39:嘘吐きと友達と失態 - 8/10

8

 じゃりばりじゃりばりじゃりばりじゃりばりばりばりばりぎゃりばり。ビスケットが口の中で砕けて唾液でふやける。ボス、とかけられた声に、ピエトロはやけに神経質な声で吠えるように、うるさい!と怒鳴り返した。右手が、机の上に置かれているビスケットの山に突っ込まれて、まるで中毒症状のように口内に突っ込まれる。もご、ぐじゃばり、ぱり、しゃりがりごりもちごきばしゅ、ばり。甘いのか辛いのかしょっぱいのか、甘酸っぱいのか、ピエトロにはもう分からない。ただ、額にはぷつぷつと脂汗が浮かんでいた。
 ロニーを切り捨てられると思っていた。しかし、それは叶わなかった。
 トランクに詰められた子供の死体。片手の爪が全て無残に引きはがされ、トランクの片隅に偏っていた。小さな体はまるで屈葬のように折りたたまれ小さなトランクに詰め込まれている。ぎっちり、というよりもそれに合わせて作られたかのようにさえ感じられるトランクの言葉には到底言い表せないようなフィット感で、その物を入れる物体は器用に綺麗に美しく非常にこれ以上ない程統制がとれた状態で、ロニーの体をおさめていた。
 その箱は、ロニーの棺であった。
 折り曲げられた体には、目や口、言葉以上によく話すよく語ると言われる手がなかった。手首から上の部位がなく、切断面の肉は時間が経ち盛り上がっていた。関節を器用に切ったのか、骨は切断されている、と言うよりもむしろ骨から器用に外してへし折ったような印象をもたらした。両手は爪同様にトランクに詰められていた。そして、ピエトロは知っていた。手が切られた死体のメッセージ性を。ピエトロだけではなく、この世界に生きていれば、そう言った死体に込めるメッセージを知らない者はいない。自分たちが、言葉よりも死体を飾り変形させて、そのように意図を伝える方法を好むのは、よく知られたことである。
 ぞくりとピエトロの背筋に冷や汗が伝う。
「ボス、連絡は相変わらずです」
 受話器が取られることさえない。明らかな、あからさまなまでの無視。徹底的な。戦慄が神経回路を蝕んだ。
 まさかこうなるとは思ってもいなかった。そう、ピエトロは思う。そして震える。恐怖する。あの子供が失敗したせいだと頭を抱える。がりばりと口の中で砕けていくビスケットがやけに苦い。無性に腹が立ってそれを床に叩きつけるようにして投げ捨てた。ばらばら、と散らばる。部下たちの不安そうな視線がピエトロへと突き刺さる。しかし、だがしかし、そんなことはピエトロの知ったことではない。
 死んでしまう。
 ピエトロの頭は、ロニーの死様を閃光よりもはっきりと鮮明に記憶していた。ロニーの死に顔は恐怖していた。目を閉じられることもなく、虚ろに見開かれ、死にたくないと叫んでいる顔であった。額に空いた穴から大量の血が吹き出たのか、白い顔面にはどす黒く血がばっちりこびりついていた。開けた途端に充満した死臭に、部下の数人は吐いた。人を殺したことがある奴はいても、死臭を放つ無残な死体を、しかも詰め込まれた子供の死体を目にした者は少ない。殺すことはあっても、殺された死体を送りつけられることはない。
 メッセージカードなど、必要としないことはピエトロは理解した。あれは、警告であり、そしてあのロニーの死体自体がメッセージである。今からお前を殺しに行くぞ、と。
 うう、とピエトロは唸るようにして呻く。ロニーが勝手にやったことだと弁明しようにも、連絡自体が取り合ってもらえない。見通しが、甘すぎた。
