39:嘘吐きと友達と失態 - 6/10

6

 どうしてこんなことになったのか、ロニーは冷たいコンクリートを食みながら考えた。消えてしまえばいっそ楽になれる思考の中で、それで、とかけられた声に頭は悲鳴をあげかけた。爪をペンチで固定されている。それが、べり、と僅かに持ちあがった。床に押さえつけられた状態で、ロニーは悲鳴を、もう声にならない程の絶叫を上げた。喉が反り返り、悲鳴が喉を直通する。だが、爪を剥ぐ、という行為は一度中断されて、じくじくと甚振るかのように、わざと痛みを味わわせるようにして実行される。いつ剥がされるのか分からないという恐怖、痛みへの戦慄。様々なものが混じり合い、ロニーの頭を駆け巡る。
 そんなロニーの耳に上から声が響く。それは軽い調子で、場にそぐわないが、かけられる。
「さあて、いつになったら教えてくれるんでい?俺もお前さんみたいなバンビーノを甚振る趣味はもってねえんだなあ、これが」
「う゛…う、」
 頑張るものだ、とジェロニモは軽く持っているペンチへと力を込めて、恐怖で小さな体が震えるのを感じる。この年、間違いなくセオと同い年の子供がここまで頑張るのは珍しい。どちらにしろ、ここで盗みを働いた結末など目に見えているのだが。
 ぐい、とまた少しばかりペンチを持ち上げて爪をジワリとはがす。とても単純な、酷く単純な拷問方法だが、それ故に恐怖は大きい。そろそろボスも戻ってくるころだろうとジェロニモはまだ開かれぬ扉へと目をやった。そこが開いたとき、もうかれこれ四年ほども前になるのか、それと同じような状況で、しかし全く異なる現状で、この光景を目にした少年は何を思うのか。生か死か。Dead or Alive. 仮入隊の彼が一体をどう行動するのか、さてはて楽しみなものだ、とジェロニモはまたペンチに力を込めた。ひぎゃ、と悲鳴がこぼれる。
「なーぁ、頼むからよう。とっとと言ってくれたほうが助かるんだがねい。俺もバンビーノ、お前さんもはっぴーだ。早くこの苦痛から逃れられる。そうだろい?」
 ジェロニモの問いかけに、ロニーは痛みでやけに鮮明になっている頭で考えた。そうするのがよいのかと。しかしそれは自分の命の恩人を売ってしまう行為である。自分を信頼し信用し、そして書類を盗んでくるように任せたピエトロの。期待に応えたい。が、しかし怖い。命は惜しい。セオ、とロニーは今更ながらに友の名をぼそりと口にした。その名を口にする権利などもうどこにもありはしないと言うのに。
 ううと泣き声交じりのその名前にジェロニモはガラスの目玉をがりと微かに引っ掻いた。全く、どこまでも哀れな子供である。
「セオ、ね」
「…セオ、セオ…セオ…」
 繰り返される名前の内側に潜む謝罪と罪悪感にジェロニモは両方の瞼に力を込めて、目を細める。ロニーは名前を繰り返しながら、地面に顔を押し付けた。やれやれとジェロニモはそのまま爪を一気にペンチで一気に引きはがし始めた。剥がしかけていた親指を、次に人差し指を、それから一つとんで薬指、戻って中指、最後に小指。べりべりと一切の躊躇なく引きはがされていくその痛みをロニーは全身で味わった。呼吸すらも止めてしまうほどの激痛。痛い、など叫ぶよりも目から溢れる涙と、痛みで開かれた口から垂れる涎がその痛みをより明確に表現していた。
 右手の爪を全て引きはがし終える。そしてジェロニモは、そこから何を言うまでもなく、ぐったりと垂れていたロニーの左手を無言のまま取った。ぞくん、とロニーの背中は恐怖で打ち震えた。痛みが脳裏に嫌味なほど鮮明に蘇る。味わいたくないと体は瞬時にそれを拒絶した。
「ピエトロ!ポルタファミリー…!ぴえ、と」
 ろ、と言って、ロニーは愕然とした。あ、と小さな声がこぼれる。しかし、口から出た言葉が何もなかったかのように口にくるくると絨毯を丸めるかのように戻ってくるはずも、ない。そうかい、とジェロニモは持っていたロニーの左手から手を離した。呆然自失としながら、ロニーは冷たい床に突っ伏す。そしてああと泣いた。
 恐怖に負けたことは別段恥じることではないように思うとジェロニモは思う。むしろこの年でよくぞあれほどまでに持った方が驚きであるとしか言いようがない。右手の剥ぎ終えた爪を左手の人差し指と親指で拾い集めながら、ジェロニモはそんなことを考えた。からーんからんと金属の中に生爪が落ちて行く音が静かな部屋に響いた。
