39:嘘吐きと友達と失態 - 10/10

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 激しく鈍い音が部屋に反響した。東眞は椅子に座って、溜息をつき、子供の頭を盛大に殴りつけた父親を眺める。が、しかし本日は止めることをしない。そして、その隣ではスクアーロが、多少申し訳なさそうな顔をして、その辺にしてやれぇと制止をかけ、そして見事に殴られた。ドカスが!といつもの罵倒も耳にいい加減になれるほどには響く。
 ず、と東眞はミルクティーに口をつけた。それに救援を求めるように、銀色の、もうそれは随分と伸びているが、長い髪のスクアーロはカップを持っている東眞にちらりと視線をやる。流石に手に負えないと思ったのだろうか、尤も、東眞にXANXUSを止める気などさらさら、全くこれっぽちも一欠けらも、ありなどしなかったのだが。
 スクアーロが止めたおかげで大事には至らなかったものの、セオは大いに反省する必要がある。
 しかし、と東眞はちらりとXANXUSとその前で頭を押さえているセオを横目で見つつ、多少やり過ぎかとも思ったのだが、視線をそらして助けにはいかないように堪える。自分にその正確な匙加減が分からないのは、自分自身が一番理解していることである。ただ、XANXUSが何を言っているのか、セオが何を答えるのか、それだけはしっかりと耳に入れていた。
 セオの幼い声が、反省の色を伴って空気に響く。
「ご、ごめんなさい…バッビーノ。その、これ…レヴィの、匣…」
「…何でてめぇが持っていやがる」
「…ここ、出て行く時に、スクアーロがいるって聞いたから…どう考えても太刀打ちできないし…ぃ!」
 たい、とセオはもう一発落ちた拳に呻いた。立った父親と立った子供の身長差は大きく、セオは頭を押さえた状態で父であるXANXUSを上目でうかいで見る。眉間によっている皺は気のせいでもなんでもなく、普段よりも三割増しで、赤い綺麗な瞳には苛立ちと焦燥と、それからほんの少しの心配が滲んでいて、ああとセオは本当に申し訳ない気持ちになった。スクアーロの前で大泣きして、気持ちの整理がついた分、余計に申し訳なく思ってしまう。
 ちっとも正直ではないけれど、いつでも心配してくれる父に。
 深い深いため息に、セオは身を縮まらせた。頭が沸騰すると、どうにも意識を飛ばしがちで、本当はしてもいけないことを理解しつつも、その振れ幅に肉体の方が耐えきれずに行動してしまう。母の制止の言葉も聞こえていたにも関わらず、だ。また同じ過ちを犯すところであったとそれに怯え、そして安堵する。
 首を垂れて俯いているセオの様子に、もう十分反省しただろうと、その小さな子供が大泣きしていることを知っているスクアーロはXANXUSにもう一度声をかける。盛大に殴り飛ばされたので、壁にぶつかった背中が痛い。
「ボス。Jrも十分反省してるんだぁ…もう、こういったことはしねえだろぉ?」
「…しないよ。もう、しない。絶対に、しな゛ぁ、い…!」
「当然だ、カス共が!!」
 セオの次にはもう一度スクアーロに拳が飛んだ。いい加減に理不尽だとスクアーロは思わざるを得なかったが、それをわざわざ口に出すような真似はしない。ごめんなさい、とセオはもう一度繰り返した。
 XANXUSは本日、数えるのも面倒になった溜息をつく。赤が銀朱を見た。
「俺たちがあるのは、何のためだ」
 問われた言葉に、セオは一拍を置いて、上司を見つめ返す。
「ボンゴレのために」
「俺たちが力を振るうのは、何のためだ」
「最強のボンゴレのために」
 はっきりと返ってきた答えと、その瞳にXANXUSは背中を向けて、空いていた椅子に腰を落とした。
「分かってるなら、一々面倒事起こすんじゃねぇ。今回は、任務対象を殺そうとしただけだから、そこのカスもてめぇを殺しはしなかったがな。これで、助けようとなんざしてみろ。てめぇの首が飛ぶぞ」
 抽象的な意味ではない、本来の意味を持ったままのその言葉にセオはこくんと頷いた。それが、自身が今生きている場所なのだと言うことは、ロニーを手にかけた瞬間に身に刻み込んだ。自分の行動一つで、それが周囲に及ぼす影響は大きい。だからこそ、自分は誰よりもよく考え、思い、そして行動に移さねばならぬのだと。
