39:嘘吐きと友達と失態 - 3/10

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 逃げ出した。売られていく、自分たちと同じ年頃の子供たちを背中に、自分は逃げた。追いかけてくる声が聞こえた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。靴を履くことを知らない足は、転がっている木の枝やガラスの破片で傷ついて痛みを流す。けれども止まるわけにはいかなかった。止まってしまえば、何故だかとても怖いことになるような気がしたからだ。
 両手両足を必死に振って、追いかけてくる声から逃げる。ここ数日パン一欠けらとスープ一杯で持ってきた体は限界を訴えていた。足が痛い。腕が痛い。止まってしまいたい。それでも止まれない。ざわめきがどよめきに変わり、それは恐怖と脅迫というものに最終的に落ち着く。待て待てと追ってくる。誰か、と求めた。誰かと喉が痛くなるほどに呼吸を繰り返しながら走った。
 そして、ぶつかった。もう駄目だと思った。深い煙草の、しかしそれはよい香りで、それが質の良い生地に座っている。
「どうした、小僧。おい、おい―――――」
 黒い塊がぶつかった人間の両脇に二つ。そして彼らは冷たい音を響かせた。その音がいくつか響けば、自分を追ってくる気配と声は一瞬で消えた。やせ細った体が持ち上げられ、そして、笑う声が聞こえた。随分とチビだな、とか、ガリガリだ、とか。そして恰幅の良い自分とぶつかった男はこう尋ねた。
「おい、小僧。てめぇ名前は何だ」
 名前など、ないのだ。腹も空いて喉も渇いて、フラフラになりながらも男の問いに首を横に振った。男はさほど気にした様子も見せず、そうかと笑うだけだった。そして、とうとう膝をついてしまった自分に、男はビスケットを差し出した。隣で笑い声がはじける。
「ボス。まぁたそんなもん持ち歩いて」
「うるせーぞ。いいじゃねぇか。どうにも腹が減って仕方ねぇ。それに、こういう時に役に立ったじゃねぇか。おら食え、小僧」
 喉が極限にまで乾いた口にビスケットはきつかったが、それ以上に空腹が何とも言えぬ甘みと旨さを引き出した。美味しい美味しいと思いながら、そのビスケットを何度も何度も咀嚼した。
 ビスケットを食べ終わった時、男は自分に告げた。
「小僧、俺のとこに来るか?」
 行くあてなど、ありはしなかった。

 

 ほら、とロニーは重たい荷物をその細腕に押し付けられた。ずしんとかかった重みに、その幼い顔がゆがむ。そばかすが目立つ顔で、ローガンは勝ち誇った顔をして、しっかり持てよ!とロニーに命じる。命じられた少年は重たいと顔に書きはしたものの、口にすることはなく、また押し付けられた荷物を落とすこともしなかった。
 ローガンは鮮やかな赤毛をふわふわとさせて、落ち着いた色の髪を持った少年に、ロニーに野次を飛ばす。
「おい!早く持ってこいよ!」
 典型的ないじめっ子。取り巻き数人お山の大将が一人。しかし残念なことに、ロニーはそれに対抗する術など何一つ備えてはいなかった。そしてローガンはロニーを従えるだけの権力と武力を有しており、おまけにそのどこかにぶつけてしまうのではないだろうかと思ってしまうくらいの長い長い天狗鼻をつんつんとさせていた。非常に残念なことに、クラスの誰もロニーを助けようとはしなかったこともまた、一因である。
 助けを求めなければ助けてくれないのは当然だろうとロニーはどこか遠くで思いながら、しかしそれだけの勇気は自分にはなかった。あの人に迷惑をかけたくない、そう考えれば喉から出てくる言葉は止まり、自分の尊厳を押し殺すことなど苦しくはなかった。頑張れ、とロニーは自分自身にその言葉を言い聞かせる。
 だがしかし、重たかった荷物はふいになくなった。
「自分で持てよ」
「げぇ…!セオ!」