 ボンゴレファミリーの、というよりもその下部組織である暗殺集団を、VARIAを首輪をつけられてドッグフードを喜ぶボンゴレの犬だと勘違いしていた。犬ではない。あれは飼い馴らされたペットなどではなかった。番犬など生ぬるい表現である。あれ、は、XANXUSというボスの下で、「ボンゴレ」という組織を最強たらしめんとする猛獣だ。ボンゴレを侮辱するものを許さず、ボンゴレにわずかな傷をつけることすらも許さない。飼い主など存在しない。あれの飼い主はドンボンゴレ個人ではなく、「最強のボンゴレ」そのものである。ドンボンゴレですら、最強であることを放棄しようとすれば、その存在にですら牙剥くことだろう。
「Che bestia…!(あのけだものめ)」
 くそ、とピエトロは息を荒くしながら、その肩を揺らす。こうなってはもう死ぬしかない。死にたくはない。どうすればいいのか、ピエトロには分からなかった。ボス、と周囲の懇願する視線が煩わしい。強く側に会った机をたたきつけた。皿に乗っていたビスケットがその反動でぱんと弾ける。
「…逃げるぞ」
 死にたくは、ないのだ。

 

 東眞はセオと手を繋いでいた。日が、傾いている。怒らないの、とセオはぼそりと呟いて、背負っている鞄をしょいなおした。繋いでいる手に力がこもり、それに東眞は目を細めた。
「いいえ。理由があったのでしょう。譲れない理由が」
「聞かないの?」
「言いたくなったら、いつでも聞きますよ。その時に言いなさい」
 玄関をくぐりぬけ、東眞は台所へと歩む。それにセオは手を繋いだまま東眞の隣をついて行った。東眞は、セオの手のぬくもりを感じながら、それをそっと握った。反対に握り返してくる感触に小さく微笑む。
 ねぇマンマ、と下から響いた声に東眞はセオから手を離して、キッチンの椅子に腰を下ろしたセオへと目を向けた。椅子に座れるようになったのはいつからだっただろうかとそんなことを思い出しながら、東眞はなんですかと返事をし、セオの前に林檎ジュースを入れたコップを差し出した。セオはいつものように目をキラキラとはさせずに、大人しく黙ってそれを受け取ると、喉をそれで湿らせる。
 二人の間には時計の音だけが鳴り響き、どちらとも言葉を発することはなかった。こちんこちんこちん、と等間隔に開けられた秒針だけが二人の時間を刻み込み、周囲から少しばかり離れてしまった空間を作り出す。
 東眞は何も言わず何も語らず、ただ静かに、椅子に座っていた。何を問質すでもない母の空気を肌で感じながら、セオはちょびちょびとコップの中の林檎ジュースを飲んでいった。減った分だけ、時間が経っている。そして東眞も何も言わずに林檎ジュースを飲む我が子を感じながら、適当に入れたコーヒーで指先を温める。
 教師から連絡が入り、セオを迎えに行った時、セオは何を言い訳するわけでもなく、反省室の椅子にすとんと腰をおろしていた。何も言わない我が子に、東眞もかける言葉を持たなかった。それは同時に、言葉をかける必要がないと言うことでもあった。もう、セオは意味もない暴力を振るうことはしない。そして、その彼が拳を振るったのであれば、それは相応の理由があったのだろう。命を奪うことも、また、しない。
 東眞が椅子と一体化していたセオにかける言葉は、帰りましょう、とそれだけで十分であった。セオはその時、椅子からひょっこりと降りて自分の手を掴み、そして小さくその頭を上下に振っただけであった。
 セオに何かあったのか、それは東眞もうすうす勘付いてはいた。入ったきり帰らないロニー。代わりに出て行った小さなトランク。その時鼻に感じた臭い。無理に明るく普通に振る舞っている我が子の姿。それだけがあれば、東眞には一体何が起こったのか、誰に聞かずとも推測を確信に持ち込むには十分であったと言える。そして合わせて、XANXUSの機嫌もここ数日あまりいいものではなかった。くだらねぇ電話は取り次ぐなと言われており、懇願の電話は受けた瞬間に切った。
