39:嘘吐きと友達と失態 - 4/10

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 スクアーロはビルの上に立っていた。上に登っているのは煌々と冷たい光を落とす月だけで、その光を浴びた側から色々なものが時を止めているような感じさえした。実際のところそんなことはあり得ないし、起こりえないことなのだが、月光というものは、それを可能にしてしまうのではないだろかと疑ってしまうほどの幻想感をそれに持っている。自分はその月の光さえ届かぬ暗闇の深海で泳ぐ鮫なわけなのだが。
 そしてその隣ではぱらぱらと手の平、正確には長い袖に包まれている手でトランプを弄ぶ男が、変わり映えのしない笑顔で座っていた。気のせいが、以前と入れ墨の形と位置が異なっているような気もしないではないが、それを一々突っ込んでいては面倒臭いことになるのは間違いない。スクアーロはそう判断して、肌に色が沈着している男に声をかけることはなかった。
 二人の視線が向けられているのは丁度向かいのビル。中に人がいるのを示すように、窓からはこの時間だと言うのに光がこぼれていた。漏れ出る光は未だついたまま、だがしかし、ビルの光は一つ一つ端からゆっくりと消えて行っている。ゆっくりと、一部屋ずつ。
 その奇妙な光景を眺めながら、スクアーロは手元の時計へと目を落とした。かちんかちんと動きを示すアナログの時計は的確に時間を刻んでいた。まだ、予定終了時間よりも五分早い。ぱらぱらとカードをめくる音がスクアーロの耳についた。
「そういやぁ、東眞は匣兵器持たねえんだおとぉ。ありゃ何でだろうなぁ…本人が言ってた理由も俺には少し分かりづれぇ」
 独り言、否、疑問系になっている以上はそれは誰かに対する問いかけである。シャルカーンは当然デスヨとそれに答えた。
「何馬鹿言ってるんデスカ。彼女が匣兵器を持つナンテ自殺行為デス」
「…東眞の野郎は使いこなせねぇのと帰る場所がどうとかと言ってたぜぇ?」
「間違いデハナイデスネ」
 自分の体は自分が一番分かってるトイウコトデスカ、とシャルカーンはトランプをばっと宙にばらまいた。が、しかしそれはばらまいた時点でトランプではなくなり、ただの水滴となって下に落ちていった。地面にそれがぶちまけられ、雨のようになっている光景をスクアーロは見ることができない。地面をよくよく見るには、このビルの屋上は高すぎた。
 スクアーロはシャルカーンの言葉の意味に軽く眉間に皺を寄せた。それにシャルカーンは言ったジャナイデスカ、と口元を今度は袖で覆い隠し、そしてするするとその開いた口から万国旗を引っ張りだしていく。暇で仕方がないのか、それとも向かいのビルの「彼」が心配なのか、表情からは読み取れない。
「使いこなせない、ノハ正しいデス。彼女に匣兵器は扱えマセンヨ」
「?」
 言葉の意味が分からずスクアーロは時計から少しばかり目を離して、万国旗を最後まで引っ張り出したシャルカーンへと目を向けた。話は続く。万国旗は今度は一度袖に包まれるとカラスになって空に飛んだ。
「彼女の体に負担が大きスギマス。銃や護身術程度の運動までなら許容範囲デスケド、指輪の炎ハ自身の生命力や体力を直接的に奪ってイキマス。東眞サンには向いてナイ。彼女の体はその負担に耐えられまセン。使いこなすこなさない以前の問題デスネ」
「…それは、東眞には言ってるのかぁ?」
「言わなくテモ、気付いてマスヨ。指輪の構造はご存じのようデスシ、それ以前ニ、彼女から一度相談を受けたコトモアリマスシ」
「何?」
 シャルカーンの言葉をスクアーロは今一最後まで聞きとることができずに、少し声を大きくして聞き返した。シャルカーンはその声を喧しいとばかりに片方の袖で耳をふさいでもう片方の手からどこからともなく兎のぬいぐるみを取り出した。全く、その長い袖の中には一体何が入っていると言うのか。
 シャルカーンはエエと相変わらず特徴的なアクセントでスクアーロの問いに答える。
「アア、勿論彼女自身は匣兵器を使うつもりは毛頭なかったみたいですケドネ。使えたとしてモ、彼女は使わなかったでショウ。ただ、それに対抗する術はないのカト」