 一つ二つと手の中から無くなって、反対に先程まで自分に野次を飛ばしていた人物たちへと、まるでクッションのように飛んでいく。呆然とその光景をロニーは見ていた。そして、セオと呼ばれた人物を、自分の横にいつの間にか立ってローガンたちの方へ顔を向けている、黒髪の少年をロニーは見た。身長は、気持ち高いくらいでそこまで大きくもない。ただ、手は大きめだった。
 黒髪の奥、一つ異彩を放っているのは銀朱の瞳。珍しいその色にロニーは吸い込まれるようにして目を大きく見開いた。
 ローガンはセオが投げた鞄を掴み、ぎりぎりと歯がみをしてぎろっとセオをその目で憎々しげに睨みつける。ロニーはそれに肩を震わせたが、セオはまっすぐに冷たい目をそちらに向けているだけで大きな対応もしない。
「お、お前関係ないだろ!黙ってろよ!ロニーはな、俺の部下なんだからな!」
「部下は、こんな風に扱うものじゃない。それに、関係なくない。見てるだけなのは虐めてるのと一緒だって、マンマが言ってた」
 そうだ、とセオはローガンをひたと見据える。見ているだけと言うのは、やはり虐めているのと一緒なのである。一番大切なのは、自分に恥じない行動をすること。ロ二ーに持たされていた鞄を持ってローガンに投げ返したその瞬間に無くなった胸のしこりにセオはそう思った。
 マンマのと言う単語にローガンはさらに苦い顔をする。
「…う、うぜー…!お前なんて大っきらいだ!」
「いいよ。俺もローガン好きじゃない。本当はお前みたいな人間に関わりたくないけど、俺は自分に恥ずかしいことしたくないから、関わる。少なくとも俺は、嫌がってるやつを部下って言って自分ができることを押し付けてるような人でなしは嫌いだ」
「な!なんだと!」
 セオの一言にさしものローガンもかっと激昂して、拳を握りしめた。そして殴りかかってくる。遅いなぁとセオはそんな風に思った。スクアーロやルッスーリアたちの動きと比べるとそれはもう止まっているようにすら見える。半歩下がると体を捌き、すいと足を軽く前に出した。ローガンが繰り出した拳はかすんと宙を空ぶって、そのまま前につんのめった。最後にセオはその背中を指先で軽く力を加える。ただでさえ前傾姿勢だってものが、最後のひと押しで完全に体勢を崩した。
 ローガンは地面に頬をすりつけた。そしてセオは静かにそれを見ているだけである。何も言わず、視線すらローガンに合わさない。それはローガンの虚栄心を激しく踏みにじった。顔をこれ以上ないほど真赤にしてローガンはがばりと立ち上がって、目尻に涙を浮かべながら、腰巾着の間を肩を怒らせて、ばーか!と言い残して去った。そして腰巾着はセオとローガンを見比べた後、慌ててそのいかる肩を追いかけた。
 静かになったその場所で、セオはロニーに向き直る。
「…実は、ローガンの部下になりたかった?」
 ぼそ、とセオは今更ながらにそんなことを尋ねた。それにロニーはううんと首を横に振る。そして、小さくGrazieとセオに礼を述べた。
「助かった、よ。えーと…」
「セオ」
「俺は、ロニー。ロニー・テス」
「ロニー、うん。名前は知ってる。クラスメートだ」
 クラスメートと言う単語にロニーはそわっと体を動かした。何か言いたそうにしているクラスメートにセオは何?と声をかけた。ロニーはそして生まれて初めてかもしれない勇気を振り絞った。
「と、友達!」
「…ともだち」
 友達、とセオはその響きにぱちんと目を瞬かせる。友達と今度はきちんと口の中でその単語を繰り返し、胸の中が暖かくなるその単語を胸のあたりにおいて、ちらりとロニーの方へとその銀朱の目をやった。ロニーは耳まで真っ赤になって、両の拳を握りしめ震えながら、セオへと続きを述べる。
「お、俺と、友達に、なって…く、くれる?俺!すごく、う、嬉しかった、から。こういうの、初めてで、その、何て言ったらいいか…」
「友達…」
「めめ、迷惑だったらいいんだ!俺は、そ、その大した人間じゃないし、よくいじめられるし、物はっきり言えないし、びくびくおどおどしてて、セオとは大違いだし…すごく申し訳ないっていうか…セオ、はきはきしてるから、俺みたいなの嫌いかもしれないけど」
