39:嘘吐きと友達と失態 - 7/10

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 薄暗い部屋だった。
 薄暗い部屋の中には男が二人いた。一人は白を思わせるほどの銀色の髪。もう一人は闇を思わせる漆黒の髪。黒の髪の男の瞳はまるで兎のように真っ赤に染まっており、モノクロを感じさせる薄暗い部屋の中で鈍い光を眼光として放っていた。肌を震わせるほどの殺気にも近い男が纏う空気に銀糸の男は喉を震わせた。そして、銀の男は喉から声を発し、血の通わぬ片手に持っていた紙を上司である男に読み上げる。そこに置いて、感情的な響きは一切なく無感情に、義務的に事実だけが記された憶測すら必要としない理路整然とした文章が口から言葉として綴られた。
 言葉は薄暗い部屋の薄暗い空気を震わせた。
「まず、ジェロニモの野郎の、餓鬼が詰められたトランクだが、部下に命じて言われたとおりにポルタファミリーの前に放ってきた。監視してた連中の話だと、相手方の発見済みだぁ。中はてんやわんやで騒がしいみたいだぜぇ。それから、その餓鬼についてだが、名前はロニー・テス。六歳。Jrと同じ学校同じクラスに通っていたそうだが、両親ともに不在…あーと、正確にはいるんだが、捨て子だぁ。後に誘拐に遭って人身売買にかけられる、が、ポルタファミリーのボスに偶然助けられ、その後はピエトロの庇護下で成長してるぜぇ」
 トランクに詰められた死体、肉塊、骸、人であった者、既に人ではないもの、細胞組織の塊、の、歴史をスクアーロは語った。歴史、と言うほど大層長いものでもなく、非常にあっさりと簡潔にまとめられたそれは、その六年間と言う幼い少年の半生を語るのにものの三分と必要としなかった。
 人の生とは言葉にすればいとも簡単に薄っぺらいものになってしまう。何とも残念なことに。本にまとめたところで、どれほど重厚で壮観な景色を見せる図書の山になったとしても、人はその一生を簡単に読み切ることができる。人生とは、そう言うものだ。死ねば人は何も思考せず、誰一人として、その人の一生を真実に触れることは叶わない。情報となったその人の一生は、そしてこのように情報として語られ、薄っぺらく味気のないものと変質する。誰がどのようにどれだけ心をこめて、読み、人の心の琴線を震わせたとしても結論は変わることはない。その人にとって詰まっていようがカスカスだろうが、他人から見ればさほど変わりない。歴史的発見をしても、歴史書に記されたとしても、言葉と言うフィルターを掛けられた人生は、厚みのない瞬間的に終わるものへと変わるのである。
 気の毒に、と、スクアーロは当然、思わなかった。思うことすら必要としなかった。人の死に対して心動かしていては刀を振るうことはできない。心動かせば、人の血という人生との薄っぺらい重みは刀の錆びとなり、その鋭さを損なわせ鈍刀へと変貌することだろう。至極、至極、至極残念なことである。全く、気の毒なほどに嘆かわしい。そしてスクアーロは、人の死に心を動かすことは、ない。
 己の矜持と信念と乗せた刀は鋭く研ぎ澄まされるが、人の命を取りこんだ刀は、ひたすらに重い。それは重すぎて、いつかやがて、自分の腕をも切り落とすほどには重くなるものだ。
 ロニーという少年の報告をしながら、スクアーロは小さな目の前の上司の子供の姿を脳裏に思い浮かべた。驚くべきことに、彼の少年は、ロニーの死体がポルタファミリーの前へと放り投げだされたその日、つまり彼の友人を殺した翌日から何食わぬ顔で登校した。そしていつも通りに任務をこなし、報告書を書き、それを提出する。
 何一つ変わらない少年のその姿は、少しばかりスクアーロに不安をもたらしていた。それは恐らく目の前の父親にとっても一緒ではないのだろうかと、スクアーロは椅子に座る黒髪の男、XANXUSを見てそう思う。
「ポルタに関してはどうだ」