「術ぇ?そんなもんあるわけねぇだろうがぁ。銃如きで太刀打ちできるわけが」
「エエ。デスカラ、そのように言っておきまシタ。デモスクアーロ」
「なんだぁ」
 兎が砂に姿を変えた。
「炎は万能ではナイデス。タトエ攻撃力ではワタシたちの武器に劣るトモ、銃で頭を撃たれれば人は死にマス。ソウイウコトデスヨ、彼女が言っているノハ。劣るとも最弱ではないと言うことデス。モットモ、彼女の誇りと覚悟のカタチはワタシたちには理解できる範疇のものではないデスケドネ」
 理解できないのか、とスクアーロは反対に驚いたような顔をした。それにシャルカーンは当然デス、と砂になった兎の残骸を風に乗せた。そしてふっと立ち上がるとそのゆとりの大きな服を吹きつける風ではためかせた。細い、糸のような目が向かいのビルを見つめている。
「デキルワケナイデショウ。ワタシたちの在り方は、彼女とは大きく違ウ。彼女はココで呼吸をしてイマスガ、ソレダケデス。ワタシたちの在り方を理解し、認めているダケ。ケレドモ、だからこそ彼女はボスの帰る場所デアレル。ついて来ては、帰る場所デハナイデスカラネ」
 ざら、と風が銀の糸をさらった。ほんの少し、眼前の年齢不詳の男の口元から笑みが消えたようにスクアーロは見えた。笑顔は笑顔なのだが、こう、何かが違う笑顔のような気がした。それをはっきりと確認できる程スクアーロはシャルカーンの顔を記憶しているわけではないのだが。
 その時、ゆっくりと消えて行った窓の光の最後の明かりが、ぷつんと途切れた。そして、気付けば時計の針は午前二時をジャストで指していた。向かいのビルを眺めていると、その屋上にぽつんと黒い影が見える。大体20mほど離れているそのビルとビル、屋上からの高さの差は50m程あるだろうか、高い位置の際に見えていた一つの影が飛んだ。20mの差を埋めるほど人間の跳躍力は素晴らしいものではない。大きな人間よりも大きな生き物が上から降ってくる。月の光をまぶすようにして浴びながら、その生き物はなだらかな背に少年を乗せてスクアーロとシャルカーンのビルの屋上に降り立った。太い前足と後ろ足が衝撃を全てその足に吸収する。
 牙をむけば人を一噛みで食い殺す生物、虎が毛並みを震わせた。無論言うまでもなく、こんな街中に虎が生息しているはずもなく、そして動物園から抜けだしたわけでもない。虎の背に乗っていた少年はするりとそこから慣れた動作で降り立ち、手の平に持っていた匣を虎に向け、ティーグ、と名を呼んだ。そうすると、虎は軽く首を振って匣の中にその巨体を消した。
 色の深い肌をした少年はすいとスクアーロの目を向けた。肌の色よりもさらに深い青の色がスクアーロを見つめた。動揺の色は一切ない。
「終わりました」
 初めて会った時は腰ほどもなかった少年はもう既にスクアーロの胸辺りまでの身長がある。年月はこれほどまでに子供を成長させていた。だがスクアーロもその程度で驚くほどのこともなく、少年の、シャルカーンが連れてきた子供、ラジュの言葉をきちんと同様なく聞き終えた。時計の針が報告を受けた後、ようやく二時から一分が経過した。
 スクアーロは自身の匣兵器を開匣し、その上にざっとナイフのように飛び乗ると、先程ラジュが下りてきたビルへと向かう。窓から暗い室内を覗き込み、そしてスクアーロは一部屋一部屋の光景に今度は目を見開いた。一番左端の部屋は、二人が銃を互いの口に突っ込んで引き金を引いて絶命していた。二つ目の部屋は首を吊って死んでいる。三つ目の部屋は水槽に顔を突っ込んで男が息絶えていた。四つ目の部屋は仰向けになった男の口から泡が出ており、体には死斑がもう既に出ていた。ぞくり、とスクアーロは肌を震わせる。
 二人の場所に戻り、スクアーロは苦い顔をして一言、合格だぁと告げた。
「文句のつけようがねぇ」
「デショウ。ワタシの教育の賜物デス。ホラ、ラジュ、スクアーロにも見せてアゲナサイ」
「ん」