 それでも、とセオは顔を上げた。
「でも、バッビーノ。俺は、ロニーと友達でよかった。ロニーと友達になれてよかった。それだけは、後悔してないよ」
 XANXUSはそう返された言葉に軽く眉を吊り上げる。あのね、とセオは自身の胸に手を添えた。
「裏切られたって、いいんだ。俺は、俺が友達だって思った人のことは、信じるよ。俺の信頼と信用の全てを、預ける。それでも、事を引き起こした時の責任は全部取る。その覚悟はできてる。それだけのリスクも、背負う。裏切られるのが怖くて、狭い場所でうずくまって外に行かないのは、いいことじゃない。怖くても、そっちに行かなきゃ。そりゃ、バッビーノが言うように、俺のために命をかけてくれる友達は大事だと思うよ。でも、きっと皆が皆、そこまで強いわけじゃない。それは仕方ないことだ。でも、俺は友達のために命をかける。それがたとえ、どんな友達であっても」
「命の大安売りか、笑えねぇ」
 冷たい言葉にセオは首を横に振った。
「違うよ。勿論俺だって、友達は選ぶ。友達になりたいって思った人しか友達にしない。この人のためなら、命をかけてもいいって思える人にしか、友達にしないよ。ボンゴレが最優先なのは、そうなんだ。それを無くしたら、今までの俺の信念と誇りが全てが意味をなくして、それは、殺してきた人たちの命を意味がないものにしてしまう。だから、俺は奪い続ける。それを最優先しつづける。それが、俺の誇りと、それから流した血への意味だ。殺す必要がない人は殺さないし、殺さないといけないと判断したら、殺す」
「それで」
 短い接続の言葉に、セオはまっすぐにXANXUSを見つめた。良く似ている、とXANXUSは思う。まっすぐに見つめてくる眼差しの強さは、その母に似ている。心の形が、ひょっとしていると似ているのかもしれないとXANXUSは目を閉じ、セオの言葉を聞く。
「それでも、友達のために、命をかける。俺が、友達だと思う人のために。裏切られることは、怖くない。俺はこういう性格だし、この世界に生きてる。嫌だけど、怖がる必要はない。俺は、裏切られても友達だって思い続ける。その人にとって俺が友達でなくなっても、俺にとっては永遠に友達だから。裏切るからとか、殺さなくちゃいけないからだとか、そんな理由で友達をやめて、大切な時間や思いを失くしたくないんだ。全部、ぜーんぶひっくるめて、俺は持てる力全てをかけて、友達を守るよ」
「…それでも、殺すことになるかもしれねぇ。裏切られるだけじゃ済まない。憎まれるかもしれねぇな」
「憎まれても恨まれたも、どうしてもそうしなければならない時は、殺す。VARIAの人間として、俺の信念と誇りにかけて。でも、友達であることを止めない。ただ一つ、俺が友達にするのは、俺が殺す人間であることを知ってくれる人で、それでも俺を友と思ってくれる人だけだ」
「とんだ予防策だな」
 く、と口元を歪めたXANXUSにセオはそうかも、と小さく笑った。
「憎まれたって恨まれたって裏切られたって構わないけれど。でも、それはやっぱり悲しいし、嫌だから」
 馬鹿な奴だ、とXANXUSは我が子を見てそう思った。自分から茨の道を選ぶのは馬鹿のすることだ。それでもきっとこの自分の息子は選ばずにはいられないのだろうとXANXUSは思う。母の姿を見れば、そう、思わずにはいられないのだろうと。自分の姿と、それに寄り添う女を見て育てば、この道を選ぶのは、正しくは選ばずにはいられないのは、何となく分かっていた。
 XANXUSはセオの言葉を聞き終えて、そうかと短く返す。そして、思いだしたようにスクアーロに声をかけた。今の今までまるで存在を忘れ去られたかのようだったスクアーロは慌ててそれに返事をする。
「何だぁ」
「こいつは、匣兵器は開匣できたのか」
 セオから渡されたレヴィの匣を手の中で転がしながら、スクアーロにXANXUSは問う。それにスクアーロは、おおと頷いた。
「雷か」
「いや、大空だったぜぇ。オレンジの炎だぁ」
 レヴィの匣を開けられたことは、と言ったXANXUSのそれをスクアーロは即座に否定した。XANXUSはその言葉に引き出しをがらと開けて、一つの匣兵器を取り出すと、それをセオに放り投げた。投げられ、宙で放物線を描いたそれをセオはしっかりとキャッチする。まじまじと見つめて、目を大きく見開いた。