 低く、告げられた言葉にスクアーロは手にしていた資料を一枚めくって次の報告へと移る。
「ドンのピエトロだが、こいつは大した奴じゃねえなぁ。過去経歴から見ても、大規模ファミリーでもなし。ただ、今はこっちに接触しようと必死だが…連絡がひっきりなしに来てるようで…そっちはどうするんだぁ、ボスさんよぉ。ドンボンゴレも困り顔でどうにかしてくれと連絡がひでえぞぉ」
「は、昨日は老いぼれから連絡があった。無視しろ。ドカス以下の塵屑と交わす言葉なんざ持っちゃいねぇ」
 あの恰幅の良い男の青ざめた顔が目に浮かぶ、とXANXUSは口元に相手を見下した、軽蔑の表情を浮かべた。
「恐怖させろ。戦慄させろ。殺される思いを知らせろ。俺たちに手を出したことが一体どういうことか、骨の髄まで思い知らせて、根絶やしにしてやろうじゃねえか」
「今頃夜逃げの準備でもしてなきゃいいがなぁ」
 スクアーロの言葉に、XANXUSはは、と嗤った。嘲笑う。抜かせと言葉が薄暗い部屋に低く響いて、スクアーロの鼓膜を揺らした。引っ掻くような笑い声にスクアーロは目を細める。
「…まぁ、言い訳くらいは聞いてやれ、というのがドンボンゴレの意見らしいがなぁ」
「言い訳だぁ?どこまでも甘い餓鬼だぜ」
 笑わせるなとばかりにXANXUSは机の上にその重たげな色をしたブーツを放り投げた。無造作に組まれている足はその体制に慣れていることを暗に示していた。放り投げた足を一度組みかえてから、XANXUSは嘲って、言葉を紡ぐ。
「言い訳なんざどこにも必要ねえ。誰も必要となんざしてねえよ。餓鬼の使いに何を言い訳するってんだ?」
「あれじゃねえのかぁ?餓鬼が勝手にやったことです、が定番だと思うぜぇ」
 馬鹿馬鹿しいとばかりにスクアーロはそれに続けた。本当に、全く馬鹿馬鹿しい言い訳である。考えれば考えるほど陳腐で阿呆臭い。付き合う方が馬鹿を見る、時間の無駄遣いに思える言い訳会場にわざわざ参加する必要などどこにもない。XANXUSの考えが、と、いうよりもそう言う思考が常識なのだと言っても過言ではない。未だ、向こう側の常識をしっかりと持っているドンボンゴレには恐らく理解しがたい言葉ではあろうが。話し合いで解決できるものなど、所詮この世界ではやがて大きな火種となるものでしかない。
 くらだねぇと呟いた赤目が薄暗がりの中で細められる。全く同意である、とスクアーロも視界をふさいだ髪を軽く手で弾く。
「あの腰ぬけの塊のような餓鬼に、出来心、なんざあるはずもねぇだろうが。てめぇで拾った糞餓鬼の面一つ見たことがねぇようだな」
「…つまり、命じられたと踏んでるわけかぁ?」
「踏むも糞もねぇ。それしか考えられねぇと言ってんだ。そもそも、セオが俺たちの組織を口にすることはねぇ。同学年の餓鬼が知ってると言えば、老いぼれの息子の餓鬼ってことぐらいだ。なのに何故、あの糞餓鬼は俺たちの仕事を探ろうとした?答えは簡単だ。誰かが、あの餓鬼に吹きこんだんだろうが。そして、餓鬼に命じた」
「命じたのは」
「ピエトロとかいう、道化師のなりそこないみたいな野郎だろうだな。やることも失敗作の手品以下だ。杜撰で、すぐにぼろが出る。一恥かかせてやろうとでも思ったんだろうが…ドカスが」
 珍しく怒っているなとスクアーロはやけに饒舌なXANXUSを眺めながらそう感じた。子供を利用したことに怒るような性格はしていなかったはずだが、時間がそれを変えたのだろうかと、その心を探る。それか、セオに殺させることの本質的な原因を作ったことに腹を立てているのか(尤もあの状況下において、セオの失態は責められるべきものであり、弁護は一切できない)スクアーロはそうも考えた。
 鋭い眼光を乗せた赤が鮮烈なまでの輝きを瞳の奥に潜めている。
 目の前に座っている男が何を言うのか、何を命じるのか、スクアーロは問いたださずともその答えを容易に知ることができた。
「ボス」
