39:嘘吐きと友達と失態 - 2/10

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 XANXUSはセオをじっと見つめる。そしてセオの隣にはスクアーロが立っており、XANXUS同様にセオを見下ろしていた。身長的に大きな差があるので、座っているXANXUSは兎も角、スクアーロはその長身の上に乗っている頭を下ろしていた。赤い視線と銀の視線は双方とも共に、セオの指へと向かっている。
 まだ小さな手には指輪が一つ、嵌められていた。中指におさまっている指輪にセオは意識を集中させる。しかしながら、何の変化もそこには一切何一つ、全く、これ一つも現れなかった。それを横から眺めていたスクアーロはまぁ、仕方ねえなぁと苦笑して軽くセオの肩を叩いた。セオの指におさまっていた指輪は無論言うまでもなく普通の指輪ではない。VARIAリングと同様の死ぬ気の炎をともすための指輪である。XANXUSをはじめとしたVARIAの隊員は全てその指輪に自分の炎を灯すことができた。だが、セオの指輪は一切それに反応しない。
 セオは自分の指に嵌まっている金属を見て、そしてちらりと父親へと目を動かした。眉間によっているいつもの皺の本数は増えていない。怒ってはいないのだろうとどこかほっとしながら、しかし、炎が灯らなかったことにがっかりと気を落としながら指輪を反対側の指先ではさんで取り外した。それをセオはXANXUSの机の上に返した。
「覚悟…ってなんだろう、バッビ…ボス」
 バッビーノ、と言いかけてセオは慌ててボスと訂正した。VARIAとして父の前に居る時は、バッビーノではなくボスと呼ぶように言われたのだが、どうにもこれがなれない。しかしいつか慣れなければならないのであるし、とセオは軽く溜息をついた。それに気付いたのか、XANXUSはその赤く鋭い瞳でセオを睨みつけた。父の威圧感のある視線にセオはぶんと首を横に振った。
 XANXUSはセオの問いかけに答えることはしなかった。代わりに、隣に立っていたスクアーロがそうだなぁと自分の指輪へと目を落とし、ぽぅと簡単にその指輪へと自身の死ぬ気の炎を灯した。ゆらりと動くそれは命の輝きである。そして、覚悟の。
「言葉で言い表すのは難しいぞぉ。ただ…覚悟、だ。絶対に譲れない曲げられない、そのために自分の全てをかける、そういったもんじゃねぇのかぁ?」
「考えてるんだけど…」
「考えるもんじゃねぇ、糞餓鬼が」
 スクアーロの言葉に対してそう返したセオに、XANXUSはセオが机の上に戻した指輪を箱に戻しながら、机の引き出しにぶち込んだ。父親の言葉にセオは銀朱の瞳を動かして、違うのと問いかける。よく分からない、と言う言葉を体現したような瞳にXANXUSは違ぇと乱暴に返した。ならば覚悟とは一体何を指すのか、それを問おうとしたセオだったが、その前にXANXUSは一枚の紙を机の上に滑らせる。それは、机をするすると摩擦すら感じさせずに駆け抜けると、セオの足元に落ちた。セオは屈んで、父親が落とした紙を拾い上げて、目を通す。
 白い紙の上には少々癖のあるイタリア語が流れるように書かれており、紙の右下にはCとアルファベットが大きく一文字、記載されていた。
「そこのドカスとだ。確実に仕留めろ、分かったな」
「Come vuole Lei(言うとおりに)」
「報告書は自分で書け」
「…Si」
 厳しい声音にセオはうぅと僅かに呻いたが、それを承諾してくるりと踵を返すと部屋から出て行った。
 残されたスクアーロはXANXUSへと目をやり、先程机にしまわれた指輪へと目をやる。引き出しに入っているせいで、その姿形が銀の目元に晒されることはないが、そこに指輪が存在することはXANXUSもスクアーロもよくよく知っている。しかしながら、スクアーロにとって最も意外であったことは、セオが指輪に炎が灯せないことであった。尤もあの年で覚悟がどうなどと言われても、理解するのは少しばかり難しいのかもしれない。
 考え込んでいるスクアーロの前に座っていたXANXUSは取り立てて何を言うでもなく、やはりいつものように寡黙に着席をしたままであった。この男は暴力さえ振るわなければ、元来言葉数も少なく非常に静かな男なのである。その全身が泡立つ程の怒りさえなければ、思慮深く計算高い男でもある。
 黙りこんでいるその男にスクアーロは声をかけた。
「しかし、Jrの野郎が灯せねェとはな」