 部屋では、泣き声と、その音だけが奇妙な風景を作り出す。
 しかし、その音は唐突にやんだ。目の前の扉が、開く。そしてそこに立っていたのは、セオと、それからその父であるXANXUSであった。赤い瞳と銀朱の瞳が、反対側の明るい世界から飛び込んでくる。セオが一番初めに口にしたのは、転がされている友人の名前であった。
「…ロニー」
 何で、とセオの口が動く。可哀想に、とジェロニモは可哀想とも本来は一つも思っていないのにそんなことを不思議と感じた。彼がこれから任じられるべきことはたった一つしかない。それは、自分たちの責任の取り方である。憐れなことだ。
 セオは一拍、呆然と立っていたが、ロニー、と今度は明確に名前を発生して、転がる子供へと駆け寄ろうとした。が、しかしそれはXANXUSの腕によって止められる。大きな腕に阻まれ、セオは全く状況が理解できずに混乱しながら父親に吠えた。
「ロニーが、何、何したの!」
 しかし吠えたセオも、ロニーが何かをしたことは分かっていた。何かをしなければ、自分たちが任務以外の人間に牙をむくはずもないことを、セオはもうよくよく学んでいた。赤い冷たい瞳が動き、側にあった机の上に転がされているくしゃくしゃに丸められた用紙を手に取ると、それをXANXUSはセオへと投げ渡した。セオはそれ受け取り、見る。
 横がちぎれた紙はどう見てもファイリングされていたもので、そして、その紙に押されている判は既に確認済みを意味し、どこにそれらの書類が収められているのかなど、誰が言わずとも、セオですら理解した。転がっている少年に目を向け、セオはロニーともう一度その名を呼んだ。今度は、少年がしたことに心を痛めた。
 だが、その眼差しは、眼前に差し出された黒光りの武器に大きく見開かれた。一体何がどうなっているのか良く分からないまま、セオは今度は状況を理解するのを多少拒みながら、何、と父親へと視線を持ち上げた。だが、持ち出されたそれがいったい何であるのかセオはよう知っていたし、それがどういった用途で使用されるものなのか、それは誰に問うまでもなくセオ自身が一番理解していることであった。
 そしてXANXUSは一言、セオに命じた。
「殺せ」
 冷たい声音にセオは体を強張らせる。どうして、と口の中で言葉が反響した。
「ロニー…は、だって、ちょっとした、出来心で、きっと、でも、俺の友達で、だから、」
 だから、とセオは必死に言い訳を考えた。だがしかし、渡された丸められた紙が動かぬ証拠であり、ロニー自身が何の言い訳もしていないことが、それら全ての状況をセオに拒む機会を奪っていた。
 XANXUSはがちゃん、と下に銃を落とす。
「殺せ。てめぇが犯した不始末を、てめぇが片付けるのは当然だ」
「ほんの」
「うるせぇ。出来心も糞もあるか。年も関係ねぇ。ここで、俺たちに牙をむこうとした奴を笑顔で見送ってやるほど俺たちが甘い存在に見えるか?それが、てめぇが今まで見てきた俺たちか?殺せ」
 突きつけられた言葉の重みにセオは反論を失う。ううと喉奥で言葉をこぼした。
 痛みでロニーが呻いている。助けてあげたい。だが、できない。今から自分がせねばならぬことは、暴力的にその命を奪うことだけである。ジェロニモはすでにロニーから拘束を解いているが、押さえずともロニーはもう十分に痛みで動けない状態ではあった。は、と気付けばいつの間にか父とジェロニモは静かに自分の背中を見ているだけとなっていた。
 自分がしでかして不始末。セオは呻いた。どうしようもないこの状況に呻いた。
「ロニー…何で」
 どうして、とセオは口から言葉をこぼす。そんなことを言ったところで、そして聞いたところで状況が好転しないことも、セオは知っていた。殺さねばならない。命令をされたならば、床に転がる冷たい鉄の引き金を引かなければならない。
 転がったままのロニーはは、と短く息を吐いて、セオと自身の間にある銃を見比べた。そしてロニーは思った。それは人間として至極当然の思考であり、何ら恥じることのない、全く普通の生存本能であった。生きたい、と、ロニーは純粋にそう感じた。そして助かりたいと思った。自分がしでかしたことの重さも罪も理解してはいたが、それでも助かりたいと願った。ビスケットの味が懐かしい。
 後ろで、もう一度XANXUSはセオに命じた。三度目になるそれは、もはや警告に近いものがあった。