 蚊帳の外で、蚊帳の中の光景を眺めているのは、多少歯がゆい。だがしかし、それ以外の方法を東眞は知らない。そして、それに関わるだけの術を持たず、蚊帳の中へ自分から踏み込むような真似をすれば、XANXUSやセオにとっての「帰る場所」では自分はなくなることも、東眞は知っていた。だからこそ、こうやって待っている。踏み込まず、ただ待ち続ける。互いの領分を侵すことなく、互いの領分を守り続ける。
 悩み苦しみ、葛藤し続ける我が子がただの子であれる場所であるために。愛しいあの人が疲れた時に息をふっと抜けるそんな場所であれるために。何を言う必要もなく、何を気負うこともなく、ほんの一時を安らげる場所でありたいと願うから。
 俺、と小さくセオはこぼした。椅子に座ってから、もう三時間ほども経っていた。
「俺の、せいなんだ」
 セオの言い方に、東眞は目を軽く細める。だが、黙ったまま、セオの次の言葉を待つ。セオはコップの中の林檎ジュースを半分ほど飲みほした。いつものペースと比べると、驚くほどに遅い。コップを持った手は微かに震えていた。
「俺があの時、離れなかったら、側にずっといたら!いてあげたら…!きっと、こんなことには、ならなかったんだ。思いとどまってくれたんだ。何で離れたんだろう。何で、側にいてあげなかったんだろう」
「後悔、してるんですか」
 唇を震わせているセオに東眞はようやく声をかけた。母の問いかけに、セオはこくんと首を縦に振る。東眞はその黒髪をくしゃりと撫でた。
「ならば、忘れないことです。背負いなさい。貴方がしでかしたことを忘れないで、背負いなさい。そして、二度目はないようにしなさい。それが、貴方がしなければならないことです」
「…Lo so, mamma.(分かってるよ、マンマ)俺は、忘れない。絶対に忘れない。後悔し続ける。ずっとずっと、背負い続けて忘れないで、いつでも思いだす。俺の友達を。でも、でもね、マンマ」
 許せないんだ、とセオは唇を噛みしめた。コップの取っ手を握るその手に力がかかっている。ぎりりと歯ぎしりがされ、セオはその銀朱に怒りをともらせた。
「ロニーに…!あんなこと、命令した奴が、許せないんだ…!俺が悪かった!俺が一番悪かった!でも、でも…っそれを、ロニーに命令した奴が、俺には許せない。絶対に許せない。任務じゃない。だから、殺さない。でも、許せないんだ…!殺したい程に、憎いんだ」
 どうしたらいいの、と答えを求める言葉が吐き出される。東眞はその答えを持ち合わせていない。ただ、言えることはただ一つだけである。それでも殺すな、と。それをしてしまえば、私情にまみれた殺害は、東眞の知るVARIAではない。そして、実質的にそうではないだろう。一度でもしてしまえば、そうなれば、それはもはや、ただの殺人者になる。
 XANXUSの背中を見て、瞳を見て、それに従いついていくスクアーロたちの背中を蚊帳の外から見ながら、東眞はずっとそう思ってきた。そして、それは修矢の小さな背中を見ても、ずっとそう感じてきた。私怨による殺し程、彼らの信念を深く汚すものはない。やがていつか、それは信念を蝕み腐食させるものである。
 セオ、と東眞は子の両手をそっと包み込んだ。
「貴方のその感情をまず、落ち着かせなさい」
「できない。できない、マンマ。友達なんだ。今でもこれからも、どんなことされても、俺は友達なんだ。一度友達って思ったら、俺にとっては、友達で在り続けるんだ。だから、だから…!」
「…怒るのもいいでしょう、憤るのもいいでしょう。でもセオ、殺しては、いけません。それがどういうものか、貴方はもう知っているでしょう?」