「逃げ出そうとすれば、殺せ。存分に恐怖を味わわせて殲滅しろ。俺たちに牙を剥いたことを、死んでなお後悔させろ」
 ああいう馬鹿は、いつかボンゴレの敵になり、障害となる。そしてボンゴレを最強たらしめんがための己たちを侮辱したことを、叩き潰す。一片の慈悲も容赦もなく。
 スクアーロはXANXUSの言葉に了承の言葉を唱えた。
「Me ne occupo io(任せろ). それで、日時はどうするんだぁ」
「てめぇの耳は飾りか?言っただろうが。逃げだせば、殺せ」
 あからさまに馬鹿にされた視線にスクアーロは多少むっとしながら、しかし息を一つ吐き出し、そうじゃねぇと断った。
「逃げださねえ場合はどうするんだぁ」
「そんなことは、ありえねえ」
「ねぇ?だと」
 く、とXANXUSは口元を歪めた。嘲笑すらも含んだ声がスクアーロの耳に滑りこむ。
「餓鬼に命令して、それをまたその糞餓鬼になすりつけるような糞下らねぇ、名誉ある男の風上にも置けねぇドカスに、俺たちにもう一回喧嘩売るだけの度胸があるか?これだけ無視してりゃ、俺たちが言い訳が通じるような組織じゃねぇことくらい馬鹿でも分かる。La disperazione rende coraggioso un codardo?(窮鼠猫を噛む)だが追い詰められた鼠にもなり切れねぇ溝臭ぇ奴らに何ができるか、てめぇに想像できるか」
「自害するか?」
「そんな度胸もねぇ」
「成程」
 ならば結論は一つしかない。火傷することが恐ろしいくせに、火遊びだけは止められないらしい。火の中に子供の手を突っ込ませて栗を掴んだとして、栗は弾けて全員に火傷を負わすことだろう。そういうことだ。そして、連中はそれを味わいたくないから、子供を盾にして逃げ出す。自ら何かを取って栗を火中に戻すことはせず、踏みつぶすこともできない。結論は、一つだ。
 見張りは命令を受けてからずっとつけてある。逃げ出そうとすれば、即座に動けるように。
「ボス」
「何だ」
「…Jrのことだが」
「変わりあるか」
 軽く眉間に皺を寄せ、XANXUSはスクアーロの言葉を尋ねた。だが、スクアーロは首を横に振った返答をしただけだった。そしてそれに、いいやと言葉が続けられる。
「むしろ変化が欲しいくらいだぜぇ。この件に関わってからも、何もねぇ。いつもと同じだ。学校も行ってるようだしなぁ。東眞もいつもどおりだと言ってたぜぇ」
 どうして何も知らないはずの彼女が何を知っているのか、スクアーロは見当もつかなかったが、恐らく彼女は察したのだろう。訪れたっきり帰ることないセオの友人がどうなったのかを。そして、運び出された小さなトランクの中身を。そして何よりも、いつも通りに振る舞う子供の姿に、何かを。
 相変わらずの洞察力には感服するなとスクアーロは思いつつ、しかしそれを口上にすることはなく、報告を続けた。
「ポルタだが、匣兵器や指輪の戦力は一切ないと踏んでいる。過去の購入経歴もゼロ。それが扱える奴がいると耳にしたこともねぇ。戦力的にはこっちが圧倒的に上だが万全を期しては行く」
「失敗してみろ、」
「死にます、かぁ?」
 レヴィでもあるまいし、とスクアーロは軽口をたたいたが、任務失敗は死と同義なのはよくよく知っていた。任務における失敗は許されざる事。否、許されたとしても、その許される方法はただ一つ、死のみである。そう言う意味では、レヴィは誰よりもこの男に命を尽くし、任務を軽んじることをしない男であると言える。過言ではない。スクアーロは表情を引き締めた。
「抜かりは、ねぇ」
 そこでスクアーロはふっと思い出した。今回の任務はランクに分けるとすると、最低ランクに相当する。B以下のスクアーロの任務には常にセオを連れて行くように言わていたことを思い出して、スクアーロはXANXUSが自分が先程提出した報告書と引き換えに渡した書類の名前一覧を上から眺めた。そんなことをせずとも、セオの名前はいつも最下層に記されており、正規隊員ではない扱いを受けているので非常に分かりやすい。