「殺せ」
 セオは響いた声に肩を震わせ、そして心を決めた。もう後戻りはできない場所に自分がいることは、セオにはよく分かっていた。そしてこの道を歩むと決めた時に父であるXANXUSにも大切なものを殺さねばならないこともあると言われた。そして自分はそれに首を縦に振ったのだから。とても嫌で、悲しくて辛くて、したくはないことだけれども。罪悪感で胸が一杯になり、吐き気が喉をせり上がる。
 俯き息を吐き、やりたくないと叫び続ける体と腕を理性だけ押し付けて動かす。セオは一二歩進み、落ちていた銃を拾おうと手を伸ばした。だが、その視界の中で、ロニーが動いたのを知った。その目は生きようと必死になり、手を伸ばし、助かる方向にまっすぐと伸びていた。落ちていた銃へと。
 セオの思考はそれよりも本能的に体が察知した。ロニーの指先が銃にかするその一瞬手前で体は反射的に反応し、ロニーの手を踏みつけて落ちていた銃を拾い安全装置を手なれた動作で跳ね上げるとスライドをめい一杯に引き、そして、セオは、撃った。引き金を引いた。引き金を引いてから、銃弾がロニーの頭蓋を貫通し、相手に死をもたらすまではほんのわずかの、瞬きする刹那のその一瞬で終わった。
 引き終わった引き金で、セオはそれを床に落とす。あまりにも、あっさりと終わってしまった。しかし、手は恐ろしいまでに震えている。何か言おうとしたのではないか、とかロニーは助けを求めたのではないのかとそんなことばかり、考えた。最期の言葉一つ聞くことをしなかった。
「…ろにぃ」
 もっと何かいい方法がなかったのか、と殺してしまった後に考える。そもそもロニーが死んでしまったのは、全て目を離した自分のせいなのだとセオは思う。あそこでラジュがいたからと言ってロニーを一人にしなければ。様子が何かおかしかったことに気づいていれば。家に招かなければ。友達にならなければ―――ロニーは、今も生きていた。生きて、花壇の水やりをして、ゴミを拾って、困ったように笑って、それを全て奪ってしまった。全ては自分が信用しすぎたために。友達を、無条件に信じるべきものだと、そう考えたために。
 俺が悪い、とセオは膝をついて項垂れた。どくどくと溢れだし、床を染め上げて行く赤の臭いが鼻をつく。放り出された腕は力もなく、もう二度と動かない。穴のあいた死体はもう笑うこともなければ、微笑むこともなく、自分を友達だと言うこともない。どうしてこうなった、とセオは呻いた。呻いても引いた引き金を無かったことにできるはずもない。
 だがしかし、セオにはまだすべきことが残っていた。落としてしまった銃を拾い上げ、足を引きずるようにしてセオはXANXUSの前まで歩き、そしてその銃をXANXUSの前に差し出した。
「…殺したよ、ボス。これでいい」
 でしょ、とセオはその赤瞳と視線を合わすこともせずに、俯いたまま唇を噛んだ。ロニーだって何か理由があったはずなのだとセオは深く思う。理由がなければ、セオが知るロニーはそんなことをする人間ではなかった。尤も、自身が知るロニーなどまだほんの少しでしかないことも、セオは知っていた。
 セオが吐き出した言葉にXANXUSはふざけるなと短く返した。
「殺させた、みたいに言うんじゃねぇ。てめぇの不始末だと言ってんだろうが。殺したのも、殺さなければならない原因を作ったのも、全部てめぇだ」
「でも!ロニーだって何かに理由があったはずだ!」
 セオはそこで初めてXANXUSに噛みついた。食い下がった子供に、父親は冷たい目を向ける。
「勘違いするな、と言ったはずだ。俺たちがいつ正義の味方なんぞになり下がった。矜持と信念は、正義じゃねぇ。俺が命じたから殺した、仕方ないから殺したなんて死んでも考えるな。てめぇの責任で殺したんだ、糞餓鬼が。分からねぇならもう一度言ってやる。そこに転がってる餓鬼は、手前がしでかしたことの責任を取るはめになった。そして、そいつをここに引きこんだのはてめぇで、今回起こったことは全て、てめぇの見通しが甘かったせいだ。友達だ?今度は――――、てめぇのためなら命を捨てられる友を選ぶんだな。少なくとも、簡単に裏切るような、秤にかけて騙すような人間を友人なんかにするんじゃねぇ。そう言う人間でも友達にしたいなら、てめぇはいつでもそいつを殺すことになるかも知れねぇ可能性を頭の端に置いておくんだな」