「…匣兵器に頼って基礎で使い物にならねぇよりかはましだ。餓鬼の調子はどうだ」
 調子、が一体何の調子であるのか、スクアーロはXANXUSのその言葉の意味を真意を問うまでもなく気付いていた。セオがVARIAという組織に入って以来、スクアーロはセオの教師のような存在で全ての任務に右も左も分からぬ子供の教育をしている。そうだなぁとスクアーロは壁にもたれかかって、同じ任務を請け負いながら、セオとは別の報告書を、つまりそれはセオの動向等を書き記したものなのだが、それを思い出しながら、視線を足元に広がる絨毯へと向けると息を短く吐いた。
 任務におけるセオの動きは、やはり自分たちと比べるとまだまだ劣る。実戦において使いこなせているのは銃だけなので、指輪の炎が使える平隊員の足元にも及ばない。何も指輪の炎が使えないから弱いと言うわけでもない。指輪の炎は確かに昨今では戦闘に置いてのメインになりつつあるが、たとえ指輪が使えても、体を鍛えていなかったり実戦において不慣れな者は即座に死亡する。結局のところ、メインだ何だと言いつつも、基礎ができていなければ戦闘のせの字にも加われないのである。
 それに置いて、セオは幼いころから訓練を受けてきてはいるが、如何せん未だその小さな体は打撃には向かない。銃も使えるが、百発百中、凄まじい攻撃力があるわけでもない。銃の精度は大体90%と言ったところであろうか。その辺は父親であるXANXUSの徹底した教育の賜物であると言えよう。
 まぁ、とスクアーロはXANXUSの言葉に今まで自分が見てきた意見を返した。
「あの年頃にしちゃ、悪くはねえぞぉ。上々だ。きちんと狙いを定める時間さえありゃ弾丸は標的をしっかり撃ち抜いてるし、殺した後の警戒も怠ってねぇ。ただ」
「ただ、何だ」
 言葉を詰まらせたスクアーロにXANXUSは軽く眉間に皺を寄せた。スクアーロは先程止めた言葉を続ける。別段、それはマイナスの言葉ではないが、個人的思考として、日常のセオを見る者として任務のたびに感じる違和感である。
「そういう環境で育ててきたってのもあれだが、一切動揺しねぇってのが不気味だぜぇ。一番初めのゴドフレートの件が嘘みたいでなぁ」
 あれ、が何を指示したのか、XANXUSはその光景を一度だけ思い起こして、まぁなと珍しい返答をスクアーロにした。何も投げつけられないと言う奇跡に近い状況にスクアーロは内心喜びつつ思考する。
 人の死を感じて嘔吐した子供が、こうやって殺す側に回っており、かつそれを受け止めてしまっている。ジェロニモの件の時もあれだったが、セオは予想以上に順応が早い。引き金を引く指に躊躇いと言うものが一切ない。殺害に対して喜びはしないが悲しみもしていない。その様子は多少不気味さすらも感じてしまう。学校から帰って来てからの訓練にも熱が入るようになっている。確かに、問題はない。文句もない。しかしながら、スクアーロは何故だかその背中に不安を覚えていた。
 XANXUSはそれを汲み取ったかのように、ぼそりと呟く。
 セオはこちらに来る時に「それでも」と言った。その言葉は、少しだけ、ほんの少しだけだがXANXUSの胸に小魚の骨のように引っ掛かっている。その言葉の意味は即ち、守るべきものを殺す時に、彼は躊躇うのではないかと言うことだ。それに対して悲しみを持つ。引き金を引く指に躊躇いと言う力が一瞬込められる。命令されるから、殺す。そう言う非常に消極的な意味合いで捉えているのではないだろうか。しかし、それならば、彼は殺した後にとんでもない思いをすることになる。それは、「覚悟」ではない。
「…勘違い、してやがるのか」
「勘違い?」
 上司の口から漏れ出た言葉をスクアーロは耳で拾い上げて繰り返す。しかしXANXUSはスクアーロの問いかけに答えることはせずに、頭の中だけで思考を進める。
 だが、セオはもう戻れない。いずれいつかやがて、そうなる時が来るかも知れない。愛しい者や大切な者へ銃口を向けねばならない時が来るかもしれない。命令に従うのは当然である。だが、命令を待つようならば、それは彼に心の傷を残すことだろう。今後、この世界で生きていけるかどうかはセオの変わりよう次第であるが、変わることができなければ、いつかその銃口を自分に向けねばならない時が来るかもしれない。自分で殺した、のではなく、命令されて殺したと言い訳した殺し程自分を追い詰めるものはない。結局それは納得していないのと同義なのである。愛しい者を殺すように命令した人間に従えるほど、人は従えるほどに強くはできていない。命令されたから殺した、のではなく、自分の意思を持って殺さなくてはならないのである。