 こくんとラジュは一つ頷いた。一体何をするのかとスクアーロは怪訝そうに眉間に皺を寄せた。ラジュはかぱりと口を開けると中に手を突っ込む。そしてするするとそこから万国旗を引っ張りだした。唖然とスクアーロは口をラジュとは別の意味で開ける。そんなスクアーロを他所に、ラジュはまだ行動を続けていた。全てを引っ張りだし終えると、それをスクアーロの前で両手に包み込むと強く膨らみを持たせて合わせていた手を真っ平らに中の空気を押し潰すように閉じた。そして、スクアーロに手を差し出すようにジェスチャーで示す。それにスクアーロは引き出されるようにして、両手を上に向けてラジュの手の下に持ってきた。そこでラジュはゆっくりと手を開いて、中の万国旗をスクアーロの掌に落とした、が、スクアーロの手に落ちてきたのは万国旗ではなく、沢山のトランプのカードだった。
 目の前で繰り広げられた手品にスクアーロは目を丸くする。そしてシャルカーンは頑張りマシタ!とラジュの頭を袖の手でするすると撫で、ラジュは嬉しげに眼を細める。
 そしてスクアーロはげんなりと肩を落とした。
「うおぉおい、手品なんざ試験項目にゃ入ってねえぞぉ…」
「イイジャナイデスカ。+αデス」
「誰がするかぁ!」
 がなったスクアーロは思いだしたように、シャルカーンに尋ねる。
「ああ、こいつは今何カ国語話せるんだぁ?」
「今デスカ?日本語、英語、イタリア語の三カ国語デスネ。後五カ国語は勉強中デス」
「ま、今回のテストは仮入隊テストだからなぁ…後は言語テストで合格すりゃ本入隊だ。ところで学校はどうしたぁ?」
「ワタシが色々教えてルノデ問題ナイデス。ソモソモ、ラジュには戸籍がナイデスカラネ」
 やっぱりか、とシャルカーンの答えにスクアーロは心の深いところで納得する。ああいった場所に捕まる子供は大抵連れ去られても問題がない子供たちなのである。売られたか、もしくは捨てられたか。戸籍を作ることもできるのだがとスクアーロはシャルカーンを伺ったが、それにシャルカーンは袖を軽く持ち上げるだけの返事をした。
 あっさりとした、それは否定を示しているのであろう、それは尤もなことかとスクアーロは頷く。目の前の少年が今イタリアの学校に戻ったところで何が得られるのかと言えば、恐らく何も得られないであろう。少年はもう、色々なものを見過ぎた。セオのようにそれを知る前に子供の輪に入っていれば、馴染むこともできたのであろうが、ラジュにはもう無理であろう。
 知りすぎた子供は仮面の被り方を知らない。
 学んでいけばいい、というには多少時期が遅すぎた。勿論、ラジュにはその時期は用意されていなかった。シャルカーンの現場を見た時点で本来は殺されるはずであったのだから、生きていることを運が良いと言うのであれば、彼は本当に運がよかった。三年と言う短い期間で使い物にならなければ、シャルカーンの手によって殺されるはずでもあった。本当に、幸運である。
 スクアーロは一つ息を吐いたが、ラジュはすると視線を動かす。どうしたとスクアーロはそんなラジュに声をかけた。ラジュはスクアーロをうかがってから、そしてシャルカーンへと視線をずらす。
「セオ、は」
「Jrハ今日ハお休みデス。マタ今度会いに行キマショウ」
「ん。元気?」
 ああ笑った、とスクアーロは子供の笑顔を見て、どこかほっとする。らしくもない感情だが、セオが側にいるとどうにもそう言う感情を強く育ててしまうようだ。元気だぜぇとスクアーロはラジュに声をかける。
「てめぇ同様今は仮入隊扱いだぁ。あいつも後五カ国語だ。それが終われば本入隊だぜぇ」
「ティーグに、乗って」
 散歩する、とラジュは嬉しそうにシャルカーンを見やった。それにシャルカーンはソウデスネとラジュの頭をまたなでる。恐らくセオと一緒に散歩すると言いたいのであろうとスクアーロは推測をつけて、くると踵を返し二人に背を向けた。
「おら、ボスのとこに行くぞぉ。取り敢えず、そいつ用の隊服も作らねぇとなぁ」
「アノセンスが皆無の服デスカ?」
「…俺はてめぇのセンスを盛大に疑うぜぇ…」
 ああとスクアーロは深い溜息をついた。

 

 ロニーと呼ばれたその響きに、ロニーはその目を持ち上げた。そして、嬉しそうに目を輝かせる。
「ボス!」
「ちょっとこっちに来い」
「はい!」
 入った所で鞄を落とすとロニーは椅子にどっかりと腰掛けている恰幅の良い男の元へと走った。男は笑みをその口元に浮かべて、ああと思いだしたようにビスケットが入った袋をロニーに渡す。それにロニーは大層、これ以上ないほどの喜びを添えて、Grazie mille!と頭を下げて礼を云った。男はその頭をぐしゃぐしゃと撫でまわした。