 反論の余地などない言葉に、セオは言葉を詰まらせる。父の言うとおり、そうなのだ。殺せと言われたから殺したという言い訳は、責任転嫁でしかない。そうやって、自分の責任から逃れようとしているだけなのだ。
 唇をかみしめていたセオに、しかし、とんでもない言葉が飛び込んだ。
「で、ボス。どうしやすかい」
「裏で手を引いている奴は誰だ」
「ポルタファミリーのピエトロってやつでさぁ。バンビーノも頑張ったんですけどねい。まあ、仕方ねえ」
「箱詰めにして送りつけろ。切り落としてな」
 切り落とす、とセオは自分の隣を通り過ぎた父の言葉を疑った。何を、とふっとロニーの方を見ると、ジェロニモがロニーの両手を引っ張っている。そしてその上には腕を切断するための道具が添えられていた。
「何、なんで。どうし、て。バッビーノ!」
「うるせぇ。ボス、だ」
 そんなことはどうでもいい、とセオはXANXUSのシャツをその小さな手でつかんだ。背丈が足りないので、まだまだ見上げている父へと懇願の目を送る。
「やめて!やめさせて!何でそんなこと、命令するの!俺、殺した!俺が殺したよ!もうロニーは死んでるんだ!死んで、るんだ…!お願い…!やめて…っ、ロニーを、俺の、俺の友達を、これ以上…!やめて…!」
 懇願するセオを一瞥して、XANXUSは道具を持っているジェロニモへとその視線を何の感情もなく動かし、そして口から言葉を発した。
「やれ」
「やめて、ジェロニモ!ロニー!」
 セオはそちらに駆けだそうとしたが、XANXUSはその肩を大きな掌で掴み、動けなくした。そうした一瞬の動作の停止は、ロニーの腕が切り落とされる瞬間をセオに見せつけた。ぶつん、と両手が軽く宙を舞った。落とされた刃は皮膚をすぐに切り裂くことはしなかったが、その重みで皮膚を少したわませてから、一気に重みをかけ、肉を立ち、そして骨を砕くように落とし、神経の間に鉄を滑り込ませて全てを分断した。
 ぼとん、とセオの前に小さな手が転がる。先程まで握っていた、ここに来るまでセオの手を握り返していた、あの手が、転がった。
「う、あ、ぁ、あ、ああ、ああ、あ―――!!!!」
 ああ、とセオは叫び、涙をこぼした。XANXUSが肩からその大きな手を離せば、セオはその場にうずくまって泣いた。膝を折り、頭を両腕で抱え、髪をかきむしり、吠えるようにして泣き叫んだ。ジェロニモの小さな拷問室に、その声はめい一杯に響いた。噴水のように溢れた血はもう止まり、赤い血だまりをそこに形成している。
 うずくまった、色々なものを失った、意識が足りないゆえに失わざるを得なかった小さな我が子の背中を見下ろして、XANXUSは一言、声をかけた。
「これが、てめぇのしでかした事の顛末だ」
 XANXUSはくる、と踵を返し、ジェロニモに送りつけておけと一言命令を下すとその場を後にした。その背中はびくんと震え、そして、泣き声はすすり泣きに変わり、そして声を殺して泣く姿へと変わった。
 ジェロニモは手を切り落としたロニーの小さな体を持ち上げて、手近なトランクへとその体を折り曲げると器用に見事に入れた。すっぽりと入ってしまうトランクを選び出せたのは、ジェロニモがよくよく慣れているからであり、長年の経験でもあった。そしてジェロニモははぎ取った爪をその隙間に一枚二枚と入れて行く。五枚入れ終わって、金属でできたトレーを机に戻し、そして転がり落ちた二つの小さな子供の手を拾い上げた。が、そこでうずくまっているセオへとガラス玉を動かす。何も見えていないガラス玉だが、誰がどこで何をしているのか、というものは大体空気の動きと音や臭い、それから気配で分かる。
 バンビーノ、とジェロニモは笑って、セオの前にその小さな断ち切られた両手を持ってしゃがみこむ。セオは顔を上げることをしない。
「両手を切って送りつけるのはなぁ、手癖が悪いってこと意味するんだぜい。こいつは、よりにもよってここで盗みを働いちまった。どっかのパン屋やスーパーや、万引き程度で許される場所でなら良かったんだがなぁ。そしたら警察が叱って親に叱られて、反省しておしまいでぇ」
 だがな、とジェロニモは立ち上がり、ロニーが、正確にはロニーであった今はもう死体であるそれが入れられたトランクの端をを軽く叩くと、セオへと笑いかけた。