 諭すように続けられた言葉に、セオは乱暴に言葉を吐きだした。
「É inutile che me lo ripeti!(何回も言わないでよ!)あ…、あ、ごめんなさい。違うんだ、マンマ。そうじゃないんだ。分かってるんだ。分かってるよ、分かってるけど、それでも、俺のせいだけど、でも、侮辱されただけじゃない…!死んだんだ…!」
 マンマ、とセオは眉間に深い皺をよせてその葛藤の深さを示す。
「色んな人に振り回されて、ロニーが、なんで?俺はどうして、止めてあげられなかったの?友達なのに。すぐ側にいてあげられたのに!」
 言っても仕方がないことを叫んでいるのはセオにも分かっているのだろう、と東眞は思った。語気が強いのは、XANXUS譲りなのかもしれない。理解の許容量を超えると、こうやって吐き出すことで自分の中の天秤を保つ。
「向かい合わなきゃ、俺はどこにも進めない気がするんだ。でも、そいつと向かい合ったら、俺はきっと、分かってるけど、抑えられる自信が、ない。ずたずたに引き裂いて、後悔させて、無様に殺してやりたい。分かってるのに」
 それが駄目だと言うことは、とセオは小さくこぼす。理性と本能の間で揺らめく感情を、小さな体はまだこぼしがちである。
「正義の味方なんかじゃないことも、分かってる。俺たちは、信念の下にだけに生きてるんだ。振りかざす力の意味も皆、分かってる。もう、間違えたりしない。殺すけれど、殺さない最善を尽くす。マンマ、俺は間違ってる?」
「間違っているかどうかは、貴方が決めなければ。セオ、貴方の正解は、貴方しか持っていません」
 マンマは厳しい、とセオはぼやく。だが、東眞はそれしか言えない。帰る場所は、考える場所を提供するだけで、思考し、解決へと歩むのは本人だけにしかできないのである。
「もう少し、考えて」
 みる、とセオは言いかけたが、それはセオ様!と驚きの声で立ち消えた。東眞はふっと扉の方へと視線をやる。そうすれば、そこには重たい感じの体をぐぐと張り出したレヴィが立っていた。
 どうかされましたか、と東眞は、用事がない限りは訪れることのないレヴィに尋ねる。それにレヴィはああ、と頷いた。
「今日の晩だが、スクアーロの夜食は用意する必要はない」
「仕事ですか」
「そうだ。先日のトランクを届けた先に」
 びくん、とセオの肩が震えた。東眞はまずい、と会話をそらそうとしたが、少しばかり遅かった。セオの叫びに近い質問の方が早い。
「ポルタ、ファミリー…任務が出たの」
「は!左様です、セオ様!俺が行っても良かったのですが、ボスがスクアーロを指名しまして…セオ様?」
「セオ!」
 東眞の制止よりも速く、セオは椅子から飛び降りると、レヴィの匣兵器をするりとその手のうちから奪い取った。レヴィはセオの動作にきょとんと眼を見開いて、未だに状況把握ができていなかった。セオはずん、と足に力を込めるとそのまま床を蹴りだした。
「待ちなさい!セオ!」
 止まらない。
 セオは走った。そして東眞もその背中を追いかけたが、鍛えられた体はあっという間に薄暗がりに消えてしまった。は、は、と東眞は肩で息をしながら、疲労を感じて足を止める。レヴィが慌てた様子で、息一つ切らさずに東眞の隣に追いつく。
「セオ様はどうしたのだ。俺の匣兵器まで…持っていかれて。ご入り用だったか?セオ様になら…別に構わんが」
 レヴィの話を右から左に聞き流しながら、東眞は不味いと顔を歪める。このままでは、不味い。
「XANXUSさんは」