 こういうところが嫌われるのかもしれないとロニーは口にした言葉を端から後悔しつつ、一度は合わせた視線を下へとそらした。一方セオはと言えば、友達の響きをもう一度繰り返しながら、しかりロニーの言葉は耳に入っていたので、それについてはきちんと返す。
「俺、ロニー嫌いじゃないよ。びくびくおどおどしてるのは知ってるけど、花壇にいつも水やってるし、廊下に落ちてるゴミ拾ったりしてるし、クラスの金魚の水槽の掃除やってるのってロニーだろ。でもそういうこと鼻に掛けたりしないし、」
「そ、それは…その、別に、大したことじゃない、から。花や動物は好きだし、それに学校は綺麗な方がいいし…ふ、普通だよ」
「普通なことを普通にできるのってすごく難しいことだって、マンマが言ってた。俺もそう思う」
「…セオは、マンマが好きだね」
 先程からマンマ、と言う単語がよく出てくるのに気付いてロニーは思わずそれを口にするが、悪いことを言っただろうかと慌てて口に両手を添えて、窺うようにセオを見る。だがセオは怒っていなかった。それどころか、目を細めとても嬉しそうにはにかんだ。
「うん、大好き。マンマは、俺の自慢のマンマなんだ」
「…そ、そうなんだ。いいなぁ」
「料理が凄く上手で、アップルパイいつも焼いてくれるんだ」
「セオ、林檎好きだもんね」
「大好き。美味しいから。ロニーは何が好き?」
「俺?」
「そう」
 俺は、とロニーは一度言葉を詰まらせてから、とても嬉しそうに、幸せそうな顔を見せて笑った。こんな顔できるんだとセオはその笑顔を見て思った。とても柔らかくて、これ以上ないほど綺麗な笑顔をセオはロニーの顔では見たことがなかった。
「俺は、ビスケットが好き」
「…ビスケット?」
「うん、ビスケット。いつもくれるんだ。いいことすると頭なでてくれて、それから褒めてくれる!」
 誰が、というのはセオは聞かなかった。ただそれがマンマにしろバッビーノにしろ、それをロニーにしてくれる人は、ロニーにとってとても大切な人であることには変わりない。
 友達かぁとセオはその優しい響きににまぁと笑って、しかしロニーはそんなセオの緩んだ笑顔にびくりと一度肩を震わせ、セオはそんなロニーに慌てて両手を振ると自分の手を差し出した。
「友達になるのに挨拶っているのかどうか知らないけど…よろしく、ロニー。それから有難う、友達になろうって言ってくれて」
 俺凄くうれしいとセオは自分の感情を率直述べた。それにロニーはかぁと耳までこれ以上ないほど赤くなり、そして差し出された手を一度おずと見てから、おそるおそるその手を握り返した。
「その、お、俺も…宜しく、セオ」
「じゃー、まずは…何しよう」
「と、取り敢えず一緒に帰ってみる?」
「そうしよう」
 そして二人は顔を見合わせて楽しげに笑った。

 

 ぱつん、と東眞は手元の黒髪を鋏で切り落とす。そして右左と角度を確認してから、切った髪が服に入りこまないように巻きつけていた布をはたいて床にその黒髪を落とした。椅子に座っていた人間、XANXUSは指先で前髪をつまむと、ふんと一つ鼻を鳴らす。
「悪くねぇ」
「有難う御座います。しかし、本当に伸びましたね。初めてお会いした時はこれくらいだったのに」
 そう言って東眞は目よりもずっと上の位置の額にその指を乗せた。XANXUSの古傷、引き攣った痕に触れたが、赤い瞳の男はそれを対して気にしもせずそうだなと短く返した。髪を上げていた以前と比べれば、髪はかなり伸びた。今では目を覆い隠すほどに伸びており、定期的に切らねば視界の邪魔となり色々と問題が生じる。
 指先でつまんでいた髪を放して、XANXUSは先程まで体を覆っていた白い布を叩いて洗濯かごに放り込んでいる東眞へと目を向けた。その背中においと声をかける。低音の耳によく響く声に東眞は一つ返事をして振り返った。
「どうしました。もう少し切ったほうがいいですか?」
「そうじゃねぇ。セオの様子はどうだ」