 ふぅとXANXUSは一つ息を吐いた。どちらにせよ、セオ次第なことに変わりはない。溜息をついたXANXUSにスクアーロは思いだしたように話を変えた。
「そういや、東眞の野郎に指輪は持たせねえのか?」
 その一言にむ、とXANXUSは顔を顰める。
「外してやがったのか?」
「外して…?ああ、いや、そっちの指輪じゃねえぞぉ。その指輪は心配しなくてもあいつの薬指にしっかり嵌まってらぁ。そっちじゃなくてだなぁ、死ぬ気の炎がともせる指輪のほうだぁ。護身用に匣兵器も一つ見繕った方がいいんじゃねぇかと思ってだなぁ」
「必要ねぇ」
 スクアーロの言葉をXANXUSはすぱんと一瞬で切り捨てた。あまりにも簡単に必要ないと言われたので、反対にスクアーロの方が怪訝そうな顔をする。
 東眞は別に戦えないと言うわけではない。自分を守るための最低限の護身術や銃を扱う術は心得ており、そのあたりのチンピラ程度であれば退けることもできるだろう。体調が悪い時はそもそも屋敷から出ないので、襲われるという心配は一切ない。だがしかし、匣兵器は持っていても損ではないのではないだろうかとスクアーロは考える。いざという時に役に立つ。
 XANXUSは必要ねぇともう一度答えた。
「指輪に炎が灯らねぇとでも考えてんのかぁ?まぁ…そりゃ、難しいだろうが…取り敢えずやってみることに
「必要ねぇ、って言ってんだ。てめぇの耳は飾りか、ドカスが」
 最後に一言貶す言葉をしっかりと付け加え、XANXUSはその赤い双眸でスクアーロを睨みつけた。必要ないものは必要ないのである。と、言うよりも、XANXUS自身そう考えたことはあって、かなり以前に、一度東眞にどうするかを問うたのだ。だが、返ってきた返事は必要ないとのことだった。取り敢えず一応(ほぼ無理矢理だったか)嵌めさせて指輪の反応を見たが、指輪に炎が灯ることはなかった。そして、女は一言、覚悟を形にしたくないと答えた。XANXUSにはその言葉の意味はよく分からなかったが、そうかとそう短く返して、指輪の案をそれ以上東眞に求めることはしなかった。町を一人で出歩くこともないのだし、心配いらないと言えばいらない。
 貶められた一言をいつものように聞いていたスクアーロはその言葉にもう取り立てて反応することもなく、ただ憎々しげに口元を歪ませて、そうかぁと言葉を唸るように返した。
「だが、Jrに指輪は必要だろぉ」
「…常につけるように言っておけ」
 そう言ってXANXUSは一度引き出しにしまった指輪を取り出して、スクアーロに投げ渡した。宙を飛んだそれをスクアーロは軽い動作で受け止めて、手の平で一度転がすとポケットにきちんとしまい、了解の意図を返した。
「確か、憤怒の炎もあいつは出せねぇんだったか?」
「くたばれドカスが。あれは遺伝するもんじゃねえだろうが」
 そうだった、とスクアーロはふと思い出して悪かったと謝る。
 XANXUSにはボンゴレの血が流れていない。そのためにボンゴレの血は恩恵を一切彼の身に与えることをしなかった。超直感がその最たる例である。ただ何故か彼は憤怒の炎をその手に灯すことができ、そのために勘違いを周囲に引き起こしたと言えよう。その勘違いは本人にもおよび、深い溝を一度は養父との間に作ったわけなのだが。
 XANXUSは多少苦い顔をして言葉を続けた。
「憤怒の炎か…沢田綱吉のような死ぬ気の炎が使えるようになるのかは、それこそ誰も知りゃしねぇ。使えるようになるかもしれないし、使えねえままかもしれねぇ。どちらにしろ、指輪の炎は使えるようにしろ。戦闘においてはないよりはあった方がいい。だが匣兵器に頼りっぱなしになるようなら、ぶちのめせ」
「…Jrの気苦労が知れるぜ、げぐ!い゛…っ、てめぇ何しやがる!」
「無駄口叩いてる暇があるなら、チビにとっとと渡してこい、カスが」
「分かってるぜぇ、ボスさんよぉ。お、そう言えば」
 まだ何かあるのか、とXANXUSは眉間に皺をきつく寄せた。スクアーロはそれに気づくことはなく話を続ける。
「Jrの指輪の炎は何属性になると思う?俺としては雨属性がぉふ!」
「ぬかせ!とっとと行け!カスが!!脳天ぶち抜くぞ!」