「ここの責任の取り方は、死だ。それしかねぇ。てめぇの不始末しでかした、責任は相手の死を持って。当然だなぁ。苦しむことはねぇぞい。次さえなけりゃいい。もうよぉっく分かっただろい。バンビーノ。お前さんが思ってるほど、ここは優しい世界じゃねえんだぜぇ?殺し殺され、喰らい喰らわれ、そうやって俺たちはボンゴレを守っていく。他のものを守りたいなんざちーぃっと難しい相談だねい」
 そしてジェロニモは手に持っていたその自分の意志を持ってもう二度と動くことがない手、肉の塊をトランクに放り込んだ。ばたむ、とトランクが閉じられる。ロニーが詰まったトランクが、世界とトランクの内部を遮断した。
 よいせとジェロニモはそれを床に一度乱暴におくと、ごろごろと下につけられているタイヤを回して移動させる。どこに持っていくのか、それはセオの知るところではない。だが、彼を見た人間が、きっと息をのむのは間違いがないだろう。トランクを開ければ、そこにあるのは子供の死体。頭に大穴を開け、手首から下を切り落とされてぎうぎちと詰め込まれた死体なのである。
 強くなりたくて踏み入った。殺すことも致し方ないと覚悟はできていた。だが、自分の覚悟を持って、引き金を引くことを、考えていなかった。後ろでジェロニモが出て行ったのを感じながら、セオは薄暗い部屋で、血の臭いが錆びたものに変わるのを鼻で感じながら、そう静かに考える。頭を抱え、考える。
 しかし、致し方ない、という考え方自体が間違っていた。
「―――ごめん、ロニー」
 ごめんとセオは繰り返す。口からこぼれる謝罪の言葉は、あまりにも深く、そして誰にも触れられない程の悲しみと後悔と絶望が含まれていた。落ちる涙をぬぐうものは誰もいない。友達だよと笑ってくれたその顔は二度と笑い返してくれることもない。名前を呼んでも返事はない。
 きっと自分を恨んでいるだろうとセオは思う。死んだ人間が恨むなどと言うことはあり得ないのだが、しかし、こんなところに連れてきて、友達になったばかりに死んでしまった友人を悼む。ごめんごめんと繰り返しつつ、セオは呻いた。引き返せないその距離と、自分の認識の甘さや、状況にいつだって甘んじていたことに涙しながら。
 俺が殺した。言われたから殺したのではなく、殺す原因を作り、そして殺すことを自分で決めた。自分の後始末。
「ごめん、ごめん、ごめん、ごめんごめんごめんごめん、ごめん…っごめん」
 言葉が劣化しそうな勢いでセオは謝罪を繰り返す。何度謝罪しても、命は戻ってこない。そんなことを理解していても、謝らずにはいられなかった。自分のせいで殺してしまった自分の友人。初めての、普通の世界で見つけた友人。父親たちを介さないで触れあった友達。後悔してもし足りない程、いくら謝っても足りない程の涙をこぼす友人。
 ロニーの手が伸びた先にあった銃は、それを拾おうとしたのは、生き残るためだったのだろうとセオは思う。そうなれば、自分も正当防衛としてそれを片づけることもできる。だが、セオはそれをしたくなかった。それでは、ロニーは何のために殺されたのか。否、自分は何のためにロニーを殺したのか。分からない。
「本当に、ごめん。君の死を、忘れない。絶対に忘れない。後悔し続ける。謝り続ける。俺の中に刻み込んで、絶対に、二度と、君の顔、忘れない。俺が君を殺したってことを――――絶対に、忘れない」
 ごめん、とセオはその掌をロニーの血液に収めた。ぐちゃんと水ではない、多少粘着感のある液体につける。それを救いあげて、セオは胸でそれを押しつぶした。ぼたぼたと血が指の隙間から落ち、ズボンにしみを作る。そしてセオは思った。「ここ」は自分が守りたいものを守る場所ではないということを。あらためて、実感した。そして刻みつけた。守りたいものを殺さねばならぬ時が訪れるならば、せめて自分の失態でそれを引き起こさないようにしようと。そうならないように最善を尽くそうと。
 ごめんと謝り続けるセオの指にはめられた指輪には、ぽうと炎が灯っていた。鮮やかな橙の炎は、鉄錆色に変わりつつある血液の中で誰にも見られることはなく煌々とともり続けていた。そして、セオはわぁと泣いた。声をあげて張り上げて、友達の死を悼み、自分のしでかしたことを後悔し、堪え切れない悲しみを吐きだした。部屋の中に充満したその声は、拷問器具やそして、人を入れて持ち運ぶためのトランクに響いた。
 落とした涙は、血に混ざった。