「セオ?どうと言っても…普通ですけど?相変わらずアップルパイは林檎を食べ尽くす勢いで食べますし、学校のことも良く話しますし、勉強もしてますし…玉ねぎも食べられるようになりましたけど」
 そうじゃねぇだろうが、と聞こうとしたこととわざと別の答えを返してきた東眞をXANXUSはむすっとした視線を向ける。それに東眞は取り立てては、と今度はXANXUSが問いたい本当の事柄に対しての返答をした。黒髪の散らばった床を箒で掃きそれを集めつつ、言葉を紡ぐ。
「普通、ですね。普通すぎるのが反対に怖いくらいには、普通です」
「カス鮫と同じ事言いやがる」
 は、とXANXUSは口元を歪めて、首筋に残った髪を大きな手で払い落した。
「でもそれはいい傾向ではないのですか?少なくとも、あの子はもう自分の意思で矜持を持ち引き金を引いています。揺らぐようでは信念とは言えません」
「俺たちは、正義の味方じゃねぇ」
 返した東眞の言葉に、XANXUSは苦い顔をしてそう言い放った。赤い瞳は集められて行く黒い髪へと向けられている。
「俺たちは自分たちのすることに矜持と信念を抱き、一切の迷いがねぇ。だが、正義の味方じゃねぇ。殺し合いに手を染めて、互いの利潤にもとって行動する時点で、そんな胸糞悪い代名詞は存在しなくなる。だからこそ、信念と矜持の二つが存在しなければ、俺たちはただの人殺しだ」
 ああそうなのだ、とXANXUSは自分で口にした言葉を腹の内で繰り返す。自分たちは正義の味方などと言うものではない、と。だから、セオの眼差しは少し痛く感じる。
 だがその思考は途中で強制終了へと持ち込まれた。そんなことは、と東眞は口をはさむ。
「分かっていると、思いますよ。あの子は、自分の信じることに従って行動するタイプなんです。人の命を奪うことは理不尽だと知りながら、今セオはそれに手を染めています。それでもそれを行うのは、あの子があなたが居る世界を認めているからです。理不尽であっても、自分の信念は曲げられない。譲れないものがある。そのために力を行使する。XANXUSさん、子供は親が思っているよりもずっと早く成長するものです。今のセオはきっと今の私たちでは想像も処理もできない程の多くの事柄を吸収して処理しています。だからこそ、外見と中身の差に私たちはいつも不安を感じてしまう」
 でも、と東眞は話を続けた。少し長く話したので口の中が渇き始めている。髪を塵取りにあつめ、ゴミ箱に放った。頭部から切り離された黒髪はゴミ箱の中に散らばる。
「間違いは、正せばいい。どのような経過でセオがどんな気持ちを味わうことになっても、それはもうセオの責任です。そちらに足を踏み入れた、それを覚悟したのもセオです。だからあの子はもう人のせいにすることはできません。泣いても喚いても、あの子は、この世界の色を知るしかない。どんな色をしているか、たとえ希望が絶望にすり替わったとしても、憧れが失望になっても。その中から、足掻いてもがいて、強くなるしかないんです」
 厳しい女だ、とXANXUSは思う。ただ可愛がるだけということをしない。獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすというが、彼女はまさにその代表格ではないだろうか。ただ、彼女はひたすら待つ。落とした我が子が必死に這いあがってくるまで。
 こういう子育ては男よりも女の方が本能的にやりかたをしっているのだろうと考えてしまう。路を指し示し、荷造りをし、どこをどう行けばいいのか地図を渡してやるのが自分たちなのかもしれない。そうしなければ分からないのではないかと考えてしまう。出産という経験を持たない自分たちは手に持たされた命があまりにも小さく弱いものに感じてしまうのだ。だが女は違う。十月十日を共に過ごし、その命がどれだけ強いものかを感じ取る。千尋の谷にも突き落すわけだ。
 短くXANXUSは笑った。