 駄目だ、自分で言って東眞はその可能性を即座に潰した。XANXUSも今夜はキャッバローネのボス、ディーノのところへ出向いており、不在であることを思い出す。人の話を聞いているのか、とレヴィが不満げな顔をして、東眞はすみません、とそれに軽く謝罪する。
 歯がみしている東眞の様子を身長差故に上から眺めながら、レヴィはセオが行ってしまった後ろ姿を見て首を横に傾げた。
「心配せずとも大丈夫ではないか?任務地にはスクアーロもいる。ランクもそうとう低いと聞いている。セオ様であれば、怪我をされることもあるまい」
 その返答に東眞は渋い顔をして、息をついた。確かに自分では追いつけないし、追いついたところで何ができるわけでもない。だが、行かせてはいけない人を行かせてしまった。
「任せれば良いだろう」
「…ルッスーリアたちは、誰か」
「ルッスーリアたちは今日全員が出払っている。本来はスクアーロが残るはずだったがな…俺もそろそろしたら出かけねばならん。心配するな、ボスはそう遠からず戻ってこられるはずだ」
「それでは、」
 遅いのだ、と東眞は奥歯を噛んだ。戦闘の火中に自分から飛び込むほど自分は愚かではない。そこに入って足手まといにしかならないことを、東眞は十分に知っている。それに恐らく、追いついた時には全てが終わっている可能性が高い。
 深く長い息をついて、東眞はセオが座っていた椅子に腰を戻した。そう言えば、とレヴィはセオが行ってしまった方向へと視線を定める。
「俺の匣兵器を持っていかれてしまわれたが…セオ様は使われるのか?」
「…分かりません。でも、レヴィさんも、匣兵器がなくて大丈夫なんですか?」
 東眞の問いに、レヴィは問題ないと軽く返した。
「今日の任務に匣を使う予定はないからな。貴様は人の心配をせず、大人しく座っていろ。顔色が悪い」
 それは体調のせいではない。
 行ってしまったセオを思い、東眞は組んだ両手に額を乗せた。指先に触れた眉間の皺は、まるであの人のようだと首を軽く横に振った。

 

 行くぞ、と声がかかる。それを銀の男は見ていた。そしてゆっくりと、ゆっくりと手を振る。ざわりと暗闇の中で洗練された部隊が標的を定めた。獲物を狙い定め、ぞぁりとその体を震わせる。
 動いた標的を、部隊の一人が絡め取った。血飛沫が壁を一瞬で真赤に染め上げた。悲鳴が上がる暇もなく、人の命が奪われる。獰猛な獣は牙をむき出しに、空腹を満たさんがためが如く次へと爪を振るった。まるで襤褸雑巾のように相手は死んでいく。流石に目の前で人が死んでいく光景を次々と目にし、それを見た人間を殺すよりも、悲鳴が上がる方が勿論早い。銃撃の音が耳を掠める。しかし、誰が死ぬわけでもない。死ぬのは標的のみである。この程度の任務で死ぬような部下はそろえていない。
 次々と殺していき、一番奥で震えている人間をスクアーロは認めた。もうここまでくれば、部下を必要とすることはない。無線機に唇を得て、撤退の命令を下す。それに、Siの返答がなされ、一二分も要さずに部下の気配は全て消えた。そしてスクアーロは腰を抜かして、腕にトランクを抱えている惨めな男を見下ろす。小太りで、よく言えば恰幅の良い男。
「ピエトロ・ポルタだなぁ…?今回はよくやってくれたぜぇ。餓鬼の使いなんざ、変わった趣向でひっかきまわしてくれたじゃねえかぁ」
「ち、違う!違うんだ…!あれは、あの子供が勝手にやったことで…!」
 壁にその身をすり寄せて、鞄を慌ててスクアーロの目の前に投げ出した。半開きだったそこからは、紙幣がばらまかれた。反吐が出る、とスクアーロは銀のカーテンからその男を睨みつけた。
「助けてくれ…!それを持っていっていい…!」
「…この程度の金で、俺たちを買収しようなんざ。笑わせるなぁ」
「そ、それで足りないなら、ま、まだ銀行に…!ぃ、ひ!」