「バッビーノ、これ…!」
「渡しておく。開けられるようにしておけ。尤もまだ」
「尤も?」
 尋ねたセオをXANXUSはぎろりと睨みつけた。だが、少しばかり遅く、セオはわくわくとした様子で、炎をともした指輪を匣兵器に押し当てていた。糞餓鬼が!と声を上げたが、既に匣は開匣されており、中から一話の大鷲が姿を現した。ばさり、とその翼が部屋の空気をかき混ぜる。あまりにも巨大なそれに、セオは目をキラキラと輝かせた。
「Che bravo…!(すごい)」
 す、とセオはその大鷲に手を伸ばした。だが、その手は盛大に、
「い…っい、ぃっ、た――――!!!」
 つつかれた。痛みの悲鳴と同時に、大鷲はその爪をもってセオを攻撃する。がつがつと突かれ引っ掻かれるそれからセオは慌てて逃げ回るが、鷲は宙を滑空しながらそれを追いかけてセオに攻撃を仕掛ける。痛い痛い!とセオは悲鳴を上げ、そして慌てて母の、東眞のところへと逃げ込んだ。セオ、と東眞はその小さな体を支えたが、大鷲の攻撃を防ぐすべを東眞は持ち合わせていない。爪が振りかざされ、咄嗟に東眞はセオを庇うように抱え込んで身を屈めるが、覚悟していた痛みは来なかった。
 おそるおそる視線を上げると、黒い影が、その大鷲の足をまとめてつかんでいる。ばたばたと羽根が羽ばたき、足を掴む男を威嚇していたが、赤い瞳の男はそんなことは関係ないとばかりにぎろりと睨みつけ、そのまま床に匣兵器を叩きつけた。ぎゃ、と大鷲の嘴から悲鳴が上がる。叩きつけた大鷲を、XANXUSは上から問答無用で踏みつけた。
「調子に乗るんじゃねぇ…焼き鳥にされてぇか…このカスが…」
 ぐ、とさらに力を加えれば、匣から一度出た大鷲は怯えた様子で即座にセオが手にしていた匣兵器に戻った。東眞はほっとしたが、それ以上にほっとした腕の中の存在に苦笑する。頬やら額やらは先程の攻撃で赤くなっていた。笑いながら、東眞はその傷に軽く触れる。
「後で、手当てしましょうか」
「…う、うん。バッビー…ぁ、う、ごめ、ごめんなさ…っ」
「この、」
 額にはっきりと青筋を浮かべて立つ父親にセオはぶるりと体を震わせた。そして怒号が落とされる。
「糞餓鬼が!!!」
「ごご、ごめんなさーい!!マンマっ!!マンマ助けて!」
 振りあげられた腕からセオは慌てて母の背中に隠れる。待て、とXANXUSは逃げたセオの首根っこをひっつかんで、無理矢理そこから引きずり出すと、頭に本日何回目になるか分からない拳を叩きこんだ。痛みでセオは目の前に星を散らす。ひっつかまれた状態で、セオはマンマ!と助けを求めながらばたつくも、東眞はやれやれと言った様子で溜息をつくばかりである。だが流石に、セオの足が浮いたのを見て、XANXUSさんと止めにかかる。
 そんな光景スクアーロは少し離れたところで眺めながら、騒がしいことだ、と小さく笑った。

 

 とん、とセオは教科書を机の上で叩いて合わせた。そこに小さな影がかかり、顔を上げる。そこにはアメジストの瞳をさせた少女が立っていた。そしてセオの席の前の椅子を軽く引っ張ると、そこに腰かけ、笑顔で話しかける。
「今日はローガン、話しかけてこないのね」
「…だから?」
 そっけなく返したセオを気にする様子もなく、イルマはがたがたと椅子をずらして距離を詰める。
「セオ?」
「何?」
「セオ」
「…何?」
「セオセオ、セオ!」
「?」
 何が言いたいんだろうか、とセオは目の前の同年の少女を見ながら不思議に首を傾げる。不思議そうなセオの顔を眺めて、イルマはにやぁと楽しげに口元を歪めた。
「この間暴れた日、大変だったのよ。もーローガンがあの病院から無理矢理帰ってきて、セオはどこだよ!って暴れまわって、教室がまたぼろぼろ。ローガンって実はセオのこと大好きなんじゃないかしら?」
「嘘」
「本当に?」
「ローガンが帰ってきたっていうのは本当だろうけど。他は全部嘘だし、仮定でしかない」
 すっぱりとそう返したセオにそうなの、とイルマはくすくすと楽しそうに笑う。
「私は正直者よ」
「嘘吐き」
「本当よ!」
「嘘吐き。でも、嘘吐きたくて吐いてるんだな。嘘にはそれなりの理由があるって、マンマ言ってた」
「…セオは、マンマが好きなのね」
「大好きだよ」