 椅子に座る男の隣に立っているスーツの男はも同じように目を細めてロニーを見下ろしている。そして男は、ポルタファミリーのボスである男、ピエトロは咥えていた葉巻に火をつけて、その煙を大きく吸い込んでから吐き出す。
「ロニー、学校はどうだ?」
 自分のことを気に掛けてくれた、とロニーは嬉しさで一杯になりながら、学校でのことを口にする。
「とても、楽しいです!俺、本当に学校でもどじでのろまで…」
「ロニー。お前の悪いところは、そうやってすぐに自分を悪く言うことだ。確かにお前はやることなすことあまりいい結果にならないが、焦るからそうなるだけで、ゆっくりと手順を踏んでやればお前でもきちんとやれる。もっと自分に自信を持て!」
「…ボス」
 励ましの大きな声にロニーははにかんで、笑顔でそれを続けた。
「勉強も楽しいし、学校に行けて、俺ホントに幸せです!」
「お前が幸せなら俺も嬉しいぞ、ロニー。…それで、友達、はできたのか?」
 にぃぃとピエトロはその瞳を薄暗い光を宿しながら細めた。しかしロニーはその色の変化に気付かずに、喜びをいっぱいに広げながらピエトロに話を続けて行く。はい!と元気よく返事をした。
「じ、実は今日友達ができて…」
「ほーぉ?名前はなんていうんだ?」
「セオ、です!俺よりも少し背が高くて、黒髪で綺麗な目をしてるんです。それでいてすごく強くて…俺、セオに助けてもらって、本当に嬉しくて!」
 そうかぁ、とピエトロはごつい指輪のはまったその手でロニーの頭を撫でた。撫でながら、ピエトロはぐりと葉巻を強めに噛む。
「その、セオだがなぁ、ロニー」
「はい」
「お前にやってもらいたいことがある」
「…え?」
 ぞわ、とピエトロは初めて目の前に座る男に何かしらの不安を感じた。しかし、それを感じること自体がロニーにとっての罪であった。慌てて首を横に振ってはい!と大きく返事をし直す。それにピエトロは人のよい笑みを浮かべて、いい子だとロニーを褒めた。
「そいつの家に行って、なんでもいい、書類を盗んでこい」
「…」
「ロニー?どうした?」
 あの、と喉が渇いてこびりつく。ロニーは言葉を出すことができなかった。ピエトロはそんなロニーを大きな手で引き寄せて、自分の膝の上に座らせる。大きな男と小さな子供はその状態で会話を続けた。
「ロニー、ロニー坊や。何も悪いことじゃない。ちょーっと俺たちを助けてくれるつもりでいい。紙の一枚や二枚無くなったところで大した問題にはならないさ。セオに頼んで、そいつのお仲間の情報がある部屋に入れてもらってくすねてこい。お前にしかできない仕事だ。なに、お使い程度のもんだ」
「…でも」
 躊躇ったロニーの肩に乗せられた両手に力がこもる。痛い、とロニーは体を強張らせた。
「実はなぁ、そいつのお仲間に以前俺の友達が殺されてなぁ…まぁ、そのセオには関係もない話だが…俺としては友の敵の一つ討ちたいもんだ…俺の悲しみ、分かってくれるな…?ロニー。誰が追われていたお前を助けてやった?誰がお前を育ててやった?ロニー、ロニー俺の可愛いロニーぃ坊や。答えてくれるか?」
 ぐ、とロニーは拳を握る。冷や汗がその中に握りしめられた。声が震えた。セオの笑った顔が、今日別れたばかりのあの嬉しそうな顔がロニーの脳裏によぎり、そして消えさる。それと同時に、冷たい石畳を思い出す。必死に逃げた記憶が脳裏を駆け巡る。差し出してくれた手の暖かさを思い出す。空腹と安堵を思い出す。
 ロニーはごくんと唾を呑んだ。喉が、湿る。ピエトロは口元を歪めた。
「ロニー」
「…や、やれます。俺、やれます…!ボス…!おれ、やれ、ます…!」
 優しい子だ、とピエトロは後ろからロニーを大きな腕に抱え込んだ。そしていい子だとぐりぐりと頭を撫でまわし、その手にもう一つのビスケットの袋を渡した。ロニーはそれを持って、ピエトロの膝から下ろされる。覗くようにロニーはピエトロの目を見た。ピエトロの目は優しく細められて、その顔は温かな笑顔に満ち溢れていた。
