりとその中に収まった。匣兵器は持っていたところで、死ぬ気の炎を灯せないために役に立たない。持っていては、相手の武器となってしまう場合を考慮して、安全装置の外れた銃口を向けると引き金を引き撃ち抜いた。
 みぢ。
 車が悲鳴を徐々に上げる。東眞は踵に当たった発煙筒に気付き、まだ動かない植物へと視線を逸らさないまま、それを音もなく取り外す。そして、流れるような動作で発煙筒を発火させると、植物の半開きになっている口に放り込んだ。目立つ赤い煙が車内を血の上塗りをしていく。ロックがかけられているであろうドアには銃弾を撃ち込み、乱暴に外に押し開け、転がり出る。
 受け身を取りながら一回転し、地面に靴底が付くと同時に走り出す。視界に飛び込んだ風景に何か目印になるものでもと巡らせたものの、周りにあるのは左には断崖絶壁の海、右には森と目立つものは何一つない。
「ジャン、聞こえますか」
 全く何も起こらないとは思ってもいなかったが、一日と経たぬうちに窮地に立たされるとは想定していなかった。東眞は腕に取り付けた通信機に話しかけた。一秒、それだけの時間を要して、はいはいと軽い言葉が返される。
『なーに?奥さん。もー着いたの?ボスに連絡しようか?』
「、」
 今、と続けようとしたが、その前に通信機が高速で飛んできた植物の枝で破壊される。砂利を踏む音が低く、波の音に混じってゆっくりと進む。唾を飲み込み、恐怖に駆られるにはまだ早く、東眞はそのまま森に飛び込んだ。銃撃戦に置いては、森の中はかなり苦戦を強いられるものの、遮蔽物が全くない場所にそのまま立っているわけにもいかない。反対側の断崖絶壁の海に飛び込めば、そのまま召されそうである。
 幹の太い木の後ろに回り込み、耳を澄ます。は、は、と短く繰り返される自身の呼吸音が周囲の音を聞き取るのを阻害するが、押さえることはできない。安全装置は外れており、銃弾は問題なくある。
 残弾数は、と数えたところで、東眞は喉元に添えられた銀色の、冷たい色をしたものに気が付いた。気配など一切感じさせず、ただそれはそこにあった。
「見つけた」
 子供のかくれんぼのように、その声は耳元で響く。
 ぞわりと肌の上を走った鳥肌に肩を寄せたが、それよりも速く銃口を音のした方へと滑らせ引き金を引く。しかし苦痛の混じった声は何一つ響かない。ナイフが遠ざかるように軽く引かれ、痛みを皮膚に残す。
 幹に完全に背を預け、反対側へと顔を向けた瞬間、その視界が黒く染め上げられる。それが、靴だと気づいたのは眼鏡が割られて、痛みと共に側頭部を幹に強くぶつけられ、意識を失う、その寸前であった。

 

 突然切られた通信にジャンは片眉を上げる。
 パソコンに囲まれて一室に居た男は、キーボードを両手で操作しながら、音声認識により左端にある画面に別のウィンドウを表示させた。それにはイタリアの地図が記されており、赤い点が点滅したまま停止しており、そこから動く気配はない。その点の下には数字が刻々と時間を刻んでいる。それは、通信機から発信された信号が最後に確認された時間からの時間を示していた。
 画面を横目で確認して暫く押し黙り、そしてジャンはキーを一つ操作して口元の通信機に話しかけた。
「ボース。緊急連絡」
『黙れ』
 にべもない返答であったが、いつものことなので、ジャンは気にする様子も見せずに話を続ける。
「奥さんの発信機が壊されたよ。つい、五分程前に」
 通信機の向こうが押し黙る。
「どうする?必要ならそっちに情報送るよ」

 

 ボス。そう、隣で顔色を僅かに変えたスクアーロの声にXANXUSは赤い瞳を瞼の下に一度隠した。
 配下の配置は既に済み、どこの誰かを移動させることは不可能であった。ボンゴレへと攻撃を仕掛けたミルフィオーレを叩き潰さねばならない今、戦力は一人でも惜しい。主力戦ともなるこのイタリアでの戦闘での敗北は決して許されない。
 XANXUSは落としていた瞼を上げ、手にしっくりとよく馴染んだ銃の安全装置を外した。がちん。ブーツ底を持ち上げ、一歩前へ。XANXUSが前に進んだことによってできた風により、スクアーロの銀髪が一筋揺れる。
「必要ねえ」
 通信機に、短く返す。OKと軽い返事が通信機からなされ、ぶつりと切れた。
「XANXUS」
「殺し尽くせ」
 短く、地獄の釜の蓋から声が幾重にもなって腹の底を叩く。赤い瞳は黒髪の隙間から、苛烈なまでの殺意を周囲へと撒き散らした。
「Estirpate nemici di vongola.(ボンゴレの敵を根絶やしにしろ)」
 風が吹いてコートが揺れる。ああ。スクアーロは苛烈なまでの感情に当てられ、自然とその口元に笑みを浮かべた。戦いのにおいに心が、血肉が沸き立つ。
「Si, mio capo」
 それが、我々なのである。