 ふぅんとイルマは軽く頬をひっかいて、少し、席を離してセオと距離を取る。肩よりも少し短いくらいのふわふわとした髪の毛が揺れ、アメジストは銀朱をしっかりと見た。
 ねぇセオ、とイルマはもう一度声をかける。
「ロニー、本当にどこ行っちゃったのかしら」
 セオはそれに答えなかった。整えた教科書を鞄に入れる。無言のセオを眺めながら、イルマはそう、と口元から笑みを消してその言葉を口に乗せた。イルマは馬鹿ではなかった。セオのその対応だけで、全てを理解した。伊達に、モナコファミリーの娘をしてはいない。ゆっくりと立ち上がると、セオとまた声をかける。
「私、ロニーとあまり話したことなんだけど、一度、花に水やりをしているロニーを見かけたの。その時、ロニーは花に話しかけてたわ。『俺、友達ができたんだよ。初めて友達ができたんだ。どうしたらいいか何をしたらいいかよく分からないけど、大切な友達ができたんだ』って」
 嘘吐き、とセオは言おうとした。けれども、それは口から出てこなかった。イルマの口から先程出た言葉は全て、嘘だであるとセオは理解していたが、それを嘘だと否定することが、セオには何故かできなかった。喉もとで止まった言葉が、すとんと胃の中に戻る。
 イルマは黙ったままのセオに続ける。
「すごく、幸せそうだったわ」
 にこやかに、イルマは笑う。
 笑う少女にセオはようやく言葉を返した。
「…嘘吐き」
 一拍待って、嘘吐き、という言葉でようやくイルマの言葉を否定した。すこし、口元が笑っていた。イルマはそんなセオの表情を見て、両肩を軽くすくめると、楽しそうに、嬉しそうに笑う。
「そうよ、私は嘘吐きだもの。でも、本当に嘘なのかどうかは、もう分からないわね。あら、セオ?もう帰るの?」
「下校時刻だから」
 帰る、とセオは荷物を肩にひっかけて立ち上がった。その背中にイルマは笑いかける。
「Ciao, Theo」
「Ciao, Irma」
 扉を閉めて、向こうに消えてしまった背中を見つつ、イルマは背中の体重を壁に完全に預ける。そして、去ってしまって空になったセオの机と、それからもう随分と誰も来ていない「行方不明」のロニーの机を見やった。ロニーに本当のところ、何があったのかをイルマは知らない。けれども、両親の話で、ボンゴレファミリーがポルタファミリーを潰したとのことを聞いた。
 ロニーはポルタファミリーの関係者であることをイルマは知っていた。ボンゴレは慈悲深い穏健派のファミリーだと耳にしているし、ひょっとすると、どこか遠くへロニーは預けられた可能性もある。もう二度と自分たちの前に現れることはないのだろうけれども。だから、彼の友達であるセオはとても寂しそうにしていたのだろうかと、イルマは推測する。推測したところで何が変わるわけではないけれども、どうして何故か、自分の嘘を見破ってしまう少年のことを考える。そして、その事実をとても楽しいものだと思う。
 誰もかれもが皆、自分の嘘に騙される。上手に真実と虚を混ぜて行けば、信用せざるを得ないものなのだ。自分が嘘吐きだと知りながら、それを何度も騙されてくれるクラスメート。尤も他愛のない嘘だからと言うのもあるだろう。騙される人を見るのは嬉しい。自分に関わってくれるから嬉しい。本当の自分を見つけられなくなるのも嬉しい。
「セオ」
 その名前を口にして、イルマははにかんだ。
 どうしてその少年が自分の嘘を嘘だと分かってしまうのか、イルマは分からない。けれども、面白い。面白いから、あまりしょげ込んで欲しくない。取り敢えず、彼に名前は覚えてもらったのだ、とイルマは嬉しげに笑い。そして机の上に置いてある鞄に手をかけた。
 また明日、また明日!と浮き浮きしつつ、イルマは正門で待つ父がよこしたボディーガードを見つけ、今日は一体どんな嘘をついてみようかと心を躍らせた。

 

 こぽん。こぽん、と水がなる。
「これで完成なのか?」
「今までの実験データからすれば、素晴らしい兵器になると思います。もっとも改善すべき点は出してみなければ分かりません」
 こぽん、こぽんと空気が揺れる。
 そして見ていた。揺れる視界の奥から。たくさんのきかいと、はくいのひとと。そして、また、ねむる。ねむらされる。こわい、と思う。こわいと感じる。いたみが揺れる。
 いたい。
 雑音と共に、生み出された生物は思考を閉ざした。