 ピエトロはロニーともう一度その名前を呼ぶ。
「二階に行ってろ。後で、カードゲームをしよう。おい、バッティ。手が空いてるやつらも呼びだしとけ。皆でロニーを主役にパーティーだ!」
「Ho capito, capo(了解、ボス)」
「さ、ロニー取り敢えず荷物を置いてこい。学校の宿題は夜やるといい。誰か頭が働く奴はいたか?なんならロニーの手伝いをしてやれ!俺はこういった頭脳労働派じゃないからなぁ!」
「はっはは、ボス、そりゃ仕方ない。まずはそのビスケットを食べるところから止めねぇと」
 そりゃそうだとファミリーから上がった声にピエトロは大きく笑った。そしてロニーは頭を下げて、その場を後にする。ロニーが上に消えた後、嘲笑混じりの声が上がった。
「ボス。ロニーにそんな大役務まるんですかねぇ。何しろ相手はVARIA、ボンゴレ最強の犬じゃあないですか。それにボス、友人が殺されてなんかいないでしょう。ロニーのウスノロ、ありゃきっと本気で信じてますよ」
 その言葉にピエトロは大きな体を椅子に沈めて笑う。深く大きな笑い声に、その場に揃っていた男たちは同様につられたように笑いだす。腹の底から、嘲るような笑い声がそこに響いた。
 ピエトロは一つ息を吸って、言葉を発する。
「関係ねえなぁ。ちょーっとあの御曹司とやらにひと泡吹かせてやりてぇだけだ。あいつを一度パーティー会場で見たことがあるがなぁ、すかした面してやがった。全くいけすかねぇ」
「はっは、ボス、そりゃあっちは鍛え上げた戦闘員ですからね。だからボスもきちんとビスケットやめて運動すりゃいいんですよ」
「うるせぇぞ。俺はこの体が気にいってんだ。何、暇つぶしににゃ最適だ。それにもしばれても、ロニーが手癖の悪ぃ餓鬼だったって頭下げりゃいいだけのことよ。どうせあいつは拾ってきたただの薄汚い糞餓鬼だ。ここまで育ててやったのも、何か役に立つかと思ってたんだが…思ったよりも役に立ちそうじゃねぇか」
「ボス、相変わらずの人でなしップリだ」
「そりゃ褒め言葉か?」
 口にくわえていた葉巻を灰皿で押しつぶしてから、ピエトロは新しいものを一つ咥える。マッチで火をつけ、煙を深く深く、深く吸い込んだ。そして長く浅く細く吐き出す。口元が歪められ、ピエトロは笑う。
「俺が人でなしなんてのは、半世紀も前から決まってたのよ。後、ビスケットが大好物だってのもな」
 豪快な笑い声が響き、そしてその周囲にはあからさまな嘲笑が混じり渦となり、その部屋を埋め尽くした。

 

 え?とセオは振り返った。そこに居る友達は、ロニーは鞄を震える手で強く握りしめ、セオと向かい合っている。
「その、えーと、だから…セオの家に遊びに…い、行きたいなとか。駄目、かな」
「何で?」
 セオはどうしてだめと考えるかについて質問したのだが、ロニーはそれを別の意味と取った。
「べ、別に変な意味じゃないんだ!ただ、セオについてもっと知りたいって言うか…その」
「いいよ」
 そうセオは明るく笑った。そしてロニーの手を取った。
「俺、友達家に呼ぶの初めてだ!マンマも今日は起きてるから、美味しいケーキ作ってくれるよ!マンマのアップルパイは凄く美味しいから、ロニーもきっと美味しいって思うよ!」
 気に入ってくれたら嬉しいとセオはロニーの手を引っ張りながら先へ急ぐように足を速める。ロニーはそれに引きずられるように歩きながら、胸を締め付ける罪悪感を感じた。
 騙している。だが、自分はこれ以外の方法を知らない。ちょっと借りるだけだ。盗むんじゃないとロニーは自分に言い聞かせる。ボスに頼んで、用がすんだら絶対にセオのところに借りた書類を返そうとロニーは決めた。嬉しそうに微笑むセオの顔を見るほどに、辛くなって地面に目を落とす。
 だが、ロニーはまた、ピエトロに嫌われたくなかった。大切な人であった。自分を救ってくれた人であった。裏切りたくない期待に応えたい。しかし友達も大事である。初めての友達。大好きな友達。ごめん、とロニーは口の中だけで謝る。そして、引っ張る腕をほんの少し握り返して、足を進めた。
「良かった、すごく、うれ、しい」
 本当にうれしいんだ、と嬉しいの意味がごちゃまぜになった言葉を口から溢れさせてロニーは笑った。