 だがしかし、スクアーロはそこで目を止めた。名前がない。
「…う゛お゛ぉお゛い、ボス」
「何だ」
 平然と言葉を返されて、スクアーロは反対に答えに詰まる。だが、多少気になるのでセオの名前を挙げた。手にしていた紙をXANXUSへと見せ返す。
「Jrの名前がねぇみたいだが…この任務ランクはEだぜぇ。どう考えてもJrに同行させるべきだと」
「思うのか?」
 てめぇは、と低い声で凄まれて、スクアーロは言葉を失う。XANXUSは赤い瞳を瞼の奥に隠して、ふっと息を吐きだした。
「今のあの糞餓鬼が、これを任務として、受け取れると、てめぇは思うか?」
 普段と変わらぬ態度、行動。
 表面上から捉えれば、受け取れると答えるのが当然ではないのだろうか。だが、父親である彼の意見は違うようだった。XANXUSは低い声で唸るように言葉を紡ぎ終え、そして疲れ切った大型獣がごとくその体をずっしりと椅子に預けた。
「今回は外す。逃げ出す動向が見られたら、行け」
「―――Il capo è Lei(了解)」
 スクアーロは静かに首を垂れた。

 

 クラス。クラス。クラス。人ごみ。クラスメート。他人。知り合い。
 しかし、その誰もセオに声をかけてくる人間はいなかった。休み時間も、セオは一人で林檎を齧っていた。ロニーの机は、空っぽであった。もう一週間にもある。訪れない友。訪れるはずもない友。死んだことは誰も口にしないしされない。机は片付けられることもなかった。教師からは行方不明だと皆に知らされた。しかし、セオはロニーの、自分の友人の行方を知っていた。彼はトランクの中に押し込められた。死体となって。
 がじり、とセオは林檎を噛む。果汁が口の中に広がった。
 ロニーがいない。ロニーはいない。もういない。存在しない。笑いもしないし、泣きもしない。話もしないし、喜びもしない。悲しみもしなければ、怒りもしない。いない、のだ。自分で吹き消した命。
 だが日常は何一つ変わらなかった。ロニーがいなくなっても、何も変わることはなく朝が来て昼が過ぎて夜が来る。学校に行くのも朝御飯を食べるのも晩御飯を食べるのも、任務に行くのも引き金を引くのも、何一つ変わらない。ただ変わったことと言えば、まだ父に告げていない指輪の炎と、そして心に深く刻み込んだロニーの死とその臭いと引き金を引いた時の重さである。
 林檎を半分ほど食べ終えた時、上から影がかかった。赤毛でそばかすの。セオは彼が誰であるかを知っていた。少年は、ローガンは勝ち誇った顔でセオを見下ろしていた。
「一人だな、セオ」
「それが」
「見はなされたのか?」
 そうならば、どれだけよかったことだろうかとセオは思う。見はなされただけならば、どれだけよかっただろうかと。それだけならば、この後悔は生まれなかっただろうと。
 葛藤しているセオを肯定と取ったのか、ローガンはにやぁとその笑みを深めた。
「だから言ったじゃねーか。セオ、俺の部下にしてやってもいいんだぜ?ロニーはさ、あいつほんっと使えない奴でどうしようもなかったけど、お前なら、いい」
「使えない?」
「セオの子分になっていい気になってたみたいだけど、あいつ長続きしねーもんな、なんでも。役立たずで頭悪いし、」
「友達だ」
 ふつん、と心を鳴らしながら、セオは静かに言い返した。ローガンは静かすぎる怒りにぞくと一度背筋を震わせたが、なんだよと軽く言い返すだけに終わる。
「逃げ出したじゃねーか。あいつ怖くなったんだぜ。お前があのボンゴレファミリーの関係者だって知って、怖くなって逃げ出したんだよ。いっつもびくびくして見てるこっちが腹立つよな」
「ロニーは意気地無しでも、臆病者でもなかった。ロニーは、我慢強くて、人一倍努力家だった」
「…な、何だよ。裏切られたくせに、やけに庇うじゃねーか」