 投げつけられた時計をスクアーロは顔面で受け止め、そして落ちてきたそれを片手でキャッチしたが、次に飛んできた銃弾ばかりは手の平でキャッチすることは流石できず、慌てて踵を返して部屋から飛び出した。放たれた銃弾は見事にスクアーロが出て即座に閉められた扉にめり込んだ。防弾扉はこんなところで無意味な役目を果たす。XANXUSはちぃと一つ舌打ちをして、椅子に戻った。そして、自分の指に嵌まっている炎をともすための指輪を見つめた。
 大空の属性を持つ炎。何故、セオは指輪に炎を灯すことができなかったのか。全く、考えても詮無いことである。
 XANXUSはそして時間を確かめようとして、スクアーロが時計を持って行ってしまったことを思い出し、ドカスがと眉間のしわをさらに濃くした。

 

 Jr、とかけられた声に東眞はセオを前にして、その背中を早足で時計を片手に歩いてきた銀色の剣士へと視線をやる。
「スクアーロ」
「準備できたよ」
「おお、そいつは良かったぜぇ。今日の任務はそう難しいもんでもねぇ。銃は持ったな」
「うん」
 大丈夫とセオはスクアーロの問いかけにしっかりと頷いて、腿のホルダーに納めている銃に外側から触れた。東眞は時計を持ったままのスクアーロにいささか不思議そうな視線を送る。
「…その時計、どうなさったんですか?まさか、任務に持っていかれるとか…」
 かけられた声にスクアーロははっと手元へと目をやり、しまったとばかりに顔を歪めた。これは任務終了後に部屋に一歩踏み入れば銃弾が頭めがけて飛んで来る恐れが否めない。困り果てたスクアーロはちらりと東眞へと目をやり、時計を差し出す。
「悪ぃがボスに返しといちゃくれねえかぁ?壊れちゃいねぇと思う」
「…また投げられたんですか…そのうち、時計じゃなくて、スクアーロの頭が壊れそうです。XANXUSさんの部屋に行く時はヘルメットでも被って行かれたらどうですか?」
 そんな東眞の提案に、スクアーロは一瞬悪くねぇと思いかけたが、それは甚だしく思い違いであり、冗談じゃねぇ!と慌てて首を横に振った。そして、静かに立っているセオへと目をやる。
 壁に掛けられている時計は、こちんこちんと時を刻んでいる。既に外には雲の隙間から時折照らしてくる月の光しかなく、ただ暗闇ばかりが広がっているだけである。それはもう自分たちの時間であり、そこに住む世界は月の世界の住人などとメルヘンチックなことはなく、殺伐とした空気の中で低く唸るような呼吸をくり返す生物の住処であった。
 顔が、変わっている。
 スクアーロはセオの銀朱の瞳を収めた顔を見てそう思った。きっちりと締められた小さめの隊服を纏う少年を、この時間帯暗闇に姿を潜ませる前になるとそう強く感じる。顔、というよりも雰囲気なのかもしれない。ONOFFのスイッチの切り替えが激しい。そうすることで、セオは一体何を思い何を感じているのか。集中しているだけなのか。スクアーロには測りかねた。
 セオ、と東眞は静かに立っている我が子に声をかけた。それにセオは何と微笑む。
「帰ってきなさい」
「…うん、絶対帰ってくるよ。俺はちゃんと、帰ってくるから。マンマに心配、かけさせたりしないから」
 セオは大丈夫と少し大人びた顔で東眞にそう告げた。スクアーロはそこではっとポケットの物体を感じて、手を突っ込むと、セオにXANXUSから託された指輪を渡す。それは、と東眞は目を一度瞬かせた。スクアーロは見たことがあるのかと驚きを隠せない。それに東眞ははいと頷いた。
「でも、私には必要のないものです。私の覚悟は、できれば形にしたくはない」
「どういうことだぁ?」
 それはと東眞は笑った。
「私の覚悟は、死なないことです。あの人の帰ってくる場所であり続けること。あの人よりも先に死なないこと。そういった覚悟は炎と言う形ではなく、私がそこに居ることで形にしたいんです。匣兵器も、私には必要ありませんし、恐らく使いこなせないでしょう。戦いの最中に身を置き、戦うために灯す、そう言った覚悟とはまた違うんです」
「…そんな、ものかぁ?やってみてもいねぇのに」
「それを使えば、私はあの人の帰る場所であれなくなります」
 そんなものなのか、とスクアーロは同じ言葉を東眞に返した。東眞はそれにそんなものですと笑顔で返す。二人の会話を少年の言葉が遮った。銀朱の瞳はスクアーロの銀の瞳へとまっすぐに向けられている。凍えるような、それは人を殺すことを覚悟した瞳。
 こちん、と時計の針が動く。
「行ってらっしゃい」
 送り出された言葉にセオは行ってきます、とそう返した。それは帰ってくる、ただいまという意味も同時に込めて。その指にはスクアーロから渡された指輪が、未だ炎をともすことを知らぬ指輪が冷たい銀色をして嵌まっていた。