 不安は杞憂にしか過ぎない。そしてその杞憂が実現したとして、何を恐れることもない。全てを決断するのはもはや我が子に一任されている。「ここ」はそう言う世界なのだ。手を差し伸べ優しく育てたとしても、それは風にすぐ折れる枝になる。生き残りたいならば、強くなりたいならば、誇り高い男になりたいのならば、歩かねばならない。血反吐を吐き、その指を傷つけ、大地を裸足で踏みしめ、足の裏で血の跡を築きながら。
「ドカスのせいか」
 ああまで可愛がっているから、ついつい気付かぬうちに流されてしまっていたのかもしれない。それに合わせて、隣に居る女が普段からにこやかな顔でセオと日常を接しているものだから、それに感化された可能性もある。全く厄介なことだ。
 笑ったXANXUSに東眞はどうされたんですか、と同じように笑いながら頬に残っていた髪を指先ではたき落す。その指をXANXUSは大きな手でつかみ、へし折りそうな勢いで引き寄せた。強い力に対抗できる術を東眞は持ち合わせておらず、引っ張られるままに動かされる。そのまま、どんと東眞の心臓の位置にXANXUSは顔を押しつけた。鼓動が、確かな鼓動がそこにある。
 XANXUSさん?と東眞は一瞬声をかけようとしたが、それを止めて小さく微笑むと、切ったばかりで少しツンツンとする頭を抱え込んだ。ぐいと押しつけるようにして鼻先が心臓に当たる。零れた笑みで東眞はくすぐったいですと呟いた。それにXANXUSは見えない位置で口角をほんの僅かに持ち上げて笑う。
「うるせぇ」
 自分の二本の腕は、この女のために。そしてこの女の腕は自分のために。依存ではなく共存。
 久々に母ではなく妻の体を抱きこんでXANXUSは背中にまわした腕に力を込めた。もう少し、力を込めればぼっきりと背骨ごと折れてしまいそうではある。こんなにも弱そうな生き物なのに、匣兵器も炎も持たないただ一人の女であると言うのに、何故だかこの女は驚くほどにしなやかで逞しい。
 守ってやろうという気には、ならない。
 おそらく守ってほしいなどと思ってもいないのだろう。帰りを待っているのが当然で、自分よりも長生きしてその死をみとるのがこの女のすべきことである。自分より先に死んではならない。常に自分の帰るべき場所であらなくてはならない。血に濡れて張りつめた空気の中で生きてきた自分が骨を休めることのできる場所であらねばならない。全身の力を抜いて、体を預けられる場所でなくてはならないのだ。
 柔らかく、温かな、その場所で。
「暫く、そうしてろ」
「言われなくても」
 私の腕は貴方のために、と囁かれた言葉に、XANXUSは心地よさそうに瞳を閉じた。

 

 Ciao、とセオとロニーはお互いに別れの挨拶を済ませて、手を振り別れる。
 その光景を見ていたものが一人、居た。その男は驚きの表情でロニーの向こう側に去った少年を見ている。黒髪銀朱。そして名前は、セオ。おいおい、と男はひっかくような笑いを口内にこもらせながら、歪んだ笑みをその顔に浮かべる。
「まったく、やってくれるぜ…」
 そして男は携帯電話を胸ポケットから取り出し、そのボタンに指を置いた。が、しかし何を思ったのか、男はその指を携帯から放してポケットに小さな連絡用の機器を戻してしまう。赤い舌でぺろりと唇を舐め上げる。口元に浮かんだ笑みは、何かしら嫌な予感を感じさせる笑みでもあった。
 男はかつん、とその革靴で石畳の上に音楽を作り出す。楽しげで、嬉しげな。
「こりゃ、じかに報告した方がいいぜ。ロニーの野郎…く、くは、あっは、はははっは!」
 男があげる笑い声は酷く陽気なもので、それは明るいどこまでも、高く透明な空につぅんと一つ抜けて行き、一切の違和感を周囲に与えなかった。周りから見れば、彼はとても嬉しそうに笑っているだけに見えるだろう。そして実質、彼は嬉しくて笑っているのである。彼の笑い声は周囲に伝染するかのように笑顔をもたらした。
 しかしながら、彼の笑みの裏は、とても、ひどく、たいそう、明るい笑いにそぐわないドロドロとした汚泥染みた感情にまみれていた。そして、無論誰がそれに気づくこともなく、イタリアの一つの都市のある街角で、男の笑いはよくよく響いていった。