 ローガンはセオの気迫に一歩距離を取った。いつぞやの事が脳裏をよぎる。セオはローガンをひたと睨み据え、その拳を強く強く握りしめる。固く握りしめすぎたせいで、爪が手の平を傷つけてぽたと血が落ちた。
 セオはす、と息を吸った。
「庇ってるんじゃない。本当のことを言ってるだけだ。お前にとってのロニーがどんな人物だったか知らないけど、ロニーはいいやつだった。凄くいい奴だった。一生懸命で、いい友達だった」
 口に出す言葉が全て過去形になっていた。セオはぎりと唇を噛む。
「…ムカつくんだよ。何だよ、それ。俺のことは相手にもしねーくせに、あんな人間の屑みたいなやつの事ばっか気にかけてんじゃねーよ!」
「人間の、屑だと…!」
 ぶつん、とセオの堪忍袋の緒が切れた。手加減はしない。するが、殺しはしない。殺す権利は、自分には、ない。しかし友を侮辱された怒りだけは、セオの中で猛々しい咆哮を上げた。
 ローガンはセオのその表情に一年前のそれを見た。
 悔しかったのである。転園して間もない日に、父親からボンゴレファミリーの息子だと聞かされて口をわざわざ聞いてやったと言うのに、こちらの事を見向きもしないし気にしもしない。今まで傅かれて育ってきた自分からすれば、セオのその対応は大問題であった。実力も、家の名前もあるというのに、そんな自分を相手にしないで、あんな弱くて愚かで馬鹿なロニーの事を友達として、そしてこんなに怒る。
 ぎりり、とローガンは歯を食いしばった。
「屑だよ!あんな…!あんな馬鹿と何でセオみたいなやつが、一緒に居るんだよ!お前がそんなんだと、ムカつくんだよ!」
 俺を見向きもしないならば、孤高の王として凛々しく立っていろとローガンは思った。それが、自分をぶちのめした人間がしなくてはならない対応だと、ローガンは激しく思う。そうでなくては、まるで自分が弱い人間みたいで、壊れそうである。しかし、ローガンの思考は、そこでぶつんと一瞬強制的にテレビノイズのようなものが走った。一体何が起こったのか、ローガンにはその一瞬では理解できなかった。怒りが、そこにある。
 ぞくり、と肌が泡立った。
 銀朱の瞳が怒りを伴った状態で存在する。以前とは比べ物にならない程の力を持て余した状態で、セオはローガンを殴り飛ばした。がしゃん、と激しい音がして、机と椅子をローガンの体がなぎ倒す。どこかの骨にひびが入っているかもしれない。だが、ローガンも成長し、以前とは違った。怯えて震えていただけの子供の時代とは違う。痛みに耐えながらも、セオをはっきりと睨みつける。自身の尊厳を守らんがために。
「ロニーなんかに、構うなよ!友達なんか、違うだろ!あいつは、お前の友達に相応しくない!あんな弱っちくて、なんの力も持たない奴!」
「友達に弱いも強いもあるか!力なんか関係ない!お前みたいな人の権力しか見ないようなやつこそ人でなしだ!」
「裏切られたくせに!」
 ローガンの言葉に、セオは初めて言葉を止めた。ローガンはそれに気付かずに言葉を続ける。
「裏切られたくせに!だから、ロニーはお前のとこにもう来ないんだろ!嫌われたんだよ!怯えられたんだ!友達?お前がいくらそう思ってても、あいつがそう思ってなかったら笑い話だな!友達ってのは、対等な人間関係の間にしかできねーんだよ!ロニーみたいな馬鹿と釣り合うとでも思ったのかよ!そっちが思ってても、ロニーはずっとそう思ってなかったのかも知れねーな!ばっかみたいだぜ、セオ!一人で友達ごっこかよ!」
 ぐずんと心の傷が抉られる。
 最期の言葉もなかった。撃ち殺そうとした。命が欲しくて、殺されそうになった。ロニーの最期の行動の本質は、自分を友達と思ってのことではなかった。一人の人間で、生きるために、対象者へと武器を向けようとした。分かり切っていたことだが、こうやってあらためて事実を突き付けられると、痛い。ロニーの事を友達だと思ってたのは自分の独り善がりだったのかもしれない。それでも、ロニーは友達だとセオは思っている。今でもなお、思っている。撃ち殺した今でも、彼の命を奪った今でも、思っている。