 耳をそぎ落とす勢いで壁に突き立てられた刃にピエトロは引き攣った悲鳴を上げた。ざらりと投げられた銀の糸糸の隙間からのぞく、氷点下の瞳に喉を震わせた。
 スクアーロは唸る。
「俺たちを、買収できるものと、貶めるかぁ…?」
 この剣をそんなちっぽけな金と言う存在で汚すのか。この志を、薄汚い感情で汚せるものか。
 く、とスクアーロは口元を吊り上げた。早々に終わらせてしまおうと頭を抱えて許してくれと震える男を見据え、そして刃を吊り上げた。その刃はピエトロの首を胴体からすっぱりと切り離す。が、しかし、それは、別の方向に振るわれた。一発の銃声に、スクアーロはピエトロを蹴り飛ばす。先程まで首に埋まった頭があった部分に、銃痕が残る。
 銃弾が放たれた方向へとスクアーロはざんと目を走らせた。そこに立っているのは、月を背負って、怒りにその肩を震わせている少年であった。急いでいたのか、軽く羽織られただけの黒いコート。手に持たれているのは銃が一つ。
「Jr」
 あの目は駄目だ、とスクアーロはXANXUSが言った言葉を理解する。
 セオはずむ、と高い位置から飛び降りた。コートは紐でお互いを繋いでいるので、そこから離れることはなかったが、風を食べたそれは大きく揺れた。その飛び降りている瞬間にも、セオはスクアーロに蹴り殺されたピエトロへと標準を定めて引き金を引く。それをスクアーロは目で瞬間的に追い、セオが撃ち放った銃弾を全て剣で叩き落した。小さな体が、着地する。
「…任務、なんでしょう」
「てめぇは今回は任務から外されている。帰れ、Jr」
「いいでしょ、誰が殺しても。任務、なんだから」
 任務を行う人間はそんな顔をしない。がつん、と靴を鳴らして近づくセオにスクアーロは近づくな、と刃を向けた。喉元に触れた切先が、セオの喉を僅かにつつく。だが、セオの視界にはスクアーロは存在しなかった。怯えて転がるピエトロに、それは向けられており、びりとスクアーロの肌を震わせる殺意が放たれる。
 痛い殺気だ、とスクアーロは歯がみする。
「Sei un rifiuto della societá(人間の屑め)」
 吐き捨てられたセオの言葉は、冷たい。刃が突きつけられているにもかかわらず、セオは銃を構えた。Jr、と制止が入ったが、セオはそのままスクアーロが止める暇もない速さで引き金を引いた。それはピエトロの両足を撃ち抜く。苦しい悲鳴が上がった。
「Jr!」
「Non disturbarmi.(邪魔しないで)Furbastoro…!(狡賢い奴)こんな奴なんかのために、」
 ロニーは、とセオは言葉を最後まで紡がなかった。否、正確には紡げなかった。両足を撃ち抜かれて目の前ではピエトロが呻いて苦しんでいる。セオの片手に握られていた銃は、スクアーロの手が上から被ってそれ以上の行動を遮っていた。
「駄目だ。てめぇにそれは許可できねぇ。東眞にもボスにも、てめぇはそれを教えられたはずだ」
「私情じゃない、任務だ」
「言い訳にするんじゃねぇ!てめぇのそれは任務でもなんでもねぇ。ただの、私怨だ。いいか、てめぇがそれ以上引き金を引くつもりなら、てめぇに怪我させてでも、」
 止めさせる、と言いかけたスクアーロは言葉を一瞬失った。
 向かう先は、セオの手元。そして指輪。オレンジの、炎がともされていた。そしてセオのもう片方の手には匣兵器が握られており、スクアーロはその外装でそれが誰のものなのか、瞬時に気付いた。何故お前がそれを持っている、と言うよりも先に、セオは匣兵器の炎を注入するための穴に炎をともしたままの指輪を押しあてた。
 そして、セオは言葉を紡いだ。
「開匣」
 炎が弾けた。