 思っているのだ。
「ロニーなんて、あんな虫螻蛄、生きてる価値もねー奴友達なんて思うからだ!」
「…っお前…!」
「ホントのことだろ!ロニーがお前に何したんだよ!言ってみろよ!俺たちから逃げるために、セオを利用しただけだろうが!」
「俺が勝手にやったんだ!」
「どっちにしろ、庇ってもらってお前の背中を借りたことに変わりねーだろ!利用されたんだよ!」
 は、とローガンはセオに殴られた部位から手を離した。机にぶつけた腕がかなり痛い。
 それでも我慢ならないのだ。セオが、自分を負かした少年が、あんな弱虫ロニーのそばで弱くなっていくのは、耐えられないのだ。セオは強くなければならない。負けてはならない。弱くてはならない。それが、自分を負かした人間の責任である。
 あまりにも痛くて、立ち上がることはできないが、ローガンはその二つの目でセオを睨みつけた。憤っているのが分かったが、それは彼の母を貶めた時と少しばかり違う。どこか、詰まっているような、怒りである。彼の中でも決着がついていないような、ぐちゃぐちゃの、怒り。誰が彼をこんなに弱くした、とローガンは憤慨する。
「ロニーなんか、いなきゃよかったんだ…!」
 吐き出した言葉は、セオの胸に届いた。そして、セオはローガンの真横に足を通らせて、その後ろの壁へと叩きつけた。ふ、ふっと短い息をして、セオはローガンへを銀朱を向ける。言葉が、憤りに乗って、発される。
「ロニーは…俺の、友達だ!昔も、今も、これからも―――ずっと!俺の、友達だ!」
 裏切られても、構わない。何があっても構わない。自分の信用と信頼を全てを預けた。それで、彼は自分の友達となった。それは彼を殺した今でも変わらない。見通しが甘かったのかもしれない。それでも自分はロニーを友達だと思った。たとえ一瞬でも、一時でも、刹那の瞬間でも、そう思ったのならば、ロニーは友達なのだ。預けた信頼と信用は絶対のものだ。何があっても変わらない。殺さねばならなくなった、その時でも。自分が引き起こした失態で、殺してしまっても。
 セオは全てを吐き出すようにして叫ぶ。
「変わらない!ロニーが俺に対して何と思っても、俺はロニーを友達だと思った。何をされても何をしても、俺があいつを友達じゃないなんて思う日は、一生来ない!ロニーがいてよかった!会えてよかった!お前に、ロニーを否定する権利は、ない!」
 強い調子で立て続けに言われて、今度はローガンが言葉に詰まる。何だよ、とぎりぎりと歯を食いしばるが、ローガンはそれ以上の言葉を持っていなかった。ロニーをいくら馬鹿にしても、上げ足を取っても、セオの言葉は変わらない。それが、セオである。
 畜生、とローガンは呻いた。
 丁度その時、騒ぎを聞きつけた教師が到着して、机や椅子が散乱し、その中で立っているセオと倒れているローガンの両名を見て、一度呆然としてから、慌てて倒れているローガンへと駆け寄る。殴った方よりも殴られた方、怪我が心配なのは当然である。ローガンは触ろうとした教師の手を振り払った。
「触んなよ!大丈夫なんだ!俺は、こんな奴に…!」
「ローガン!兎も角病院に行きますよ!セオ、あなたは反省室に行っていなさい。後で話があります。親御さんにも連絡を入れますよ」
「…勝手にしてください」
 ふい、とセオはそっぽを向いて、引きずられていくローガンから視線を離し、自分が倒した机やいすを元通りに直した後、鞄に今日持ってきた荷物を詰め込み、野次馬のように集まっている子供たちを一瞥する。そうすれば、ざらと恐怖の目線が集中して一本の通り道ができる。気分が悪かった。
 セオはがつんと靴を鳴らして、鞄を持って言われたとおりに反省室への道を歩いた。そして、その背中をイルマはじぃと音もなく見つめていた。子供はまた、騒ぎ出した。